ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

蜂工場 (9) アーカム

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 「おい」コウジが怒鳴った。「ふざけるな!」
 佐藤は冷たい一瞥を向けただけで、ドアの方へ向かった。トシオに片手を広げ、5 分ですよ、と念を押し、急ぎ足で出て行く。トシオはその後を追おうとしたが、片肘を掴まれて足を止めた。肩越しに振り向くと、必死の形相のコウジが迫ってきた。
 「台場さん」コウジの顔は焦燥で彩られていた。「俺を選んでくれるでしょう? くれますよね? ここで放り出すなんてしませんよね。俺たち、長い付き合いじゃないですか。少なくとも、他の奴らよりは長いですよね。俺を見捨てたりしませんよね」
 「ちょっと待て」トシオはコウジの手を振り払った。「贔屓はできないと言っただろう。お前が借金で困ってるのはわかるが、他のメンバーの事情も考慮して......」
 コウジの顔が紅潮した。奇声を上げ、近くの椅子を蹴り飛ばす。トシオに向けた目は血走っていた。
 「他の奴なんかどうだっていいだろうが。たいして差なんかねえだろ。だったら、付き合いの長い俺を選んでくれたっていいじゃねえか。あと5 分しかねえんだ。公平にとか寝言ぬかしてんじゃねえよ」
 トシオは喚き散らすコウジを訝しげに見た。コウジの人格に難があることは薄々わかっていたが、単なる借金地獄でここまで必死になるのかと疑問が湧いたのだ。問い質す言葉を口にしようとしたとき、ドアが開き、残りのメンバーが飛び込んできた。
 「撤収の話、聞きました」一人がやはり必死の形相で迫った。「もう誰を連れて行くか決めたんですか」
 「おい、てめえ」コウジが唾を飛ばして怒鳴った。「割り込むんじゃねえ。もう俺に決まったんだ。昔のよしみってやつだ。あと一人はジャンケンでもロシアンルーレットでも何でもやって決めりゃいいだろ」
 「そりゃ本当ですか」山本がトシオとコウジを交互に見た。「台場さん、あんたは公平な人だと思ってたんですけどね。こんな大事なとこで、前に同じ会社で働いてたってだけの奴を選ぶんですか。それってひどくないですか」
 山本の言葉に、他のメンバーも同意するように頷いた。そんなにここでの仕事を続けたいのか、とトシオは改めて首を傾げた。確かに給料は平均的なIT 企業よりいいかもしれないが、山本は借金などなかったはずだ。最悪でも失業するだけだというのに。
 トシオがその疑問を口にすると、メンバーたちは互いに顔を見合わせた。コウジだけは成り行きが気に入らないようで、山本を睨んでいる。山本はコウジの視線など気にもとめず、探るような口調で訊き返した。
 「台場さん、もしかして知らないんですか」
 トシオが意味がわからず首を傾げると、山本は納得したように乾いた笑いを漏らした。
 「そっか。ひでえな」山本は納得したように頷くと、なぜか左の袖をまくり始めた。「ちょっとこれ見てもらえます?」
 山本が突き出した腕を見たトシオは、驚きで目を見張った。リップスティックに似た金属製の円筒が、皮膚に埋め込まれていたのだ。円筒からは湾曲した細いチューブが生えていて、やはり皮膚の中に消えていた。
 「なんだそれは」
 「逃亡防止デバイスです」山本は嫌悪感を込めて吐き捨てた。「俺たちが逃げたら、こいつが作動して、中身が注入されるらしいですね」
 「中身って......毒か?」
 「そうじゃないんだよ」コウジが呻くように言った。「何かの生きものの細胞だとか言ってた。動画を見せられた。作動すると5 分かそこらで、なんだか気持ち悪い生きものに身体を乗っ取られるんだ」
 「ショゴスとか言ってましたね」山本が補足した。「腐海に棲んでそうなキモい生物です。触手と目と口がでたらめに付いてて、胸が悪くなりそうな粘液をダラダラ垂らしてるんです。人間がそいつに変わってく動画を見せられました。まだ発表されてない生命体らしいんです」
 最悪なのは、と山本は続けた。肉体はその生物に強制的に変換されても、意識だけはずっと残ることだ。身体のコントロールは効かなくなるし、自分の意志もほとんど伝えられなくなる。おぞましい肉体の牢獄に閉じ込められたまま、正気を保っていなければならない。
 「一体、なんでそんなものを......」
 山本は同意を求めるように他のメンバーの顔を見て、ため息をつきながら答えた。
 「俺たち全員、実は後ろに手が回ってるんですよ。仕事なくして金に困って、アポ電の役者やってたんです。だけど、ちょっとやばい組の縄張り荒らしちまって。慌てて解散して、少しまともな仕事探してたんですけど、店長がヤクザに捕まって、しっかり歌いやがってね。もうちょっとで捕まるところを、あの佐藤って人が助けてくれたんです。その代償が、これってわけです。生物兵器の臨床試験も兼ねて、ここで働くことになって」
 トシオが思わずコウジの方を見ると、半ば狂気に彩られたギラついた視線が返ってきた。謎の生命体だとかいう話は眉唾物だとしても、少なくともコウジたちが信じていることだけは確かなようだ。
 ドアが開き、佐藤が再び現れた。プログラマたちの視線を無視してトシオに、決めましたか? と訊いてくる。トシオは山本の腕を掴むと、皮膚組織と一体化しているデバイスを見せた。
 「これのことは一言も聞いてないんですがね」
 「やれやれ」佐藤は嘆息した。「しょうがない人たちだ。他人に見せるなと厳命しておいたんですがね」
 「佐藤さんよ」山本が険悪な表情で佐藤を睨んだ。「先に約束破ったのは、そっちじゃないすかね。研修期間終わって、正式契約になったら、この気味の悪いものは外してもらえるって話だった。国家機密なので流出を防ぐための措置だって。なのにあんたは、継続雇用するのは二人だけだって抜かしやがる。こいつは24 時間毎にロックを延長しないと、自動的に作動するんですよね。ってことは、4 人はショゴスとかいう化け物になるってことにならんですか」
 佐藤は薄く消えそうな笑いを口元に浮かべ、バカにしたように鼻を鳴らした。その笑みは山本の言葉に対する反応に違いなかったが、佐藤が言葉を向けたのはやはりトシオだった。
 「時間がありません。台場さんが決められないようなら、こちらで適当に選ばせてもらいますが」
 山本がいきなり雄叫びを上げると、佐藤に突進した。佐藤の手首を掴んだかと思うと、慣れた手つきで素早く背中にひねり上げ、さらにヘッドロックをかける。
 「てめえ、ふざけんな」山本は猟犬に追い詰められた野生動物のように唸った。「これを外せ。外さないと首の骨をへし折る」
 「そうやってすぐ暴力で解決できると短絡的に考えるから、あなたたちはディスポーザブル・プログラマでしかないんですよ」佐藤は落ち着いた声で答えた。「想像力というものがない。私の見た目だけで、ひ弱なデスクワーク人間で暴力には弱い、と判断してしまう。たとえば私がマーシャルアーツの達人かもしれない、と考えることなどないんでしょう?」
 「ないね」山本は嘲笑した。「俺だって荒事の経験値はそれなりにあんだよ。あんたには、そんな雰囲気も身体もねえ。ハッタリは通用しねえな」
 「困ったもんだと思いませんか、台場さん」佐藤はなおもトシオに話しかけた。「世界が自分の経験が及ぶ範囲だけだと思い込んでる。私の手足は確かに今、動かせないんですが、それだけで私に対して優位に立った気になっているんですからね。物理的な暴力などより、ずっと強い力がいくらでもあることを想像しようともしない」
 続いて佐藤が口にしたのは、トシオにとっても、プログラマたちにとっても意味不明の言葉だった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 もう限界だ、とサチは痛切に感じたが、同じ思いを共有している人間は、この部屋には一人もいないようだった。ベッド脇に立っている佐藤、マリエに投薬処置を施している医師と二名のナース、そして何より、マリエ本人に手を止める気がない。
 「エリア879 と883 はネガティブ」マリエはキーを叩きながら言った。「フレディ、901 のトラッキングはそっちに任せる。nyet2010 のm29 ってブランチからコピって。上書きしないでね。チェン、13 分前までのログから、被害ノードリストを更新して。いやいや、ノードは全部クローズしねーよ。いくつかデトックスかけてからハニーポットにすんの。ちぇっ、922 もネガティブかよ。送り込まれるロジックがかなり複雑になってきてる。あっちのエンジニアも、スキルは低くねーな」
 アラーム音を消してあるモニタ機器が赤く点滅した。
 「不整脈だ」モニタを注視していた医師が呻いた。「リドカイン30mg を静注......」
 「それはダメ」マリエは冷静に遮った。「前にリドカインで意識飛んだじゃん。今、寝オチするわけにはいかねーの。いいから放置しといて」
 「マリエ」佐藤が口を挟んだ。「まだ死んでもらっては困る。最低限の治療はさせてもらうぞ。先生、思考を妨げない程度で治療を」
 「ふーむ」医師は唸った。「ではジギタリス系で検討してみよう」
 マリエが目で要求してきたので、サチは急いでボトルを口元に運んだ。衰弱した身体に負担をかけないように、マリエの体温に維持されたオレンジジュースだ。マリエが摂取したのは数グラムに過ぎなかったが、満足そうな表情が浮かんだ。
 「ねえ」サチは囁いた。「少し休んだら?」
 「そーいうわけにはいかねーの」マリエは指を休めようともしなかった。「今、ちょっと手が放せないんよ。オッケー、ジローちゃん。次はcrop バリデータのプリプロセスを、フレディのトラッカーと差し替えて。差し替えたらすぐデプロイね」
 もう40 時間以上も寝ていないのに、という言葉をサチは呑み込んだ。この組織では、人道的要素は優先順位の下の方に位置しているのだ。
 昨夜、マリエの負荷を心配するサチに、佐藤はいくつかのライブ映像を見せた。何もない空間から、生物学的なルールをいくつも破ったようなクリーチャーが出現し、罪もない市民が犠牲になる映像だ。犠牲者には子供も含まれている。今、マリエがプログラミング活動を休めば、同様の犠牲者が増えることになる、と佐藤は抑揚のない口調で告げた。しかも、ここ数日、かつてないほど強力な攻撃が続いていて、アーカムの防衛網が大きなダメージを受けているという。代替要員の有無を訊いたサチに、佐藤は悲しそうな顔で首を横に振り、マリエはプレイング・プロジェクト・マネージャとでも呼ぶべきポジションにいると説明した。
 アーカムには過去から蓄積した膨大なライブラリとテンプレートがある。数千万を越えるバリエーションで厳密にカテゴライズされ、常にアップデートされ続けている資産だ。マリエは絶え間なく続く敵の攻撃に応じて、最適なライブラリを瞬時に選択し、テンプレートとの組み合わせを決定して、対応ロジックの構築を他の拠点にいるプログラマたちに指示していた。同時に自分でも新しいロジックをプログラミングし、ライブラリの最適化に多大な寄与を続けている。こんなことができるのは、現在のところマリエ一人だ。
 またもやモニタ機器が赤い光を放ち、医師たちが目に見えて緊張した。マリエの眉間にしわが寄り、唇の端が震えている。ここ数日でマリエの表情が読めるようになってきたサチには、苦痛を感じているのだとわかった。医師の指示で数本のアンプルが瞬時投与される。それでも異常は消えない。
 「もう限界だ」医師が佐藤に囁くのが聞こえた。「この子の内臓はほとんど機能していないんだぞ」
 「脳と手はまだ動いています」佐藤は素っ気なく応じた。「どんな手段でもいいから、もう少し持たせてください」
 「心臓だって補助心臓でかろうじて維持してる状態だ。いつ止まってもおかしくない」
 「あと2 ポイント」答えようとした佐藤の声に、マリエがかぶせた。「それだけ特定できれば終わる。それまで何とか持たせてよ、先生。高い給料取ってるんだから、それぐらいできるっしょ。どうせ止まってしまう、この心臓に水を与えて、ってやつよ」
 抗議しかけた医師は、マリエの瞳に宿った強烈な意志に気付いて断念し、ナースに小声で指示を与え始めた。さらに何本ものチューブが差し込まれ、薬剤をマリエの身体に送り込み始める。もはや一人の尊厳ある人間ではなく、自由意志を奪われた実験動物のようだ。サチはこぼれ落ちそうになる涙を懸命にこらえた。最後の一文は、確かJ-POP の一節だったはずだ。自分の弱った心臓までジョークまがいに語る精神力に、サチは恐怖すらおぼえた。医療従事者たちも畏怖を感じているのか、唯々諾々とマリエの生命をこの世につなぎ止める作業をこなしている。常に氷結した極地の海のように冷徹な佐藤でさえ、額に汗を浮かべていた。マリエのみが、心身を襲っているはずの想像を絶する苦痛を表明することもなく、常人では不可能な作業を陽気ともいえる口調でこなし続けていた。
 「ジローちゃん、950 と951 対応のHouse モジュール、どっちもポジショナルオンリーパラメータに変えて。変えたらもう一度デプロイ急いでね。947 はネガティブ。949 は確変かな。佐藤のおっさん、あと10 ユニット、トラッカーにリソース回して。一分かそこらでいいからさ。おいおい、フレディちゃんよ。961 の引数はソーティングタプルにしろって言ったよね。ああ、いいや、もう。あたしやるから、965 の親コンテナ、パージしちゃって。あいつ、もういらねーから」
 5 分後、マリエはようやく手を止めて宣言した。
 「特定できたよ。みんなおつかれ」
 その言葉を聞いた佐藤は、タブレットを手にモニタを覗き込んだ。マリエに内容を確認すると、タブレットに手早く何かを入力するとサチに向き直った。
 「私は行かなければなりません」
 「え、どこに」
 「敵の拠点攻撃です。攻撃は別の拠点から行うんです。指揮を執らなければ。マリエをよろしく」
 そう言うと佐藤はマリエに小さく頷いただけで、後ろも見ずにさっさと出て行ってしまった。そのあまりにも事務的すぎる態度にサチが唖然としたとき、マリエが医師たちに声をかけた。
 「先生たちも、もういいよ」
 初老の医師は呆気にとられて口を開いたが、マリエは指をドアの方に向けた。
 「ムダなことやめろって言ってんの。もう仕事終わったんだからさ。努力してるフリなんかいつまでもしてんじゃねーよ。時給で給料もらってるわけじゃねーだろ。それとも若い女の身体をいじくり回すのが楽しいのかよ。いいから出てけよ、ヤブ医者先生」
 医師たちは顔を見合わせた後、マリエの言葉に従って部屋を出て行った。サチはマリエに近付くと頭をそっと撫でた。頭骨が感じられるほど頭皮が薄くなっている。
 「私は出ていかないからね」
 「しゃーねえな」マリエは笑った。「テレビ点けて」
 サチはリモコンでテレビの電源を入れた。バラエティ番組がちょうど始まったばかりで、デビューしたばかりの男性アイドルグループのメンバーがゲストとして登場したところだった。
 「ああいう人生もあんだよね、この世界にはさ」マリエは呟いた。「楽しいんだろうね、きっと」
 「どうかな」サチは慎重に応じた。「芸能人には芸能人なりの苦労もあると思うけどね」
 「まあ、おバカタレントでも、本当にバカじゃ生き残っていけないだろうしね」
 「お医者さんたちに、わざとああ言ったんでしょ」
 「まあね。あたしのことなんかで、職業的トラウマにでもなられても困るし。ほら、あたし、可憐で薄幸な美少女じゃん。じーさんのドクターはともかく、若いナースさんなんかは、泣くのこらえてるのバレバレだよ。あの人たちには、これからもここで、他の人を救ってもらう仕事があるんだからさ。あたしの後輩たちとかね」
 モニタ機器が怒ったように赤く点滅したが、サチもマリエも無視した。
 「そうだ。サチ先生に言っとかなきゃいけねーこと忘れてた。あの佐藤のおっさんには気を付けなよ」
 「どういう意味? 悪い人なの?」
 「いやいや」マリエの目から涙が一筋こぼれたが、本人は意識していないようだった。「あのおっさんは心底、SPU との戦いに全人生を使うつもりだよ。すごい権力を持ってるのに、私利私欲のために使おうなんて考えてもいねーしね。でも、そのためには手段を選ばないとこあるからさ。サチ先生をスカウトしたのだってそうだよ」
 「え?」
 「小柳が先生に近付いたのは、あのおっさんが仕組んだことだから」マリエの喉から洩れる声は、次第にかすれて聞き取りにくくなっていた。「本人はそんなこと知らないけどね。あ、ちなみに小柳は、一昨日、セクハラで局アナから訴えられたよ。言っとくけど、あたしは何にもしてないから。用済みになったから、佐藤が始末したのかもしれないけど、まあ、それはどうでもいいか」
 サチは柔らかいガーゼで、マリエの額ににじんだ汗をそっと拭いた。体温がそれとわかるほど低下している。
 「どうして私を?」
 「そこまでは知らねーよ。ま、理由なく何かするおっさんじゃねーから。一応、警告ってことで」
 言い終えるとマリエは熱い呼気を吐いて目を閉じた。サチは水を含ませたガーゼで、マリエの唇を湿らせた。
 「やるだけやったなあ」マリエはか細い声で囁いた。「これだけ充実した人生を送った十代って、そーいないじゃねーかな。どう思う? イケメンと恋に落ちるとか、はたち前にデキ婚するとか、そーいうのはなかったけど、まあ、しゃーねーよね。傷を癒やすのはきっと、痛いぐらいの愛かもしれないね、か。痛いぐらいの愛って何なんだろ。サチ先生は知ってる?」
 マリエが求めているのが、サチの経験談などではないのはわかったので、いいえ、とだけ答えて、ようやく過酷な作業を止めることができた少女の細い手を優しく包んだ。
 「もう目を開けてらんない」マリエの唇が震えた。「サチ先生、そばにいてくれる?」
 「そばにいるよ、ずっと」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 うざいえい、うざいえい、いかあ、はあ、ぶほういい!
 佐藤がその言葉を発し終えた途端、激しい排気音とともに、山本の腕から逃亡防止デバイスが外れ、床に転がった。亀裂が入った円筒からは、青白い液体が漏れ出している。山本は狂気の表情で自分の腕を眺めたが、次の瞬間、その頭部がどろりと崩れた。
 「愚かな男です」自由になった佐藤は静かに嘲笑した。「すでにショゴスの純粋培養液は投与されていたんです。そのデバイスは、ショゴスの細胞分裂を抑制するためのものなんですよ」
 山本の姿は急激に変貌しつつあった。腐臭を放つ、得体の知れない生命体に。トシオは我知らず後退していた。コウジたちも声が出せないほど恐怖に怯えている。自らが近い将来、高い確率で山本のようになる、と知ったのだ。その恐怖は、トシオのそれの比ではないに違いない。
 「さて、もう時間切れです」佐藤はトシオに言った。「こいつらは放置しておきましょう。台場さん、急ぎましょう。私物は諦めてください」
 コウジが憤怒の表情で飛びかかろうとしたが、佐藤は指を一本立てただけで、それを制した。
 「私がいつでもデバイスをパージできることを忘れない方がいいですよ。それより彼が完全にショゴスに転化する前に、逃げることをお勧めしますね。ヒトを認識すると、無条件で襲いかかってくる習性があるので」
 プログラマたちがパニックの表情を浮かべて、人間の姿を失いつつある山本から距離を取ったとき、トシオの背後から激しい爆発音が聞こえた。慌ててドアから外を見ると、オフィスエリアに白い煙が立ちこめていて、その中から何本ものグリーンに輝く光線が四方八方に伸びていた。鈍い音とともに、悲鳴が届く。佐藤が舌打ちした。
 「こんなに早いとは」佐藤はトシオの腕を掴むと、反対側のドアを指した。「あっちから出ましょう」
 何が起こっているのか訊く時間はなかった。トシオが佐藤に導かれるままに、よろめきながら歩き出したとき、目指していたドアがフレームごと破壊され、床で重い音をたてた。驚く間もなく数名の人影が飛び込んでくる。デジタル迷彩に身を包み、顔は大きなゴーグルとヘッドセットで隠れている。凶悪な雰囲気のアサルトライフルを持ち、装着されたレーザー照準器から眩しいグリーンの光線が、トシオを含む全員の頭部に向けて正確に発せられていた。
 「全員、動くな」
 指揮官らしき男が命じながら前に進み出た。腕にスマートフォンに似ているが、比較にならないほど頑丈そうなデバイスを装着している。指揮官はデバイスと、部屋にいる全員の顔を見比べていたが、トシオに目を留めると、特に念入りに比較した後、別のデバイスをトシオの顔にかざした。顔認証か、とトシオが気付いたとき、指揮官は満足そうに頷いた。
 「彼だ」指揮官はヘッドセットに言った。「見つけました」
 数秒後、別の男が入ってきた。その顔を見たトシオは思わず、え、と声を上げた。佐藤とうり二つだったのだ。
 「台場さんですね」その男は、佐藤とそっくりな声で言った。「お迎えに上がりました」

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。

Comment(18)

コメント

エドウィン・M・リリブリッジ

わお、これは完全に騙されました!

yupika

うすうす気づいてたけど、「佐藤」はジオブリーダーズの入江省三みたいな人物なんだな。

のり&はる

以前「佐藤氏」を「佐藤二朗」で脳内再生していると主張したものですが、今回から「佐藤慶」に変更します。

匿名

んー頭悪いからいきなりの展開についてけないw

匿名

アーカムにとって有能な人材は敵にとっても有能な人材
そりゃそうですよね

匿名

台場さん拠点は、サチさん拠点を攻撃する蜂を作ってて、マリエがそれを防いで、台場さん拠点を見つけた…ってこと…?かな…?
そういや、瓜二つになれるやつがいたな。。

頭悪い奴

匿名12:45さん、ありがとう!
スッキリした!

匿名

「佐藤二朗」説に吹いたww
どないしてくれるんやw
もう頭から離れんぞww

匿名

あー、未来を知ってるふうな佐藤さんは、
敵が化けたやつで、アカシックレコードにアクセスできる?のか。

匿名D

をを、登場人物のクチから直々に仕込みの披露とは。


瓜二つのネタを知らない私は来週待ちか。

通りすがりの猫

「動きを止めたサチの手を」

「動きを止めたマリエの手を」
でしょうか?

リーベルG

通りすがりの猫さん、ありがとうございました。
マリエの手でしたね。

ななし~

いつも楽しく拝見しています!
「婉曲」→「湾曲」でしょうか。

リーベルG

ななし~さん、ありがとうございます。
湾曲でした。
なんで婉曲にしたのか...

さかなでこ

山本君「外さないと首の腕をへし折る」
首の骨?

リーベルG

さかなでこさん、ありがとうございます。
首の骨、です。

うざいえい?

冒頭コウジが醸し出すカイジ感とか、有能で薄幸な美少女描写とか、いい。
佐藤さんが怪物過ぎて、はたしてその心情が明かされる時が来るのかとか、
ジャンプを楽しみにしていたようにワクワクして月曜日を迎えております。

Y

旧支配者も一枚岩ではないので
こっちの佐藤さんはラーン・テゴス?

アーカムは……

この話自体が、最新のクトゥルフ神話ですね

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