ひいらぎ飾ろう@クリスマス(前)
「何が消えたって?」谷少尉は思わず訊き返した。
「ツリーです、分隊長」サンキストは辛抱強く繰り返した。「中庭のクリスマスツリーが消失しました」
ビーンこと谷少尉はこめかみを押さえた。午前3 時過ぎまで様々な雑務を片付けていた。ようやく安らかな眠りに身を委ねかけたとき、サンキストが緊急事態だと飛び込んできたのだ。時計を見ると、ベッドに入って15 分も経っていなかった。
「消失?損壊や爆破ではなく?」
「はい。跡形もなく消えています。あ、テントは残っています」
「ディラックの海にでも飲み込まれたか」谷少尉は呟くと、ベッドサイドに置いてあったペットボトルのお茶を飲んだ。「昨日、2300 には確かにあった。この目で見たんだからな」
「はい。点灯式のリハーサルが終わった後、カバーをかけて、風が強かったのでパラコードで縛ってありました」
谷少尉はうなった。今日は12 月25 日。世間的にはクリスマスと呼ばれる日でもある。死者が地上を歩き出す前は、クリスマスシーズンの経済効果は6,700 億円以上とも言われていた。言い換えれば、1 年で最も人が浮かれ騒ぐ月だ。石油不足による計画停電が続く現在、クリスマスシーズンは華やかさとはかけ離れている。現代のクリスマスに欠かせないイルミネーションに対して自粛ムードが広がっているからだ。来年にはインシデントZに終息宣言が出る見込みだとはいえ、まだ各地でZによる被害が報告されているし、世界には血で血を洗うような戦いが続けられている国もある。仮にどこかの自治体や企業が、銀河の星々のようなイルミネーションを点灯しようものなら、たちまち非難の嵐が巻き起こるだろう。
中庭に先週から設置が進められていたクリスマスツリーは、港北基地の技術部と装備部が協力し、廃棄予定のソーラーパネルによって自給自足で光り輝く仕組みになっていた。ただし点灯するのは、日没後90 分だけだ。それぐらいなら、いっそない方がいいぐらいじゃないか、と谷少尉などには思えるのだが、それでもツリーが設置されたのには理由があった。港北基地には、欧米圏の国籍を持つ隊員も多く、彼ら彼女らが「ツリーと七面鳥のないクリスマスを過ごすぐらいなら新年までストライキに突入する」と、司令本部に通達してきたためだ。12 月初旬のことだった。
冗談なのか本気なのか、判断に迷った司令本部は各部の部長と、士官クラスを招集して、臨時会議を開いた。その結果「プロジェクトチームを結成し、ツリーと七面鳥、その他クリスマスに必要な物品を速やかに調達せよ」という命令が、司令本部から発令された。その「オペレーションひいらぎ」の実施担当部門となったのが、臼井大尉が指揮する第18 特殊作戦群だった。
命令を聞かされた谷少尉と柿本少尉は、これは新手のジョークか何かかと、上官の顔をまじまじと見つめた。臼井大尉はいかつい顔に似合わず、よくそういう悪ふざけをするのだが、あいにく今回は真面目な顔だった。手にしたタブレットには、正式のコマンドオーダーが表示されている。
「どうしてうちの小隊が、そんな非戦闘任務に就かなければならんのですか?」谷少尉は訊いた。「装備部か調達部の仕事ではないですか。我々は戦闘職種のはずですが」
臼井大尉は自身も明らかに納得していない顔だったが、それでも厳格な声で説明した。JSPKF には「誰でも、いつでも、どんなポジションでも」という考え方がある。たとえば受付業務の隊員であっても、一通りの戦闘訓練は受けている。であれば、その逆も然りではないか。
「その理屈はわかりますが」柿本少尉は首を傾げた。「どうして、うちの小隊なんでしょうか」
「うるさいな。アミダで負けたんだよ」臼井大尉は不機嫌そうに吠えた。「いいから、ジャンケンしろ」
「は?」
「ジャンケンだ。こんな任務に小隊全体で当たることはない。どっちかの分隊に任せる。ジャンケンがイヤなら、殴り合いでも、射撃でも、カードでも何でもいい。早く決めろ」
2 人の分隊長はジャンケン3 本勝負で決めることにし、谷少尉がストレート負けした。昔から大事なシーンで行うジャンケンに勝ったことがない。
「なあ、代わってくれないか」谷少尉は柿本少尉に頼んでみた。「俺は今、例の新型戦術支援システムの導入準備や、新人隊員の評価で忙しいんだ」
「悪いな」柿本少尉はニヤニヤ笑った。「勝負は勝負だ。まあ、とっとと片付けて、本来の業務に戻るんだな」
谷少尉は訓練中の分隊を宿舎に呼び戻し、オペレーションひいらぎの遂行を命じた。命令を伝えられた分隊員たちは、一斉に不満の声を上げた。谷少尉は部下のブーイングを辛抱強く受け止めていたが、頃合いを見て静かに言った。
「命令だ」ジャンケンで負けたことは伏せておいた。「速やかに、無駄なく、効率よく終わらせて、本来の任務に戻る。とにかく入手すべきものを入手するんだ。サンキスト、キトンはツリーを何とかしろ。ヘッジホッグとスクレイパーは七面鳥を探せ。それから、お前、アリュ......アリョ......」
「アリュケーアです」小柄な女性隊員は正確な発音で答えた。「長瀬アリュケーア」
「ああ、そうだった」谷少尉は、数日前に分隊に配属となった隊員を見た。「コールサインを決めなければな。前の隊では何と呼ばれていた?」
「キンポウゲでしたが、あまり好きじゃないので、できれば別のコールサインがいいです」
谷少尉はアリュケーアを見つめた。数日間、訓練を共にしただけだが、優秀な隊員であることはすぐにわかった。一見、フィジカルが弱そうな印象を受けるが、小さな身体をコマネズミのように素早く動かして、ウェイトの軽さをカバーしている。巨漢のヘッジホッグと模擬格闘を行ったときでも、ほぼ互角に戦えていたのだ。銃器の扱いにも習熟していて、JSPKF の標準火器はもちろん、多くの兵器についてスペックまで暗記している。戦歴によれば、一番最後までヨーロッパやアジア各国を転戦していた1 人だ。
その敏捷な動きは、ある種の小動物を連想させた。ラットかマウスか......と口にしかけて、アリュケーアのシングルモルトウィスキーのような茶色の瞳に気付いた。その途端、すっと名前が降りてきた。
「よし、お前のコールサインはブラウンアイズとする」谷少尉は決めた。「異存は?」
「ありません」ブラウンアイズは嬉しそうに頷いた。「いいコールサインです」
「ブラウンアイズ、お前は両チームの補佐、つまり雑用係だ。手が足りないところをサポートしろ。とにかく、クリスマスツリーと七面鳥さえ入手すれば終わりだ。クリスマスの7 日前、18 日を目標とする。進捗管理はいつも通りRedmine で行う。必要なチケットは切っておくから、各チーム、毎日、進捗状況を更新しろ。問題が発生したら、トラッカーを"トラブル"で切れ。何か質問は?」
「予算の上限はありますか?」キトンが手を挙げた。
「ない......が、常識の範囲を超えると思ったら、事前に相談しろ。内部で調達できるものを優先。JSPKF の外から調達する場合は、見積書と注文書をきちんと添付しろ。他には?よし、かかれ」
部下を送り出すと、谷少尉は新型戦術支援システムの導入準備作業に戻った。ツリーと七面鳥だけでは解放されないことを谷少尉が知るのは、それから数日後だった。
七面鳥チームが最初にぶつかったのは、日本ではクリスマスに七面鳥を食べる習慣がほとんどない、という明白な事実だった。港北基地はもちろん、日本各地のJSPKF 基地に問い合わせても、七面鳥のストックはただの一羽も見つからなかった。ターキーブレストのパックと、スライスハムに加工されたレーションは発見できたが、これでは要件を満たしているとはいえないだろう。
「チキンじゃダメですか?」ブラウンアイズが、札幌基地との交信を終えてタブレットから顔を上げた。「21 日に丸鶏40 羽が搬入されるそうで、10 羽ぐらいならこっちに回してくれるそうです」
「聞いてみるか」ヘッジホッグは丸刈りの頭を撫でた。「一緒に来い。スクレイパーは問合せを続けてくれ」
ヘッジホッグとブラウンアイズが会ったのは、技術部通信技術課のアンダーソン課長だった。元は横浜市内の英会話教室で講師をしていたという、ヘッジホッグに負けないぐらいの巨漢だ。例の「ツリーと七面鳥」の要求を突きつけたグループのリーダーでもある。
「チキン?冗談だろ」アンダーソンは流暢な日本語でまくしたてた。「私は、はっきり七面鳥と言った。わかるか、七面鳥、ターキーだ。君たちにはわからないかもしれんが、ターキーとチキンは全く別物だ。私たちがこれからの1 年を乗り切るためには、クリスマスにローストターキーを食べることが、絶対に、繰り返すが絶対に必要なんだよ。君たちだって、正月にはおせちとお餅を食べるだろう。それなのに、お餅が手に入らないから、絵に描いた餅で我慢してくれと言われたら......」
「あー失礼しました」ヘッジホッグは慌てて遮った。「七面鳥を入手できるように鋭意努力します」
「頼むよ。できれば、12 ポンド以上のでかい奴がいいんだが、まあ、そこは妥協してもいい」
「わかりました」
ヘッジホッグは、ブラウンアイズを促して、逃げるように管理棟から出た。
「まったく、10 体のZを相手にする方がマシだな」
「確かに」ブラウンアイズも同意した。「やっぱりJSPKF 内で探すのは無理なんじゃないでしょうか」
「そうなるだろうなあ」ヘッジホッグは嘆息した。「民間ルートを当たってみるか」
ヘッジホッグ、スクレイパー、ブラウンアイズの3 人は、輸入品を扱っている業者に片っ端から連絡してみたが、成果は得られなかった。<大いなるパニック>によって、中東諸国では誤解と偏見による民族紛争が激化し、どこかのバカな軍部が核兵器を使用したため、原油生産が激減している。最近になって、ようやく生産も回復してきたが、日本への輸送ルートは空も海も、Z戦争前の10% 以下に減ってしまった。そのため、海外からの輸入は、石油、食料などライフインフラを支える必需品が最優先で、七面鳥のようになくても困らない贅沢品はリストの最後の方に回されている。
「これはどうだ?」スクレイパーがタブレットを見せた。「港区の専門店だ。大きめのチキンをターキー風にアレンジ。ターキー風味のグレイビーソース付き」
「食べたらわかるんじゃない?」ブラウンアイズが疑問を呈した。「あそこまで違いにこだわってるんだから」
「出す前に、ビールとワインでベロンベロンに酔わせれば、味なんかわからなくなるだろ」
「いや」ヘッジホッグは首を横に振った。「アンダーソン課長のあだ名はトリプルレバーだ。アルコールの分解能力が異常に高い。この前、スタルカとかいうウォッカをがぶ飲みしてたが、顔を赤らめてさえいなかったからな」
「それに」ブラウンアイズが言った。「そんなインチキがバレたら、分隊長の顔に泥を塗ることになるわ」
「それもそうだな」スクレイパーは頭の後ろで手を組んだ。「でも、どうする?」
「やっぱり米軍ルートを通すしかないんじゃないかしら」
「仕方がないか」ヘッジホッグは肩をすくめた。「あまり借りを作りたくないが当たってみるか」
JSPKF は在日米軍と、頻繁ではないが交流がある。JSPKF は火器や車両などの装備を、独自の輸送ルートを持つ米軍を通じて入手することが多いからだ。ただし、足元を見られているのか、その費用は総じて高額になりがちだ。
谷少尉にも話を通して、米軍のつてに聞いてみたところ、横田米軍基地の冷凍庫にある冷凍ターキーを適正価格で譲ってもらえることになった。フランス産の8 ポンドが10 羽。
「まあJSPKF さんにはお世話になってますから」目録を持って来た、横田基地の渉外担当者は恩着せがましく言った。「本来なら、うちの基地でのクリスマスパーティで並べる予定だったのを、特別にお分けするんですからね」
七面鳥チームの3 人は手を取り合って喜んだが、それも見積書に記載された金額のゼロの数を見るまでだった。UTS-15J が5 丁は購入できる価格だ。
「もう少し、その」ヘッジホッグは切り出した。「安くできませんか?いくらなんでも、たかが七面鳥に......」
「その価格でご不満でしたら、購入いただかなくても結構ですよ。他に欲しがっているところはたくさんあるんですから。都内のレストランなら、飛びつくでしょうね」
取り付く島もない口調だった。ヘッジホッグが仕方なくサインしようとスタイラスペンに手を伸ばしたとき、ブラウンアイズが口を開いた。
「第374 任務支援部隊のグレアム少佐はお元気?」
「374th Mission Support Group?」渉外担当者は訝しげな顔をブラウンアイズに向けた。「確かにグレアム少佐は健在だが、知り合いですか?」
「まあ、ちょっとした」ブラウンアイズは微笑んだ。「グレアム少佐に、ナガセの娘がよろしく言っていると伝えてもらえますか。それからヤクーツクのレナ川を憶えているかと」
「はあ、わかりました。戻ったら......」
「今すぐです」ブラウンアイズは遮った。「今、連絡してください。でないと後悔することになりますよ」
ブラウンアイズの眼光に何か感じるものがあったのか、渉外担当者はスマートフォンを取り出すと、部屋の隅に移動して通話を開始した。通常回線は基地局が稼働していないために繋がらないが、応接室にはWi-Fi アクセスポイントがあるので、アプリがあれば通話は可能だ。
ヘッジホッグとスクレイパーは、問いかけるようにブラウンアイズの横顔を見たが、ブラウンアイズは微笑んだまま渉外担当者の背中を見守っていた。渉外担当者は真剣な顔で誰かと話していたが、顔を上げるとブラウンアイズに丁寧な口調で訊いた。
「失礼ですが、ファーストネームは?」
「アリュケーア」ブラウンアイズは綴りを教えた。
「アリュケーアだと言っています」渉外担当者はスマートフォンに話した。「アルファ、リマ、リマ、ユニフォーム、チャーリー、ケベック、ユニフォーム、エコー、ロメオ、エコー」
渉外担当者はまた壁の方を向いて会話を続けたが、しばらくして通話を終えた。そして、タブレットを取り上げると、手早く何かを操作して再度3 人に提示した。金額は40% 以下になっていた。
「これでいかがでしょう?」渉外担当者はブラウンアイズの顔を見ながら言った。
ヘッジホッグとスクレイパーは驚いて顔を見合わせ、揃ってブラウンアイズの顔を見た。ブラウンアイズは微笑み返して、注文書にサインするように目で促した。ヘッジホッグはスタイラスペンを取ると、気が変わらないうちに、と急いでサインした。
「はい。これで契約成立です。では納期は追ってご連絡します」渉外担当者は立ち上がると、ヘッジホッグと握手した後、ブラウンアイズを見た。「それからグレアム少佐から伝言です。これで借りは返した、だそうです。伝わりました?」
「ええ。少佐によろしく」
渉外担当者は一礼して応接室を出て行った。ヘッジホッグとスクレイパーは驚きの表情でブラウンアイズを見ていた。
(続)
コメント
yoshi
本編が完結して寂しい朝の通勤に、番外編公開とっても嬉しかったです♪
また次回作も楽しみにしながら、読み返す日々を過ごそう思います。
yoshi
あっ。もちろん後編も、楽しみにしてます。
ナンジャノ
とうとう主人公(エンジニア)さえ出てこなくなった番外編(笑)
m
わぁ!これでしばらくリーベルGさんのお話が読めない・・・としょんぼりしてたら、この番外編!
しかも前後編とは!嬉しいクリスマスプレゼントです!
alt
嬉しいサプライズのクリスマスプレゼントですね
へなちょこ
実にナイスなクリスマスプレゼントですね。
アクセスしてみてよかった。
西山森
まさか、ターキーを持ってくるのはヤマブキ・ロジスティックサービスのナルミン??
Ta
もしかして、これが諸般の事情ですかね。面白いです。