PCインストラクタからシステム開発へ異動した私が「いっちょまえ」になるまでのエンドレスストーリー

システムエンジニアになると決めた日

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 システム開発部に異動して、3年が経過しようとしております。徐々に責任のある仕事も任せてもらえるようになってきました。お客さんとの打ち合わせにも、「同席」ではなく「出席」できるようになりました。ただの議事録担当じゃないぞ!

 そういえば、システム開発1年目当時のわたしのキャリアプランは、システム開発を3年くらいやって、その後は営業になりたいなぁなんて考えていました。

 結局、お客さんから仕事を取ってくるのは営業で、稼ぐためには営業が仕事をジャンジャン取ってくれば良いと思っていたからです。会社の中心は営業職だと。

 そんなわたしのキャリアプランが変わった、とある1日をご紹介したいと思います。

 ORACLE MAster(Bronze)を取得した私(前回参照)でしたが、普段の仕事といったら、業務システムのプログラム作成の支援ばかりでした。自分の担当の顧客がいれば、データベースのチューニングだったり監視だったり、なにかしらデータベースがらみの仕事はあるかもしれませんが、新米の私には専属のお客さんはいません。

 せっかく取得した知識も、なかなか発揮する機会はありませんでした。

 そんなわたしに、神様はチャンスを与えてくれました!

 その日、たまたま出た電話は、同じ会社の社員からでした。とあるユーザーのデータベースに障害が発生し、データベースが起動しないとのこと!!

 電話でやり取りをしただけでは、状況はつかみきれません。現地に誰かがヘルプに行くことになりました。

 いつもの先輩が声をかけられていました。わたしも一緒に行きたい……。思い切って上司に言ってみました。「せっかくの機会なので、わたしも一緒に行って知識を生かしたいです!」

 ……いま思えば、新米なわたしが一緒に行ったところで、力になれるわけもないのに、上司はOKを出してくれました(号泣)。上司に感謝です。

 ユーザー先では、お客さんが私たちの様子を見ています。無言のプレッシャーを感じながら、作業しました。 

 結果、現地到着から1時間弱でデータベースは無事に復旧。データも障害直前の状態でした! よかった!

 そこで、担当者から言われた一言。

 「本当にありがとうございます。この前パチンコで勝った1万円渡してもいいくらいですよ」

 そんなことを言うイメージじゃない方だったので、びっくりしたのと同時に、データベースの障害がどれだけ大変な自体だったかに気付きました。

 人のためになる仕事って、いっぱいあると思います。お医者さんや警察官、介護福祉士……。実は、システムエンジニアも人のためになる仕事なんですよね。今回のように同じ会社の社員を救えましたし。そして、わたしはこの日のために今まで勉強してきたんだ! とさえ思えました。

 システムを作ることで、誰かのためになっているのかもしれません。でも、それよりも、身近な人から感謝される事が私にとってのやりがいになっています。

 この日の障害を境に、わたしは立派なシステムエンジニアになって、誰かが困っていたら、自分の知識で助けてあげられるような人になりたいと思うようになりました。

 だから、今日も勉強をするのです。

 お金を稼ぐ営業もいいかもしれません。会社にとっては重要な職種だと思います。でもわたしは立派な技術者になって、その技術でお金が稼げるようになりたいと思います。

 早く一人前になれ! 自分!!

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