健康について第10回【実践編】 モニタ、ディスプレイOFF。(その3)テレビについて
お世話になります。龍澤と申します。
前回は、テレビのことについて書くと予告させていただいておりました。
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プライベートで[画面](「モニタ、ディスプレイ画面の類の一切」)から離れることにより、頭脳労働者である私たちは脳と目を守る(自衛する)ことができる(ので、できる限りやりましょう)という話を書いてきたのですが、その「一切」にテレビは入るのかどうか。
結論としては、私の中ではテレビは「一切」には入ってきていません。ので、プライベートでは息抜きにテレビをみるのはかまわないと思っています。
PCやスマートフォン、ゲームはNGでテレビはOK、と……。
前者と後者の違いは何か? それは依存度の違い。中毒性の強弱の問題です。
テレビという存在は我々にとっては依存症、中毒になる可能性は低いのではないかという結論に達しました。
なぜなら、私たちが子供時分より堪能してきた、PCやゲームで実現されてきたヴァーチャル・ワールドは、はっきりいってテレビより面白いのですね。テレビを受け身でぼけーっと見ているよりも。
だからといってテレビを見なくなるというわけではありませんでした。この業界に棲息している私たちは、他の業界の方々と比べると、テレビとそれ以外の「棲み分け」を無意識的に、そして上手にやれているのではないか、と思います。
テレビは、完全に息抜きで、ぼーっと見るもの。それ以外は、じっくり楽しむもの。
ということは、当然後者のほうが画面をじーっと根を詰めて見るわけですから目も疲れます。画面を通じて積極的に飛び込んでくる情報は脳を疲れさせます(脳にとっては「心地いい」疲れではありません)。
ぼーっとテレビを見ているだけであれば、私たちの脳を刺激するほどでもないですし(まぁ今回の震災関連のニュース、被災地からの映像等については完全に例外です)、それほど目も疲れません。
中毒性という観点でも前者(テレビ以外)のほうが要注意なのです。もちろん、かつてテレビ中毒な方はたくさんいましたし今もいます。ですが、テレビ以外の[画面]に積極的に慣れ親しみ、ヴァーチャルに沈溺してきた私たちが、テレビ「ごとき」に沈溺(依存)してゆくことはほとんどないのではないでしょうか。
#テレビそのものには依存しなくともテレビの向こう側のたとえば「アイドル」のような存在にはカンタンに依存してゆくのが私たちの弱点ではあるのですが……。
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「テレビ」という存在について、私は以前よりずーーっと、考えてきました。
「テレビ」とはいったい何なのか? という問い。
そのときのいったんの結論としてはテレビというのは「怪物」であると。テレビというのは、バックにいるテレビ局(マスメディア)および電通をはじめとした広告業界もひっくるめて怪物的な、巨大な存在である(あった)ということに疑いの余地はないと思います。
かつてテレビに勢いがあった頃、私は実家を出ており学生で、テレビ中毒で、テレビ以外の[画面]に親しむ環境がありませんでした。テレビしか選択肢がなかったがためにテレビ中毒にしかなりえないという当然の帰結。その後ワープロ「書院」とマッキントッシュ(+14.4モデム!)を購入してからは急激にテレビ離れをしていったことをおぼえています。
もっと具体的にいえば(今思い出したのですが)TVチューナ付のマックを買ったのです。(あの頃、流行ってたんでしょうね……)当時MEM16MBのHDDは256MBぐらいでしょうから当然、長時間録画などできるはずもなく……(そしてディスクの半分以上はデフォルトでシステムが使っているはず) 「アプリケーションとしてのテレビ」を、あまり利用していなかった記憶があります。
ブラウザやメーラーや「テレビ」などなど(「シムシティ」「東風荘」などのゲームも!)がアプリケーションとして並列に入っている箱(PC)。今となれば象徴的ですね。私たちはどれも平等に、どれも贔屓することなく、好きなアプリケーションを選ぶことができた。テレビは決して「聖域」ではなかったのです。
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今は、多くの皆さんが気付いてしまっているとおり、テレビという存在はかつてほどの勢いがありません。端的にいえば「つまんない」ということです。
私個人でいえば死ぬまでテレビ中毒になることはないでしょうし、今ではテレビに依存することなく「良いお付き合い」をさせていただいております。
もちろんご存知のとおり、テレビを窓際に追い込んだのは私たちが仕事でも密接に関わっているネット系のニューメディアです。私たちはある種のリテラシーが発達しているので、テレビより断然面白い、そして便利な、将来性のありそうなメディアに対しては情報をキャッチアップして取り入れるのが非常に早いですし、そのメディアが加速度をつけて発達してゆくのを「焚きつける」役目も担ってきたという自負もあります。
ただ、私たちのプライドとして、いつまでもいつまでも、昔も今もこれからも「ちょっと感度が高い」だけのエンドユーザーに甘んじるのもどうかと……思うんですよね。
確かに、楽しいんですけどね、それはそれで。
せっかく私たちは「この手」に技術を持っているのですから、その技術でもって新しいメディアを「つくっていくぞ」といった気概をずっと持ち続けたいものです。
そして、そういう野望を持てないのであれば過去の一切のしがらみも、感度高き「アンテナ」もすべて捨て、『ネット世捨て人』になるべきだと思っています(今書き続けている「モニタ、ディスプレイOFF。」というトピックも、ひいてはこの連載の意味も、ここにつながってきます)。
創る側のクリエイティブに参画してゆくか、それがかなわないのであればいっそのこと離れるか、両極端のほうがいいと思うのです。これからの時代は。
簡潔にいえば、私たちはますますリアルワールドで勝負していく比重を高めていきましょう、ということです。リアルを捨ててヴァーチャルに沈溺してゆくのではなく、その逆です。「ネット」というヴァーチャルのしがらみを絶ち切ってそっちを捨て、リアルのほうに戻ってゆくプロセスを新たにたどってゆく必要があります。
そのためには周到な準備が必要であり、「健康になる」というのはかなり重要なファクターになってきます。
読んでいただきありがとうございました。