なぜ「安定志向」は企業から嫌がられるのか?
参議院選挙を終えて、ますます混迷度を増していく日本社会。自由民主党のスローガンを逆から見ると、「もう一番ではなくなってしまった日本経済」。こういったさまざまな状況が将来の不安へとつながり、最近の転職市場、就職市場においては「安定志向=大手志向」の求職者が激増しております。
しかし、採用する企業側の立場からすると、「安定志向」は極端に嫌がられています。ベンチャー企業から嫌がられるのはなんとなく理解できるのですが、安定志向の人から羨望のまなざしで見られる大手企業からも嫌がられるのはどうしてなのでしょうか?
★安定=人がいろいろ与えてくれる環境だと思っている。依存型と思われたら、決して採用されない
「就職」や「転職」は、よく「結婚」や「恋愛」などに置き換えて語られますので、今回も「結婚」という題材でこの問題を考えてみたいと思います。例えば、あなたが35歳の社会人だったとしましょう。社会人となって10年以上が経過し、働き盛りであるあなたは、小さなマンションを3年前に購入しました。現在は定職もあり、とても安定した生活です。そんな折、お付き合いしている異性(26歳)ができて、結婚した後の生活について相談しています。
★☆★もし私が会社を辞めてしまっても、今のマンションにはあなたの収入だけで住むことができるから、ここで一緒に暮らしましょう。あなたが今勤めている会社は倒産する心配もないし、あなたがいてくれたら、私はとても安心なの。★☆★
と言われたら、どう思いますか?
「今の時代、絶対に大丈夫な会社なんてないし、ローンもたくさん残っているので、生活は楽じゃないのに……。この人は会社を辞めて生活のすべてを私に頼ってくるのかな? もし職を失って『安定』を与えられなくなってしまったら、嫌われるのではないか」
と感じて、恐くなりませんか? これが依存型です。
★☆★結婚後も、今のマンションに住んで一緒に頑張れば、ローンも早く返せるでしょう。もし子供ができて引っ越しの必要が出てきたとしても、ローンさえ返してしまえば、次の選択肢も広がるじゃない。まずは一緒に暮らしの基盤を作りましょうよ★☆★
と言われたら、「一緒に安心できる結婚生活を築いていこう」という気持ちになりませんか?
採用する企業にとって安定志向の方の発言は、「安定は会社が与えてくれるものであり、自分は何もしなくても安心した暮らしができる」というニュアンスにどうしても聞こえてしまいます。
大企業と言えども、会社を支えているのは1人ひとりの社員であり、会社の安定的な成長を支えているのは社員1人ひとりの「頑張り」があるからです。採用活動は「一緒に頑張っていける仲間」を見つけるための場であるわけですから。
精神的に安心した状態でがんばりたい! と考えて、大手企業などを志向される方は、
安定した環境を与えてくれる大手で(生活の心配をすることなく)働きたい
と考えるのではなく、
自分自身が会社に貢献することで、安定した会社の成長に寄与し、その結果(生活の心配をすることなく)安心できる生活を送りたい
と考えてみてはいかがでしょうか。
「安定・安心」は人から与えられるモノではなく、自分が積極的に関わっていくことで勝ち取っていくものです。そんな気持ちから来る「安定志向」は、決して企業から嫌がられる志向性ではないはずです。