ああ無償
■エスカレートする無償
以前、大阪天王寺区で広報デザイナーが無償で公募された。業界では非難があがり、著名活動まで起きた。その結果、無償での公募は取りやめられた。さすがにこれはいき過ぎだと思っていたら、今度は政府のクールジャパンの会議で「クリエイターは無報酬で協力を」なんて発言まで出てきた。
天王寺区の財政状況は知らないが、クールジャパンに関しては推進費用としては2013年度の国家予算において500億円が計上されているそうだ。これだけ予算を割り振られているにかかわらず、なぜに無償なんて言葉が出るのだろうか。これはもう、クールジャパンではない。狂うジャパンだ。
■価格を安くすることがクリエイティブではない
私が恐ろしいと思うのが、価格を安くしたり、無償にするのが革新的とか、進歩ととられることだ。今まで提供されていたサービスが無償化されると、広告の見出しに「革新的」とついたりする。
確かに、技術が進歩してサービスを安く提供できる場合もある。しかし、たいていは働いてる人のやせ我慢で価格を落としている。ただのやせ我慢にクリエイティブな要素は無い。シェアの奪い合いや価格競争も、本質はただの奪い合いだ。ここにもクリエイティブな要素は無い。
会社や消費者は、値段が安くなることや無償化を進歩と考える。しかし、実際は逆だ。見えないところで疲弊が進む。適正価格で、根底の技術や仕組みが進歩して、初めてクリエイティブだ。
■無償の代償
どうにか安くしようとばかり考えていると、どうも考えが安直になってしまう。また、どこか理に反した行動をとってしまう。大阪天王寺区の募集にしても、「労働に対価は払いません」と堂々と公言している。費用を浮かせたいがための安直な発言と言わざるを得ない。
無償でも必ず理由が必要だ。高い志とか、万人の利益とか、無償に見合うだけのものでなくてはならない。天王寺区にしても、クールジャパンにしても、そういうものがあるだろうか。そこを問いたい。逆にそういうものがあれば、無償でも賞賛されたのかもしれない。
■エンジニアとして考える問題
IT系のエンジニアであれば、成果物がデータなので形が無い。なので、価値がわからない人に過小評価されやすいということだ。形のないものの価値を伝えていく方法は、もっと議論されてもいいと思う。そういうことで新しい価値観が生まれ、新しい試みへと繋がっていく流れになればベストだ。
もう一つ考えなくてはならないのは、何を技術で解消して、何を価格で解消するかだ。技術で解消すべき問題を、価格で解決しようとしていないだろうか。お金は万能そうに見えて、意外とできないことは多い。技術で解決すべき問題は、きちんと技術で解決すべきだ。
より安価で優秀な人材を雇えれば、どんな問題でも解決しそうな気がする。しかし、現実はそれが実現できるほど甘くはない。さらに厳しい条件の無償でこれを実現しようとしたのが、天王寺区やクールジャパンだ。できるはずがなかろう。叶わない希望を実現しようと躍起になっても、失態をさらすだけだ。
価格だけではなく、目の前の問題を整理して、必要なものを補ったり、アイディアを巡らせる。こういう地道な積み重ねで目標は達成できるはずだ。クールジャパンは実現しそうにないが、クールITエンジニアは実現できるかもしれない。
コメント
真っ赤なレモン
名誉とか知名度とかが得られて、将来の仕事の単価が上がる見込みが高い。
そのことによる将来の利益の期待値が充分に高く、当該業務によって得られるはずだった費用と利益を回収できる。
無償の仕事・製品・サービスが成立するのは、上記の場合くらいですかね。
つまりその仕事は本来の意味の仕事ではなく、『広告・プロモーション』ですね。
Anubis
>名誉とか知名度とかが得られて、将来の仕事の単価が上がる見込みが高い。
>そのことによる将来の利益の期待値が充分に高く、当該業務によって得られるはずだった費用と利益を回収できる。
この方法、個人を単位でみれば問題が見えてこないんですよね。
一度無償がまかり通ると、それが当然だと思い込まれる。
結果、同じ仕事をやってる人で生き残れる人数が減っていく。
また、この手のネタで一本書いてみようかな。
真っ赤なレモン
「将来回収できるから」とだまされて搾取されたり、業界のコスト水準が破壊されたり、というのは、芸能界が最先端かもしれません。
am
ちょめいかつどう。
ネタにマジレスだったらKYでごめんなさい。