【小説 データベース道は一日にしてならずだよ!】 痛い目見ろ!編 その1
有馬雄一は自分の席で背伸びをし、一日の疲れを欠伸と共に吐き出した。
「今日も無事終わった」
そうつぶやくと、オフィスの壁に掛けてある時計に目をやった。
時間は夕方六時になったところだ。
雄一は明日、年休の予定だ。
帰り支度をしていたその時、雄一は年休申請を出していないことに気付いた。
引き出しから年休申請書を取り出す。今どき紙である。
雄一が勤めているのは、社員三十人のソフトハウスである。
「この人数なら紙のほうがやり易い。ワークフローシステムを入れる手間とお金のほうがもったいない」
社長がそんなことを飲み会の時に話していたが、雄一もまったくその通りだと思っている。
必要事項を記載した申請書を片手に、上司であり同じプロジェクトのマネージャーでもある福島和也に承認のハンコを貰いに行く。
「なんだ、またバンドの練習で休むのかよ」
「午前中は役所に用事があるんすよ。バンド練習ばっかじゃないすよ」
福島は年休申請にハンコを押すと、ニヤリと笑ってこう言った。
「データベースがダウンしたら、すぐ呼ぶからな」
「そう簡単にダウンしないっすよ。強運の俺が管理してるんですから」
雄一は上司に冗談を言われてもすぐに冗談で返せるほど、明るくて社交的な性格だった。
バンドでドラムを叩いていて、仕事よりそっちのほうに夢中だ。
スケジュールを自分なりに調整して、練習のために周りの目を気にせず、年休を取る。
雄一は入社三年目で二十六歳だ。
バンド活動にのめり込みすぎて、大学を一年留年している。
髪は若干長めで、体系は細身である。
喋り方や歩き方は、今どきのチャラい若者という感じである。
大学は文系で、IT業界に入ったのはこんな理由からだ。
(ネトゲでパソコンに親しんだから、何となくプログラム組めそう!)
物つくりが好きとか、そういう高尚な理由ではないのは確かだ。
採用の決め手になったのは、社長の一言「明るい性格がいいね」これだけだ。
福島からハンコを貰い、年休申請をたった一人の総務である安田桜子に提出する。
「あ、年休取るんですねー。ゆっくり休んでくださいね」
雄一はバレないように、桜子から漂うシャンプーの良い香りを嗅ぐ。
ああ、今日もいい匂いがしたなと、ニヤけた顔をする。
桜子は細めの体系で、切れ長の目に、真っすぐな鼻梁、そして小さな口。所謂、和風美人である。
年齢は雄一より一つ上である。
長い黒髪はいつも下している。
つむじを中心に天使の輪っかのよなツヤが有り、それが蛍光灯に反射して光っている。
灯りに群がる蛾のように、システム部の男子SEどもが、用もないのに彼女に話しかけに行くのをよく目にする。
「すいません提出が直前になって」
「もう、今度はちゃんとに三日前に出してくださいね!」
桜子は、ふくれっ面になった。
だが、冗談でそんな顔してるのが雄一にはよく分かった。
その顔がとても可愛いので、つい食事に誘いたくなるが誘う勇気が無い。女には奥手なのだ。
「データベース管理者になってから大変ですか?」
「いやー、引き継いだ時はどうなるかと思ったけど、今は特に障害も無くて大丈夫です」
「関屋さんが突然退職しちゃって、引き継ぎとか全然ないのに責任のある立場になって大変だね」
関屋は、雄一が現在担当しているセントライト化粧品のデータベースを管理していた男だ。
何でも急病ということで、突然退職してしまった。
そのデータベースは、二十四時間受付の通販コールセンターにいるオペレータが使用するデータベースである。
業務画面から、顧客情報、購買履歴の照会や登録、売り上げ分析の帳票出力時にデータベースが参照される。
雄一は桜子に気遣ってもらって気分が良くなった。
そのせいで、カッコいいところを見せたいと思い、つい軽口を叩いてしまった。
「データベースなんて楽勝っすよ! 僕がやるからには任せといてください!」
「ふうん......」
桜子は一瞬、目を伏せた。
そして顔を上げると、急に真顔になってこう言った。
「気を付けてね! データベース道は一日にしてならずだよ!」
「はい...... 頑張ります!」
流石に楽観的な性格の雄一でも、桜子の真顔を見た時は、何かとても大変なものを任されたような気分になった。
雄一が担当しているデータベースの概略は以下の通りである。
・計画停止を除いて、二十四時間稼働すること
・DBMSはORACLE11g
・OSはLinux
・二台構成のRAC環境(一台が倒れても、もう一台で稼働可能な作りになっている)
・データベースがクラッシュした場合、クラッシュ直前の状態に復旧できること
・コールセンターのオペレータが百人同時に利用してもパフォーマンスを維持すること
そんなクリティカルなデータベースを一か月前、大した実績もない一介のプログラマだった雄一が引き継ぐことになった。
雄一をデータベース管理者に任命したのは、上司である福島だ。
福島の思いとしては、これを機会に雄一をデータベースの専門家にしたいと考えていた。
だが、福島の思いとは裏腹にデータベース管理者に就任した雄一は、障害が起きなくて暇だからと仕事中にも関わらずエアドラムに励んでいた。
長所であるはずの楽観的な性格が裏目に出ていた。
時たまORACLEMASTERの教科書を開いて勉強していたが、飽きるとすぐにトイレでスマホのゲームを始めていた。
データベースの設計書はあるのでそれを読んでは見たが、何が書いてあるか分からないので調べもせず早々に投げてしまった。
何か起きればサポートに問い合わせればいいとすら思っていた。
それに雄一としては一度は断ったのに、いきなり引き継ぎもなくデータベース管理者を任されたという、上から目線の殿様気分でいた。
何かあれば、引き継ぎもなく丸投げしたのはどこのどいつだと、言い訳することまで考えていた。
雄一がタイムカードを押して帰ろうとすると、業務チームの中山達夫が話し掛けて来た。
雄一は元々中山と同じ業務チームで、セントライト化粧品の通販コールセンターシステムの開発を行っていた。
二人は同期で、仕事帰りに飲みに行ったりもするし、仕事中も冗談を言い合える仲だ。
恨めしそうな顔で、中山が言う。
「いいなー、おまえデータベース管理者になってから毎日定時で帰ってるじゃねえか。」
「なりたくてなったわけじゃねえよ。福島さんに、どうしてもって言われたからやってるの」
「俺なんて毎日業務プログラムの改修に追われて、帰るのが終電だぞ。変わってくれよ」
「俺はお前と違って、責任ある立場になったんだよ。データベースに何かあった時、俺がなんとかしないと業務が動かないんだ。そのために英気を養っておく必要があるんだよ」
「偉そうに! データベース作ったこともないくせに何がデータベースエンジニアだよ!」
「言ったなこのやろー!」
業務チーム時代から二人はこんな感じで仕事の合間もじゃれ合っていた。
「ま、データベースが何かあった時、迅速に対応お願いするぜ! お客から真っ先に攻められるのは俺たち業務チームなんだから」
「おう!任せとけ!」
中山の期待とは裏腹に、雄一のデータベースに関する知識は、プログラマ時代とさほど変わらなかった。
何たって、自分が管理しているデータベースがRACなのかシングルなのかも把握していないのだ。
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「お肌にとても良い! セントライト化粧品の水素水。20リットルが何と2000円! お得です!」
深夜2時、セントライト化粧品のCMが今日も流れている。
24時間営業のコールセンターは今夜も大忙しだ。
雄一はぼんやりと、
(今頃データベースが動いてて、ディスクをカリカリやっているんだろうな)と思った。
「あ、私、これ買おうかな!」
突然、雄一の横でコークハイ片手にCMを観ていた有馬京子がエプロンのポケットからスマホを取り出した。
京子は雄一の母親である。
雄一は、会社から二駅ほど離れたゴールデンハイツ萌というマンションに母親と二人暮らしだ。
母に対して雄一は「寂しいだろうから一緒に住んでやるよ」と言いながらも、実は自分が寂しがり屋だから何時までも実家にいるだけなのである。
「今CMしてた会社のデータベース管理してるんだよ」
「へー、すごいね。テレビでCMやってるような会社のシステムやってんだ。見直したよ」
母に褒められ、雄一は照れ臭いながらも親孝行できたかなと少し思った。
京子はスマホで、セントライト化粧品のコールセンターに電話を掛けた。
「......はい、セントライト化粧品です。只今大変込み合っておりまして少々お待ち下さい。」
京子はスマホを膝の上に置くと「雄一、買えなかったよ。忙しいみたい」と溜息交じりに言った。
「もう少し間をおいて、電話してみたら?」
「そうだねえ......」
20秒ほど待たされて、オペレータが応答する。
「すいません、システムのほうがちょっと不具合が起きていて、今受け付けることが出来ません」
京子はスマホの机に置くと「雄一、何かシステムが変だとかで買えないみたいだよ」と溜息交じりに言った。
「何だって!?」
その時雄一のスマホが振動した。
夜中二時に突然の電話。
雄一は直感的に、絶対この電話はヤバい知らせだと思った。
出たくないと思った。
だが、画面通知には、上司の名前。
出ないわけにはいかない。
「......はい」
「おお、俺だ福島だ。夜遅くすまないな」
「............なんすか?」
「データベースがやばいぞ。 すぐ来い」
つづく