ニーチェ曰く、ファクトは存在しない、あるのは解釈だけだ
こんばんは、水上裕介です。
コンサルへのブレークスルーの記事を書いていて、ファクトについて多角的に掘り下げて考えることが大事だなと感じ、お題目にて考えてみました。
▪️19世紀の哲学者のお言葉
ニーチェやらソクラテスやらの哲学的なお言葉には興味はないのですが、知人の話を聞いてニーチェなるお人の哲学で私の興味と相乗的なワードがあったので、コラムしてみたいと思います。
哲学的な言葉には人それぞれの立ち位置や状況で解釈する内容が変わると思いますが、表題の「事実(ファクト)というものは存在しない、存在するのは解釈だけである」という名言?について、エンジニアやコンサル視点で深掘りしてみたいと思います。
このニーチェの生きていた世代は19世紀のドイツ。写真的なものが出始めであり、書物しかない時代と想像できる。今は21世紀。様々な写真やら動画やらがエビデンスとなる時代とは全く異なる時代だと思われる。
▪️ニーチェのファクトとはヒトの解釈でしかない時代
コンサルをしていて思うのは、ファクトは解釈であるということだ。コンサルはヒトに対するヒアリング結果をファクトとして整理することが多いと感じるためだ。
一方でエンジニア視点だとファクトは事象であると感じることもあるが、ログをファクトと仮定した場合、それはそれでファクトは解釈である。なぜならば、ログを定義するのは、エンジニアつまりヒトであるから。
真にファクトと言えるものは、事象。つまりヒトが介在しないカメラ映像やDNAなど。ありのままの姿を写した事象であるといえるのではないか。
ニーチェの時代には、ありのままの姿を写す事象をとらえた技術がなかった。よって、ヒトが恣意的にとらえた解釈をファクトとして定義するしかなかった時代の名言であったのではないかと感じる。
▪️ファクトを基準に議論しようという風潮
コンサルもエンジニアもファクトを基準に論点を整理して、拙速に結論を出し、行動すべきであるという風潮は社会で生きていれば1度は経験すると思う。
そのファクトがどういう解釈の元で作られたものかを想像、理解することはヒトとして大切なことであると思う。
エンジニアであれ、コンサルであれ、ありのままの姿を写す事象をファクトとして定義することを最優先に考え、ファクト(事象)から議論をスタートする風潮に世を変えていく流れを作っていくことで、飛躍となるが、世をより楽しく、より良い方向へと進めていく大前提であると思う。
最後までお読みいだたきありがとうございました。
徒然なるままにコラムを書かせていただいたことに感謝いたします。