@IT編集部の西村賢がRuby/Rails関連を中心に書いています。

世界を変えるクリエーターはTwitterを使っていない

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 コラムということで、たまにはヨタ話を。次に世界を変えるソフトウェア系のクリエーターは、TwitterやFacebookなんか使っていないのではないか、と、ふと思ったのです。

電子メールを使わないクヌース先生

 数学者で情報工学の大家でもあり、自著のために組版システム「TeX」まで作ってしまったドナルド・クヌース先生は、1990年に電子メールを使うのをやめ、「以来、ずっと幸福だ」と書いています。1975年にメールを使い始めて、1990年にやめたそうです。15年もメールを使えば、1回の人生としてはもう十分だと言います。

 メールの素晴らしさは認めるものの、クヌース先生が必要とする長時間にわたる集中した研究時間の確保のためには、メールは気が散って好ましくない。クヌース先生は、コンピュータサイエンスがこれまで積み上げてきた研究成果を渉猟して、書籍としてまとめ、そうした研究時間が取れない人の役に立つようにするのが自分の仕事だと言います。だから、メールや手紙は「バッチモード」で処理するために、秘書に任せているというのです。日本人初のハッカーとも呼ばれる和田英一先生は、2010年1月のブログで、クヌース先生とのやり取りが秘書からのメールだったと書かれています

【追記】クヌース先生は近しい人や研究者仲間とはメールでやり取りをしていると、自ら発言しているようです。柏野さん、ご指摘ありがとうございます。

 コンピュータサイエンスの分野で知られているアルゴリズムを分類、記述する「The Art of Computer Programming」シリーズは7分冊の予定で、1、2、3冊目は1968年、1969年、1973年に出て、4冊目の一部は2005年に出ています。クヌース先生は1938年生まれですから、72歳でしょうか。この大きな仕事が先に完成するか、人生の時間が足りなくなるか……。畢生の大著と呼ぶにふさわしい「仕事」ではないですか。

 メールなんかで気を散らされている場合ではないのです。

Webブラウザを使わないストールマン

 GNUプロジェクトの創始者のリチャード・ストールマン氏は、2007年の段階で、Webブラウザを使わないと書いています。サーバ上のデーモンにメールを送り、そのデーモンがwgetした結果をメールで返してくるのを読む、というのです。レスポンスは遅いけれども、とても効率的な時間の使い方だ、といいます。

 まったくWeb上の情報を読まないのではなくて、漫然とWebサーフィンをする使い方の逆、ということだと思います。リンク先1つ見るにもメールを送るわけですから、慎重に、読むべきところだけ突っつくことになるでしょうね。

 今となってはフリーソフトウェアムーブメントという言葉すら古く感じられるぐらいにFLOSSは当たり前の存在となり、社会を支える基盤となりました。しかし、1983年にストールマンがソフトウェアの自由を声高らかに唱えたとき、あるいは1980年ごろからLinux登場前夜辺りまで、ソフトウェアのソースコードを共有することの意味を、本当に深く考えて一切のブレなしに主張し続けた人は、決して多くありません。反対派に猛烈に反撃されても、変人扱いされようと、時代時代に合わせた主張をしてきました。私は最近、後世の歴史家によって高く評価されるソフトウェア産業の偉人はビル・ゲイツとストールマンではないかと思っていますが、ともかくストールマンがソフトウェア開発者に与えた精神的な影響は甚大です。

 そうした大きな仕事をする人は、Webブラウザで漫然と時間を浪費したりしないのです。

IRCを使わない、Rubyのまつもとさん

 Rubyの開発コミュニティがIRCを好むことは良く知られています。IRCって、チャットですね。ただ、Rubyの生みの親であるまつもとゆきひろさんは、「時間を食い過ぎる」という理由でIRCを使わないと言っています。会って話していると話好きといっていいぐらいに気さくな方なので、きっとIRCも嫌いということではないと思います。

 さて、ほかにも例を引こうと思いましたが、クヌース先生、ストールマン、まつもとさんの3人を並べると、共通性がうかがえるように思えませんか。


 時間が断片化されたり、非効率的な使い方になりがちなコミュニケーションや情報の摂取ツールは、すっぱり諦めて距離をおく

ということです。何をやるか以上に、何をやらないかを、かなり意識的に選択しているといっても良いかもしれません。ここまで書けば、タイトルは自明だと思いますが、次にソフトウェアの世界で大きなインパクトを与えるような仕事に取り掛かっている若者は、きっとTwitterなんかやってないだろうなと、ふとそんなことを考えたのでした。

 最近、面白いなと思った「The No. 1 Habit of Highly Creative People」というブログがあります。現代人も含めて、非常に多くのクリエーターや大学者、大作家の発言引用に基づいて、こうした人々に共通して見られるいちばんの習慣上の特徴は、ヒトコトでいって「孤独」だと指摘しています。多くの人が1人で沈思黙考すること、あるいは外界のノイズを絶ち切って1人で何かに取り組むことの重要性に触れています。

 ちょっと確証バイアスの匂いがしなくもないですが、多くの人の人生に影響を与えるような偉大な仕事というのは、個人の孤独な作業の中で生まれてくる、というのは、あるかもしれませんよね。孤独はわれわれの新しい神だとニーチェも言ってます(いえ、言ってません)。

 なんだか通俗ビジネス書みたいになってきました。いえね、大作家や時代の流れに影響を与える運動家と同列に自分を見つめ直してもしょうがないわけですが、Twitterやはてブのホッテントリチェックを1カ月ぐらいやめてみてもいいと思ったりしませんか? と、他人事のように問いかける、このコラム自体が思いきり非効率な時間の使い方というオチです。スミマセン。

Comment(4)

コメント

西村賢

komagataさん、コメントありがとうございます。

私は90年代後半にストールマンに会ったことがありますが、
Xが使えないどころか、非力でおんぼろのノートPCを
使っていたことに衝撃を受けました。当時すでに
P6系も普通だったのに、ストールマンは486-50MHzの
ヒンジにひびが入ったノートPCを使っていました。

Buzzsaw

自分の中でTwitterやメールなどが”単なるツール”という位置に徹底的に
格下げされないと時間や能力を無駄にしてしまうのかな、と感じました。

自分では”単なるツール”として使いこなせているようでも、なんか使って
発信することが目的のようになってしまっていることがあるのでそう感じた
次第であります。

西村賢

これはですね、Twitterの陰謀ですよ!
いえ、使いこなせないほうが悪いだけですが(笑)

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