ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

夜の翼 (19) 指揮権限委譲

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 私は続きを待ったが、佐藤管理官が「イース空間」の詳細を説明してくれる様子はなかった。それどころか、私とプライベート通話中であることさえ忘れたかのように、小声で「エルトダウン・ファクターが......」「ナコト・フラグメントの干渉式を......」などと、意味不明の単語を呟いている。
 「佐藤さん?」
 たまりかねた私が呼びかけると、佐藤管理官はハッと顔を上げた。
 『ああ、失礼』佐藤管理官は、これまで見たことのないような弱々しい笑みを浮かべた。『忘れてください』
 「ランチャーが使えないのは、あの歌のせいなんですか?」
 『そのようです。詳細は後で』再びノイズが走り、プライベート通話モードが解除された。『ホレイショー?』
 『第二分隊と合流中だ』
 『そっちは後回しで』佐藤管理官の声に落ち着きが戻っている。『すぐ正門に向かってください』
 『ディープワンズ対応を放置して?』
 『構いません。正門前で合唱中のスターウィズ教信者の対応にあたってください』
 『対応というと、あの耳障りな歌を止めさせればいいのか』
 『結果的にはその結果が得られますが、重要なのは過程です。彼らのうち、少なくとも二人、できれば三人を捕虜にしてください。スマホを取り上げ、意識を奪った後、寝言ででも歌えないように、口を厳重に塞いで。捕虜は、そのまま横浜ディレクトレートのEZ 室に輸送をお願いします』
 『あのおかしな部屋か。わかった』ホレイショーは答えた。『残りは追い払っておけばいいな』
 『殺してください』
 ホレイショーは数秒間、その言葉の意味を噛みしめるように沈黙した後、ゆっくりと訊いた。
 『それは激しい抵抗に遭った場合、奴らの命よりも部下の生命を優先しろ、という意味か』
 『いいえ』佐藤管理官ははっきりと答えた。『必要な数の捕虜を確保したら、残りは物理的に殺害してください』
 『ちょっと待て』ホレイショーは低い声で言った。『相手は人間なんだぞ』
 『この場所から遠ざけたとして』佐藤管理官はあくまでも冷静だった。『別の場所で、また合唱を開始されたら同じことです。手が届く範囲にいるうちに対応しなければ』
 『日本では信教の自由は保障されているだろうが』ホレイショーは険悪な声で応じた。『奉仕種族でもなく、単におかしな神を崇拝しているというだけで殺すことはできん。それに信者の大半は、心から崇拝しているわけでもないはずだ。そんなひどいことは......』
 『ソード・フォースは、アメリカ合衆国でインスマウス人を、でっち上げた容疑で大量に拘束した後、密かに虐殺しましたよ。20 世紀の前半のことです。ひどい事件でしたね、あれは』
 『見てきたみたいに言うな。それは、まだアーカム・オーダーの組織が今みたいに整っていなくて、ソード・フォースがミスカトニックの下部組織だった時代の話だ』
 「ちょっと待ってくれ」私は割り込んだ。「そんな議論は、戻ってからゆっくりやってもらえないか。今はともかく、当面の問題に集中してもらえると助かるね。佐藤さん、ここには未成年者がいる。奉仕種族ならともかく、一般市民をソード・フォースが殺傷するのを見せたくはないんだがね」
 『俺も賛成だ』ホレイショーが同意してくれた。
 佐藤管理官は顎に手を添えて宙を見つめたが、横から誰かがタブレットを差し出したので、思考を中断して受け取った。機械的に目を走らせていたが、不意にその表情が一変した。
 『事情が変わりました』声に表情が戻っている。『ホレイショー、全員を捕虜にしてください。もちろん生きたままで』
 「何かあったんですか」
 『スターウィズ教信者の中に、苅田タケトの母親がいます』
 私は苅田タケトについて読んだ資料の内容を記憶から呼び起こした。父親は大手SIer の管理職で、母親は同じ会社の営業職だった女性だ。懐妊と同時に退職し、専業主婦になったはずだが、スターウィズ教のことは記述されていなかった。
 「じゃあ」私は声を落とした。「タケトがシュンに絡んできていたのは、母親が関係しているんですか」
 『わかりません。だから調査します。ホレイショー、今、苅田ルミの画像を送ります。最近のものではありませんが、顔認証アプリを併用すれば特定できるはずです。必ず彼女だけは確保してください』
 『わかった。状況は共有する』
 『頼みます。第二分隊、ディープワンズの状況は?』
 『足止めはしてる』ハーミアがやや荒い声で答えた。『でも、本当に時間稼ぎにしかならないね、こりゃ。あいつらの皮膚って何でできてるの? チタニウム? とにかく、ランチャーを使用可能にしてもらわないと』
 『3 分待て』ホレイショーが言った。『別のディープワンズを迂回して正門に向かっている』
 『わかった。足止めを続ける。ぐずぐずしてると、こっちの奴がオペレーション車両に到着しちゃうよ』
 「何か大きな音を出して」私は言ってみた。「歌を妨害するとかできないんですか」
 『ムダです』佐藤管理官は否定した。『誰かに聞こえるかどうか、という問題ではないので』
 『防壁構築計画室です』別の報告が割り込んだ。『防壁のデプロイができません。アクセスが拒否されてしまいます』
 佐藤管理官が答える前に、さらに通信が重なった。
 『第7 小隊だ。分隊指揮官から、ランチャーが使用できないと報告が上がっている。市内のグール対応に支障が出てるんだが』
 『川崎市内の二カ所に緊急侵入警報を確認』
 『中区に侵入警報確認』
 佐藤管理官はそれぞれの報告に頷いただけで、モニタの一つを注視していた。おそらく私が見ている映像と同じものだろう。ドローンが上空から広角撮影している、ホレイショーの第一分隊が正門に走って行く映像だ。ディープワンズの姿も数カ所に見える。もはや隠密行動を取る意志はないようだ。
 『警備部3 号車』若い男性が叫ぶように報告してきた。『こっちで収容中のインスマウス人の様子が変です』
 『変とは?』
 『そわそわして頭を動かして......わっ』
 職員の叫び声と同時に、何かをぶつけるような音が聞こえ、通信が途絶えた。私はインスマウス人が映っていたモニタに目をやったが、ノイズだけが空しく表示されている。
 『3 号車、応答ありません』
 『ディープワンズが呼びかけたんですね』佐藤管理官は唇を噛んだ。『やりたい放題やってくれますね』
 私がどうするのか訊く前に、また別の急報が入った。
 『接近中の不明車両あり! うちのではありません。正門に突っ込んできます』
 『阻止しろ』今度は佐藤管理官も指示した。『重火器の使用制限を解除する』
 『ダメです』オペレータが悲鳴のような声を上げた。『即応できる部隊がいません』
 『爆装ドローンを突入させろ。急げ』
 広域マップの上で静止していたアイコンが、息を吹き返したように動き出し、正門に向かっていく。だが、不明車両のスピードの方が速かった。全く減速しないままのアイコンが正門に重なり、次の瞬間、消滅した。同時にオペレーション車両の外から激しい衝突音が聞こえてくる。
 『正門に激突しました』オペレータが報告した。『正門は無事。車両は大破。小型のトラックです。火は出ていません。ドライバーの安否は不明......お、いかん......』
 『どうした』
 『荷台から複数の人......いえ、ディープワンズです。繰り返します、ディープワンズが4 体、荷台から降りてきました。続いてインスマウス人を確認。8 から9 体。手に銃器らしきものを持っています。お、発砲してきます!』
 大破した車両付近に降りた集団は、二つのグループに分かれると、左右に移動していった。同時に銃火らしき光が一斉に生まれる。狙いは正確ではなかったが、フルオートで撃ちまくっているらしく、一発が偵察ドローンに命中した。残りのドローンは慌てて距離を取った。
 『まずい。非常にまずい』福崎が唸った。『こっちの目を奪う作戦じゃないのか、ありゃあ。あまり離れると望遠でも敵の姿が見られなくなる。目視観測ができないと、パラメータ取得の精度が下がるぞ』
 『予備の空撮ドローンを放出』佐藤管理官は命じた。『爆装ドローンを突っ込ませろ』
 『りょ......』
 オペレータの応答が途中で途切れ、すぐに別の声に変わった。
 『コマンド2 です』コマンド2 は校舎近くに設置された防衛陣地だ。『インスマウス人が攻撃してきます! 3 号車から逃げた奴です』
 声の背後で、金属をガンガンと叩く音が聞こえてくる。防衛陣地はユニット式の戦術指揮セットで、強化プラスティック外壁のブロックだ。後方で使用することを想定しているので、あまり強力な火器は備えていない。
 『射殺していいですか?』
 『少し待て』佐藤管理官は意外なことに強硬策を避けた。『ホレイショー?』
 『敵が追加投入してきたインスマウス人の集団が銃撃してくる』ホレイショーの声には、射撃音が混じっていた。『思ったより火力が強く、スターウィズ教信者に近づけん。態勢を整えて反撃する。少し待てるか』
 『待てません。多少の損害を覚悟の上で、大至急、スターウィズ教を制圧してください』
 『自分がやるんじゃないからって気軽に言ってくれるな。よし、お前ら、フォーメーションG1。全兵器使用許可。いくぞ。ロックンロール!』
 ホレイショーの分隊を示すアイコンが、急速に正門に接近していく。空撮ドローンが退避しているので、GPS による位置情報のみによる、いわば推定値だ。同様に、新たに出現したディープワンズ・インスマウス人混成部隊は、Ed1、Ed2 と呼称されたアイコンで表示されている。
 『ギル、左から接近しろ』ホレイショーが前進しながら指示を飛ばしている。『ローゼン、バックアップ。オズ、そっちは放置でいい。おいセクションD、いるか?』
 「台場だ」私は急いで応答した。「どうした」
 『こっちの個人カメラでディープワンズを撮影している』ホレイショーは早口で言った。『対抗ロジックを組めるか』
 「そりゃ組めるが」私はPO たちの状況を確認しながら答えた。「でもランチャーは使えないんだぞ」
 『わかってる。今から俺たちが突っ切って、あのむかつく歌声をスタングレネードで止めてやる。背後ががら空きになるが仕方がない。だが、ロジックが使えるようになったら、すぐ対処したい』
 「わかった」私はPO たちに合図した。「聞いたな。ヴァリエーションが増えるぞ」
 「ちょっと手が」リンが呻いた。「追いつかないよ、チーフ」
 「こっちも」マイカも同調した。
 『うちで分担する』福崎が言った。『Ed1 は引き受ける』
 「結界の方で手一杯じゃないのか」
 『そっちは、うちのセクションで何とかします』諸見里が申し出た。『星野さんも、まあ使える人みたいだし』
 『助かります』私の代わりに佐藤管理官が礼を言った。『ところで、台場さん、ちょっとお願いしたいことがあるんですが』
 「この上、さらにですか?」
 『実に申しわけないのですが』佐藤管理官はニコリともしなかった。『私、しばらく席を外さなければなりません。そっちの指揮を委譲してよろしいですか』
 「は?」私は呆気にとられた。「席を外す?」
 『そうです。EZ 室に行って、マルティン室長と直接話をしなければならないので』
 「電話じゃダメなんですか」
 『EZ 室にPC を含めた通信機器はないんです。LAN 回線すら引いてない。雑音が入るのをマルティンが嫌がるので。マルティンと話をするには、直接足を運ぶしかない。モバイル機器を持ち込むことも拒否されるので、しばらく連絡が取れなくなります』
 「し、しかし、指揮と言っても」
 『やるべきことは変わりません。スターウィズ教信者たちを拘束。ディープワンズとインスマウス人に対するノンリーサル・オペレーション。それらを私の指示ではなく、台場さんの判断で実行してもらえばいい。それだけです。簡単でしょう?』
 「簡単なものですか」私は抗議した。「私は何の軍事訓練も受けていないんですよ」
 『システム会社での長年に渡る経験があるじゃないですか』佐藤管理官は事もなげに指摘した。『プログラマとマネージャ、どちらもある。それがあれば充分です。この戦いは銃弾で片付くものではない。それはおわかりでしょう。ご心配なく。責任は私が取ります』
 「いや、そう言われても......」
 『ああ、もう行かなくては。そちらの全チャンネルは台場さんに接続し、私と同等の権限を付与してあります。重火器や空爆を含めた全ての兵器の使用権限もね。自由に使ってもらって結構ですよ。ああ、一つだけ。PO たちに危害が及びそうなら、ノンリーサル・オペレーションから、通常のオペレーションに切り替えてもらって構いませんが、例のインスマウス人、彼はできるだけ殺さないようにしてください。それだけ注意してもらえれば、後はご自由に。なに、手に負えなくなったら、さっさと脱出して、この地区を丸ごと吹っ飛ばしてしまえばいいんです』
 「そんなむちゃくちゃな......」
 『何でも好きなようにでき、責任は取らなくていい。最高な職場環境じゃないですか。以前に、そんなことを言っていませんでしたか?』
 「状況が違うでしょう」
 『では、よろしくお願いします』佐藤管理官は私の言葉を無視した。『できるだけ早く戻って来られるように努力します。全てはエクササイズだと思って』
 エクササイズって何の? と問い返す前に、佐藤管理官の姿はモニタから消えた。残された私は、しばらくの間、茫然と立ち尽くしていた。
 「チーフ?」
 リンの呼びかけで、私は我に返った。
 「すまん。ロジックの構築は?」
 「目視観測できたやつはできたけど」リンはモニタを見た。「まだデプロイできないみたい」
 私はホレイショーに状況を確認しようとして思いとどまり、モニタで確認するにとどめた。第一分隊の6 名は密集隊形で、インスマウス人部隊に対して一点突破を試みていた。火力を集中し、とにかくスターウィズ教信者の前に出ようとしているのだ。
 「オペレータ」私は共通チャンネルで呼びかけた。「ホレイショーの分隊に援護はできないのか」
 『すみません。戦力に余裕がありません』
 舌打ちしたとき、第二分隊のハーミアが叫んだ。
 『ごめん、突破された』
 その言葉が消えないうちに、オペレーション車両の後部ドアから激しい打撃音が響いた。後部カメラには、ディープワンズが映っている。PO たちが不安そうな顔を向けてきた。
 「パニクるな」私はできるだけ冷静に言った。「ドアは迫撃砲の直撃でも耐えるし、三重の電子ロックがかかってる。うるさいのを無視してればいい」
 そう言った途端、車内に毒々しく赤い警報ランプが点滅した。
 「チーフ」ハルが叫んだ。「電子ロックがクラッキングされてる!」
 「んなバカな」カズトが叫び返した。「電子ロックは通信系とは別だから、有線接続しないと侵入なんかムリなんだぜ」
 「現に侵入されてるんだよ」
 ハルの言葉と同時に、耳障りなブザーが鳴り響いた。第一ロックが無効化されたのだ。
 「外のディープワンズ!」リンが愕然とした表情で言った。「あいつがロックを外してるのよ」
 私はもう一度後部モニタを見た。ディープワンズの片手が後部ドアのロック機構の上に押し当てられている。モニタにタッチして拡大すると、ウロコの生えた指の先端が、無数の長い針に変化しているのが見えた。原理は全く不明だが、電子的な侵入を試みているようだ。
 「ハーミア」私は焦って呼びかけた。「こいつを妨害できないか? 多少の重火器なら、このオペ車は耐える」
 『そうしたいのはヤマヤマなんだけどね』疲れたような声が答えた。『こっちも戦力を減らされちゃって、私の他に生きてるのが一人だけ。今、そいつの腕を縛ってるところ。肘から先をすっぱり切断されたんだ』
 「......すまん」
 『こいつを安全な場所に移したら、もう一度、攻撃をかけてみるよ。少し待っててよ』
 『コマンド2 です』またコマンド2 から連絡が入った。『インスマウス人が消えていきました。駐車場の方に向かったようです』
 駐車場? 私はヘッドセットを切り替えた。
 「駒木根さん。そっちは大丈夫か?」
 『今のところ......』サチの声が途切れた。『いえ、訂正します。インスマウス人が向かってきます』
 「ロックを確認して......」
 ヘッドセットから叫び声が聞こえた。
 「どうした!」
 『タケトくんが』サチは狼狽した声で答えた。『い、いきなり叫び出して......』
 私はサチが乗っている警備車両にモニタを切り替えた。タケトが椅子から転げ落ちて、頭を抱えて叫んでいる。サチも、同乗していた警備二課の職員も、扱いに困った様子で顔を見合わせている。
 「とりあえず......」鎮静剤か何かを投与しておけ、と命じようとしたとき、事態が急変した。
 タケトがズボンのポケットから小さなデバイスを出した。スマートフォンにしては小さい。今ではあまり見かけなくなったiPod のようだ。収容するとき、スマートフォンは取り上げたはずだが、これは見逃したのだろう。タケトは叫びながら、iPod の表面に指を這わせた。危険を察知した警備二課職員が飛びかかったが、少し遅かった。iPod はタケトの手の中で妖しいパープルレッドの光を放ち始めていた。その光は急激に増大し、モニタがハレーションを起こしたように輝いたかと思うと、次の瞬間、回線が断ち切られた。
 『警備車両とコネクションできません』オペレータが叫んだ。
 車内に再び警告音が鳴り響いた。第二ロックが突破されたのだ。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(8)

コメント

匿名

状況は絶望的だ

匿名

クトゥルフ好きにはたまらない展開
エルトダウンとか、しれっと出てくるのも嬉しすぎる
そして佐藤管理官 この状況で指揮権委譲しちゃうのはひどくないか(笑)

匿名

タケトは一家揃って迷惑だね。

匿名

面白い!

空撮ドローンが待避しているので
→空撮ドローンが退避しているので

銃撃されないためということだと思うので、
「退避」のような気がしました。

リーベルG

匿名さん、ありがとうございます。
「退避」が正解でした。

匿名

同期のサクラと幻魔大戦

匿名

そうか、ソードフォースの隊員のコードネームは、シェイクスピアからか
第一分隊はハムレット?

じゃばら

息つけぬ展開!絶体絶命の状況を誰がどうやって切り抜けるのか、来週が待ちきれません。

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