ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(41) アンダーグラウンド

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 EV ヴァンから飛び出したブラウンアイズの動きは、豹のようにしなやかで、バレリーナのように優雅だった。一番近くにいた大柄なZの懐に入り込み、目にも留まらぬ払い腰で投げ飛ばすと、足を止めずに次の目標に突進し、低い姿勢で相手の足を刈った。以前、ダンスのクラスを受講させられる、と言っていたことを、ふと思い出した。

 成人2 人分の重量が減ったEV ヴァンは、大きくぐらついていた。ぼくは地面を蹴って運転席側のドアに肩をあて、渾身の力をこめて押し返した。勢いをつけてぶつかったため左肩に鈍い痛みが走り、西川にやられた脇腹の痛みがぶり返したが気にしている余裕はない。すぐにZたちが押し返し、足がずるずると後ろに後退したのだ。

 「反動を利用して」ブラウンアイズが叫んだ。「タイミングを合わせて押し返すのよ」

 返事をする間もなく、EV ヴァンの車体が大きく揺らいだ。ぼくは足を踏ん張り、両手を伸ばして押し返したが、やはり1 人の力では限界があった。またしても足が滑っていく。それでも車を横倒しにされる事態だけは何とか阻止することができた。

 車体が通路側に戻っているわずかな時間で体勢を変えて、背中をドアにつけて、後ろ向きで足を踏ん張って備えた。すぐにすごい衝撃が背中全体に走る。

 ぼくが苦闘しているのを知ったブラウンアイズは駆け寄ろうとしたが、2 体のZが横から襲いかかってきたので、身をひねって4 本の腕から逃れた。片方の腕をつかんで引きずり倒すと、もう1 体の膝に銃床を叩きつけて転倒させる。

 ドアが開く音が聞こえたが、顔を上げて確認することはできなかった。必死で踏ん張っていると、不意に耳元で声がした。

 「手伝うぜ、おっさん」

 藤田だった。同じように背中をつけて押し返している。礼を言う間もなく、車体が大きく傾いてくるのを必死で支えた。頭脳労働派だと自称していた藤田だが、力は意外に強いようで、今度の波は少し余裕を持って押し返すことができた。

 「なんで出てきた?」ぼくは肩で息をしながら訊いた。

 「さあな」藤田は照れくさそうに笑った。「おっさんばっかに格好いい場面を独り占めされるのもシャクだからな」

 「助かる。ただ、1 つだけ訂正しておくと、ぼくはおっさんじゃ......」

 D 型の咆吼が通路から響いてきた。また新たなD 型が落下してきたらしい。

 「来るぞ」ぼくは身構えた。

 「任せとけよ」藤田は自信満々に言ったが、D 型が体当たりを始めると、その顔に浮かんでいた笑いがかき消えた。2 体のD 型が同時に力をぶつけたことで、車体前部が一気に10 センチほども押されたのだ。ぼくたちは慌てて車体を押し返したが、D 型の身体を車体と壁の間に挟み込んでしまった。目ざとく隙間をすり抜けようとしていたらしい。D 型は口汚くわめき散らしながら、手足をバタバタさせている。次に大きく揺れたら抜け出してしまうだろう。ぼくはブラウンアイズの視点を参照した。9 時から3 時までの範囲に3 体のZがいて、ブラウンアイズは四肢をフル稼働させて対応中だ。

 『ブラウンアイズ』ぼくは呼びかけた。『ちょっとピンチだ』

 ブラウンアイズは舌打ちすると、後ろ向きに小さく跳躍してZとの距離を取り、振り向きざまUTS-15J を連射した。D 型の頭と胸部にラバーショット弾がヒットし、抜け出しかけていた身体を押し戻してくれた。同時に仮想モニタがポップアップし、ブラウンアイズの銃が残弾数ゼロになった旨が表示された。ぼくと藤田は力を合わせてEV ヴァンを押し隙間を塞いだ。ブラウンアイズはすでに背を向けて、接近しつつあったZに掌打で対抗していた。

 一息つく間もなく、前にも増して強い力で車体が押し出された。すぐに押し返したが、一瞬開いた細い隙間を、痩せこけた男の子のZがするりと通り抜け、トンネル側に出てきた。ぼくに気付いて、涎を垂らしながら、よたよたと接近してくる。

 『ブラウンアイズ』

 『ごめん。ちょっと忙しいから何とかして』

 その言葉と共にUTS-15J が地面を滑ってきた。これで何とかしろ、ということらしい。支給されたアームシールドは、セキチューを脱出するときに持ってくるのを忘れた。素手でZに対応するのは、訓練を受けていない身には少々つらい。ぼくはありがたく思いながら、足を伸ばしてUTS-15J のストラップを引っかけて引き寄せた。銃身を握りしめて、銃床でZの胸を軽く突く。Zはバランスを崩して尻餅をついた。

 『脛骨を踏んで』ブラウンアイズが振り向きもしないで言った。『動けなくしといて』

 3 日前なら、そんな残酷な、とひるんだかもしれないが、そんな人道的な考えが賞賛される状況ではない。自分だけ手を汚したくない、という身勝手は許されないのだ。ぼくは起き上がろうとしているZの右脚を思い切り踏みつけた。骨が折れるイヤな音が耳朶を打つ。

 「やるな、おっさん!」藤田が口笛を吹いた。

 ぼくはUTS-15J を返そうとしたが、ブラウンアイズは多忙な状態が続いていて受け取っている余裕はなさそうだった。とりあえず預かっておくことにして、ストラップを斜めにかけ、胸の前で保持した。再び車に背中を押しつけた途端、向こう側から押されて足が滑りそうになった。

 「なあ」藤田は顔を真っ赤にしながら言った。「このままじゃそのうち押し切られるぜ」

 それはそうだろう。こちらは2 人。向こうは数10 体。未だに押し切られていないのは、それぞれが身勝手に押したり叩いたりしているためだ。もしタイミングを合わせて一気に押されたら、ひとたまりもなく押し出されるだろう。車内に残っている朝松監視員と胡桃沢さんに応援を求めることもできない。今、2 人分の重量を減らすことが、果たしていい手なのかどうかがわからないのだ。

 「何か車体を固定するようなものないか?」

 「うーん」藤田は周囲を見回した。「あれは?」

 藤田が顎をしゃくったのは、反対側の壁に積んである数本の大きなH 型鋼だった。一辺は1 メートル、長さは5 メートルぐらいの短めから、20 メートルを超すものまで様々だ。確かにあれを持ってこられれば、車が動かないように固定することもできるかもしれない。

 「ちょっと重そうだけど」ぼくは重さを推測しながら言った。「一番短いやつなら何とかなるかな。2 人で......おっと」

 車体がガクンと揺れた。ぼくたちは押し戻しながら、H 形鋼の方を見た。

 「俺が押さえてるから、おっさん取りに行ってこいよ」

 呼称を訂正するのは諦め、ぼくはかぶりを振った。

 「1 人じゃ無理だよ」

 「じゃあ、いっせいのせ、で手を離して、走って取って戻ってくるってのか?」

 そんなことをすれば、たちまちZの進入を許すことになるだろうが、ぼくはそのアイデアを却下しようとは思わなかった。車から手を離せばどうしてもZたちが流出してくるだろうが、その数をバンド隊員たちで対処できるぐらいの数に抑えることはできないだろうか。車が動かないようにできれば、結果的には収支はプラスになる。

 せめて向こう側のZの注意を、車以外の何かに引きつけておけないか。ぼくはブラウンアイズから受け取ったUTS-15J を見た。残弾数はゼロだが、バッテリーは問題ないらしく、スコープシステムに淡いブルーのLED が点灯している。このLED の光量を大きくできないか......いや、Zはこの色に興味を示さない。ただ光らせただけではダメだ。点滅させればZたちは引きつけられるだろうか......それよりもLED なんだから、他の色に変更できるかもしれない。

 「おい、おっさん」藤田がいぶかしげに訊いた。「何やってるんだよ」

 「ちょっと待て」

 ぼくはドライバーズシートのドアに背中をつけて体重をかけながら、管理コンソールを開いた。デバイス一覧からブラウンアイズのUTS-15J を探してプロパティ画面を開く。港北基地でUTS-15J を見せてくれたとき、ブラウンアイズはスコープシステムの不要論をまくしたてていた。これまで気にしたことはなかったが、そういえばスコープシステムを使用した形跡がない。ブラウンアイズに限らず、他の隊員も同じだ。意図的に機能を殺してあるに違いない、と思った通り、プロパティ画面には100 以上のパラメータがあったが、ほとんどがオフになっている。

 残弾数カウンターも当然のようにオフにされている。管理コンソールにはアラートが上がり、Audit ログも記録されるが、エンドユーザのヘッドセットサブシステムには通知されないのだ。プロパティの階層を1 つ降りると、通知方法がいくつか並んでいる。文字メッセージやポップアップウィンドウのような電子的な方法の他に、物理的な方法も選択できる。ランプの点滅、バイブレーション、警告音......

 「音?」

 藤田がいぶかしげな視線を向けてきたが、構わず警告音プロパティの詳細を開いた。ヘッドセットに通知する方法と、スコープシステム自体から音を出す方法が用意されている。

 スコープシステムの警告音を有効にすると、何かの一覧が開いた。それを見たぼくは、思わず笑い出しそうになった。Dani California/Red Hot Chili Peppers、Girlfriend/Avril Lavigne、Survivor/Destiny's Child、Lose Yourself/Eminem、Symphony No.9/Beethoven、Eternal Flame/The Bangles、Beautiful/Superfly、ハネウマライダー/Porno Graffitti、Bad/Michael Jackson、Hotel California/Eagles、残酷な天使のテーゼ/Yoko Takahashi、Poker Face/Lady Gaga、Danger Zone/Kenny Loggins、Beginner/AKB48、Never/Moving Pictures、STARWARS Main Theme......何と好きな曲が選択できるらしい。静粛性が求められるJSPKF のオペレーションに必須の要件とは思われないから、訓練時にでも使うのか、ビープ音では物足りないと思った遊び心あふれる設計者かプログラマがいたらしい。ぼくはスターウォーズのテーマを選び、ボリュームを10 段階の5 に設定して保存すると、残弾数をゼロから1 に上書きした。

 「おい」ぼくは藤田にUTS-15J を差し出した。「これを車の向こう側に投げられるか」

 「ああ?なんで?」

 「いいからやってくれ。君の方が背が高い」

 ぐらりと車体が揺れ、ぼくたちは背中で懸命に支えた。通路側ではさらにZが増えているのだろう。

 「わかったよ」藤田は銃を受け取った。

 「押し返したら、やってくれ」そう言うと、ぼくはバンド隊員たちにも呼びかけた。『少ししたら音楽がなるけど驚かないで』

 いくつも疑問符が返ってきたが、詳しく説明している時間はなかった。全身の力をこめてEV ヴァンを押し返さなければならなかったからだ。

 「どりゃあああ!」

 車体が水平になると同時に、余計な掛け声とともに藤田が飛び上がり、ハンドボールのシューターよろしく空中でUTS-15J を投じた。UTS-15J は回転しながら車体の上の空間を通り抜け、見事に通路側に消えていく。ぼくは管理コンソールから、UTS-15J の残弾カウンターを通して、残弾数をゼロに戻した。

 EV ヴァンの向こう側で、ジョン・ウィリアムスの壮大なオーケストラが、かなり大きな音で鳴り出した。気のせいか、押す力が弱くなったような気がする。トンネル内にいるZたちも、顔を通路側に向けていた。ぼくは少しボリュームを下げた。トンネル内のZの注意まで引きつけたくはなかったし、地上でうろうろしているZが音楽に興味を示して落ちてくるようでは本末転倒だ。

 『どうやってやったの、それ』ブラウンアイズが訊いてきた。

 『裏技だよ。帰ったら教えてあげる。今から、ちょっと押さえるのをやめて、あっちの鋼材を取りに行く。どうしても少しはZが出てくると思うけど任せていいか?』

 『いいぞ』サンキストが答えた。『この際、少しぐらい増えたって変わらん。でも、あれはちょっと重そうだぞ』

 『とにかく試してみる』ぼくは藤田に顔を向けた。「よし、行くぞ。最後に全力で向こう側に押してから走る。いいか?それ!」

 抵抗が弱まったせいか、EV ヴァンを一気に押し戻すことができた。それを確認した後、ぼくたちは手を離して走り出した。

 反対側の壁には10 秒で到達した。ぼくたちは一番短いH 型鋼を選ぶと、慎重にタイミングを合わせて持ち上げてみた。だが、力を入れた瞬間に、これは当てが外れたか、と思い知らされることになった。

 「うおー」藤田が呻いた。「こりゃ激重だぜ。100 キロぐらいあるぜ」

 誇張ではなく本当に重かった。100kg どころか、200kg の方に近いのではないだろうか。そもそも人力で持ち上げるようなものではないのだ。逆に言えば、これをEV ヴァンの近くに移動させることができれば、Zの進入を防ぐことができるということなのだが。

 「持ち上げるのは無理だな、これは」ぼくは手を離した。「このまま押せないかやってみよう」

 ぼくと藤田はシールドトンネルの壁とH 型鋼の間に身体をねじこみ、足で押してみた。背中が痛くなるぐらいまで力をこめても、ほんの数ミリ動いただけだ。

 「おっさんおっさん」藤田が顔全体から汗を滴らせながら、絞り出すような声を出した。「こりゃ、人力で動かせるようなもんじゃねえよ。重機かなんかいるぜ」

 そう言いながらも力をこめてくれるが、地面の凹凸も邪魔して、ほとんど進んでいない。ぼくも全力を出したが、金属の塊は動くことを頑なに拒んでいた。

 『入ってくるわ』ブラウンアイズが警告した。『2 体がこちらに進入してきた』

 顔を上げてEV ヴァンの方を見ると、人ひとりが通り抜けられるぐらいの隙間が開き、数体のZがよろめき出てきていた。ぼくは藤田と顔を見合わせた。H 型鋼を動かすのはとりあえず断念するしかない。バンド隊員たちがZを片付けるのを待って、手を貸してもらうことにしよう。

 「戻ろう」

 ぼくたちはEV ヴァンに向かって走った。新たに入り込んできたZたちがこちらを興味深そうに見たが、走ってきたブラウンアイズがスライディングして、まとめて足を払ってくれた。

 EV ヴァンにたどり着くまでに、さらに1体が進入しようとしていた。ぼくたちは同時に車体に手をつけた。

 「いいか」ぼくは言った。「1、2......」

 3 と口にする前に、車体にものすごい衝撃が走り、ぼくたちは揃って地面に投げ出された。同時にD 型が咆吼しながら飛び出してきた。

 『D 型だ』サンキストが叫んだ。『残弾ある奴、誰でもいいから撃て!』

 応じる声はなかった。すでに全員、弾薬を使い果たしていたのだ。ブラウンアイズとサンキストが合図してD 型へ向かう。ぼくと藤田は起き上がると、急いでEV ヴァンを押したが、ほとんど動かなかった。何体ものR 型が折り重なって入ってこようとしていて、壁との間に挟まっているのだ。悪いことに、またD 型が飛び出してくる。さらにR 型が数体。ぼくは奧に投げ込んだUTS-15J のボリュームを最大にしたが、ほとんど効果はなかった。

 もう通路を塞ぐのは無理だ。通路側にいるZの多くはスターウォーズのテーマ曲を観賞しているようだが、それに飽きたZたちが押し寄せている。藤田はもうEV ヴァンを押し返そうとせず、落ちていた鉄パイプを拾うと、奇声を発しながらZに向かっていった。パイプがD 型の頭や肩を打ち据えたが、相手は痛覚を無視してつかみかかってくる。

 藤田の顔が恐怖に歪んだ。パニック状態でパイプを振り回したが、先端がEV ヴァンのボディにぶつかりドアミラーに引っかかった。D 型はその隙に藤田を抱擁すると肩に噛みついた。藤田は絶叫し、パイプを取り落とした。

 助けに行こうとしたとき、横から鉄パイプが鋭い勢いで突き出され、D 型の側頭部を強打した。小清水大佐だった。藤田に負けないぐらい恐怖で蒼白になっていたが、D 型が藤田の肩から顔を上げて小清水大佐に咆吼しても逃げようとはしなかった。パイプをフルスイングし、D 型の頭部に叩きつける。地面に倒れたD 型を、動けなくなるまでパイプで打擲し続けた。

 ぼくは藤田に駆け寄った。着ている迷彩服は、JSPKF 支給のそれと違い防刃素材ではないようで、肩口があっさり裂けてぞっとするような咬傷がむき出しになっている。噛まれていたのは短い時間だったが、歯形がくっきり残り、血が流れ出していた。感染力の強いソラニュウム・ウィルスが体内に侵入したのは確実だ。手当てしてやりたいが、救急キットは車内だし、そもそも手当してもムダになるかもしれない。ぼくはハンカチを出して傷口にあて、その上に藤田の手を重ねてやった。自分の運命を悟ったのか、藤田は叫ぶのはやめていたが、その手はひどく震えていた。金髪が汗で額にぴったりくっついている。

 「強く押さえてるんだ」ぼくは囁いた。「すぐ助けを呼んでくるからな」

 助けなど来ないことは理解していただろうが、藤田は小さく頷くと震える声で言った。

 「よお、おっさん」呼びかけた相手は小清水大佐だった。「もうちょっと早く助けてほしかったぜ。でも、ありがとよ」

 「いつだって遅すぎるんだ、私は」小清水大佐は、近づいてくるR 型に対峙しながら、独り言のように呟いた。「何をやるにも、何を決断するにも、何を諦めるにも......」

 ぼくも鉄パイプを握り、小清水大佐と並んで、次々にトンネル内に歩み出してくるZたちに立ち向かった。一気に大多数が飛び出してくれば、この場を放棄してトンネルの奧へ全員で後退せざるを得なかっただろうが、今ならまだ何とか2 人で対抗できる数だ。

 ぼくはバンド隊員たちの状況を仮想モニタで確認してみた。全員、まだ無事のようだが、いずれも数体のZと戦っていて、こちらに割ける戦力はない。それどころか、誰か一人でも戦うことができなくなれば、ぼくと小清水大佐の背後はたちまち危険にさらされるだろう。

 ブラウンアイズが駆け寄ってきて、ぼくの手についている血を見ながら訊いた。

 「大丈夫?」

 「ぼくはね。そっちは?」

 「もう少し。また来るから何とかしといて」

 そう言い残してブラウンアイズが戻ろうとしたとき、スターウォーズのテーマ曲が鳴り止んだ。ブラウンアイズは足を止め、ぼくと顔を見合わせた。地下の空間に静寂が戻り、代わりにZたちのうなり声と隊員たちの荒い息遣いが浮かび上がってくる。まずい。オートリピートにはなっていなかったのか。

 ぼくは慌てて管理コンソールから設定画面を開いたが、リピートに関するプロパティはない。本来、警告音はすぐに止めることを想定されているので、そんな機能はないらしい。それならばと、もう一度、残弾数を1 に上書きしてからゼロに戻してみたが、音楽が再生されることはなかった。

 トンネル内に入り込んでくるZの数が増えた気がする。ぼくはパイプを振り回しながら、アラート機能の詳細設定を確認した。どうやら一度アラートを出した後は、物理的に装填しないとリセットされないらしい。どこかにその状態を保持しているフラグがあるはずだが、今、ソースを読んでいる時間はない。

 「まずいわ」背中を向けたブラウンアイズが言った。「このままだと、あっち側にいるZが全部、こっちに流れてくる」

 その言葉通り、EV ヴァンが斜めに傾き、一気に10 体以上のZがトンネル内に現した。その後ろからも数体が続いている。ぼくと小清水大佐は鉄パイプで対応したが、追い戻すには数が多すぎた。気がつくとジリジリと後退していた。

 小清水大佐はZの返り血を浴びながら必死で戦っていたが、戦闘職種ではない、と宣言した通り、そろそろ体力が限界に近づいているようだ。大きく肩で息をつき、足元はふらついている。それでも必死の形相でZの足や腰を攻撃するのをやめなかった。

 ふらついているのは、ぼくも同じだった。昨日から睡眠をほとんど取っていない上に、ソリストの修正や調査で疲労が蓄積しているのだ。足腰が何とか動いていなければ、とっくに藤田と並んで地面に横たわっていたかもしれない。ヤマブキでの配送業務に感謝すべきだ。

 「ぐお」

 小さな叫び声が小清水大佐の口から漏れた。つかみかかってくるZを大きく払いのけた勢いで体が泳いだのだ。足がもつれて身体が斜めに傾いていた。手をEV ヴァンについて支えたが、鉄パイプが手から落ちかかる。何とか反対の手で掴んだが、構え直す間もなくZの接近を許してしまった。肘をZの顔面に叩き込んだが、後ろに続いていたZに腕を掴まれる。叫びながら腕をふりほどこうとするが、Zに体当たりされてEV ヴァンに押しつけられた。本能的に顔を守った手に、大きく口を開いたZが噛みついた。

 苦痛の叫びを上げる小清水大佐を助ける余裕はなかった。小清水大佐が続けていた攻撃がなくなったことで、ぼくの左側に空白の空間が生じ、Zたちが急速に接近してきている。後退しようとした踵が、何かにぶつかった。EV ヴァンにもたれてうずくまっている藤田の身体だ。これ以上後退すると、無防備な藤田をZに差し出すことになる。ぼくはパイプを構えた。目の前に4、5 体のZが迫り、その後ろにも10 体以上が続いている。もはや下半身を攻撃して転倒させる、という手段を取っている余裕はなく、ぼくはZの頭部に打撃を集中した。何とか2 体を排除することができたが、そこまでだった。

 3 体のZが3 方向から同時に手を伸ばしてきた。ぼくはよけようとしたが、藤田の身体が邪魔して意図した方向に進むことができない。足を踏み換えたとき、2 体のZに両手を掴まれた。何とか右手はふりほどいたものの、左手の小指と手首の中間にZの歯が食い込むのを感じた。ソラニュウム・ウィルスがたっぷり含まれた唾液が、左手首から肘に伝っていく。朝松監視員にグローブを借りてくるんだった、と場違いな後悔が脳裏をよぎった。

 ぼくは両膝をついた。Zが前と右からなおも襲いかかってくる。右手を振り回して退けようとしたが、まるで20kg のウェイトをつけているように腕が重い。Zはあっさりぼくの右手を掴んだ。

 「鳴海!」

 怒りの叫び声と共に、ブラウンアイズが風のように飛び込んできた。ナイフをZの後頭部に叩き込み脳幹を切断する。引き抜きざま、別のZの頸部を切断する勢いで切りつけた。そのままぼくの前に立ちはだかり生きた盾となる。もはや非殺傷手段を取ろうともせず、容赦なくナイフを急所に使用することで、ブラウンアイズは確実にZを排除していった。あっという間に何体ものZが地面に転がり動かなくなった。

 「見せて」

 ブラウンアイズはぼくの横に膝をつくと、噛まれた左手を掴んだ。傷を一目見ると唇を噛み、ぼくと視線を合わせた。

 「手首を切断すれば感染を防げるかもしれない」努めて冷静な口調でブラウンアイズが告げた。「いいわね?」

 ブラウンアイズはそう言うとナイフを自分のズボンで拭い、ぼくの返事も待たずに左手首にピタリと当てた。

 「ちょっと待って」ぼくは慌てて制止した。「やめてくれ」

 「こうするしかないの」ブラウンアイズの目には決意が浮かんでいる。「やらないと死ぬのよ」

 「待ってくれ」ぼくは右手でブラウンアイズの手を掴んだ。「どっちみち助からないなら......」

 ブラウンアイズの顔を逡巡がよぎったが、すぐに断固とした表情に戻った。

 「ごめん。でも、少しでも可能性があるなら......」

 ぼくは抗議しようとしたが、ブラウンアイズは軽々とぼくの手を振りほどいて、ナイフを構え直した。手首にナイフのぞっとするような冷たさを感じたとき、サンキストが叫んだ。

 『待て!』

 『ダメよ、サンキスト』ブラウンアイズは顔も上げなかった。『やらないと鳴海は......』

 『違う、聞け。何か来る』

 ブラウンアイズがいぶかしげな表情を浮かべたとき、トンネル内に強烈な光が満ちた。同時にバンド隊員全員に、緊急重要フラグのついたメッセージが届いた。

 『やっと接続できた。第7 特戦群グラスソードよ。制圧射撃を開始する。全員、頭を低くしてろ。3、2、1、マーク』

 ブラウンアイズがぼくを地面に押し倒した直後、広範囲の空気が切り裂かれ、近くにいたZが次々に吹っ飛んだ。撃ちもらしたZも、続く第2 射で残らず撃ち倒される。

 「第7 特戦群?」ブラウンアイズはぼくの胸の上で興奮した呟きをもらした。「でも、なんで?」

 光源が近づいてきたので、おそるおそる顔を上げてみた。トラックのような大型車両がゆっくり進んでくる。両サイドのドアが開き、都市迷彩にタクティカルベスト、ヘッドセットを装備した男女が10 人以上降りる。腕に白い翼のインシグニア。バンド隊員だ。全員がUTS-15J を油断なく構えている。

 『その車の横からZが入ってくる』サンキストが告げた。『そこを何とかしてくれ。それから噛まれたケガ人がいる』

 『サンキストか。後は任せな』

 バンド隊員たちは、EV ヴァンの近くに集合すると、一糸乱れぬ動きでZを蹴散らし、通路側に入っていった。ソリストを使っていないのか、権限がないのか、新たに参戦した隊員の情報は読み取ることができなかった。

 『こっち』ブラウンアイズが手を挙げた。『ミルウォーキー・カクテル、急いで』

 『わかった』と文字情報が届き、続けて女性の声が怒鳴った。「メディック!Zカジュアリティーズだ。カクテルを持ってこい!」

 ブラウンアイズはぼくの身体を抱き起こして、EV ヴァンに寄りかからせると、Z拘束用のアンクレットで肘のすぐ下をきつく締めた。噛まれた左手は麻痺していたが、次第に鈍い痛みに変わりつつある。痛みよりも、Zに転化する恐怖で心臓が激しく打っている。ブラウンアイズは、手が血まみれになるのも構わず、ぼくの左手をそっと包むように握ってくれていた。

 足音が近づき、ぼくはいつの間にか重くなっていた瞼を開いた。逆光で顔がよく見えないが、バンド隊員にしては小太りだ。

 「やあナルミン」女性の声が言った。「よくがんばったね」

 その声で思い出した。ぼくに嗅覚麻痺処置を施した医療技術者の仁志田さんだ。バンド隊員と同じ都市迷彩姿だが、タクティカルベストやヘッドセットは装着しておらず、代わりに赤十字の腕章を付けている。仁志田さんは手にしていたバッグから、恐ろしく太いディスポーザブルオートインジェクターを取り出した。手際よく包装を破り、何の説明もなしにぼくの左腕に押し当てた。微かな噴出音と共に薬液が体内に注入される。予想していた数倍の痛みに襲われ、ぼくは思わず情けない悲鳴を上げた。

 仁志田さんは同情した様子もなく、2 本目を取り出すと、ブラウンアイズに目で合図した。ブラウンアイズは小さく頷くと、手にしていたナイフでぼくのシャツとインナーを切り裂き、左胸を露出させた。

 「ちょ、あの......」

 「ちょっと痛いよ」仁志田さんは、ぼくの心臓の真上にインジェクターをあてながら言った。「泣いてもいいから」

 心臓に直接注射されるというのは貴重な経験に違いないが、いかに好奇心旺盛なぼくでも、それを楽しむような心境になれなかったのは言うまでもない。激痛という表現では足りないぐらいの痛みが胸から頭部にかけて走った。あまりの痛みに、ぼくはすすり泣いた。

 「これで最後」

 仁志田さんは3 本目を取り出した。ブラウンアイズがぼくを抱きかかえるように身体を固定した。もはや抵抗する気力を失ったぼくの首筋に、仁志田さんはインジェクターを押し当てた。

 ぼくは抵抗してもがき、こんな痛みをあと1 度でも経験するぐらいなら、いっそZになった方がマシだと喚いた気がする。だが確かな記憶ではない。3 度目の注射で、ぼくの意識はバラバラに分解され、情け深い暗黒に全てが流されてしまったのだから。たった1 つだけ鮮明に記憶しているのは、ぼくをきつく抱きしめてくれていたブラウンアイズが耳元で何かを囁いていたことだけだ。その囁きを、意味のある言葉に変換する前に、ぼくの周囲から音と光が消えていった。

(続)

Comment(21)

コメント

MUUR

素敵すぎる展開に月曜日の朝から興奮しています!
スターウォーズ…旬ネタですね。

西山森

ついに、なるみん噛まれたか...(´・ω・`)
間に合いますように。


逆行でよく見えない

h

スターウォーズのテーマとスーパーマンのテーマがなぜかいつもごっちゃになってどんなのだったか思い出せません…

四宮

> こりゃ檄重だぜ

激重だぜ、ですかね。

ようやく助かったのかな。。。

しんにぃ

救援が来てくれてよかった。
問合せフォームに入力したのを見てもらえたのかな?

へなちょこ

騎兵隊が間に合った
良かった!良かった

レックスルーザー

頸骨を踏んで → 脛骨を踏んで
でお願いします。首の骨でなくてスネの骨ですよね

aetos

やっと救いが見えたか。
しかし、これで小清水大佐と藤田が助からなかったらひどいな…

iter

本編とは関係ないが、ITエンジニア本大賞に「罪と罰」とか、「人形つかい」とか投票しようと思ったら、ISBNコードがないことに気づいてorzだった。

通りすがりの愛読者

助かった→ソリストに寄生→隊員にウィルス伝搬→パンデミック発生…なんて展開は勘弁してくださいね。

あとは谷少尉がどうなるか…。

L

どんどん仲間が離脱していきハラハラしていましたが、ようやくホッと出来ました。
目を覚ましたナルミンは大幅な給与アップでJSPKFのプログラマーに転職かな?w 

あれだけ無愛想で嫌々だったブラウンアイズともこの戦いを経て絆が生まれて...
来週も楽しみです。

p

向こう側の入り口を見つけたってことは、裏で動いてた黒幕かその一部を暴いたのかな
藤田と少清水大佐にも見せ場があってよかった
ようやく生還できたのだろうか、あとは谷少尉が生きてればいいなあ

SIG

そしてシルクワームとスクレイパーも……
すぐ近くにいて、まだそんなに時間も過ぎていないので
助かってくれれば嬉しいのですが。

(36)で現れた『帰ったら教えてあげる』の伏線、
死亡フラグかと思いきや、まさかこんな形で回収されるとは。
まだ残っている数々の伏線、華麗な回収に期待です。

(28)の「緊急!」以外に情報のない状態で救援を出すとすれば、
まず思いつくのはゲートから綱島街道経由というところ。
想定可能な全ルートを同時探索して、
たまたま第7 特戦群が当たりを引いただけ、という可能性もありますが、
この場所だと知っていたのであれば……

きっと事件は、鶴見川の北側でも起きていたはず。
あるいは、これから起きるのかもしれません。

西山森さん、四宮さん、レックスルーザーさん、ご指摘ありがとうございます。

サボリーパーソン

騎兵隊かぁ。自分はCOD4のラストを思い出してました(分かる人いないか)。
沢山の人が死ななくていい作戦で死んでいった。。。。
ハウンドはどう落とし前つけてくれるんだろう。

3rdstr

治療の甲斐なく、檻の中で意思もなくキーボードを乱打するナルミン。
見守るブラウンアイズの目には深い悲しみと悔恨が湛えられていた・・・。
次回「気になる男の子がゾンビのままでいいはずがない」編突入

しかし一日かそこらで何度も銃口突きつけられるわ仲間が何人も
死ぬわ2度も気絶する羽目になるわ手を失いかけるわ危険手当って
レベルじゃないね。会社は追加請求てんこ盛りでウハウハじゃないか?
救援が5秒遅れてたら…と思ったけどもうコーディングは脳内で
完結できるから仕事上は手は別に要らんのだね。

false

出発の前の嗅覚麻痺措置かナルミンに投与されたナノマシンあたりにGPS的な何かが入っていたか、緊急の書き込みが引き金かそれとも別の要因か・・・

無事生還したナルミンを待つは、作戦中のあれやこれがあったブランウンアイズ、狙撃機能の一件でナルミンを気に入ったレインバード、ナノマシンで進化した超常プログラマー能力に目をつけたキーレンバッハ氏によるナルミン争奪戦!

外伝で鳴海とブラウンアイズが胡桃沢さんちにカレーを食べに行くなんて話があっても、おもしろいかもしれないですね(笑

公ちき

falseさん
>外伝で鳴海とブラウンアイズが胡桃沢さんちにカレーを食べに行く

そこは38話の谷少尉の伏線
「全員にビールと焼き肉をおごることを約束しよう」から、
谷少尉が帰還(どうやって?)した後に、全員で焼き肉パーティでしょう!

null

公ちきさん
オチは
「やはり肉は腐りかけがウマいっ!」
ですか?

user-key.

谷少尉だったら、Zに噛まれても自分で切り落とし、それを囮にして生き延びていても不思議じゃない。

コレクター

次回は、D型の秘密を知る者を抹消しようとする
米軍と第7特戦群との絶望的な退却戦でしょうか。
圧倒的な戦力差の前に壊滅寸前の第7特戦群。
ブラウンアイズの危機を感じ取り目覚めるナルミン。
D型に変身しつつも自我を保ち米軍と交戦し退却させる
ナルミン。
果たして、彼らの運命はいかに!。

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