ハローサマー、グッドバイ(39) せめて人間らしく
羽沢駅(仮)は、JR 東海道貨物線横浜羽沢駅と県道13 号に挟まれたデルタ形状の地域に新駅として誕生するはずだったが、インシデントZで工事は中断し、未だに(仮) がついたままだ。周辺に目印になるような高いビルは少なく、近くに横浜国立大学のキャンパスがあるぐらいで、基本的には住宅街が広がる地域だ。このあたりまで来ると、Zの数もかなり減ってきていた。ヨコハマ撤退時にも、早めに避難が開始された地区だからかもしれない。
工事現場の入り口はアルミ製のゲートで閉じられていたので、谷少尉は10 メートル手前でEV ヴァンを一時停止させた。リーフとシルクワームが降車してゲートを調べる。
『施錠はされていません』リーフが報告した。『ざっと見た限りでは、中にも周辺にもZは確認できません』
『この車が通れる幅だけ開けて、中に入れ。内部を警戒しろ』谷少尉はテンプルに顔を向けた。「よし行け。静かに進入し、見通しのいい場所に停めろ。すぐに後進できるように、まっすぐ入るんだ」
テンプルは、EV ヴァンを静かに敷地内に進入させ、5 メートル進んだ場所で停車させた。
ヨコハマ撤退の混乱時に放置されたためか、白いガードフェンスで囲まれた工事現場の敷地内は雑然としていた。赤錆の浮いた巨大な鉄骨、大量の鉄板や木材、束ねた鉄筋、砂利、ブロック、ホース、巻かれたワイヤーなどの資材、数基のセメントタンク、クレーンや掘削機などの重機、半壊したプレハブ、ネットに覆われた足場、倒れた仮設トイレなどが、無秩序に散乱している。敷地内の地面の半分は、赤茶けた敷鉄板が覆っていて、残りはアスファルト舗装と土だ。ゲートで封鎖されていたためかZの姿はない。Zは閉じてあるゲートを、わざわざ開けたりしないからだ。
「内部、および周辺にZの姿なし」サンキストが報告した。「哨戒モードで飛ばします」
「おい」テンプルがドライバーズシートから言った。「どこから、その地下トンネルとやらに入るんだ」
「俺は目隠しされてたんだぞ」藤田が答えた。「知るもんかよ」
「本当にこの工事現場の中にあるんでしょうね」レインバードが訊いた。
「知らねえって。あ、そういやあ」藤田は思い出したように付け加えた。「地上に出てから、いったん車停めて、何かガタガタやってたから、入り口っつうか出口は、隠してあるんだと思うぜ」
「まあ、道理だな」サンキストが唸った。「ヘッドハンターだって、ここからZが入って来てほしくはないだろうからな」
「シルクワーム、リーフ」谷少尉が言った。「探してみろ。レインバード、スクレイパー、今入ってきた出入り口を警戒しろ」
「了解」レインバードはUTS-15J を掴んだ。「ゲート、閉めちゃいますか?」
「いや」谷少尉はかぶりを振った。「緊急脱出に備えて開けておけ。少数のZなら拘束で対処。群れ、またはD 型が接近してくるようなら閉じるんだ」
4 人のバンド隊員は、素早く装備を確認すると、車から離れていった。それを見ていたボリスが、床から声を上げた。
「なあ谷少尉さん。私も手足をちょっと伸ばしたいんだけどな。降ろしてくれないか。逃げやしないから。そんな手段もないし」
「私もだ」小清水大佐も言った。「窮屈な姿勢で疲れてしまった」
サンキストが2 人に剣呑な視線を向けたが、谷少尉は少し考えてから頷いた。
「いいでしょう。とりあえず危険はなさそうだ。サンキスト、ミスター・ボリスの拘束を解いて降ろしてやれ。お前も降りて警戒にあたるんだ。他の方々も降りてかまいませんよ。ただし車からあまり離れないように」
ぼくはむしろ快適な車内で座っていたいぐらいだったが、そう言われると、少し身体を伸ばしたいという欲求に気付いた。ここに至るまでは、懐かしのラッシュアワーのようにすし詰めで、ほとんど姿勢を変えることもできなかったのだ。同じ思いだったらしい胡桃沢さんも降りる意思を表明したので、2 人で車外に出た。ブラウンアイズが当然のような顔でついてくる。最後まで、ぼくを守るという任務に忠実でいるらしい。朝松監視員と藤田も降車し、結局、車内に残ったのはテンプルと谷少尉、昏睡状態の臼井大尉だけだった。
直射日光に炙られて、ひいていた汗が再びにじみ出してくる。生ぬるい微風が吹いていたが、気温と湿度を下げる効果はない。せいぜい体感温度が0.5 度ぐらい下がったかどうか、といったところだ。
「うう」外に出た胡桃沢さんは大きく伸びをして呟いた。「タバコが欲しいな」
「吸うんですか?」
ぼくは慎重に身体を動かしながら訊いた。右脇腹の痛みはほとんどなくなっていたが、急激に動かしてもいいことはなさそうだ。
「3 回目に値上げされたとき止めたんだが......たまにストレスが続くと欲しくなるんだ」
タバコは市場からほとんど姿を消していて、たまにオークションに出品されると、想像を絶するような価格で落札されるらしい。吸わないぼくには理解できないが、欲求に対して金に糸目をつけない人間は、どこにでもいるものだ。
「港北基地に帰還したら」サンキストが笑顔で言った。「マルボロをワンカートン、プレゼントしますよ。秘蔵している奴を知ってるんでね」
「君も吸うのかね?」
「まあカッコ付けでね。軽いのを。もちろん作戦中は吸いませんよ。Zはああいう匂いに敏感なんでね。前に南米で掃討作戦に参加したとき、強迫観念みたいに四六時中タバコを口から離さない兵士がいたんです。タバコの補給が切れたとき、そいつがどうしたと思います?なんと......」
2 人がタバコ談義を始めたので、ぼくは周囲をゆっくり見回しているブラウンアイズに話しかけた。
「やっと帰還できそうだね」
「そうね」ブラウンアイズは浮かない顔で頷いた。「だといいんだけど」
「入り口を見つけたら、地下を通って帰るだけだろ」
「まだヘッドハンターが、少なくとも1 人は生きてるから」ブラウンアイズは車の方を見た。「というか、その可能性があるから。てっきり、あの車を停めてあった警察署でアンブッシュ――待ち伏せしてるものだと思ってたんだけど」
確かにそうだ。セキチューにRPG を撃ち込んだ奴は、その後目撃されていない。あれは西川だったのだろうか。
「まあいなかったってことは」ブラウンアイズは肩をすくめた。「どっかでのたれ死にしてるのかもしれないけどね」
「そう願いたいね」生きていようと死んでいようと、これ以上ヘッドハンターなどと関わるのはごめんだ。
10 分ほど待った後、シルクワームとリーフが戻って来た。
「ないですね」とシルクワームが言った。「というより、重機やら資材やらでごちゃごちゃしていて、見つけられないです」
「この車が通れるぐらいの入り口よ」ブラウンアイズがEV ヴァンの車体を軽く叩いた。「そんなでかい穴が見つからないなんてことある?」
「地下鉄が通るルートから考えると」リーフが腕を伸ばした。「あっちの北東方向に伸びているはずなんだ。確かにシールドトンネルらしいものは見えるんだが、鉄骨や資材なんかで半分塞がれていて、車で降りられるような道がない。いわゆる保線基地みたいな施設も見当たらない。傾斜路を通って地上と地下を行き来しているはずだとおもったんだが......」
「おい、お前」シルクワームが藤田をこづいた。「何か思い出すことはないのか。地下トンネルからどうやって地上に出たんだ?傾斜路を昇ったんだろう?その角度はどれぐらいだった?」
「うーん......」藤田は眉を寄せて何かを思い出そうとしていた。「ああ、そういやあ、下から上にまっすぐ上がっていったぜ」
「下から上に?」リーフが首を傾げた。「つまり、エレベータみたいにか?」
「そうそう、それだよ」藤田は手を打ち合わせた。「そんな感じだ。エレベータだよ」
「どこかに油圧リフトがあるんだろうな」谷少尉が助手席からふらつく足で降りてきた。「しかしこの車だと重量は2000kg を越えるだろう。さすがに手動でハンドル回して、では難しいと思うが」
「そういえば」朝松監視員が進み出た。「以前、逮捕できたヘッドハンターの協力者の供述にこんなのがあった。封鎖区域にスムーズに出入りするために、かなりの金をかけて発電機や重油を手配したと。おそらく地下に発電機が設置してあり、リフトを動かしているのではないかな」
「ありがとうございます。あり得る話ですね」
「てことは」サンキストが地面を覆っている敷鉄板を蹴った。「この鉄板のどれかの下にあるってことですかね」
「でなきゃ、外にあるのか」シルクワームが横から言った。「いや、安全に出入りすることを考えると、やっぱりこの中だな」
「もう少し探してみますが」リーフが諦めたように言った。「少し時間がかかりそうです。ファイバースコープで鉄板の下を1 つずつ探ってみるしかないので。この分だと、ランチを基地で食うのは無理っぽいですね」
ランチ、という言葉を聞いた途端、忘れていた空腹を思い出してしまった。朝、グラノーラバーを少し口にしただけだ。現在は11 時21 分。普段の生活なら、そろそろ昼食のことを考え始める時間だ。
「フライボーイ2 のバッテリーはどうだ?」谷少尉が訊いた。
「今の哨戒モードなら、連続飛行はあと30 分が限界です」サンキストが答えた。「ソナーか映像ストリームのどっちかを切れば、もう少し延命できます。このあたりには、あまりZがいないようですから......」
「あ、ソナー」
ぼくは思わず声を上げ、全員が注目した。
「鳴海さん」谷少尉が訊いた。「何か?」
「いえ、その、できるかどうかわからないんですが」ぼくは急いで考えをまとめた。「ソナーで、つまり超音波で空洞検査をするって話を聞いたことが......」
「そりゃできるだろうが」サンキストが首を傾げた。「この下は空洞だらけだ。逆に混乱するんじゃないか?まあ、やってみるか」
サンキストはフライボーイの旋回半径を小さくし、ソナーを真下に向けた。ぼくは管理コンソールから、Z探知機能を一時的にオフにして、ソナーの反射から意味のある映像を導きだそうと、しばらくプログラムと格闘した。同一地点を何回か測定して、反射値を精査する。材質推定フィルターをかまして、金属と、土やアスファルトを可能な限り分類した。材質推定フィルターは直接観測できる物体用だから、正確なマッピングは望めないが、おおよその地下図が作製できるかもしれない。
「何とかなりそう?」ブラウンアイズが訊いた。
「100% 正確な地図とはいかないけど」ぼくはフィルターのパラメータを修正しながら答えた。「こんなときアクション映画なら、建設会社のネットワークにハッキングかけて、魔法みたいに図面を呼び出すんだよな」
「充分よ」ブラウンアイズは、ぼくの腕に触れた。「本当にあんたがオペレーションに参加してくれてよかったわ」
「お世辞言っても何も出ないよ」
5 分後、ぼくは分析に見切りをつけた。
「これが限界かな。もう返ってくるのが重複したデータばかりになってきた」
「こんなもんか」サンキストも諦めたように頷いた。「均一な材質じゃないから、結果がバラバラだが、おおまかには合っていると思います」
ソナーで得られた画像は、地下に大小様々な大きさの空洞があることを示していただけだった。ほとんどがJR 線と並行に、北東に向かって走っていたから、トンネルであることは間違いなかっただろうが、深度も定かではなかった。
「車で地下に降りるとすると」谷少尉が画像を見ながら言った。「それなりの幅がいるな。それに、線路の真上から落下するはずがないから、メイントンネルの左右どちらかに走っている空洞だ」
「ってことは」サンキストは画像の上に、赤い○をいくつか重ねて表示させた。「このあたりの鉄板か。何か仕掛けがないか探してみるか」
「ドローンを哨戒モードに戻せ」谷少尉は命じた。「早速、探して......」
『自転車が来ます』突然、レインバードが割り込んだ。『こっちに向かってきます』
『何が来るって?』谷少尉は訊き返した。『自転車と聞こえたんだが』
『自転車です』レインバードは繰り返した。『もちろん運転してるのは人間です。その後を多数のD 型が追跡中。自転車はこちらに頭向けてます』
『防御態勢』谷少尉は命じた。『入り口を封鎖しろ』
ぼくは仮想モニタにレインバードの視野データを表示した。1 人の男が、色あせた赤い電動自転車にまたがって、必死にペダルをこいでいる。みなとみらい周辺で設置されていたベイバイク――レンタル自転車だろう。運転手は迷彩服にブーツ、暗視装置付きのヘルメットとサングラス。見覚えのある服装だ。
『ヘッドハンターの生き残りですね』
『武装は?』
『背中に長物。M4 みたいです』スクレイパーがゲートに走り寄りながら答えた。『あ、やばい』
ヘッドハンターの男はライフルをこちらに、つまりレインバードとスクレイパーに向けて3 点バーストで発砲した。ゲートに命中して火花が散り、2 人が両脇によける。2 人を狙ったというより、進路からどかせたという感じだ。
『すいません。進入されます』
男は閉じかけていたゲートをギリギリですり抜け、工事現場に突入してきた。レインバードとスクレイパーは、その背中に銃口を向けたが、すぐ後ろにD 型の群れが迫っていることに気付くと、慌ててゲートに飛びついた。先頭のD 型が飛び込んで来る前に、かろうじてゲートを閉じることに成功した。スクレイパーが、近くにあった鉄筋を拾い上げ、斜めに刺して開かないようにする。一瞬遅れて、D 型がゲートに衝突して怒りの咆吼をあげた。数十体のD 型が次々とゲートにぶつかり、決して頑丈とは言えないアルミ製ゲートが、大きくたわんだ。もともと、怒り狂ったD 型の波状攻撃に耐えるように設計されているはずもないから、そう長くは持たないだろう。
ヘッドハンターの男は、自転車を乗り捨てると、ぼくたちの方に近づいてきた。M4 を腰だめに構えている。バンド隊員たちも一斉に狙いをつけた。
「あ」藤田がゴクリと唾を呑み込んだ。「西川さん......」
初めて顔を見る西川は、50 代ぐらいの筋肉質な男だった。無精髭が伸び、白髪交じりの髪はボサボサだ。酒でも飲んでいるみたいに顔が赤い。迷彩服のあちこちに乾いた血痕が見える。
西川は左手でサングラスをつかんで放り投げた。ぼくは、その手から赤黒い血が地面にしたたり落ちたことに気付いた。
「それは......」西川は大きく肩で息をしながら、絞り出すように言った。「それは......俺の車だ......返せ」
すでに西川に狙いを定めていたバンド隊員たちは、戸惑ったように視線を交わした。
『撃ちますか?』リーフが訊いた。『どこでも狙えます』
『少し待て』
谷少尉はそう命じると進み出た。西川の3 メートル手前で立ち止まって口を開く。
「噛まれたのはいつだ?」
西川はうろたえたように谷少尉を見た。その視線が一瞬だが、血まみれの左手に落ちる。
「噛まれてない!」西川は右手のライフルを振り回した。「俺は噛まれてないんだ。俺は......奴らにはならない。絶対にならない」
「わかった」谷少尉は掌を西川に向けた。「落ち着け」
西川は視線を泳がせた。両目は血走っている。唇の端から涎がこぼれて首筋をつたったが自覚していないようだ。こめかみから額にかけて血管が浮き上がっている。
『感染してる?』ぼくはブラウンアイズに訊いた。
『間違いないわ』ブラウンアイズは即座に断言した。『それもかなり時間が経ってる』
ソラニュウム・ウィルスに感染すると、60 分以内に頭痛や吐き気、急激な発熱などの初期症状に襲われ、さらに6 時間から12 時間で副腎がダメージを被り、前頭葉と後頭葉の部分的な壊死が始まる。この段階になると、もはやミルウォーキー・カクテルを大量投与しても治癒することはない。85% の確率でZになり、残りは苦痛に満ちた死を迎える。
『どうみても、あいつ』リーフが囁いた。『もう第2 段階ですよ』
『いつ意識混濁で狂乱状態になるかわかりません』サンキストも言った。『撃ちましょう』
「下がれ」少し呼吸を整えた西川が言い、ライフルを振り回した。「車から......離れろ」
「わかった。全員、下がれ。テンプル、降りろ」
『分隊長!』ブラウンアイズが声を出さずに叫んだ。
『命令に従え』
隊員たちは、渋々、車から距離を取った。テンプルもドライバーズシートから降りてくる。
「俺のスマホを出せ」西川が要求し、ぼくの顔にぞっとするような憎悪の視線を向けた。「そいつが盗んだスマホだ」
谷少尉がテンプルからスマートフォンを受け取り、目の前にかざした。
「これか?」
「早く......よこせ」
「1 つ頼みがある」谷少尉は落ち着いた声で言った。「車の中に意識不明のケガ人がいる。彼を連れて帰ってくれないか?基地まで届けてくれとは言わない。人目のある場所に放置しておいてくれて構わないから」
「うるせえ」西川は口から唾をまき散らした。「知るか」
「ダメなら、これを壊す」谷少尉はスマートフォンを指でつまんでブラブラさせた。「撃ってもムダだ。その手つきじゃ、全員を倒すことはできないぞ」
西川は谷少尉を疑り深い目で見ながら考えた。ゲートの方からは、D 型が突進する音が響いてくる。顔をしかめてそちらを見た西川は、やがて大きく頷いた。
「いいだろう。約束......してやる」
これほどあてにならない約束もない、と思ったのだが、谷少尉は笑顔を浮かべて見せた。
「助かるよ。足手まといのケガ人だったんだ」
手を伸ばしてスマートフォンを差し出す。西川は、ひったくるように取ると安堵の表情になった。そして、ぼくに再び視線を向けた。
「おい、プログラマー......お前を、こ、殺してやりたいが......どうせ死ぬ......だろうから、今は見逃してやる......感謝しろよ」
すでに言語中枢をウィルスが浸食しているようだ。ぼくは中指でも立ててやりたかったが、睨み返すだけで我慢した。
「に、西川さん」藤田が進み出た。「俺は......」
「ああ......お前か」西川は関心なさそうな顔で答えた。「知るか......ここでこいつらと一緒に死ね......裏切り者が」
「あんただって俺を騙して、こんなところに連れてきたじゃないか!」藤田は叫んだ。「金は払ったんだぞ。最後まで面倒見ろよ」
「バーカ」西川はスマートフォンを調べながら言った。「お前なんぞ......ただの人数合わせなんだよ......激安......料金にしてやっただろう......ハンティングはお前......みたいな庶民の遊びじゃないんだ」
「地獄に落ちろ、クソ野郎」
西川はのろのろと銃を上げると、藤田の足元に一発撃ち込んだ。銃弾が敷鉄板で跳弾し、藤田は後ろにひっくり返った。
「うるさいんだよ......お前」
西川はスマートフォンの上で指を動かした。同時に10 メートルほど先の敷鉄板が数枚、ガタンと音を立てて数センチ沈んだ。低いモーターの作動音が耳に届く。
「そういう仕掛けか」谷少尉が感心したように言った。
「そういう......ことさ」西川は虚無のような笑いを浮かべた。「この仕掛けを......作るのに......時間と金がかかった......すごくな......まあ......まあ、これもハ、ハ、ハンティングという......こ、高尚な趣味を究めるためには......惜しくなかったがな......じゃあ......そろそろ失礼することにする......お前ら......車から離れろ......動くな」
口が回らない、というより、言葉を組み立てるのに、苦労しているように見える。ここまで自転車で走ってきただけでも驚異的だ。このままEV ヴァンを奪ったとしても、果たして鶴見川の向こう側まで運転していけるんだろうか。
『知りたいことはわかった』谷少尉の冷静な指示が飛んだ。『サンキスト、リーフ、車から1 メートルに近づいたら足を撃て。テンプル、スマホを奪い取れ。シルクワームはバックアップ』
西川は油断なく銃口をバンド隊員たちに向けながら歩き出した。数歩、近づいたとき、不意に別の人物が車の陰から現れた。
「私を」ボリスだった。「連れていってくれ」
『全員、撃つな』谷少尉が命じた。
「誰だ......お前」
「君の雇い主だよ。一緒に連れて行ってくれれば、私が責任を持って病院に入院させ、最高レベルの治療を受けさせてやる」
ボリスは、いつの間にかタブレットを持っていた。車の後部に置いたままにしてあったのを、西川が突入してきたどさくさに紛れて奪回したのだろう。
「あんたが......雇い主?」西川は苦しそうな息をしながら、うさんくさそうな顔でボリスを睨んだ。「俺と......やり取りしてたのは日本人だったぞ」
「私も関係者なんだ。いや、私がそいつの上から指示してたんだ。武器の手配をしたのは私なんだからな。RPG が2 セット、NATO 弾400 発、AVS-6 ノクトビジョン8 台。間違いないだろう?」
「ああ」西川は頷いた。「そうだな。金は?」
「指定の口座に前金で2 万ドル。完了時に4 万ドルだ。もちろん残金はしっかり払う。いや、2 倍払ってもいい」
「2 倍......ね......悪くないな」
「それに」ボリスは勢いづいた。「君のその状態じゃあ、運転するのもつらいだろう。心配いらない。私が運転する」
「そうか」西川はニヤリと笑った。「確かに......確かに、あんたが雇い主のようだ......な」
西川はいきなり発砲した。弾丸はボリスの右の大腿部を撃ち抜き、その身体が突き飛ばされたように転がった。苦痛よりも驚きで目を見開いたボリスの腹部に弾丸が撃ち込まれる。ボリスは絶叫した。
「お前の......下らねえ口車に乗った......せいで」西川は口だけで笑いながら、さらに発砲した。「俺は、俺は......こんな目にあった......残金なんか払う気もなかったんだろう......どうせ......俺を駒にした......つもりか......バカにしやがって......バカにするな」
ぼくは思わず声を上げた。ボリスの手からタブレットが飛び、敷鉄板の上を滑って、隙間に入りこんでいくのが見えたからだ。取り戻そうと飛び出しかけたが、ブラウンアイズに腕をつかんで引き戻された。
発砲が止まった。西川は何度か空撃ちした後、ようやく引き金を絞るのをやめた。おそらくすでに残弾数は少なかったのだろう。フルオートで撃たなかったのは、撃てなかったからだ。
「くそ」西川は喚いた。「くそ!」
すかさずサンキストとシルクワームが飛びかかろうとする素振りを見せたが、地面を蹴る前に急停止した。西川が背中からハンドガンを抜いたからだ。
銃声が轟いた。サプレッサーもサイレンサーも装着されていない。銃弾はボリスの背中に命中した。まだ微かに息があるらしいボリスが、弱々しく呻いた。何か呟いたが、意味のある単語を聞き取ることはできなかった。銃声に反応したのか、ゲートに体当たりするZの音が、いっそう大きくなった。
「第2 段階だ」谷少尉は一歩進み出ると、冷徹な声で言った。「お前はもう助からない。Z化するか、そのまま苦しみ抜いて死ぬかのどちらかだ。せめて人間らしく死なせてやるから、銃を渡せ」
「そう......かもしれんな」西川は血走った目で周囲を見回した。「だったら......お前らも道連れにしてやるよ」
西川はハンドガンを持ち上げ、銃口をEV ヴァンに向けた。指に力がこめられる。
『バカな奴だ』谷少尉は悲しげな顔で言った。『よし、撃て』
サンキストとリーフが待ちわびたように発砲した。西川がハンドガンの銃口を車に向けた瞬間から狙いをつけていたのだ。ラバー弾が正確に西川の腕と足を捉えた。その身体はEV ヴァンの車体に叩きつけられ、手からスマートフォンが落ちた。
西川は執念でハンドガンの引き金を絞ったが、弾丸はどこにも当たらず空へと消えていった。素早く飛び出したシルクワームが、西川の手からハンドガンを蹴り飛ばす。
『ゲートが破られる』スクレイパーが叫んだ。『入ってきます』
「スマホ回収」転がったスマートフォンを拾い上げたテンプルが叫んだ。
「全員、乗車しろ」谷少尉が命じた。「急げ」
ぼくたちはEV ヴァンに走った。その背中を、数十体のD型の咆吼が打った。
(続)
コメント
ハローきんいろモザイク
ボリスが背中からハンドガンを抜いてボリスの背中に命中?
どちらかが西川の間違いかな
yas
>ボリスが背中からハンドガンを抜いたからだ。
西川が かな?
これは年内完結ですかねえ。
エンディングが楽しみでもあり、寂しくもあり。
p
プログラマーさん殺したい人多すぎ問題
いや、何度も似たようなこと書いてすみません
プログラマーという日常的によく接する語と殺すという単語のミスマッチ具合が個人的にシュールに思えて笑ってしまうので
まあ殺したがられるほど活躍しているという意味で、主人公らしい(?)ですよね
ボリスは意外とあっさりやられましたね
もうひと波乱起こすかと思いました
ラストD型との追い掛けっこですね、面白くなって参りました
ゾンビ物で地下鉄、トンネルとくると個人的にはRのつく舌の長いあいつとか思い出してしまいますが、まあZだけでも大変ですしそんなことはないでしょうと思いたいところ
なんにせよ続きが楽しみです
p
Lだった
いや全然本筋と関係ないけど、恥ずかしいので訂正しておきます
すんません
かのーぷす
>初めて見る西川は、50 代ぐらいの筋肉質な男だった。
PCDEPOで一度見ているのでは?その時は西川と認識していなかったですが、
24話で、PCDEPOで指揮していたのが西川と藤田から確認しています。
hoge
スマホはパスワード設定してませんでしたっけ?
谷少尉が解除して渡したんでしょうか…
dai
ソナーの空洞検査の話と谷少佐のケガ人同乗の交渉の蛇足感は、なにかの伏線なのだろうか?
スマホの中身は実はすでにナルミンにコピー済み?
いよいよ終盤。早く結末が見たいような、終わって欲しくないような。毎週楽しみです。
tako
次回最終形態へと变化したボリスが襲いかかる!
鳴海が隠し持っていたロケットランチャーで・・・
とならないことを祈るw
七篠権平衛
うーん、ウィルス感染した人の安楽死について朝松監視員は何か内心で葛藤がありそうな気がするんですけど、どうでしょう?
Z化からの治療がありうる・人権があるという立場なら、人間の尊厳を保つための安楽死(?)にも反対しそうな気がして、ちょっとひっかかりを感じました。銃を捨てさせる方便と解釈したのか、もうちょっと別の思いがあったのか…
そういえばハウンドって高村ミスズ女史の事件簿で名前だけ出てきてましたよね。
さ
そもそも西川はZを含めた殺人犯なわけで、攻撃してきているのでここでの殺害は正当防衛として通るでしょう。
仮に生きて連れて帰ったとしても極刑の可能性もあるわけですし情状酌量の余地はないのではないかと。
七篠権平衛
どちらの立場でも筋が通る理由はつけられるので、葛藤がありそうだな、という事です。自分の身も守らなければいけませんしね。