いくとこまでいくと劇的なパラダイムシフトが起こりますよ。(2)
2回目です。
いつまで経っても結論にたどりつかない、どころかいつまで経っても序論が終わらない(爆)という私の悪いクセが始まらないよう、まず結論から書きます。
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ここでいう劇的なパラダイムシフトというのは...
いわゆる労働というのは、労働時間*時給で給料をもらうわけですね。だから、特に労働で家族を養っているような方は、自分の時間を犠牲にしてたくさん働きます。
ごく普通の会社における、役職のないサラリーマンも実は似たような感じです。
管理職になると残業が廃止され、結局年俸制に移行します。基本的に年俸というのは、額は双方合意の上ということになってます。
ちなみに、この額をむりやり労働者側が飲まされているのがブラック企業であるともいえなくもないです(苦笑)。あくまで私見ですが。
年俸制ということは、結果を出していれば見かけ上の労働時間は問われません。見かけ上の労働時間とはつまり、会社にいる時間のことです。ということは、ふつうに考えれば人間はなるべく働かずして成果を出せる方法を死ぬ気で考え、そしてスマートに成果を出し、合意していた年俸をもらう、という方向に動くのが当然なのですが、悲しいかなこの国はそうではありません。
会社にとってはうま~くできたシステムであるわけですが、よくよく考えてみるとこの国の管理職というのは朝から晩まで会社にいて社員の管理をしていないと成果を上げられないようにできているのです。
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さて、私のような立場の人間は、会社に10時間いたからって一切報酬はもらえません。
その前にまず、仕事をとってきて契約するところからです。
契約を交わすということは、合意するということなんですが、契約金額というのは概して安いものです(苦笑)。我々って立場が弱いので...(涙)
そして安い割には事務処理とか、けっこう稼働がかかったりしますね。
であれば、我々はどうやって生きていくかというと、複数の仕事をとってくる他ありませんね。
で、複数の仕事をとれたとして、その複数の仕事を完遂しなければお金をもらえません(お金を「請求できません」)。アタリマエですよね。
(余談)仕事を完遂して成果を出してお金を請求しても、違法すれすれまでシブチンなのがブラック企業です(苦笑)。漆黒の闇の企業はw支払すらしませんが...
ということは、それぞれの仕事の生産性を極大化していかなければなりません。仮にひとつの仕事をロストしたら先方に迷惑がかかるだけでなく、極端にいうと「社会的信用を失墜」させます。
それはビジネスマンとしてリスクが大きすぎます。
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そして、私のような立場の人間は、人生のすべてを仕事に費やすことはできないのです。
なぜならば、【絶対に】自分の投資する時間を確保しなければならないからです。それも仕事です。
これを確保しないと先細りになって路頭に迷います。
健康への投資ももちろん含まれます。ということは、「睡眠」すらも自分への投資、つまり仕事といってよいでしょう。
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私は、後者のほうが、正しい生き方だと思っているのです。
自分の時間を時給ン円で切り売りして働いた分だけお金をもらう、というこの国の堅牢な労働システムに、だいぶ前から疑問を呈しているのです。
会社の年俸制も、本来の正しい意味でのそれであれば肯定できるのですが、世の中の会社っていうのは、管理職は200時間/月以上働く前提で考えており、管理職に残業手当をつけたら会社がツブれてしまうから、という理由で、無駄に部下がいない管理職を増やし、人件費を抑制しているだけの話です。
つまり、年俸制という名前はついていますがこの国のそれは根本的に間違っているのです。
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だから、たっくさん仕事をとってきて仕事をすればよいのです。10万円の案件を10件並行で進めて月百万稼げばよいのです。それが本来のビジネスマンのあるべき姿だと思っています。
で、10万円の仕事の契約で、取り交わすアウトプットを、1日(8時間)で出せるようにすればよいのです。そうすれば8*10=80時間で100万円稼げます。
(話をわかりやすくするためにたとえを使っています)10万円の仕事というのは時給1000円の労働者は100時間かかります。それを8時間でアウトプットを出せる人間になるのです。生産性を12.5倍にするのです。
そうするとどうなるか?というと、アタリマエの話ですが、ビジネス・シーンでのアナタは一般的な労働者よりも12.5倍の価値のある人間です。
ふつーの労働者より10倍以上の価値があるとビジネス・シーンで認められたならば(自己PRも大事ですが)、その価値どおりに引く手あまたになります。
仕事も選べるようになります。
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かりにアナタが優秀な方で、最初っから、10万の仕事を50時間でできるとします。その仕事を4つ抱えて月200時間で40万円稼げます。
ただしこの状況のままではじり貧です。そして、健康も害するでしょう。
なので、どんどん生産性を上げて生産性を約10倍にしつつ、自分の価値を高めてどんどん新しい仕事もしつつ、さらに仕事と同じ優先度で時間をつくって自分への投資もしつつ、と...
そういうサイクルをつくっていくのです。そうすると...
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結論。働けば働くほど儲けられる、というこの国のスタティックな価値観を、根底から覆すことができるのです。
最終的には「働かなければ働かないほど儲けられる」に...なりはしません、が、限りなくそれに近づいていきます。
これがパラダイム・シフトの第一段階です。(まだ「劇的」ではない)
私は不労所得という考え方に対して否定的なので、働く時間はゼロにはなりません。というか、なってはいけないと思っています。
たとえば、われわれって日常のルーティンあるじゃないですか。歯を磨くとかもそうだし食事もそうです。
仕事も、必須のルーティンとしてそこに組み込むのです。つまり、人生を豊かにするためには仕事をやらなければなりません。
つまり、パラダイムシフトの第二段階(ほぼ完成系)というのは、「自分が仕事していることが完全に日常に組み込まれ、仕事をしているのだが仕事を意識しなくなる」という状態です。
この状態って実は、むちゃくちゃ生産性高いんですよね。
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たとえばデイトレーダーみたいな人がいるじゃないですか。詳しくは知らないのですが、1クリックで何十万円とか何百万とか?
それは、たとえばPCを立ち上げたり、クリックという行為をしたりしているので不労ではありませんね。
社長業も同じです。社長は遊び歩いていて社員が仕事して稼ぐ、という構図は、一見社長は何もしていないように見えますが、実はそうではないのです。社長は「いろいろ」しています。ただし、その実働時間が短いのは確かです。
そして社長というのは享楽と苦しみとの振れ幅が大きい。短い実働時間の中に、かなりの「苦しみ」が埋め込まれていますので、覚悟は必要です。
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私の個人的な考え方ですが、勝手に自分の銀行口座が増えていく「システム」を構築することに躍起になっている方がたくさんいますが、どうもそういうのに否定的で...
そういう方々の理想形は、日常の中から「仕事」を「排除」していくことのようなので。
私の考える劇的なパラダイム・シフトというのは、バリバリ仕事しているのだけれども自分が仕事をしていると意識しなくなる、ということです。
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これからの時代、働いて働いてガンガン稼ぐ、という考え方も、不労所得だけで生きていくという考え方も、どちらも苦しくなるだけです。
生産性を極大にして、結果仕事をしていることを意識しなくなる(けど常に対外的には生産性の高い仕事はしているので、当然報酬は振り込まれる)というのを目標にしたほうがよいのでは、というのがこの21世紀における私の提案です。
私は強くそう思っていますがどういうライフ・スタイルを選ぶかは自由です。私もそういう状態になっているわけではありませんし一生完成系にはならないでしょう。でもだいぶ近づいてはいます。
目標をどこにおくか、でどういう人生を歩むかが全く違ってきますので...!
注意が必要ですよ!!