長い間、エンジニアをやっているうちに嫁き遅れた老婆の足跡。

そんなヒロシに騙されて

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 相変わらず寒い日が続くねぇ。

 グリューワイン、準備しといたよ。え、クリスマスなんかとっくに終わってるって? そんなこまかいこと、気にするのはお止めよ。お屠蘇だって思って飲めゃあいいんだよ。

 でも、ありがたいねぇ。また来てくれて。暖まっておいきよ。

 今日も箱の中を眺めてたんだ。目を閉じて、1つだけ記憶の欠片(かけら)を拾いあげてみる。何が出てくるのかねぇ……って、まるで商店街のくじ引きみたいだねぇ。

 さぁ、あったかいグリューワインだ。おあがりよ。

 ……あぁ、このビー玉は、はじめてプロジェクトリーダーをやったあの仕事の欠片だねぇ。あたしがまだ若くて、女王様みたいにブイブイ言わせてた頃さ。


 ※文中のすべての固有名詞は仮名・捏造・偽称・詐称です。

【第1幕/第1場】 5月○×日 ヒロシとエンジニアX(以下X)、北の島にある建設業者の二次開発プロジェクトを命ぜられる。

 ヒロシは20代後半独身。人当たりの良い温和な人物である。言葉遣いも、そこらの女よりよほど丁寧だ。いつもにこにこしているヒロシであるが、代々の上司やPJリーダーとはどうもうまくいかないらしく、会議でもにこにこと吊るし上げに遭っていた。理由は“とにかく仕事をしない”……ということであったらしい。

 しかし、そんなこととは露知らず。リーダーがX、サブリーダーがヒロシ、PGが3人の体制でPJはスタートした。

【第2幕/第1場】 5月○△日 ヒロシ、Xと共に北の島へ。

 演歌を唸りたくなるような北の島のお客は、パソコンというものにまったく触れたことがない。帳票設計はともかく、画面については雰囲気をつかみやすいように、実際に動く画面紙芝居を作って機能説明することになった。開発ツールはMicrosoft Accessである。厳しい日程のため、XとPGは残業に次ぐ残業で画面を作成していた。

 ところが、ある日気付いた。ヒロシがAccessを使っているのを一度も見たことがないのだ。うぅむ……君の役割も画面作成だったはずなのだが??

 脳みそがクエッションマークだらけになったXはヒロシに言った。

 「あのね、ヒロシの役割は画面作成だよね。明日が打ち合わせだっていうのに、ヒロシ、一画面も作ってないじゃない。自分の役割ちゃんとわかってる?」

 あぁ、言ってしまった……。小心者なワタクシにこんなことを言わせるなんて……ヒロシ、あなたって罪な男ね。

 おもむろに立ち上がったヒロシはXの背後に回り、しばらくモニタを見つめてから言う。

 「画面ってそんなにすぐにできるんですねえぇ。さすがですねえぇぇ」

 揉み手をしながら、にこにこと佇むヒロシ。

 「じゃぁ、僕、お先に失礼しますぅぅ」

 額に青筋をひくつかせたXは、彼方からデスマーチが近づいてくるのを聞いた。

【第2幕/第2場】 6月○◇日

 このシステムは、島内の全業者が共通で使うシステムだ。各業者でバラバラな事務処理の流れを統一して、業務の効率化とシステム導入費用の削減を図りましょうというヤツである。

 まとめ役となる旗振り業者に、あらかじめ業者間で話し合って、ある程度の仕様統一はやってもらえるようにお願いしていたのだが、これがまったく機能していなかった。旗振り業者から共通仕様だと聞いたものを現地打ち合わせで確認すると、「Aさんはそういうやり方かもしれないけど、うちは違うんだよね」とか「そんな話し合いしたっけ?」とか、現場の雰囲気はだんだん悪くなっていく。経理の流れを聞くと、時に目配せをしながら口をつぐんでしまう。どうやら税務上マズいことがあるようだ。

 結局、仕様をまとめるのに予想以上の打ち合わせ時間が必要になり、スケジュールは次第に遅れ始めた。

【第3幕/第1場】 7月○×日 プログラム開発開始。

 プログラムの開発が始まる。PGの中には「Accessの神様」と言われるマリコ嬢がいる。

 マリコ嬢は非常に優秀なPGで、仕様書をしばらく見つめ、ひととき目を閉じると、神の如く高速タイピングを始める。あまりに消化率がいいので、SEが仕様書書きに追いまくられるハメに陥る伝説のゴッドハンド技術者なのだ。よって、Xは仕様書を書いて書いて書きまくっていた。

 しかし、はたと気付く。やはり仕様書担当だったはずのヒロシは、モニタにこっそりとネットスケープを立ち上げ、にこにこと女性アイドルのWebサイトをサーフィンしている。そして18時になると“鐘と共に去りぬ”なのであった。

【第3幕/閑話休題_1】 7月△△日

 北の島は日本語が通じない。

 ある日、Xに北の島から電話がかかってきた。領収書のフォーマットについての注文である。お客曰く、「前月分未納額って表現だとお客さんに失礼なので、表現を変えて欲しいんですよね」と言う。

 「え? そうですか? あの、じゃあ、どう変えましょう?」

 「御前月分未納額とか御未納額総計とかにしてください」

 「は?」

 ……御未納額って何だ? 御前月分って何だ? 意味わかんねぇ……。いや、もちろん断ったさ。

【第3幕/閑話休題_2】 7月×△日

 7月、ヒロシは全く休日出勤しなかった。しかし金曜日の夜にはいつも「あしたは出て来るかもしれないですぅぅ」と言い置いて帰るのだった。風の噂では、とびきりの美女と朝方までデートするのに忙しいそうである。

 自宅に戻ったXは、母親にぶつぶつ文句を垂れた。

 「ったくよぅ。女にうつつを抜かす暇が欲しけりゃ、まず仕事してからにしろよな!」

 しかし母親は「おまえ、頼むから男にうつつを抜かしておくれよ」と哀願するのであった。

【第4幕/第1場】 8月1日 ついにリリース月。

 修羅場である。耳をつんざくようなデスマーチが鳴り響いている。

【第4幕/第2場】 8月第1週金曜日

  ヒロシ曰く、「あしたとあさっては休日出勤しますぅぅ」

【第4幕/第3場】 8月第1週土曜日・日曜日

  彼は来なかった。

【第4幕/第4場】 8月第2週金曜日

  ヒロシ曰く、「あしたとあさっては多分休日出勤しますぅぅ」

【第4幕/第5場】 8月第2週土曜日・日曜日

  彼は来なかった。

【第4幕/第6場】 8月第3週金曜日

  ヒロシ曰く、「あしたとあさっては休日出勤する確率がかなり高いですぅぅ」

【第4幕/第7場】 8月第3週土曜日・日曜日

  彼は来なかった。

【第4幕/第8場】 8月第4週金曜日

  ヒロシ曰く……もういいですね。

【第4幕/第9場】 8月第4週月曜日9時 X、リリース前夜、キレる。

 ヒロシはいつものように、にこにこ出勤である。待ち構えていたXは、怒りを胸に秘めつつ、ヒロシの席の隣に立った。

 「ヒロシ、休日出勤するって言ったよね。昨日も待ってたんだけど来たの?」

 「ぁぁああ、あのぉ、一応来たんですけどぉぉ……。そのぉぉ、会社の入り口までは来たんですけどぉぉ、そのまま帰らせていただきましたぁぁぁ」

 「ふうん。どうしてそのまま帰ったの?」

 「……っえっ? あっ、あのっ……。理由ですか? どうして理由を言わないといけないんですかぁぁ?」

 いつもの“にこにこ攻撃”が通用しないことに気付き、焦るヒロシ。

 「あのさ、休日出勤する気がないのに嘘つくのはやめなよ。毎週毎週、人のこと騙して気まずくないの? そりゃ、急に用事が入るとか体調が悪くなるとかあるだろうけど、ヒロシ、一度も出てきてないでしょ。もう信じられないんだよね。他のPJメンバーが残業や休日出勤でいつもヒロシの穴埋めしてんだよ」

 「……わかりました。……はは、ははは……すみませんでした」

 ヒロシは涙目で、それでもにこにこにこにこと微笑んでいた。……このバカもんがーっ!

 そして翌日、ヒロシは相変わらずにこにこしながら、このプロジェクト最後の北の島へ旅立ったのだった。

【カーテンコール_1】 9月×△日

 真夏の日差しが翳り始め、秋の空気が漂い始めた頃に配られた社内報。「今年の夏休みの思い出は?」の特集テーマに「忙しすぎて、僕には夏休みはありませんでした。もっと社員の健康について配慮して欲しいです」と書いていたのはヒロシである。

 そう、そうだよな、ヒロシ。デスマーチ・プロジェクトなんて誰もやりたくないよな。君はホントにいい人だ。しかし、他の人はさておき、君は人の100倍くらい夏をENJOYしていたような気がするのだが、それは気のせいだな、きっと……。

【カーテンコール_2】 翌年1月1日

 ヒロシから届いた年賀状。“わたしたち結婚しました”と書いてある。隣に写っているのはとびきりの美女だ。そうか、あの時の女か。わたしたちPJメンバーの血を吐くような努力は、思わぬところで結実していたのだ。う~ん、愛って素敵。

 ヒロシ、しあわせのおすそ分けをありがとう。

 ……なんか間違ってやしないか?

 あぁ……ビー玉を覗いてるうちに、うたた寝しちまったようだね。

 そうそう、こんなこともあったねぇ。インターネットが始まったばかりの頃でね。Webブラウザといやぁネットスケープがデフォルトだったもんさ。

 この仕事は失敗したねぇ。お客さんと何でも話せる間柄を構築できなかったのが敗因さね。まるで税務調査に入られたかのような扱いでねぇ。事務作業の実態をちゃんと話してもらえなかったんだ。それじゃあ役に立つシステムなんか作れないやね。

 あたしもまだまだ青かったんだねぇ。とにかくお客が要求する機能を全部満たせば完璧なシステムになるんだって思い込んでたんだ。全体を見渡す目がまだ養われてなかったんだねぇ。

 ヒロシは今頃どうしてるんだろうねぇ。工数分働いてくれないってのはホントに参ったけど、でも、ヒロシにもいい点があるんだよ。あれだけマイペースを貫けるヤツは、絶対うつ病にならないね。半分皮肉で、半分は本当にほめてるんだけどさ。

 その当時は、ワークライフバランスなんてオシャレな言葉はまだポピュラーじゃなかったけどね。あんまりきつい作業が続いてるときは、1日くらいスコンと休んじまう勇気は持ってたほうがいいよね。

 まぁ、その前に、デスマーチ・プロジェクトにしちまったあたしの管理能力はどうなのよってツッコミもあるだろうけど、許しておくれよ。

 おや、あんた、つきあってくれてたのかい? 悪いねぇ。

 仕事にお戻りよ。気が向いたら、また寄っとくれ。当てにしないで待ってるからさ。今度は紅茶はどうだい? マリアージュ・フレールのマルコ・ポーロ。フルーティーで甘さがあるけど、背筋が伸びるような気高いお茶だよ。

 今日も寒いねぇ。風邪ひかないように、暖かくしておやすみよ。

今日のBGM:「そんなヒロシに騙されて」 by サザンオールスターズ

Comment(18)

コメント

組長

マリアージュ・フレールのマルコ・ポーロ。フルーティーで甘さがあるけど、背筋が伸びるような気高いお茶だよ。


わー!カッコイイ!!飲んでみたいです(^-^)

ヨギ

キレの際だつ文章ですね。
すごい。
ファンになりました。
次の記事、楽しみにしてます。

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>組長さん

また寄ってもらえたなんて、嬉しいねぇ。
そう、マルコ・ポーロはおすすめの紅茶だよ。
紅茶と言やぁイギリスだけど、これはフランス製なんだ。
http://www.mariagefreres.co.jp/site20070611/tj/index.html
ここが日本の公式サイトさ。ちょっとサイトがショボいけどねぇ。
機会があったら、是非お飲みよ。
なんでも、マリアージュ・フレールの紅茶の中で、日本とフランスでナンバーワンの売り上げを誇ってるのがマルコポーロらしいんだ。

X

>ヨギさん

”ファン”・・・酔わせる言葉だねぇ。
”老婆酔わせて、どうするつもり?”(by 石田ゆり子)・・・いや、あたしの時代的には(by 中野良子)の方がストレートに来るんだけどさ。
また通りすがっておくれよ。ヨギさんには特別にオールモルトを準備しとくよ。

マリアージュ・フレールのマルコ・ポーロ、大好きです^^
レディグレイ等、他のフレーバーティはあまり飲まないのですが、
これは何かのお祝いで頂いて以来、すっきりした飲み口が気に入って
常備するようにしています。

そういえば前回のコラム、マルコ・ポーロを飲みながら読んでいました。
> このクソハゲがっ!
で笑って吹いてしまい、大慌てした覚えがあります。

……本題でないところばかり反応してすみません。
Xさんとほぼ同時期にコラムニストになりました、かわばたと申します。
私のコラム「結婚」で、こちらのコラムにリンクを貼らせて頂きましたので
ご挨拶がてら書き込ませて頂きましたm(_ _)m

ヨギさんと同じく、私もXさんのリズミカルな文体が大好きです。
回想部分と その前後の語り口のギャップがたまりません。
これからも楽しみにしています。

また、ふらっと寄らせてくださいね。
長くなってしまいました。

かずやん

Xさんの思い出話がとても胸に響きます。
私は、今、とても心が折れそうな状態です。
でも、やりぬくことで、何かが見えてくるというメッセージが伝わりました。

なりし

久々に「そんなヒロシに~」高田みづえのCDジャケット見ながら聴いてます。
私の関わった現場はメンバーに恵まれてきたな~とつくづく思いました。

X

>かわばたあいさん

おまえさんもマルコ・ポーロが好きかい?。ありゃあ美味いよねぇ。あたしも久しぶりに飲みたくなったから、明日あたり買出しに行こうかねぇ。

おまえさんの「結婚」コラム、昨日の夜に読んで気付いたんだけど、コメント欄がないし、どうしたもんかねぇと思っていたんだよ。薩摩藩までお礼状でも持っていかなきゃならないかと・・・紹介してくれてありがとうよ。

なんでもその薩摩藩に帰るんだって?。
芋焼酎を飲みまくってぶっ倒れないようにおしよ。あたしゃ、芋焼酎より奄美の黒糖焼酎の方が好きだけどねぇ。

X

>かずやんさん

今、辛いかい?。
なんだか胸が痛くなったよ。

あたしはね、心が折れてエンジニアを辞めたんだ。いつかそのことも書く日がくるかもしれないけど・・・。
心が折れそうになると、回りが見えなくなる。誰かが手を差し伸べていても、それもわからなくなる。

でも、きっとひとりじゃない。ひとりじゃないよ。

X

>なりしさん

「そんなヒロシ」で高田みづえが出てくるなんて、おぬしもなかなかの年齢よのぅ(笑)。
あたしも、サザンオールスターズにするか、高田みづえにするか迷ったんだ。でもイマドキのエンジニア世代は、高田みづえなんて言っても、誰も知らないかと思ってねぇ。若島津のおかみさん・・・って言っても、わかんないかもしれないしねぇ。

いちかわ

はじめまして。
いつも楽しく読ませていただいています。
今回のは特に面白かったので、
仲良しの先輩と同期にもURLを送っておきました。
好評でした!

X

>いちかわさん

通りすがってくれてありがとよ。
”老婆もおだてりゃ木に登る”ってなもんさ。仲良しさんたちにもよろしく伝えておくれよ。

mmsaru

このテの人間はどこにでもいるからねぇ。
彼らを巧く使うのも腕の見せ所ではあるのは分かってるつもりなんだけど・・
リスク高いけど、自走させる環境を設け背水の陣を取らせるのもアリかもしれないですね。
本人のためにも。

おや、マリアージュかい。
いや、もう一杯ワインを頼むよ。
安物の渋苦いやつでいいからさ。

X

>mmsaruさん

そんなヒロシをどうやったらうまく使えたのか、今でもわからないねぇ。あたしゃダメなプロジェクトリーダーだったのさ。

おまえさん、ワインがお好きかい?。真冬にこっくりとした赤ワイン、いいよねぇ。あたしゃ真冬に赤ワインが飲みたくなると、ラ・キュベ・ミティークを買いにいくんだ。デパ地下で1700円くらいさ。このワイン、2004年赤のヴィンテージは出来が悪かったら出荷しなかったらしいんだ。お高くとまってるワインでもないのに、気骨があるよねぇ。

mmsaru

私もそうなんですよ。反省点は見えるのですが、解決策が見つからない。
結局うまく使えなく、回避させたところを自分でやってしまう。
任せきれない自分の甘さ、いや、弱さが上の文章になってしまいました。
人それぞれユニークだから、各人に適したやり方で舵取るには結局は経験論なのかな。
永遠のテーマにはしたくないのだけど。

ラ・キュベ・ミティーク・・・ありがとう、試してみるよ。
私かぃ?親父の代から赤玉パンチ。
こぃつは、骨太のイメージがありながら悲しいほど甘いんだ。
今夜のBGMは安全地帯で頼むよ。

X

>mmsaruさん

そうなんだよ。小言言ってヤな気分になるよりは、自分でやっちまった方が早いわ・・・なんて、結局自分がおっかぶっちまうんだよねぇ。何の解決にもならないから、よくないんだけどねぇ。

ラ・キュベ・ミティークはこれさ。
http://www.sapporobeer.jp/wine/brand/mythique/index.html

赤玉パンチ・・・懐かしいねぇ。あたしがはじめて飲んだアルコールも、それだった気がするよ。

安全地帯・・・「悲しみにさよなら」が大好きだったねぇ。「ワインレッドの心」を佐藤竹善がカバーしてるのもなかなか素敵だよ。

組長

URLありがとうございます。家の近所にお店がありました!しかも、知らずに今までお茶したりしてる素敵なお店でした。笑 今度は茶葉を買いに行きます。ついでに赤ワインも。

私もこのコラムのファンなんで次回以降も楽しみにしています。

X

>組長さん

おや、あんた、お酒もいける口かい?。
じゃあ、赤ワインにあわせて、イランのイチジクでも準備しとこうかねぇ。ドライフルーツが苦手だったら、クラッカーにブルーチーズでもいいねぇ。

また通りかかったら、お茶飲みにお寄りよ。

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