私が人見知りをしなくなったわけ(5)
皆さま、大変ご無沙汰をしております。
気が付けば、前回の投稿から2年半以上の月日が経過していました。しかも、記事は書きかけ……。大変失礼いたしました。
さて、前回の記事の続きを書こうとしたのですが……、残念ながら、どうまとめようとしていたのか、さっぱり思い出すことができません(^^;
そんなわけで、今私が思うこと「子どものころに人見知りであった私が、なぜ、今はそうでなくなったのか?」を、書いてみようと思います。
●考え過ぎ
考えること、私は子どものころから頭の中でシミュレーションすることが好きなほうでした。もちろん、それが仕事の中で役立つこともあります。ただ、人間関係に限ってはあまり役立たなかったように思います。
相手は人間。私の思う通りに考えてはいないし、行動もしない。それなのに、どうしても考えてしまうのです。そして、考え過ぎて身動きがとれなくなります。そんなことを繰り返していました。
余談ですが、以前よりは考え過ぎなくなったと自分で思っていたのですが、つい最近、ある方に「あなたは考え過ぎ」と言われてしまいました(^^;;
まだまだ改善の余地があるようです(笑)
●他人の目が気になる
さらに…… 以前の私は自分に自信がなく、他の人からどう見られるかをとても気にしていました。
「他人からよく見られたい」「できると思われたい」…… そういった気持ちが強かったのです。
「負けず嫌い」といえば聞こえが良いですが、私の場合は、人に弱みを見せることが怖かったのです。もちろん、今でも気にはなりますし、そういった気持ちはあります。ただ、以前と違う点は、人を観察するようになったことです。
「この人は、どういう人なのだろう?」
「この人は、今どういう気持ちでいるのだろう?」
「この人は……」
不思議なことに、そういう癖がついていくことで他人の目があまり気にならなくなってきました。
「他人→自分」から「自分→他人」へと視点が変わったこと。これが、1つのポイントだったのではないかと思います。
●さまざまな見方
例えば、職場にAさんという人がいるとします。事務の女性から見たAさんは、大雑把な人。部下から見たAさんは、細かく仕事に口を出してくる人。お客さんから見たAさんは、仕事が早く頼りになる人。家族から見たAさん、友だちから見たAさん……。きっと人の数だけAさんを表現する言葉が出てくるのだと思います。
私自身もそうなのだと思います。知り合いの数だけさまざまな見方があって、でも、それをすべて気にしていたら、疲れちゃいますよね(^^;
「他人→自分」の意識でいたときは、それをすべてというほど気にしていました。今は、「自分→他人」と意識が変わったことで、それを楽しめるようになったように思います。
そうなってからは、人と出会うことは怖いことではなく、楽しいことになりました。また、新しい自分に気付くことができるかもしれないのですから(^-^*
数カ月ほど前に、知人の知人経由でヨットに乗せていただく機会がありました。人生初のヨット、もちろんお願いして乗せてもらいました。
それを実家で話したときの母の言葉は忘れられません。――「あなたは、誰にでもついて行くんだから……」
…… さすがに誰にでもはついていきません。ただ、それくらいに人と出会うこと、知り合うことに抵抗がなくなったのだと思います。いまだに失敗もすれば、苦手だなぁと感じる人もいます。完璧にはできないけれど、人間だからそれもよし。
そんな自分が意外と好きだったりします。
いろいろと、書きたいことがあります。また、コミュニケーションについてみなさんと一緒に考えていけたらなと思います。
不定期にはなりますが、マイペースで書き続けていきますので、皆さま、改めてどうぞ宜しくお願いします!