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トラブルがあるから面白い?!

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 「3時間も足止めをくらっちゃったよ」

 この秋の台風でそんな経験をした人も多かったことだろう。

■台風が日常を変える

 「横浜駅で3時間も足止めをくらっちゃったよ」 と嘆いてる人がいた。でもなぜか、なんとなく楽しそうにも聞こえる。サラリーマンは毎日毎日同じルートで出勤。単調でいつも変わらない。電車が止まったときに初めていつもと違う別の手段を探す。

 台風で、浸水したり物が壊れたなどの被害を被った人は気の毒だ。だが通勤が遅れただけの人にとっては、通勤の困難さがマンネリ化した単調な毎日に刺激を与えてくれて実はよかったのかもしれない。

■もしも平和すぎたら

 もし仮に、台風などの自然災害がなく、交通手段が止まることがなかったら。そして誰もが仕事が順調でトラブることがなかったらどうだろうか? 平和で幸せに暮らせるのだろうか?

 朝起きて、電車に乗っていつもの時間に会社に着く。仕事も順調で、合間にエンジニアライフを読みながらでも無事に終わる。いつもの時間に退社する。帰宅すると食事をして風呂に入って、テレビを見てくつろぐ。いつもの時間に寝る。これがずーっと 何十年も毎日続く。

 楽しいだろうか? なんだかヤマのない小説やドラマのようだ。オチのないコラムのようだ。退屈な人生だ。

 人生というものは、トラブルが起こって、それを切り抜けるために頭を使う。それによって賢くなり進歩する。ゲームで障害をクリアすると経験値が上がるように。だから、もしも世界が平和すぎるようになったら、人間に刺激を与えるために政府がわざと災害を起こす対策室を作ることになるかもしれない。

■平和すぎるプロジェクトよりも

 もしも開発プロジェクトが、障害ゼロ、休日出勤ゼロ、バグゼロ、うつ病ゼロで毎回平和に終わったらどうだろうか。そんなプロジェクトはうらやましいと思う。だけどそれがずっと続いたら?  なんか物足りないと思う読者が多いのではないだろうか。そして、あえて難しい手法でシステムを作ってみたりする。このサイトの読者ならやりそうだ。

 そう思うと、困難なプロジェクトでもいい面もあるように思えてくる。難易度の高いゲームだと思って楽しんでみるか。どうせ難易度の高いことをやるのなら、そんな気持ちで取り組んでみてはどうだろうか。

 そういえば、「難易度高い仕事にワクワクできない」なんてコラムに書いているヤツもいたなあ。誰だっけ?

 abekkanでした(^_^;)。

 「聖女で悪女の弁護-難易度高い仕事にワクワクできるか」

Comment(4)

コメント

仲澤@失業者

私事ですが。
 1.父が入院して重傷&手術
 2.ばあさんが他界
 3.かみさんが入院&手術。紙一重で存命
を非常に短い期間で経験しました。
この時期、プロジェクトはカキョーで納期直前、
それに釣りの取材がバッティング、
かつ、本人は風邪でダウン寸前でした。

まあ、なんとかなるもんです(笑)。

abekkan

>仲澤@失業者さん

うわあ、それは大変でしたね。ご愁傷さまです。
仲澤さんもお体には気をつけてくださいね!

Jitta

> もしも世界が平和すぎるようになったら、人間に刺激を与えるために政府がわざと災害を起こす対策室を作ることになるかもしれない。

 本気でこんなこと思っているんですか?
 私は、強い揺れで目が覚めたら、周りの家が屋根だけになっていたということを経験しています。当時の職場の向かいには病院がありましたが、その病院も、2階以上だけが残っていました。裏には看護士の寮があり、看護士の皆さんが入院患者を隣にあった日産のショールームへ運び出していました。風が吹き込むので、夕方に道路の向かいにあった私の職場の方へ運び出す手伝いをしました。しかし、数人の方は、そこに残したままでした。夜、近所の方が「父を連れて帰ってきたので、3~4人手伝っていただけませんか」と、お願いに来ました。
 本気でこんなこと思っているんですか?いや、ふざけてなら、余計に腹立たしいですが。
 自分が、そういう経験をしていないから、そういうことが言えるんでしょ。すでに平和ぼけも良いところです。地震、津波、大雨、土砂災害、みんな同じ日本で起きているんですけどね。


> 人生というものは、トラブルが起こって、それを切り抜けるために頭を使う。それによって賢くなり進歩する。

 PTSD という言葉を調べてみると良いと思います。

abekkan

> Jittaさん

気分を悪くさせてしまってごめんなさい。

> もしも世界が平和すぎるようになったら、
→これはありえないと思っています。

自己の利益のために戦争を起こそうとする人もいたりしますから、(政府はともかく)災害をわざと起こそうという人も現れかねない、という気持ちで書きました。

平和ボケと言われてしまうと反論はできません。
私は子どものころ友達が殺害されるという体験はありましたが、幸いトラウマにはならなかったので。

ただ、災いが起きて自分が急に死ぬことになっても、運命だから仕方がないとは思っています。平和に健康に暮らしたところで何百年も生きるわけではないし、寿命が予想よりも何割か減るだけだと自分では思っています。

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