ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (25) 遅延と噴出

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 2020 年8 月。
 「田代さーん」リオが明るい声で手を挙げた。「ちょっと教えてほしいんですけどお」
 「わかった」田代は頷いて、コーディング中のソースを保存し、外していたマスクを着けた。「どれ?」
 リオは弾むような足取りで田代のデスクにやってきた。迫田と滝沢が暗い視線を向けてきたが、リオは意に介さず、かがみ込むように裏紙に書いたメモを見せた。
 「このクラスなんですけど」
 「取引先ステータス変更画面か」田代は該当のソースを開いた。「どこがわからない?」
 努めて事務的な態度で応じたが、リオは「ちょっといいですか」と言いながら手を伸ばし、ソースをスクロールした。今日のコーデはノースリーブのニットとオフィスの冷房対策の薄いカーディガンで、健康的な白い腕が眩しい。デスクは全てアクリル板のパーティションで仕切られているので、リオとの距離はかなり近くなっている。
 「このisExpired() メソッドなんですけど」リオはマウスを握ると、ソースの一部を反転させた。「ここらへんで引数のチェックしてますよね。ここがif(pLimit <= 10) で10 以下が対象です。なのに、次は else if(pLimit >= 10 && pLimit <= 20) { で10 から20 が対象になってます。ちょっと変じゃないですか。10 だった場合、最初のif でヒットしちゃいますよね}
 田代はif とelse の階層を追った。
 「おお。確かにそうだな。仕様書はどうなってた?」
 「確認したんですが、そもそもここの10 とか20 ってパラメータテーブルの値を使うことになってるんですよ」
 「うーん。どっかのバカが......」
 「手を抜いた」リオはにっこり笑った。「ですよね」
 「そういうことだね。グルーに確認するよ。ありがとう。よく気付いたね」
 「やった」リオは小さくガッツポーズを作った。「ほめられちった」
 「この調子でがんばれ」
 「ほーい」
 意気揚々と自席に戻っていくリオに、田代は思わず苦笑したが、ふと顔を上げると迫田と滝沢がさっと視線を逸らすのが目に入った。最初の頃は気になったが、今ではすっかり慣れてしまった。
 慣れることがないのは、雨宮が発する雰囲気だった。リオが田代に質問すると、あからさまにモニタに集中している。そのくせ、田代とリオの会話や行動に、明らかに注意を払っていた。観察している、と言ってもいい。何かリアクションを起こすわけではないのだが、それがかえって田代のカンに触る。
 まあいい。田代はマスクを外すと、自分のソースに戻った。雨宮に何かできるわけではないのだ。
 ミノカモ精機プロジェクトは、10 月1 日の本番稼働に向けてヤマ場を迎えていた。8 月からはエースシステム東海とグルーを中心に、総合テストが開始されているが、まだ全ての実装が完了しているわけではない。ジェイビーも他のベンダーも、残作業を急ピッチで進め、同時に総合テストで発覚した不具合や仕様漏れの対応も並行していた。
 そんな中でリオの成長は著しかった。今では誰かの補助ではなく、ましてや雑用担当ではない。田代も一人の貴重な戦力として計算に入れるようになっている。
 ただ、リオのスキルの向上に反比例して、迫田と滝沢の口数は減っていった。その理由は明らかだった。田代がチームリーダーの権限を利用して「リオを独り占め」している、と考えているのだ。二人には経緯と理由を説明してあるが、もはや理屈ではなく、感情の部分でそう思い込んでしまっているようだ。
 こういうときに「飲みニケーション」は有効な手段だったんだがな、と田代は何度となく残念に思った。迫田も滝沢もアルコールは好きな方で、アルハラだなんだと言われる心配もなく、腹を割って話し合えたものだ。現在は飲み会どころか、業務であっても複数人数が同じ空間で顔を合わせることさえ躊躇われるし、場合によっては非難されることもある。つくづく嫌な時代になったものだ。
 幸い、迫田も滝沢も、ふてくされて仕事の手を抜くような人間ではなかった。それに二人もリオが戦力になっていること自体は認めているし、恩恵を受けてもいる。とにかくミノカモ精機のプロジェクトが無事に完了すれば、全て丸く収まるし、リオの質問窓口を田代に限定したことが利己的な理由からではないことも理解してくれるはずだ。
 西久保がランチから戻ってきた。走ってきたらしく、顔全体に汗が浮かんでいる。
 「すいません、遅れました」
 田代は頷いただけだったが、迫田が「あれ」と声を上げた。
 「西久保、マスクどうした?」
 西久保はバツの悪そうな顔になった。
 「あ、すいません。昨日、切らしてしまって。まだ買いに行けてないんです」
 「おいおい、もうマスク不足は解消されてるだろ。お前んちの近くは違うのか」
 「昨日も終電だったんで......」
 リオが雑用係から昇格したことで、手間のかかるテストデータ入力や、人力での読み合わせなどには、西久保が駆り出されるようになっていた。ちょっと負荷をかけすぎたか、と田代は反省した。
 「西久保くん、ほら」田代は未開封の7 枚入り不織布マスクをカバンから出して、西久保に渡した。「これ使え。いや、いいよ、全部やる」
 「え、いいんですか」
 「それは予備でカバンに入れてただけだからな。俺は政府から配付されたアレがある」
 「おつかれ」福島が入ってきた。「田代さん、行けるか」
 田代は頷いて、PC をシャットダウンした。午後から、福島とグルーへ外出の予定が入っていた。
 「じゃ行こうか」福島は踵を返しかけたが、田代の顔に目を留めた。「あれ、マスクは」
 「おっと、すいません」田代はカバンから布マスクを出した。「こう暑いとイヤになりますね」
 「そのマスク、田代さんには小さくない?」
 「すいませんね、顔がでかくて」
 「あ、田代さーん」リオが呼び止めた。「戻りは何時頃ですか?」
 「19 時ぐらいの予定だけど、例によって長引くと思うよ」
 これから出席するのは、エースシステムとグルー、各ベンダーの代表者が集まっての進捗報告会議だ。エースシステムの担当者は、スケジュールが遅れ気味なことを神経質なまでに気にしていて、各ベンダーに対して、なぜオンスケではないのか、どうしたらオンスケにできるのか、できないとしたらその理由は何なのか、といった内容を事細かに追求してくる。全ての責をベンダーに押しつけようとする態度があからさますぎて吐き気がするほどだし、そもそも電子ファイルでやりとりすればすむ内容を、わざわざ集合して口頭で報告させる形式がムダでしかない。回答がその場で得られないと、自社に電話させてでも納得いく答えを求めるので、場合によってはかなり時間を費やすことになる。90 分の予定が、4 時間を過ぎたこともあった。
 「まだ聞きたいことあるんで待ってまーす」
 田代は、迫田か滝沢に訊くように指示しようとしたが、二人の顔を見て思い直した。どちらかを指名すると、また余計な争いが発生することになる。
 「わかった。なるはやで戻るから」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌週、田代はいつになく苛々していた。
 いくつかの不幸な偶然が重なった結果、ジェイビーの担当分の進捗が、先週の会議で田代が確約した期日を大幅に超過することが、ほぼ確実になってしまった。その件で、エースシステム東海の担当者が、グルーを飛び越えて直接連絡してきて、2 時間弱にわたって田代を電話口に拘束したのだ。
 その直後、今度は福島と塚本部長に会議室に呼び出された。状況報告と対策検討という名目だったが、二人の思考回路がエースシステムの担当者と同レベルであることは明らかだった。二人の様々な発言はつまるところ「田代が間に合うと確約した、我々はそれを信じた、言い訳は聞きたくない」と要約できたのだ。
 ようやく解放された田代は、全身を包む疲労感に押しつぶされそうになりながら自席に戻った。両肩に100 kg のバーベルでも乗せているかのように首筋が痛む。ここ数日、何とか遅れを取り戻そうと自分の担当タスクに加えて、西久保やリオのサポートをしていて、終電ギリギリで帰宅し、始発に近い電車で出社する、という生活が続いている。睡眠不足からくる頭痛のため、ロキソニンが手放せない。
 この数時間を有効に使用できていれば、コードが何ステップ書けたことか。そんなことを考えながら、どっかと腰を下ろした田代に、隣の席の雨宮が話しかけてきた。
 「田代さん、少しお時間いただけますか」
 「ええ?」声がトゲだらけになりそうで、田代は何とか声を抑えた。「何ですか」
 「PMO としてスケジュールの遅れについて、いくつか助言ができればと思いまして」
 その言葉を聞いた途端、田代の苛立ちは限界を越えて噴出した。
 「助言? そりゃいったい何の冗談ですか」もはや田代は感情をコントロールしようとしなかった。「今の遅れは、純粋に実装上の問題です。コーディングが遅れている。それだけです。コーディングってものはよく遅れるものだし、それをどうこうするなんてことはできやしませんぜ。一体全体、どんな助言をいただけるってんですか」
 「それはまあ」雨宮は鼻白みながらも、引こうとしなかった。「スケジューリング手法とか、人員配置の適正化とか......」
 田代は笑った。
 「そんなもんで実装が進んだら、誰も苦労しやしませんがな。だいたい、あなたね、Java のコードを1 行でも書いたことあるんですか。ないですよね。プログラミングの経験ない人が、どうやってプログラミングの遅れに対して助言できるんですか。自分で自分が言ってることがおかしいってわからないんですかね」
 メンバーたちは呆気にとられた顔で、爆発した田代を注視していた。雨宮は顔を強張らせ、マスクのせいでくぐもった声で言った。
 「私は別の視点で問題解決のヒントになるかもしれない、と言いたいだけです。私がここに来てるのは、PMO としてプロジェクト遂行上の問題を解決するためですから」
 「問題解決! へー、そうなんですか。それじゃあお伺いしますが、これまでどんな問題を解決していただけたってんですかね。私の記憶には全く残っていないんですよ。実装のクオリティを下げるような提案なら、たくさん憶えてますがね。なあ、そうじゃないか?」
 最後の言葉は迫田に向けられていた。迫田はうろたえたように左右を見回してから「私にはちょっと......」などとモゴモゴ言って、モニタに隠れるように顔を伏せた。
 「発言には気を付けてください」雨宮が言った。「繰り返しますが私はPMO としてここにいるんです。田代さんは私の言葉に耳を傾ける義務があります」
 「そんなものあるわけないでしょう。私の義務は、遅れているスケジュールを少しでも取り戻すことです。あなたとムダ話をすることじゃあない。お願いですから黙って座っていてくださいよ」
 「私の役割は......」
 「役割?」田代は嘲笑した。「あのねえ、雨宮さん。あなた、ご自分が厄介払いでうちに押しつけられたってこと、わかってるんですか。あなたが期待されている役割は、黙って座ってることだけです。愚にもつかない提案とやらで、実装の邪魔をするんじゃなくてね。楽でいいじゃないですか、座ってるだけで給料もらえるんだから」
 雨宮が燃えるような目で睨んだが、田代は少しも気にしなかった。ぶり返してきた頭痛を抑えるために、引き出しからロキソニンの箱を出した。白い錠剤を手の平に出したとき、リオがおそるおそる立ち上がった。
 「あのー、田代さん、ちょっと質問してもいいですか」
 「木内さんさあ」田代は残っていたコーヒーでロキソニンを流し込んだ。「そろそろ独り立ちしてくれないかなあ。ちょっと可愛いからって、男が何でもはいはい言うこと聞くと思ったら大間違いってもんだよ。何でも他人に頼って、社会人として恥ずかしいと思わない? 少しは自己完結能力ってものを磨こうぜ。俺、言わなかったっけ? まず調べて、それでもわからなかったら訊けって。最近、調べもしないで訊いてばっかりじゃんか。だから女って使えねえって言われるんだよ。わかってるのか、あ?」
 リオは小声で「すみません」と答えて座り込んだ。それを見た田代は、さらに苛立ちがつのるを感じた。
 「あー、くそ」田代は立ち上がった。「頭痛え。今日はもう帰らせてもらうわ。お前ら、後は好きにやってろ。そこのPMO さんにでも指示してもらえ。何しろ、天下のエースシステム様だからな。俺らよりたくさん給料もらってる。給料分の仕事をしてもらおうじゃないか。いいですよね。雨宮様。あんたの助言とやらで、明日になったら、パッとオンスケに戻してみてくださいよ。あー、楽しみだ。じゃ、失礼」
 言い捨てると田代はカバンを掴んでデスクを離れた。迫田と東浦が何か言ったが、すでに耳に入っていなかった。

 その夜、田代は発熱した。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(12)

コメント

匿名D

お楽しみを取り上げられた二人にかぶりつかれて、
田代氏が血祭りにあげられるのを期待していたが、それはスルーか。
って、田代氏が壊れてんのかよ。
飲みニケーションが封じられているのは痛手だったが、
一人で何でもかんでも背負い込んじゃダメだよね。

じぇいく

あ~、田代さんやっちまったなー。
睡眠不足と不合理な詰問は人格を壊すよね。
田代さんも背負いすぎだけど、福島、塚本両氏が悪いよなあ。
現場の味方になって支援が出来ない上位マネジメントには存在価値が無いよね。

さかなでこ

「ほーい」「~ちった」
則巻博士の妹さんですかね?
木内さん、実は40代とか・・・
若作りなんですかね・・・

匿名

ここでコロナ発症しての流れかな

匿名

雨宮がいなければ木内は雑用要因のままで、今以上にスケジュール遅れてたでしょうね。

匿名

ただの自爆やんけ

背中

強いて言うならクソフェミ案件な気がするけど、女性プログラマを信頼しない理由付けにするにはあまりにも独りよがりだよね。

ななし~

じぇいくさん

> 田代さんも背負いすぎだけど、福島、塚本両氏が悪いよなあ。
> 現場の味方になって支援が出来ない上位マネジメントには存在価値が無いよね。

いやホント、それこそ悪質な搾取者ですよね~。

匿名

田代氏、体育会系脳筋ゴリラムーブでやってきたタイプの人なんかな?
色々無理して抱え込んでしまうんだけど、許容限界を突破するとびっくりするほど幼稚なキレ方を晒してしまうところ、「あぁ、こんな人いたなぁ」というお気持ちがが

匿名

雨宮サンが木内チャンに入れ知恵して、
田代氏をどうにかしようとした、に1ペリカ。

やわなエンジニア

熱を出した田代さん一人で済むのか、チームまるごと感染して壊滅なのか……いずれにしても、あれだけ言ってしまったら、田代さんが休んでいる間に現場の雰囲気が変わってそうです

匿名

あ、2020年だと濃厚接触者も出勤停止だった時代か…
全員アウトかもですな…

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