ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (終) エピローグとプロローグ

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◆アリマツ通信 2023.5.9
 コロナ5 類移行
 昨日よりコロナが5 類移行となりました。すでに通知されているように、社内でのマスク・フェイスシールド着用義務が解除されます(来客応対時を除く)。初めて同僚の顔を見た、という方も多いのではないでしょうか。
 いくつかのCC を取材させてもらったのですが、受電・発信業務にあたるOP さんたちの顔も心なしか明るく見えました。フェイスシールドを気にせず対応ができるのは嬉しい、という声も聞こえてきました。ニューノーマルなどと言われていても、やはりアブノーマルな月日だったんだな、と痛感させられますね。
 さて、隔週でお届けしている社員インタビュー、今回は、最近の活躍めざましいDX 推進室RM ユニットの朝比奈さんにお話をうかがう予定です。アリマツは女性社員の数が多い会社ですが、朝比奈さんはユニットリーダーとして開発チームを指揮している希有な存在でもあります。仕事のこと、プライベートのこと、根掘り葉掘り聞き出すつもりです。もしかしたら恋バナなんか聞けたりするかもしれませんね(朝比奈さん、よろしく!)。お楽しみに。

 文 総務課 土井

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

――本日はお忙しいところありがとうございます。

 よろしくお願いします

――早速ですが、現在のRM ユニットの活動内容を簡単に教えてください。

 スポット案件や小規模CC 用のCRM システムRMS による業務対応が主な業務です。

――昨年度からすでにいくつかのCC で使用されていますね。改めてRMS の特徴を教えていただけますか。NARICS の違いなども。

 一番大きな違いは、RMS はマルチテナント型を採用しなかったことです。NARICS は一つのシステムに、それぞれのCC 用のロジックを付け加えていくことで拡張しています。RMS はベースとなる基本システムはあるのですが、毎回、それをコピーして各CC 用に特化したアプリケーションを作っているんです。
 開発言語もNARICS と同じJava 版とPython 版の2 種類があります。Java 版があるのは、NARICS のロジックの一部を流用しやすくするためです。フレームワークはSpringBoot を採用していますが、ビジネスロジックは少しの手直しで使えることが多いので。

――確か、NARICS はSeasar2 というフレームワークを使っているんですよね。同じJava なのに違うフレームワークを採用したのはなぜでしょう?

 流行りのワードで言うなら、サステナブルな社内システム構築を考慮してのことです。Seasar2 はとてもいいフレームワークですが、すでにEOL になっていて、今後、メンテナンスされることはありません。将来的に新しいプログラマを追加したとして、古いフレームワークを勉強してもらうのは、ちょっと気の毒ですし、スキルが限定されてしまうことにもなります。

――将来的なことまで考えていらっしゃるんですね。その他、RMS のメリットはなんですか

 アプリケーションがミニマムサイズなため、必要なリソースが最小限で済むということがあります。NARICS は専用の高性能Linux サーバに載っていますが、RMS はマシンパワーが数世代前のサーバでも十分動かすことができます。それどころか、デスクトップPC でも動くぐらいです。実際、あるCC では廃棄される予定だったノートPC にLinux をインストールし、そこでRMS が稼働しています。
 また構築の面でも、他CC のロジックに影響されないため、かなり大胆に独自ロジックを組むことができます。

――先ほどのお話だと、CC 毎に特化したアプリを作っているということですが、RMS はいくつも子供が存在するということになるんですか?

 子供というよりクローンと言った方が適切かもしれません。クローンとなったアプリケーションは、それぞれ独立した人生を歩んでいくことになります。

――そうすると、先ほど仰ったベースとなる基本システムで、何か変更が入った場合、クローンのアプリにはどうやって反映するんでしょうか。

 それが悩ましいところなんですが、基本システムはインターフェ―スと具象クラスの組み合わせにしてあるので、大抵の場合、具象クラスを差し替えれば済むようにはなっています。ただ、どうしてもインターフェースレベルで変更が発生することはあるので、その場合は、慎重にテストをしながら変更をクローンに適用していきます。ソース管理システムのGit を駆使して、デグレしないように注意しています。

――CC での評判もなかなかいいようですね。ただ、一部のCC からは批判もあるようですが。

 実はRMS は完全版を提供しているわけではないんです。

――え、どういうことですか?

 アプリケーションは正常に動いてあたりまえ、というのがエンドユーザの通常の認識ですね。でもRMS は立ち上げや仕様変更、機能追加を迅速に適用することを優先していて、ある程度の不具合やバグは覚悟しておいてください、とあらかじめSV さんにお願いをしているんです。その代わり、CC からの要望は、細かいものであっても、ほぼ全て受け付けるようにしています。バグが出たら、ごめんなさい、と謝って、なるはやで修正版をリリースするようにしています。
 たとえば客先に納入するようなシステムとか、ネットで販売するようなアプリケーションだと、あらゆるエラーを想定し、エラーコードとメッセージを定義し、マニュアルも完備しなければなりません。RMS には、そんな概念は皆無で、ときにはJava の例外情報がずらずらっとブラウザ上に表示されたりもします。開き直って言うなら、社内システムということに甘えているわけです。

――面白い運用ですね。

 最初は戸惑いや反発もあったんですが、今では、SV さん、OP さんも、不具合を見つけるのを楽しんでいるようなふしがあります。一種のゲームと言うと語弊があるんですが。それに、一つのCC からのフィードバックは、別のCC 用のクローンにも活かせることが多いんです。開発メンバーも現場からアイデアをもらい、現場は次々に新しい機能を試すことができる。そういうバーター体制で進めています。

――楽しそうですね

 あと大切にしているのが、捨てることを恐れない、ということです。

――捨てるですか

 自分が苦労して作ったものが使われなかったり、捨てられたりするのは誰でもイヤなものですよね。RM ユニットでは、素早いリリースをモットーにしています。中には現場でのコンセンサスが不完全なまま作成して、検討した結果、最終的には使われない、ということもままあります。それを否定的に取るのではなく、いつかどこかで活かせればいい、ぐらいの気持ちで切り替えるようにしています。

――いろいろな工夫や苦労があるんですね。来月には社外でも使われると営業から話を聞きました。

 あるCC でRMS を使っている様子を、たまたま来ていたクライアント担当者が目にして、機能の一部、主に、レポーティングですが、自社でも使いたいという話をいただきました。それを聞いた横浜セールス課がすっかり乗り気になってしまって。Web アプリケーションそのままの形では難しいので、Python のスタンドアローンアプリケーションに切り出して提供することに決まりました。セールス課では、月額使用料を取ろう、とか言ってきましたが、そこは断固として拒否し、数万円で販売で決着しました(笑)。

――DX 推進室での利益計上、ということで話題になりました。同様の販売予定が何件かあるとか。

 セールス課が担当クライアントに話を持っていった結果、そういう話になりました。7 月までに3 社に販売予定です。

――見事な成果ですね。

 これはCC のSV さんが長年蓄積してきたノウハウを、見える形に変換しただけのことです。暗黙知を形式知化しただけなので、本当の功績はSV さんたちにあるんですよ。
 このことをキッカケに、現在、各CC のSV さんにヒアリングを進めています。CC 内にとどまっている知識や経験を、広く共有できれば全社的な資産になります。

――素晴らしい考えだと思います。総務でも協力できることがあればいつでも声をかけていただければ、と思います。
次にメンバーについて教えてください。現在、朝比奈さん以外の主要開発メンバーは池松さんと山下さんです。山下さんは育休が明けた後は、主にリモートで開発に参加しているそうですね。

 はい。無理のない勤務時間で参加してもらっています。どうしても手が離せないときはあるので、メンバーでカバーしながら。

――これまでアリマツでは、育休制度はあっても、やはりキャリアが中断することや、復帰後の業務など、不安要素も多く、長期間の取得は躊躇してしまうのが実状だったと思います。その意味で山下さんは、ある種のモデルケースになったのではないでしょうか。

 プログラマという作業場所にそれほど限定されない職種だから、ということもあるのは否めませんが、実際に、そのような反響もいただいています。山下さんのところにも、具体的な手続きの方法などの問い合わせが届いているようです。アリマツは女性社員が多い会社なのに、制度は男性目線で作られていることがほとんどです。表立って問題にはなっていませんが、育休などとんでもない、取るなら今後のキャリアはないものと思え、という無言の圧力で、取得を断念した方もいらっしゃったのではないでしょうか。RM が一定の成果を上げ続けることで、そうした空気感に変化が生じることを期待しています。

――たぶん、それ、全女性社員が思っていても言えないことですよ。オフレコにしなくて大丈夫ですか(笑)。昇任に響いたりしませんか。

 この会社にそんな狭量な人はいないと信じていますから(笑)

――朝比奈さんが入社したとき、正直、おとなしそうな人だなと思っていたんですよ。その印象はガラッと覆されました。朝比奈さんの原動力はなんでしょう。

 美味しいものを食べることと、映画を観ることですかね(笑)。あ、これ、入社式のときにも言いましたね。

――(笑)。入社式といえば、すぐ後にちょっとした騒動ありましたね。あれで先行き不安になったりしませんでしたか。

 ならなかったというとウソになります。そうそう、その話が出たついでに一つ確認したかったことがあるんですよ。

――お、逆質問パターンですか。なんでしょう。

 あれ、あなたが仕組んだことですよね。

――......

 土井が手を伸ばしてIC レコーダーの録音を止めるのを、イズミは醒めた目で見ていた。
 「ここからはオフレコということですか」
 「私が何ですって?」土井は静かに訊いた。
 「だから2021 年4 月1 日に起こったちょっとした騒乱です。土井さんが仕組んだことでしょう?」
 「何を仰ってるんですか」
 土井は笑い声を上げたが、目は笑っていなかった。
 「オリクス社の営業担当でしたか。桑畑さんに言われて、土井さん、様子を見に行きましたね。そのとき、相手の人を刺激するような何かを言ったんじゃないかと考えているんですが。合ってますか?」
 「おかしな事を」土井は肩をすくめた。「何のために私がそんなことをしなきゃならないんですか」
 「宇都さんの評価を下げるためです」
 土井は反論しようとせず、ただイズミを凝視した。混乱と疑惑と、いくぶんかの恐怖がその双眸に浮かんでいる。
 「あのとき応対したのは吉村さんですね。彼に確認しました。何と言ったかは聞こえなかったそうですが、土井さんに話しかけられた後、急に激昂したと。吉村さんは単に気に触ったことを口にしたんだろう、ぐらいにしか思っていないようでしたが」
 「......」
 「当時から、宇都さんはアイカワ製作所以外のベンダーに対して、発注をチラつかせては、最終的に失注させる、ということを繰り返していたようですね。ちょっとした権力を楽しんでいたんですかね、知りませんが。でも問題になることはなかった。システム課の課長として正当な権限の範囲でしたし、理由は何とでもつけられる。システム畑ではない監査や経理の人が不審に思っても、知識がないので追及できない。電話やメールで対応していれば、他に知られることもない。でも人が乗り込んできて、什器の一部を壊したとなれば、さすがに問題になる。それを狙ったんですね。宇都さんがうまく誤魔化してしまったのか、結局、大きな問題にはならなかったようですが」
 「いいでしょう」土井は座り直した。「朝比奈さんのゲームに付き合うとしましょうか。どうして、私はそんなことをしたんでしょうね」
 「以前はOP だったそうですね。推測ですが、そのとき<コールくん>絡みで、宇都さんと何かあったんじゃないですか」
 「それを恨みに思っていたと」
 「というより、ああいう男性がCC にとって重要なシステムに対する決定権を持つ立場にいてはいけない、という義憤のようなものでしょう。違いますか?」
 土井は肯定しなかったが、目を見ていたイズミには、答えは明白だった。
 「話は変わりますが」イズミは笑顔を浮かべた。「さっき、少し言い忘れたことがありました。現在、DX の方で、NARICS のSpringBoot バージョン作成を進めています。RM もSpringBoot のノウハウを提供するなど全面協力します」
 「は?」土井は驚愕に目を見開いた。「協力?」
 「そうです。今後も互いに協力し合っていくことで合意しています。同じ会社の社員ですから」
 「ちょっと待ってよ」土井から敬語が消えた。「あんな男に協力するって本気で言ってるの? 何のためにRM ユニットを作ったのよ」
 「そもそもRM はQQS 案件対応のための臨時ユニットの予定でした」イズミは指摘した。「まあ、田代さんの女性プログラマに対する不信感から分離する意味合いもありましたけどね」
 「それよ、それ」土井は指を突きつけた。「そういう考えの男が重要なシステムの責任者って......」
 「前からちょっと違和感があったんですよね。アリマツ通信、DX とRM の対立を煽るような表現がたまにあります。最初はウケ狙いかとも思ってたんですが、そうじゃなくて、本当に煽ってるんだとしたら」
 「......」
 「それに池松さん」黙り込んだ土井に構わず、イズミは続けた。「いろいろ吹き込んでくれたみたいですね」
 「......RM のことを応援していたのに」
 「それは私が女性だからですか」
 「そうよ。そのためにあれこれ......」土井は口をつぐんだ。
 「あれこれ」イズミはため息をついた。「椋本副部長とのお付き合いもその一つですか」
 土井は真っ赤になり、次に、真っ青になった。
 「どうして......」
 「そういう関係って、誰にも知られてないと思ってるのは本人だけで、意外に周囲にはバレバレなんですよ。あの二人、いつも5 分ずらして退社してるよね、とか、有休同じ日じゃん、とか」
 「......」
 「不倫はよくないとか、そういうことを非難するつもりはありません。ただ、私や田代さんの環境に影響を及ぼすとなると話は別です。去年からDX の実績がパッとしないのを見ていて、土井さんも椋本さんも、密かにほくそ笑んだんでしょうね」
 QQS 案件が終了した後、田代はNARICS の改修に慎重になった。過剰なほどデバッグとテストを繰り返し、CC のSV、ユニット長にも長時間の実地テストを要求し、問題ないとの言質を取った後でなければリリースしようとしなかった。明らかに失敗を恐れ、椋本に非難する口実を与えまいとしていた。
 「ええ、そうよ」土井は開き直ったように笑みを浮かべた。「楽しかったなあ。ざまあって思ったわよ。反対にRM がどんどん実績を積み上げていったのも嬉しかった。これで私の理想の実現も現実味を帯びてきた。そう思ったものよ」
 「理想って何ですか」
 「女性が重要な部門のリーダーになることよ。女性活躍推進の名目だけのお飾りなんかじゃなく、誰もが認める実力でね」
 「それが私だったんですか?」
 「いえ」土井は鼻を鳴らした。「本当のところを教えてあげましょうか。朝比奈さんが採用されたのってね、田代さんに対する当て馬だったの。それ以上でも以下でもなかったのよ。正直、女性でありさえすれば誰でもよかった。元々、適当に椋本さんがかき回して、田代さんにプレッシャーを与える道具に過ぎなかったんだから」
 「そんなところじゃないかと思ってました」
 「元々はね、あのデブを何とかシステム課から放り出して、何年か後に、朝比奈さんをリーダーに据える予定だったのよ。それは別に実力も実績もなくたって構わない。その後に有能な女性を中途採用して置き換える計画だったんだから」
 でも、と土井は続けた。イズミが意外に――と土井は薄笑いを浮かべた――有能さを発揮していったことから、土井と椋本は計画を何ステップが省略可能であることに気付いた。
 「あ、朝比奈さんでいいじゃん、ってことになってね。RM のリーダーにしたのは、その前段階ってこと。いきなり平社員を課長にするわけにはいかないからね」
 「宇都さんは今でもシステム課の課長ですよ」
 「そうなのよね」土井は悔しそうに言った。「<コールくん>を手放せないCC がまだまだあるから。あんなクソシステム、さっさと捨てろよ、って思うんだけど。まあ、近いうちに椋本さんから<コールくん>を段階的に廃止していく、と発表する予定だったんだけど。前は業務が止まるのが怖くてできなかったんだけど、今なら、NARICS もRMS もあるからね」
 「簡単にはいかないと思いますが」
 「そう? 逆に朝比奈さんがRM に宇都さんを引っ張って来たとき、チャーンス、と思ったわよ。あのデブが、そんなの了承するわけないじゃん、ってね。ところが蓋を開けてみれば、意外や意外、しっかりRM になじんでるんだからね」
 「人は変わるんですよ。変わることができるんです。適当な環境とチャンスさえあれば。ドラコ・マルフォイみたいに」
 「ああいう人は変わらないと思ってた」土井はまた鼻を鳴らした。「絶対にね。一つ訊いていい?」
 イズミは小さく頷いて先を促した。
 「いつから私のことに気付いていたの?」
 「最初から」と笑いながらイズミは答えた。「と言いたいところですが、実は、去年のQQS 案件のときです。名古屋CC に来てましたよね。椋本さんと一緒に」
 「私、何かした? 椋本さんとは上司と部下として距離を保ってたつもりだったんだけど」
 「それは完璧でした。ただ、土井さんが雨宮さんと会ったとき、何か驚いたような顔をしたんですよ。ほんの一瞬でしたけど。私、人の表情を観察するのがクセみたいになってて。後からちょっと気になって。最後の日、アナログ方式でカード作るの手伝ってくれましたよね。あのとき私も参加したのを憶えてますか?」
 「隣の席に座ってた」
 「雑談で雨宮さんの話を出したのも憶えてますよね」
 「何となく」土井は天井を見つめた。「知ってる人か、と訊かれて、知らないって答えたんじゃなかったっけ。そう確かに雨宮さんのことは知ってた。あの人、その方面じゃちょっとした有名人だったから。どうしてそれがウソだってわかったのかしら」
 それを伝える気はなかった。土井も追及せず、別のことを訊いた。
 「で、どうするつもり?」
 「どうする、とは?」
 「私のこと。いえ、私と椋本さんのこと」
 「私が考えるに」イズミは答えた。「お二人とも退職届を書いてもらうのが一番穏やかで波風立たない方法ではないかと」
 「やっぱりそう来るか」土井は楽しそうに笑った。「イヤだと言ったら?」
 「私の報告書が桑畑さんに届くことになります」
 「事なかれ主義の桑畑さんが腰を上げるかなあ」
 「むしろ、理由をつけて懲戒免職にしてケリをつけそうな気がします。放置しておけば、後で自分が責任を問われることになりますから。前の会社にいるとき、研修で聞いたんですが、会社はその気になれば社員を辞めさせる理由なんかいくらでも持ってるんだとか」
 「依願退職で退職金をもらって円満に去るか、無一文で放り出されるかってことね」
 土井はそう言うと立ち上がった。
 「もう一個訊いてもいい?」
 「どうぞ」
 「朝比奈さん、なんでそんなに真剣なの?」心底不思議がっているような表情で土井は訊いた。「こんな手間かけてもかけなくても、正直、朝比奈さんにはあまり影響ないと思うんだけどさ。正義感みたいなもの? 不正は許せないとか」
 「いえ、もっと単純な理由です」
 「ぜひ聞かせて」
 「利己的な理由です。きわめて。就職とか転職って、エネルギー使うじゃないですか。私は他人とのコミュニケーションが得意ではないので、そういう活動はなるべくしたくないんです。なので、せっかく入社できた会社を簡単に辞めるとかしたくない。だから自分の居場所を快適な状態に保ちたかった。おかしな社内政治とは無縁の場所にしたかったんです」
 「......」
 「それこそ、土井さんが言ったように、実力だけが評価の唯一絶対の基準になるような場所。私の理想も実はそれなんです」
 土井は少しの間、イズミの言葉を噛みしめるように立ち尽くしていたが、やがて晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
 「実に実りの多いインタビューでした」深々と一礼する。「アリマツ通信を楽しみにしていてください。私の最後の仕事になるかもしれませんが」
 「いつも楽しみにしていたんですよ」イズミは心から言った。「読めなくなるのは本当に残念です」
 あはは、と笑って、土井は会議室を出て行った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 災害レベルの猛暑が連日のようにニュースで報じられる7 月の日曜日だった。
 「何も、こんな暑い日にやらなくてもなあ」田代がぼやいた。
 「この日を選んだわけじゃないんですから」イズミは答えた。「式の日取りを決めたのは何ヶ月も前でしょう」
 みなとみらいにある結婚式場のチャペルの前に、二人は立っていた。周囲にはアリマツの社員が、それぞれうちわや、ハンディクーラーを手に暑さをしのいでいる。
 「それにしても」田代は声を潜めた。「椋本さんが突然辞めたのには驚いたよな。先月、いきなりだもんな」
 「そうですよね」相沢が言った。「土井さんが辞めたと思ったら、続いてですもんね。びっくりです」
 「ここだけの話」池松ノリコが横から言った。「あの二人、ちょっとウワサあったんですよ。知ってました?」
 「さあ」イズミは微笑んだ。「そうなの?」
 「だから不倫が奥さんにバレたんじゃないかって......」
 「結婚式の日に、そういう話題はふさわしくないと思うけどな」
 「確かにそうですね」ノリコはペロリと舌を出した。「それにしても暑いですね。メイク崩れてませんか?」
 「大丈夫、いつも通り可愛いから」
 おごそかな鐘の音とともに、チャペルの大きなドアが開いた。一斉に歓声が上がる。現れたタキシードの吉村とウェディングドレスの野沢モエは、照りつける太陽光線などはじき返すような晴れやかな笑みを満面に浮かべていた。
 「あの二人が結婚っていうのも驚いたけどな」田代が言った。
 「モエさん、綺麗ですね」
 「全くだ。吉村にはもったいない」
 そう言ったのは宇都だった。滝のような汗を流しながらも、まるで花嫁の父親のように喜びと悲しみが複雑に絡み合った表情を見せている。
 「まあ、あいつらの仲を取り持ってやったのは私だからな。せいぜい感謝して、仕事で恩返ししてもらわないと」
 イズミは先日聞いた話を思い出して含み笑いした。異例とも言える20 日間の休暇を、新婚の二人が取ることを認めたのだ。その間、自分の業務量が激増することを承知の上で。
 フラワーシャワー、集合写真撮影の後、モエはチャペルの階段を数歩昇ると後ろを向いた。
 「みんな、行くよ!」
 ブーケが高々と宙に舞った。手を伸ばしながら、イズミは思った。人は変わる。何かのキッカケで。ほんの些細なことで。あの花束を手にして変わることもあるだろう。
 「取ったぞー!」
 勝ち取ったのは、モエの友人らしい女性だった。周囲の人たちが祝福の拍手を浴びせる。モエも階段を降りてきて、その女性と抱き合った。吉村は宇都と何か話している。宇都が太い声で何か言うと、吉村は照れくさそうに笑った。
 「知ってる?」田代がそれを見ながら言った。「あいつら、たまに飲みに行ってるらしいぞ。2 年前の吉村からは想像できないよな」
 イズミは頷いた。椋本が退職して以来、田代の表情は目に見えて明るくなり、発言にも行動にも、以前の大胆さが復活していた。
 「一緒に海に釣りに行かないかとか誘ってたんだよ。三浦海岸によく利用する釣り宿があるんだと。信じられるか。宇都と海。これぐらい似合わない組み合わせは考えつかないぐらいだよ」
 「それは言い過ぎ」
 「それでな。何を思ったのか、俺にも一緒に来ないかと言って来た。よかったら奥さんも連れてきてくれ、だとさ。どうするべきかな」
 真剣に悩んでいる様子の田代を見て、イズミは思わず声を上げて笑った。
 「一度ぐらい付き合ってあげればいいじゃないですか」
 「まあ、そうだよな」田代は諦めたように笑った。「一度ぐらいな。ってことで、朝比奈さんも一緒に来てね」
 「は?」
 「一度ぐらい付き合ってあげれば、と言っただろう。日が決まったら連絡するから」
 「......」イズミは仕方なく頷いた。「まあ、たまには海でおいしい魚を食べるのもいいかもしれませんね。久しぶりだし」
 「俺も海なんか久しく行ってないな」
 「天国で流行ってることを知ってますか?」
 「は?」田代はきょとんとイズミを見た。「天国って?」
 「今は海を話題にすることらしいですよ。壮大な美しさを語り合うんです」
 「ああ、映画?」
 イズミは笑って頷いた。海に行くのが楽しみになってきた。

(了)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 1 年近くの連載になりました。付き合っていただいたみなさんに感謝します。もう少しうまく材料を料理できれば、と反省することの多い話になってしまいました。
 コロナが5 類に移行し、国レベルの経済活動から、町レベルの行事まで、2019 年の状態に復帰したような感がありますね。とはいえ、新規感染者がゼロになったわけではなく、まだまだ完全に安心できる状態ではないのも確かなようです。

 文中で言及された映画を紹介しておきます。漏れてるのあったら指摘ください。

 

■危険な情事
主演のマイケル・ダグラスより、グレン・クローズの演技が絶賛された不倫もの

 

■テス
ナスターシャ・キンスキーの美しさが堪能できます

 

■レインメーカー
マット・デイモン主演の法廷映画。

「まず始めるんだ。問題を一つ解決したら次の問題に取り組む。そうして解決していけば帰れる」
■オデッセイ
マット・デイモン主演。原題は「The MARTIAN」で原作小説の邦題は「火星の人」。これをそのまま映画のタイトルにした方がよかったかも。

 

「敵を憎むな、判断が鈍る」
■ゴッドファーザー PartIII
あまりにも有名な三部作の最終章。現在では主演を努めているような俳優が、ちょい役で出てたりするので探してみるのも面白いかも。

 

「人は善行ではなく悪行で判断される」
■バクラウ 地図から消された村
ある村の長老の死とともに次々と起こる異常事態。結末はちょっと不満。なぜかAmazon で日本語版のブルーレイが出てきません。

 

「good job は英語で最も危険な2 語だ」
■セッション
一つの道を究めるにはここまでの狂喜が必要なのか。手の皮がむけるまでドラムを叩き続ける男たちのドラマ。

 

「ジェームズ・ボンドか、ジェイソン・ボーンか」
■キングスマン
ユーモア溢れるスパイ映画。師匠役のマイケル・ケインがかっこいい。「礼節が人を作る」

 

「タマネギと同じだ。一枚ずつむくんだよ」
■しあわせの隠れ場所
サンドラ・ブロックがアカデミー主演女優賞を受賞した実話に基づく物語。こういう人がいて、才能を見出された人がいるんだ、と暖かくなれます。

 

「真実を知るには代償がいる」
■サラの鍵
戦争中、収容所に送られる直前、少女サラは弟を納戸に隠して鍵をかけるが、すぐに戻ることはできず......。戦争というのは大小様々な悲劇を生むのです。

 

「君が僕を完全にする」
■ザ・エージェント
スポーツ・エージェントの表と裏を描いた映画。とにかく前向きなトムに拍手と声援を贈りたくなります。日本のドラマ「オールド・ルーキー」を見たとき、この映画を思い出しました。

 

「絶対、失敗しない計画は何だと思う?」
■パラサイト
作品賞、脚本賞などアカデミー4部門受賞の韓国映画。資産家家族にたくみに取り入り、入り込んでいく過程が楽しくもあり、悲しくもあります。

 

「仕事です。礼はいりません」「出世は男の本懐だ」
■シン・ゴジラ
庵野監督が「早くエヴァの最終章を作れ」と非難を浴びつつ、緻密なシナリオで圧倒的なリアリティ作り上げた新しいゴジラ映画。令和の時代に作るならこれだよな、と納得させられる一品で。

 

「不正義の平和だろうと、正義の戦争よりよほどマシだ」
■機動警察パトレイバー2 the Movie
パトレイバー劇場版第二弾。時代を先取りしたような対テロがテーマの映画。特車二課のメンバーの登場は少なめで、後藤さん、南雲さんが中心。

 

「天国で流行ってることを知ってるか?」
■ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
二人の男がある理由から海を目指すロードムービー。喜劇なのか悲劇なのか、その両方なのか。それは見る人が個々に判断すればいいこと。傑作です。「天国で流行ってることを? 今は海を話題にすることだ。壮大な美しさを語り合う。夕陽が海に溶け合う前に放つ血のように赤い光を語る。そして海によっていかに太陽がその力を失うかを語る。残るは心の中の炎だけ......」

 

 それでは、また、お会いしましょう。0

Comment(28)

コメント

匿名

連載お疲れ様でした!
今作は全然展開がよめなかったなあ・・こういうオチになるとは。

匿名

お疲れさまでした。
しばらく足が遠のいていましたが、また読み始めるようになった者です。

今作の主人公・朝比奈は「氷菓」の折木奉太郎のような立ち回りだったなと個人的に思っています。※あくまで個人の感想です。
表現が三人称だったことからも、朝比奈の心情や細かい行動を読ませないためだったのかも…と。邪推かもしれませんね。

これからも応援しています。

匿名

お見事。もう少しどんでんで引っ張るかと思いましたが、いい落ちです。黒幕のモチベーションがちょっとしょぼい気がしますが楽しめました。

しあわせの隠れ場所:ほぼ実話のいい映画ですよね。原題”Blind Side”の方がダブルミーンで好きなのですが。
映画の後、オアー引退後の訴訟沙汰がちょっと悲しい。
機動警察パトレイバー2 the Movie:30周年を迎えましたね。そろそろ見直そうかな。初見の時はすごく感動しました。

匿名

連載お疲れ様でした。

唐突な終わり…
月曜の楽しみが…

次回作気長に楽しみに待ってます。

匿名

お疲れ様でした

rins

お疲れ様でした。毎週楽しみに読ませていただきました。
次回作も楽しみに待っております。

> Seasar2 はとてもいいフレームワークですが、すでにEOF になっていて
EOFはEOL(End Of Life)ですね。

匿名

> 「ああいう人は変わらないと思ってた」土井はまた鼻を鳴らした。「絶対にね。一つ訊いていい?」
> 「いつから私のことに気付いていたの?」
> 「最初から」と笑いながらイズミは答えた。

「いつから…」は話し手がイズミに変わったとして読み始め、あれっとなりました。
意図的であればすみません。

リーベルG

rinsさん、ご指摘ありがとうございます。
「EOL」でした。


匿名さん、ご指摘ありがとうございます。
一行抜けてしまいました。

匿名D

偉い勇み足だったな・・・f(-.-;
冒頭のエントランスの件もまとめてしまうとは。
人は変わるというけれど、宇都氏がこれまでのことに口を拭って
イイオジサンやってるのはなんかなあ。
リアルは物語のように帳尻を合わせてはくれないけどさ。


勇み足ついでに。
イズミ女史はどちらかというとクリスマス・イブ案件のほうが相性が良さそうな気がする。

匿名

何を言ったら業者の営業担当がショーケース割るような事するんだろ

匿名

『しあわせの隠れ場所』スキャンダル サンドラ・ブロックが心痛
というニュースが今日
すごい偶然やな

匿名

宇都さん、最初は吐き気のするクソ野郎として華々しく登場したから「こいつが今回の敵役か」と思ってたらすぐにフェードアウトしていつの間にか普通に仕事に励むオジサンになってたのなんか色んな意味でホッとした

匿名

朝比奈さん強すぎる・・
もしこの人が居なかったら田代さん宇都さんは、100日後に退職する47歳さんのマンガみたいに会社を追われていただろうか。

匿名

ありがとうございました。
プラグラマのことは全くわかりませんが、いつも楽しく読ませていただいています。

もへじ

連載お疲れさまでした。毎週月曜の楽しみです!ひとまずゆっくり休まれてください。

匿名

今回も楽しく読ませていただきました。
RMの由来は明かされず、でしたね。
次回作心待ちにしています!

ななし~

約1年の連載、お疲れ様でした!
私もアリマツ通信を楽しみにしていたクチです(^^)
また次回作を楽しみにしています!

かえるSE

ほんっとに面白かったです
朝比奈さんが大好きです

予備役社内SE

朝比奈イズミさん…ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進協会…イニシアチブ…?

読書

土井さんが女性だったことに最終話で気づき、しっかり読んでなかったんだなと
おもいました。

匿名

約1年の連載お疲れさまでした。
今作も予想のつかない展開で、(おなかの痛くなりそうな展開もありつつ)楽しかったです。
沼田さんは誰だったのだろう。

次はクリスマスかしら。
イズミがあの世界線に呼び出されたりは…

匿名

結局タイトルのレインメーカーが意味するものは?
思わせぶりだったが回収されず、だったのかな。

匿名

連載おつかれさまでした。
次のが始まるまでの間、エアポケットになってしまいますね(悲
それはまた楽しみに取っておきます。

あとここまでに指摘がなかったので念のため。
文中の「追求」は「追及」のほうがしっくりくる気がします。

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。
「追及」ですね。

匿名

お疲れさまでした。
とても楽しんで読ませてもらいました。

匿名

連載お疲れ様でした
月イチぐらいにまとめ読みしていてなかなか長い連載だなあと思いつつ今後の展開を楽しみにしていたら急に終わっててビックリした
今回のはちょっと登場人物が多すぎて相関関係が把握しきれませんでした
SFとか探偵とか色々ありますが個人的にはやっぱりサードアイものが好きですね

匿名

映画の紹介のところを読んでいて
>ザ・エージェント
で止まる。
ジ・エージェントじゃないの?と思ったが、
「ザ・エージェント」が正式な邦題なんですね。
何かの伏線か?と思ったらそういうわけでもないそうで・・・
もやもやしますな。

匿名

ハロウィン新作はなかったので、クリスマス短編かなー

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