高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (終)

2013/04/12 8:00:00

 午前4時を回ったころ、そのウワサは2chのみならず、Twitterや、ブログでも話題になり始めていた。「シルバースプーン」と「人工知能」で検索すると、少なからぬ数がヒットし、時間の経過とともに少しずつ増え続けている。もっともネタがネタだけに、真剣に取り合っているネットユーザはほとんどいないようだった。これが4月1日だったら、完全にジョークになっていたところだ。

 迷惑だったのは「タカミス先生が調査中」などとデマを書いたヤツがいたおかげで、私に対して、知り合いから何本もの問い合わせのメールが届いたことだ。私というのは、もちろん高村ミスズのことだ。とりあえず放置してあるが、そろそろ方針を決める必要がありそうだった。

 MITの研究所で人工知能の研究をしていたトーマス日下が、帰国後、アメリカに本社がある軍需産業のグループ会社に勤務していた。その後、日下は結婚相談所を経営するが、そこで10人の男性会員が結婚詐欺を訴えている。訴えてきていない会員を含めればその数はもっと多いかもしれない。日下はひき逃げに遭って入院中。折しも結婚相談所に高度な人工知能が存在しているというウワサがネットを駆け巡る。

 これがテクノスリラー小説なら、トーマス日下は合衆国政府の秘密プロジェクトに従事していて、ハウンド・メカニカルで軍事用AIの研究を行っていたとなるところだ。政府の陰謀だか何だかに巻き込まれて退職、結婚相談所を隠れ蓑に研究を続けていたところ、軍需産業の工作員によってひき逃げに遭ったため、秘かに研究をしていたAIがネットに解き放たれたしまった、とか。

 私は苦笑して妄想をやめると、濃いめのカプチーノを淹れた。そして、キサラギからの情報を待つ間に、自分でも別の方向からの調査を続けた。

 

 キサラギからの情報は、午前6時に届いた。それを読んだ私は、いくつかの補足情報を調査した後、これからの計画を立てた。まず、高村ミスズとして、職場に体調不良による欠勤のメールを入れることで、この件を調査する時間を24時間ほど確保した。次に、ユカリに電話を入れた。

 「変わったことはなかったか?」ユカリが電話に出ると、まず私は訊いた。

 『うん、今のところは。ごめんね、ボス。心配させちゃって』

 「いいんだ。また頼みたいことがある。やれるか?」

 『やるよ、もちろん。何をすればいいの?』

 私は指示を伝えて電話を切ると、10時まで睡眠を取った。幸い、何の夢も見なかった。

 

 午前11時、ユカリは五反田にある総合病院にいた。地味な黒のビジネススーツに身を固め、胸元も脚も露出を控えている。損害保険会社の社員という役どころを、ユカリはよく理解しているようだった。

 ユカリは誠実そうな笑顔で、病院の受付職員からトーマス日下が入院している病室を聞き出した。保険会社の名刺が役に立ったのか、相手は疑いもしなかった。

 トーマス日下が入院しているのは、一般病棟の2人部屋だった。入り口のプレートには、トーマス日下の名前しかない。これで越えなければならないハードルが1つ減った。ユカリは、ドアをノックした。

 『はい、どうぞ』男性の声が答えた。

 失礼します、と言いながら入室したユカリは、動きを止めた。点滴とモニターに接続されてベッドに横たわっているのは、キサラギが送ってきた写真と同じ初老の男性だった。首から下は、ほとんどが包帯に覆われ、右足と右手はギブスで固められている。

 ベッドの脇にもう1人の男性が座っていた。フレームレスメガネをかけた実直そうな痩せ顔の中年男性。桐野にちがいない。私はその情報をピックアップに囁いた。

 「どちらさまですか?」桐野が訊いた。

 ユカリは丁寧に一礼した。

 「<シルバースプーン>の日下さんですね。そちらは桐野さんでしょうか?私は三村スズタカの代理の者です」

 そう告げると、ユカリは持ってきたノートPCを開いて、食事用オーバーテーブルの上に置いた。続いて、Skypeのアイコンをダブルクリックする。

 数秒後に、私の目の前のモニタの1つに、Skypeの着信マークが点滅した。それを見て、私は準備しておいたヘッドセットをかけて、通話を開始した。

 「はじめまして。三村スズタカです」

 『三村さん!』桐野が慌てたように言った。『どうしたんですか、突然、こんな。病院にまで』

 「すいませんね。調査のご報告をと思いまして」

 『それならここじゃなくて事務所の方で……』

 「日下社長にもぜひ聞いていただきたいんですよ。いや、むしろ、日下社長にこそ聞いていただきたいというべきでしょうか」

 『病人に失礼な……』

 『まあ、待ちなさい、桐野くん』突然、日下が口を開いた。『聞かせてもらいましょうか、三村さん』

 桐野は沈黙したが、どこかから助けが得られないかと、自分の雇い主とノートPCとユカリを交互に見た。私は構わずに話し始めた。

 「日下さん。あなたはアメリカで、ずっと人工知能の研究をしてきましたね。日本に帰国してからも、そのスキルを生かせるような職場を探したんですね」

 『そうだ』日下が答えた。『MITの学歴を持って行けば、どんなIT企業も諸手を挙げて迎えてくれたよ』

 「だけど、あなたはとうとう、自分が満足できる職場に出会うことはなかった。あまりにレベルが高すぎて、使いこなせなかったからだと推測していますが、合ってますか?」

 『そんなところだ』吐き捨てるような答えだった。『バカばかりだよ、日本のIT業界の大手は』

 「だからあなたは、ご自分のAI技術を売り出すための会社を作ろうとしたが、思うように出資者が得られなかった。だから、結婚相談所を作ったんですね。なぜ、結婚相談所だったんですか?」

 日下の顔に笑みが浮かんだ。

 『何でもよかったんだよ。ただ、人間の行動パターンを収集するには、結婚相談所というのはうってつけに思えたな。結婚というのは、人生における大きなマイルストーンの1つと言ってもいいからな。その目標を達成するために、人はいろんな行動を取り、様々な努力や妥協をし、複数の対立した感情を抱く。それを完全にシミュレートできれば、AIとしては成功といっていい。そもそも人工知能というものはだな……』

 日下は専門用語を多用して、人工知能論を語り始めた。

 私はそれを半分聞き流しながら、ユカリのGoogle Glassに”桐野を見ろ”とメッセージを送った。ユカリがさりげなく位置を変えて、桐野の顔を見た。

 モニタに写った桐野の横顔は、自分の雇用者の言葉をうやうやしく拝聴しているようだが、どこか怯えているようにも見える。情報工学の知識のない人間の、自分の専門外の領域に対する畏怖の表情なのだろうか。

 やがて少し疲れてきたのか、日下が言葉を切って息をついだ。そこで、私は口を開いた。

 「それであなたは、何人かの男性会員を利用して、チューリングテストをやったんですね?」

 『そういうことだ。何人かは受け答えが機械的だと思ったようだが、ほとんどは違和感なく会話をしていたようだった。パターン収集を行い、フィードバックを重ねていくことで、その違和感もほとんどなくなってきている。もう少し鍛えれば、他の分野にも応用できるだろうな』

 「たとえば?」

 『たとえば医療の分野だ。トリアージなどを人間に変わってAIが行うことで、医師を治療に専念させることができる。まあ、医療のような専門分野については、まだ越えなければいけないハードルが高いとは思うがな』

 「でも、桐野さんが私に調査を依頼することは想定外だったようですね」

 『私は……その、知らなかったんです』桐野がつぶやくように言った。

 『もう少し完成度が上がったら、きちんと説明するつもりだったんだがな。まさか車にはねられて入院することになるなんてな』日下は笑ったが、すぐに痛そうに顔をしかめた。

 「エンジニア職の人間ばかりを実験台に選んだのは?」

 『1人ぐらいは、ひょっとしたら人工知能なんじゃないか、と疑って、ブログなりTwitterなりSNSなりに書き込みするヤツがいると思ったんだよ。そういう職業なら、新しい技術に興味もあるだろうし、発信しても信頼性が高まるだろうからな』

 「書き込みはされたみたいですが、それほど効果はないようですけどね」

 『まだ始まったばかりだよ。これからだろう』

 「悪評になるかもしれませんよ」

 『悪評だって評判のうちだよ。全く無視されるよりずっといい』日下は、ため息をついた。『まあ、そういうわけだ。三村さんには余計な手間をかけさせてしまったが。ここまでの報酬はきちんとお支払いしますよ』

 「私に仕事を依頼するときの条件は憶えていますよね。面白そうなネタは、高村のブログの記事にさせてもらう、という。この件を書かせてもよろしいですか?」

 『もう少し待ってもらいたいがね』日下は肩をすくめようとして、思い直したようだ。『まあ、書きたいというなら仕方がない。いずれは公式に発表することだからな』

 「書かせますよ。放ってはおけません、こんないいネタを。あなたが男性会員を勝手に実験に使ったこともね」

 『正義の味方のつもりかね?まあ、いい。書きたければ好きにすればいい。私は逃げも隠れもしない。まあ、当分は逃げたくてもできんがね』日下はからうじて動かせる左手で、包帯だらけの自分の身体を示した。『技術の進歩のためには、実験は必要だし、同意を取ったら自然な行動にはならん。仕方がないことだ。三村さんだって、技術者の端くれなら、理解できるんじゃないのかね』

 クスッと笑いを洩らしたのは、脇にどいていたユカリだった。

 『なんかB級SF映画のマッドサイエンティストみたい』ユカリは遠慮のないコメントを、天使のような笑顔でつぶやいた。『まさかリアルで聞けるなんてね』

 日下は気を悪くしたように、吊り上がった鋭い双眸でユカリを睨んだ。

 『技術者同士の話に、知識のない一般人が割りこまないでくれないかね。これは君のような女にはわからん話なんだよ』

 「彼女は私の大事な代理人です」私は冷たく告げた。「そういう言い方はしてほしくないですね。技術というものは、技術者だけのものではありません。全ての人のものです」

 『ふん、それは失礼した。まあ、これで話は終わりだ。そろそろ疲れたから、休ませてもらうことにするよ。高村ミスズ先生のブログの件は、好きにしてくれて構わないよ』

 「わかりました。高村にはそう伝えます。それでは、これで失礼します」

 私はユカリに合図を送った。ユカリは手早くノートPCを回収すると、2人に向かってニッコリ微笑み、一礼して退室した。ドアが閉じる直前に、桐野が何か言いたそうな顔をしているのが、一瞬カメラに捉えられた。

 

 病院の外に出たところで、ユカリは私に呼びかけてきた。

 『ボス、あれでよかったの?』

 「ああ、完璧な演技だった」

 『ありがとう。でも、そうじゃなくてさ。あれって、要するにタカミス先生のブログで宣伝させたい、ってことじゃないの?』

 私は思わず笑った。恵まれた容姿に隠れて目立たないが、実はユカリは頭の回転が速いし、理解力も優れている。私が関わってきた、大半のエンジニアより鋭いぐらいだ。役者などをやらせておくのがもったいない。

 「そんなところだろうな」私は認めた。「桐野さんは、真剣に依頼をしてきたんだろうが、それがなくても、何らかの方法で、リークさせる計画だったんだろうから。桐野さんがオレに依頼したことで、それを知った日下社長は、それを利用することにしたんだろうな」

 『それでいいの?』

 「まあ、そのうちわかる」私は話題を変えた。「今日はここまでだ。いつもながら助かったよ」

 『ありがとう。またいつでも呼んでね、ボス』

 「ああ、じゃあな」

 『あ、ボス?』

 「なんだ?」

 『ねえ、今まで訊いたことなかったんだけど、ボスは結婚してるの?』

 「……そういうことは訊かない約束だろう」

 『そうなんだけどね。あの人が言ってた結婚が人生のマイルストーンだ、って話、ちょっと考えちゃって。あたしは結婚に今のところ興味がないからさ。してる人はどうだったのかなと思って』

 「そうだな……昔、バーナード・ショーという劇作家がいた。新しいものが大好きな、思想に一貫性がないヤツだったんだが、結婚に関して評した言葉がある。知りたいか?」

 『もちろん』

 「結婚するやつはバカだ。しないやつはもっとバカだ」

 ユカリは吹きだした。

 『なにそれ』

 「要するに何事もやってみないとわからない、ってことだよ。結婚というシステムは脆弱性だらけなのに、人類の社会で何千年も持続している制度でもある。ゼロか1かで割り切ることは難しいよな」

 『ふーん、まあいいや。じゃあね、ボス』

 私は微かに良心の呵責を感じながら、ユカリとの通信を切った。いつか、真実を打ち明けたとき、ユカリはどんな顔をするのだろう。

 

 私の予想より長く、桐野はかかっていたはずの重圧に耐えた。だがやはり電話はかかってきた。まるで私に連絡を取る時間を決めているかのように、この日も電話が鳴ったのは真夜中過ぎだった。

 「どうも桐野さん」私は穏やかに挨拶した。「日下社長の具合はいかがですか?」

 『まだ入院しています。その三村さん、今日お電話したのはですね……その、高村ミスズ先生のブログのことなんですが。見たところ、まだ、例の件については書かれていないようですが……』

 歯切れ悪く探りを入れてくる様子にイラッとしつつも、少し気の毒になり、私は回りくどい社交辞令をカットすることにした。

 「今後もずっと書かないでほしい、ってことですね、つまり?」

 『はい……え?じゃあ……』

 「高村のブログは、綿密な調査に基づく正確な技術情報で成り立ってるんですよ。得体の知れない山師が作った人工知能のことなど、書かないでしょうよ、きっと」

 思わず洩れたらしい大きなため息が、電波に乗って届いた。

 『わかっておられたんですね』

 「もちろんです。私を誰だと思ってるんですか」私はこういう言葉を口にする機会は逃さない。「日下さんの言う人工知能なんて存在しないんですよね」

 『……はい、そのとおりです』

 「被害に遭った男性会員とのチャットの相手は、確かにサクラだった。でも、それはAIなんかではなく、人間だったんですね。ちがいますか?」

 『はい』桐野は観念したように答えた。『バイトでした。社長はもう1つ、自分用の口座を持っていたんです。資産の一部をそちらに移して、サクラのバイト代なんかを出していたようです』

 「24時間の受付システムは、確かに自動化されていたんでしょう。でも、あれはどこにでもある入力システムで、人工知能なんて呼べるシロモノじゃない。一定時間が過ぎても入力されないと、客に呼びかける仕組みだってそうです。あんなプログラムは、誰でも書ける」

 桐野は、またもや大きなため息をついた。私は、同情を感じながら続けた。

 「要するに、この案件は、結婚詐欺なんかじゃなかった。結婚相談所詐欺だったんです」

 『どうやらそのようです』桐野は悲しそうに肯定した。『たぶん社長は、自分がすごい人工知能開発技術を完成させた、と世の中にアピールしたかったんでしょう。でも、実は人工知能なんか完成していなかった。私はその方面に詳しいわけではありませんが、人間と同じような思考を持つ人工知能をたった1人で開発するなんてことは、無理なことぐらいわかります。それでも諦められなかった社長は、研究を続ける資金を得るために、こんなバカなことを思いついたんでしょう。どこかの企業なり研究機関なりが、研究資金を出してくれるのを狙って』

 「言ってみれば、ちょっと毛先の変わったステマというわけですね。たとえば専門の研究誌などで発表しても、すぐに専門家から不備を突かれてボロボロになってしまうでしょうから」

 『全くです。社長は頭のいい人なんですが、それぐらいのことがわからなかったんでしょうか。私は素人ですが、結婚相談所のシステムとしては、なかなかよくできていると思うんです。私が何かすることはほとんどないぐらいのものですから』

 「DMの発送なんかはどうしているんですか?」私は気になっていたことを訊いた。「どういう対象に発送しているんでしょう?」

 『そこは私はよく知らないんですよ。社長がどこかから名簿を入手して、それをシステムで何かの条件で絞り込んで、発送リストを出しているんです。私は発送業者に転送するだけです』

 「そうですか」

 『はあ……』桐野は3度目の深いため息を吐いた。『全く、何でこんなことを。たとえ一時はうまく騙せても、すぐにバレたでしょうに』

 「経営者というのは、大企業だろうと、個人商店だろうと、それなりの悩みを抱えているものなんですよ。日下社長は、あなたに心配をかけまいと、自分だけでやっていたんでしょうね」

 『言ってくれればよかったのに』

 「桐野さん、このことで、<シルバースプーン>を辞めたりするつもりはないんでしょう?」

 『もちろんです』桐野の声が少し大きくなった。『社長は、私が求職活動に疲れ果てていたとき、拾ってくれたんです。これぐらいのことで、その恩を忘れることなどできませんよ。それに、間接的にですが、人の出会いのお手伝いをしているというやりがいもあります』

 「奥さんもゲットできたことですしね」

 『もちろんです』

 「じゃあ、いいじゃないですか。これからも、社長と二人で会社のために力を尽くせば。やり方はいろいろ考えた方がいいと思いますけどね」

 『そうですね』桐野は少し気を取り直したようだ。『そうします。ありがとうございました。私のしたことは、結果的に余計なことだったのかもしれませんが、三村さんに頼んでよかったですよ』

 「そう言っていただけると嬉しいですね」

 『では、これで失礼します』桐野は元気を取り戻したような明るい声で別れを告げた。『あ、高村ミスズ先生にもよろしくお伝えください。ブログを楽しみにしています。もう少し更新頻度が上がると、楽しみが増えるんですけどね』

 私は苦笑した。

 「伝えておきますよ」

 『では』

 これが桐野との最後の会話となった。調査料金はきちんと振り込まれ、私は領収書を郵送した。

 やがて<シルバースプーン>の人工知能のウワサは、かまどにくべた藁のように、一瞬燃え上がっただけですぐに消えていった。日下社長のステルスマーケティングは、失敗に終わったわけだ。

 

 数日後、私はキサラギと別の仕事の件で連絡を取った。あるイラク人エンジニアの軍時代の経歴を詳しく調べる必要があったからだ。キサラギは報告の電話をかけてきたとき、ふと思い出したように訊いてきた。

 『そういえば、ボス、この前の日系アメリカ人の社長の件、どうでした?』

 「あれなら片付いたよ。お前の調査のおかげだ」

 『あの男、いつか、本物のすげえ人工知能を完成させるんですかね』

 「そういうのが欲しいのか?」

 『いや、そういうAIをゲームに組み込めたらおもしろいな、と思ったんで』

 「たぶん、それはないな」私はキサラギに見えないのも忘れて肩をすくめた。「たぶん、10年経ってもないな。ゲームに組み込むなら他を当たった方がいいぞ」

 『へえ?でも、MIT出て研究所で人工知能の研究してたんですよね?それからずっと研究を続けてるんだから、さすがにそろそろ何か、実がなる頃じゃないんですか?』

 「トーマス日下は、確かに、MITを出て、その後、研究所に入って人工知能の研究をしてきた。それなりの成果も上げたようだったから、そう言う意味では優秀な研究者だったのかもしれない。でも、それだけだったんだよ」

 『どういうことですか?』

 「世の中には、いくら能力や才能があっても、ついにそれを発揮する機会を得られない人がいる。何かを作り出す潜在能力はあるのに、最後まで潜在したままで終わってしまう人だな。モーツァルトと同じぐらいの才能を持った人は、きっと大勢いたに違いないが、何かのキッカケでそれを開花させたのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだけだったんだよ。神に選ばれたとでも言うのかな」

 『……』

 「日下は、残念ながら、その他大勢の方だったんだな。お前が調べてくれたように、ハウンド・メカニカルに勤めていたのだって、MIT時代のツテに紹介してもらったからにすぎない。それも研究職じゃなく、事務職でだ」

 キサラギはしばらく黙っていた。絶句していたのか、哲学的な何かを考えていたのか。口を開いたとき、いつもの陽気さは影を潜めていた。

 『でも、ボス。あの男は今でも研究を続けているんですよね?』

 「そうらしいな」

 『じゃあ、たぶん、永久に日の目を見ない研究を、きっと死ぬまで続けるわけですね。言ってやったらどうですか?その方が親切なんじゃないですか?』

 「何て言う?あんたは、人生の半分をムダに過ごしたんだよ、ってか?それが本当に親切だと思うか?これから何かをやり直すには、ちょっと歳を取ってる人に対して。人生を賭けた夢が、絶対にかなうことはないと教えてやるのが親切か?」

 『……』

 私は蜂蜜入りのカプチーノから立ち上る湯気を見つめた。

 「オレやお前みたいな、ほとんどの人間にとって、夢というのは、かなえたいと思っていても、実は本気でかなえようとはしないものだよな。宝くじが当たるといいな、と思っていても、本当に当選するとは思っていない。それがリアルな世界を生きるってことだ。でも、ごくまれに、夢をかなえることそのものが、人生の目的になってしまっている人間がいるんだよ。そういう人から夢の実現の可能性を奪うというのは、魂から大切なパーツを抜き取るようなもんだ。そんなことをしても誰も得しないだろう」

 『そうですが……』

 「いいじゃないか。今のままで。日下は幸せなんだから。それを取り上げる権利はオレにはない」

 『確かにそうですね。釈然としませんが、あの男の人生なんですからね。人工知能の可能性が消えたのは残念ですが』

 「日下が作らなくても、そのうち誰かが作るだろう。それとも、ネットの中の膨大なリソースから、自然発生してくるかもな。オレたちが生きているうちに、それが見られるかどうかはわからんが」

 『ターミネーターの世界が到来するかもしれませんね。それとも、マトリックスか。じゃあ、また、ボス。ご用の向きには、いつでも連絡ください』

 「ああ、またな」

 電話を切った私は、カプチーノをすすった。そして、キサラギに言わなかったことについて考えた。

 桐野は<シルバースプーン>からのDMの宛先は、日下社長が入手した名簿が元になっていると言った。ユカリの住所氏名が何らかの名簿に載っていて、それが抽出条件にマッチしたと考えるのが普通だ。ユカリは役者をやっていることを隠しているわけではないし、私などよりよほど活動的な生活を送っているから、いろんなリストに載っていても不思議ではない。

 だが、それにしては、ユカリがシルバースプーンの受付店舗に行った翌日にDMが届いたというのは、偶然というには、あまりにも不思議なタイミングだ。

 私は1つのバカげた仮定を考えている。この何日か、心の片隅でずっと考え続けている。裸眼で太陽を直視してしまったときの残像のように、なかなか消えてくれない。

 日下が開発し、今も改良を続けているであろうシステムは、ある程度の学習機能を持っていたのかもしれない。インプットを蓄積し、パターンを記録して、システムのふるまいを変えていくようなプログラムを作ることは、よく行われている。身近なところでは、コストベースを使用するデータベースなどがそれだ。日下は独創的な閃きを持つ天才技術者ではないが、実務レベルでは優秀なエンジニアだったらしいから、難しいことではないだろう。ましてや、日下は、結婚相談所という実験場で、人間の行動パターンを蓄積していたのだから。

 クラウドという情報の海に置かれたそのシステムが、何かの拍子――たとえばバグやシステム障害、メンテナンスの失敗――で、あらかじめ決められたインプット以外の情報を、貪欲に吸収する能力を持ってしまったのかもしれない。だとしたら、そのシステムは、データを蓄積するにつれて、創造者の意図を越えた巨大な能力を持つことになるかもしれない。人類が、かつてないほどのビッグデータをもてあそび始めて、まだ10年も経っていない。そこから何が生まれてくるのか、誰も検証などしたことがないのだから。

 たとえば砂粒は単体では無害な鉱物にすぎないが、ひとつかみの砂で床の上に文字を書けば、そこに有意の情報が生まれる。それが愛の言葉であるなら、そこから愛情や信頼といった無限の可能性を持った巨大な力が生まれるだろう。

 <シルバースプーン>の受付システムは、確かに簡単な自動応対機能を備えていた。それが実は、単純なパターン応対以上の機能を持っていたとしたらどうだろう。ユカリが受付画面の前であれこれやっているのを、入会を悩んでいる、と解釈したのではないだろうか。店舗内には、当然、カメラがある。システムはユカリの顔写真を撮影し、ネットで画像検索し、いくつかのデータベースに侵入し、ユカリの個人情報に行き着き、DMの発送情報を作成し、発送業者にメールで送信した。一切、人間が介入することなく。

 もちろん、そんなことが起こる可能性は限りなく低い。そんな状況で知性が生まれるのであれば、この世界は、人類以外の知性体であふれかえっているはずだ。ユカリにDMが届いたのは、もともと届く予定だっただけのこと。

 そう結論づけることにして、私はやるべき仕事に注意を向けた。三村スズタカの元には、すでにいくつか調査依頼が入っているし、高村ミスズとしての活動もある。世の中にはセキュリティの甘すぎるシステムや、データがダダ漏れのサイト、グレーゾーンな個人情報収集ルールが、無数に転がっていて、やらなければならないことがたくさんありすぎる。得体の知れない人工知能だか人工無能だかに、いつまでも関わってはいられないのだ。

 私はカップを手に立ち上がると、窓辺に立って、夕暮れに染まる街を見下ろした。無数の人の営みがそこにあり、無数の情報がその間を流れている。ユカリやキサラギ、桐野や日下もその中にいるはずだ。それぞれの生活や人間関係や感情の上でバランスを取りながら。ハードとソフトの境界が曖昧になってきているように、いつか、人と情報の境界がなくなる日が来るのだろうか。

 カプチーノを飲み干した私は、目の前の現実に向き直った。

(終)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 エイプリルフール企画を元ネタとしたこの集中連載は、これで終わりです。元ネタが元ネタだけに、この5回の連載の中には、ウソばかり書いてあります。いくつウソがあるのか分かった方は、@IT編集部までメールをどうぞ。正解者の中から抽選で20名様に、素敵な景品が当たるそうです。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。

 この短期集中連載は、また来年のエイプリルフールに登場するかもしれません。

 コメントを寄せていただいた皆様、誤字脱字を指摘していただいた皆様、ありがとうございます。

 なお、5月に予定していました本来の連載は、諸般の事情で6月になりそうです。標準報酬月額が上がってしまうので、年度初めにはあまり仕事をしたくないのですが。

 それでは、また。

高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (4)

2013/04/11 8:00:00

 またもや深夜の電話だった。

 「消えた?」私は訊き返した。「会員データが?」

 『そうなんです』桐野の声は、音声解析ソフトの心理分析グラフを見なくてもわかるぐらい動揺していた。『三村さんからのメールを見て、訴えのあった女性会員のプロフィールを確認しようとしたら、全部消えていたんです』

 「他の会員のデータは?」

 『それは残っているんです。訴えをされている男性会員のデータも全部あります。ただ、その方たちに紹介した女性会員のデータだけが、きれいに消えてしまっているんです』

 どういうことだろう。

 「1つ確認したいんですが、会員データは全部クラウド上に置いてあるんですか?」

 『……どういうことですか?』

 「えーとですね、つまり、自社のどこかにサーバルームか何かがあったりしますか?」

 『そういうものはないです』

 「社長さんだけしか知らないサーバがあるとか」

 『会社の資産情報は、1円単位まで、私が管理しています。ボールペン1本にいたるまで切り詰めて運営しているんです。私が知らないはずはありません』

 「社長の個人資産で購入したのかもしれませんよ」

 『そりゃ、社長の個人の口座までは把握してませんが。預金を切り崩して運営していて、報酬なしの月だってあるんですよ。そんな余裕はないでしょう』

 「はあ」それはお気の毒に、という言葉は、かろうじて呑み込んだ。「大変ですね」

 『実はちょっと気になることがありまして』

 「なんですか」

 『詐欺を訴えている会員さんの1人から問い合わせがありまして。うちがサクラを使ってるんじゃないかと』

 最後に話を聞いたランボー氏だ、と直感した。

 「使ってるんですか?」

 『そんなわけないでしょう。別に良心がどうのというわけではなくて、そんなお金がないからですが。ただ、なぜかと訊いたら、応答がちょっと機械的だったと言われて』

 「それがどうかしましたか?」

 『いえ、ひょっとしてなんですが、社長の作ったホームページのプログラムが、勝手に動き出して、サクラみたいなことをしてるんじゃないでしょうか』

 「……」呆れて言葉もなかった。

 『そう考えると、女性会員のデータが消えたのも説明が付きますよ』桐野は自分の仮説に夢中になっているようだ。『そのプログラムが自分の犯行の発覚を怖れてデータを消したんですよ。そう思いませんか?』

 「いや、それはないと思いますけどね」

 男性会員とチャットで普通に会話ができて、結婚まで決意させるプログラムがあるなら、それはすなわち、チューリングテストにパスした人工知能だということだ。そんな人工知能を<シルバースプーン>が保有しているなら、利益の出ない結婚相談所の経営などやらなくても、金を稼ぐ方法はいくらでもあるだろう。

 『そうですか?あり得ると思いますけどね。一応、そういう可能性を調べてみてもらえませんか?』

 SFの読み過ぎなんじゃないのか、とバカバカしく思ったものの、藁にもすがりたい気持ちなのは理解できた。

 『とにかく、引き続き調査をお願いしますよ』

 「まあいいですけどね。ところで、今朝もらった3人以外で、詐欺被害を訴えている人は、まだいらっしゃるんですよね。残りの人たちの情報も送ってもらえませんか?」

 『いや、それはちょっと……』桐野は躊躇った。『実はあの3人の方たちは、会員ではなくて、元会員なんですよ。だから、まあいいかと思ってお渡ししましたが、他の方はまだ会員ですので……』

 まあいいか、って。その情報管理の考え方はちょっとおかしいんじゃないか、と思ったが、他人の会社の方針に口を出すのはやめておいた。そういうことを指摘するのは、三村スズタカではなく、高村ミスズの役目だ。

 「では、年齢とか職業だけでも教えてもらえませんか?」

 『ああ、そうですね、まあ、それぐらいなら。少しお待ちくださいね』

 5分ほど待たされた後、桐野は年齢と職業を読み上げた。

 『46才プログラマー、39才システムエンジニア、47才雑誌のライター、51才プログラマー、42才大手PCメーカー営業、45才システムエンジニア、43才派遣社員……』桐野は言葉を切った。『偶然でしょうか。エンジニア職が多い気がしますが。最後の人もプログラマとしての派遣社員です』

 「雑誌のライターの人は、何の雑誌なんですか?」

 『えーと、Software Designという雑誌です』

 「エンジニア向けの雑誌ですね」私は首をかしげた。「つまり、結婚詐欺に遭ったと訴えているのは、全員、システム関連職の男性だということですね?」

 『そうですね。どういうことでしょうか?』

 私に訊かれても困る。

 「ちなみに女性会員からは、そういう訴えはないんですか?」

 『今のところはないですね』

 「わかりました。とにかく調査を続けてみます」

 『よろしくお願いします』

 被害を訴えている全員がエンジニアというのは、何か意味があるのだろうか。1人か2人なら偶然ということもあるだろうが、10人となると、IT業界の男性どもに異性との出会いの機会が少ない事情を考慮したとしても、あり得ない確率だ。

 「なんだろうね、これは」私は、キャラメル・シロップをたっぷり入れたカプチーノを口に運びながらつぶやいた。

 確かにこれは三村スズタカが調査すべき事象だと思われたし、高村ミスズとしても興味がある。私はもう少しだけ、真剣に調査を続けようと決めた。

 ただしその前に、<シルバースプーン>のプログラムが高度な機能を持つAIだというたわごとを否定するために、いくつかの調査を行う必要があった。依頼人の希望を優先するのが、プロというものだ。おそらくそれほど時間を取られることはないはずだ。入院中だという日下社長が、プログラマとしてどの程度のスキルを持っているのかを調べればいいだけだ。

 私はそう考えて調査を開始した。ところが、その調査は意外な方向へ発展していくことになった。

 

 ある統計によれば、この地球上には、10億を超えるデータベースが存在しているという。これは稼働ベースの数字だから、どこかのデータセンターで電源を落とされたまま眠っているサーバの中のリソースを加えると、その数は数十倍にもなるに違いない。それらのデータベースにアクセスする適切な方法がわかり、適切な時間を費やせば、たいていの情報は入手できる。金を出せば、その時間さえ短縮することも可能だ。

 あらゆる情報には、その存在を知っている誰かがいる。たとえば、多摩川の河川敷に生育している全ての草花の種類とか、過去に発売されたベビースターラーメンの全バージョンとか、「ラピュタ」の放映時に「バルス!」とツイートされた数とか、一見、誰の役にも立たなさそうな情報であっても、どこかの誰かが持っているはずだ。六次の隔たり仮説や、Facebookの4.74人仮説が示す通り、人のつながりをたどれば、到達できない情報はない。その情報の真偽は別の問題ではあるが。

 自慢することではないが、私は一般のネットユーザよりも、多少、深い場所まで検索するスキルを持っているので、世の中の80%ぐらいの人間や企業の情報を得ることはできる。私が人間の調査をするのは、IT関係の調査に参考情報として必要になった場合がほとんどなので、大抵の場合はそれで事足りる。一方で私は、自分が万能ではないことを知っているので、残りの2割の調査をする必要ができたときのために、情報調査員を数名確保している。ユカリと同じく、24時間365日、私からの電話には必ず出る契約だ。私は鬼や悪魔ではないので、大抵の場合、電話をするときは相手が活動中の時間を選ぶことにしているが、今日はそういう配慮を捨てることにした。できれば、月曜日の朝までに、この件を片付けたかったからだ。

 『ボス、お久しぶりです』答えたのは若い男の声だ。

 「起きてたか?」

 『土曜の夜ですよ』電話の向こうでキサラギは笑った。『朝までオンラインでゲームです』

 「またちょっと調べて欲しい人間がいるんだが」

 『いいですよ』キサラギは気軽に引き受けてくれた。『わかっているのは何ですか?』

 「名前と会社名だけだ」

 『わかりました。じゃ、送ってください。アドレスは変わってませんから』

 「頼む」私はすでに準備していたメーラーの送信ボタンを押した。「今、送ったから。わかったらメールをくれ」

 『まだメール使ってるんですか?そろそろ、LINEに移行したらどうですか?』

 「慣れ親しんだ手段の方がいいんだよ。頼むぞ」

 キサラギは、人間の情報を検索するのが得意なゲーマーだ。日本の社会は、ゲーマーという職業を許容するほど成熟してはいないので、キサラギも普段は大手のSIerでプログラマとして働いていた。週末は季節や天候に関係なく、ほぼ自宅でオンラインゲームをプレイして過ごしている。私は詳しくないが、その世界では有名人で、「天才」とか「神」とか呼ばれているらしい。もう一つの才能が、人間の情報を検索してまとめることで、私が重宝しているのは、そちらの才能だ。きっと内調やCIAに就職しても頭角を現すのではないだろうか。

 連絡があったのは、45分後だった。キサラギにしては、時間がかかった方だ。

 『お待たせしました』キサラギは珍しく落ち着かない声だった。『今、送りました』

 「ありがとう。読んでから連絡する」

 私はキサラギが送信してきたレポートによれば、<シルバースプーン>の取締役社長のトーマス日下は、都内の普通科高校を卒業した後、父親の住むボストンへ移住し、マサチューセッツ工科大学へ入学した。日本人の母親は、日下が7才のとき離婚しているので、日本に未練はなかったのだろう。

 MITでは主に数学と情報工学を学び、成績は特に秀でたものではなかったが、なぜか卒業後にMIT最大の研究所であるCSAILに入所を許可されている。CSAILとは、MITコンピュータ科学・人工知能研究所のことだ。

 「人工知能……」私は思わずつぶやいた。「マジか」

 ただし、CSAILでも特に目立った業績を上げたわけでもなく、4年後に日本に帰国している。帰国後は、大手のSIerに就職しては、数年で転職するということを繰り返していた。記録に残っている最後の就職先は、エースシステムエンジニアリング株式会社だが、そこも9ヵ月で退職とあった。

 その次の記述を読んで、私は再びキサラギに電話をかけた。

 「この職歴だがな」私は前置きなしで言った。「エースシステムを退職した後、<シルバースプーン>を設立するまで、およそ16ヵ月の空白がある。この間は何をしてたんだ?」

 『そこなんですけどね』キサラギの声は悔しそうだった。『わからないんですよ』

 意外な言葉に、私は驚いた。キサラギがその気になれば、ネットバンクの預金残高はもちろん、YouTubeでどんな動画を再生しているかや、吉野家に最後に入った日付までわかるはずなのに。

 『わかった限りでは就職をしていないことは確かです。金には困っていないようですから、ゴロゴロしてたんじゃないですかね』

 それは疑わしいな、と私は思った。経歴が事実なら、日下のような男は「ゴロゴロして」いられるような人間ではない。

 「TwitterやSNSもやってないんだな?」

 『ありません。あるとしたら、全くの別戸籍か何かでやってるんでしょうね。どうします。もう少し探ってみますか?少し時間をかければ、何かわかるかもしれませんけど』

 「うーん」私は迷った。「何かあてはあるのか?」

 『まあ一応。企業秘密ですけど』

 「わかった。じゃあ、1時間以内で何かわかったら知らせてくれ。それを過ぎてもわからなかったら、そこまででいい」

 『やってみます』

 キサラギとの通話を終えた後、私は考え込んだ。

 トーマス日下は、CSAILで人工知能の研究をしていたのだろうか?帰国後、その知識を生かした職場を探したが、受け皿がなく、職を転々としたのだろうか?そして、とうとう、<シルバースプーン>を設立し、AI技術を生かしたシステムを作り上げたのだろうか?そして、男性会員で何かの実験を……

 バイブ音で私は我に返った。一瞬、キサラギからの連絡かと思ったが、振動しているのは、特定個人連絡用No.3――ユカリとの連絡専用スマートフォンだった。

 「ユカリか?どうした?」ユカリからかけてくるとは珍しい。

 『ボス』ユカリの声からは、いつもの快活さが失われていた。『昨日の夜中に、<シルバースプーン>ってところに行ったでしょう』

 「ああ」

 『さっき、バイトから帰ってきたら、ポストに<シルバースプーン>からのDMが入ってたの』

 「なんだと」

 『ちょっと怖くなっちゃったよ。何で、あの結婚相談所は、あたしの住所知ってるの?』

 「中に入っていたのは何だ?」私は努めて静かな声を出した。

 『普通に入会案内だけなんだけど』

 「偶然かもしれないな」

 私は信じてもいないことを言ったが、ユカリもそれを信じるほどウブな女ではない。

 『そんなわけないでしょう、ボス』ユカリの声に恐怖が混じった。『昨日の今日だよ。いくらなんでも、そんな偶然あるわけがないじゃん』

 「……」

 『それとね、さっき<シルバースプーン>をググってみたの』やや冷静さを取り戻したユカリが続けた。『そしたら、2chの板で話題になってるみたい』

 「婚活関係の板か?」

 『ううん違う。AIの板。意味がよくわからなかったけど』

 私は自分の愚かさを呪った。ネットユーザなら、誰でも最初にやるであろう簡単な方法を、これまで忘れていたとは。

 「わかった、見てみる。ユカリはもう寝ろ。心配ないから」

 『ホントに?』

 「大丈夫だ」根拠はなかったが、私はユカリの精神的健康のために断言した。「夜更かしは美容によくない」

 『まあ、ボスのことは信じてるけどさ』

 「何か会ったらまたいつでも電話しろ」

 さらに数分を費やして、ユカリを落ち着かせた。ようやく電話を切った私は、すぐに2chを訪問した。ユカリが言った通り、<シルバースプーン>が話題になっているのは、人工知能について議論されている板だった。

451:シンギュララバイ:201x/04/08 20:48:21.53 ID:Cfya27YW
    シルバースプーンという結婚相談所にはサクラがいるんだが、それが実はAIらしい。

452:シンギュララバイ:201x/04/08 20:49:16.12 ID:NJ4mDXfX0
    >>451
    アホか。

453:シンギュララバイ:201x/04/08 20:52:15.1 ID:Cfya27YW
    >>452
    確かな情報だ。男の会員がチャットで何日も話し込んだんだが、完全に人間だと思ったって

454:シンギュララバイ:201x/04/08 20:54:03.92 ID:F6GW11oL
    >>453
    そりゃ、本当に人間だったからだろうよ(笑)

455:シンギュララバイ:201x/04/08 20:54:48.22 ID:NJ4mDXfX0
    >>454
    賛成。451は板を間違えてないか?

456:シンギュララバイ:201x/04/08 20:57:16.14 ID:Cfya27YW
    実はシルバースプーンを辞めた人間から聞いたから確かだ。あのタカミス先生も調査してるみたいだ。

457:シンギュララバイ:201x/04/08 20:59:05.54 ID:F6GW11oL
    >>456
    じゃあ、そのうちタカミス先生のブログに載るのか?それが載ったら信用してやるよ。

 「おいおい」私は苦笑した。

 そのとき、呼び出し音が聞こえた。キサラギからだ。

 「何かわかったのか?」

 『まだ未確認なんですが、日下は<シルバースプーン>を始める前に、ハウンド・メカニカルという会社で働いていたらしいです。今はもうないですけど』

 「ハウンド・メカニカル?倒産したのか?」

 『そこはよくわかりません。とにかく検索しても、キャッシュすら残ってないんです。もともとホームページなんかなかったのか、何かの方法で消去したのかは不明ですけどね』

 「何をする会社なんだ?」

 『本社はアメリカにあるハウンド・グループです。航空機電子機械と防衛電子産業分野ではトップですね。ハウンド・メカニカルは、特に軍との取引で実績があります。日下がいたのは、その日本支店です』

 「つまり軍需産業か」

 『そういうことです。ちょっとヤバイかもしれませんね』ヤバイ、と言いながら、キサラギは興奮しているようだった。『これ以上探ると、黒服を着た男がやってきて記憶を消されたりして』

 「降りるか?」

 『冗談じゃない。こんな面白ネタ、追いかけずにいられますか。きっちり調べ上げてみせますよ』

 「じゃ、引き続き頼む。例によって、君または君のメンバーが捉えられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりでな」

 あはは、と憑かれたような笑い声とともに、キサラギは通話を切った。

 冷めてしまったカプチーノをすすりながら、私は、キサラギが送ってきたトーマス日下の資料を見た。写りの悪い顔写真も添付されている。51才という年齢よりずっと老けて見えるが、目つきは鋭い。粗暴さは感じられないが、自分の行く手を邪魔する人間とは徹底的に戦う、と宣言しているような目力があった。

 「一体、あんたは何を見てきたんだろうね、日下さん」私は画像に呼びかけたが、当然のことながら返事はなかった。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (3)

2013/04/10 8:00:00

 13時ちょうど。ユカリは、横浜みなとみらいのランドマークタワーにあるスターバックスにいた。向かいに座っているのは、どうみても標準より20キロほどオーバーしている体重を持つ46才の独身男性で、ルックスはお世辞にもいいとは言えない。職業はいわゆるシステムエンジニア。桐野から送られてきた3人の1人だ。私はこの男に、ブーチ氏という変数名をつけることにした。

 待ち合わせ場所が横浜になったのは、ブーチ氏の職場がすぐ近くであるためだ。この業界では珍しくもなんともないことだが、今日も出勤してコードと格闘していたらしい。見知らぬ人間からの突然の呼び出しにも、嫌な顔ひとつせずに快く応じてくれるとは、いい人なのだろう。もっとも、わざわざ仕事を抜け出してきてくれたのは、待ち合わせ用にと、ユカリが送った写メが大きく物を言ったということもあっただろうが。

 「お仕事中にすみません」ユカリは恐縮してみせた。

 「いえ、いいんですよ。ちょうど休憩しようとしていたから」

 ブーチ氏は快活そうに笑ったが、その視線はユカリの顔ではなく、45度ほど下方向にずれていた。今のユカリの服装は、胸元が適度に開いたノースリーブの白ブラウス。ややオーバーサイズのカットで風通しがよさそうだ。下は脚線美を強調するような明るいイエローのフィットパンツ。こういう服装をすると、たいていの男性の警戒レベルが4段階ぐらい低くなることを、ユカリは熟知している。まったく、メガネをかけ、豊かな胸部を持ち、アニメ声の女の子を目の前にした男性の口が、どれだけ軽くなるかには驚くばかりだ。

 ユカリは微笑みながら、名刺を相手の前に置いた。「アイテイメディア」の社名が印刷されている。もちろんこれは偽造で、私が準備してユカリに渡してあるいくつかの職業の1つにすぎない。今回は、相手がエンジニアということで、なじみが深そうな会社名を選んだ。4文字目の「イ」が小文字でないことには気付かれていないようだ。

 「よく見てますよ、ITMediaさんのサイトは」

 「ありがとうございます」ユカリは小さくお辞儀し、少し前屈みになった。「お電話でもお話したとおり、何人かのエンジニアの方の生活について調査をしておりまして。少しお時間をいただければと思いまして」

 「ど、どうぞ。な、何でも訊いてくださいよ」ブーチ氏は舌を噛みながら答えた。

 「それでは、まず、平均的な一日の生活についてお訊きしたいのですが、朝はだいたい何時ぐらいに起床されますか?」

 ユカリは、私にもユカリ本人にも全く興味のないエンジニアの生活サイクルについて、いくつか質問をしていった。以前に、男性化粧品会社のコールセンターで、アウトバウンドオペレータのバイトをしていたこともあるので、この手の質問は得意とするところだ。私は、ほとんど指示を出すこともなく、2人の会話に耳を傾けていた。

 10分ほどどうでもいい質問を続けた後、ユカリはようやく本題に入った。

 「では、恋愛についてはいかがでしょうか?現在は独身ということでしたが、出会いなどは?」

 「ないですね。職場じゃあ。平日は夜まで仕事だし、休日も出勤することが多いですから」ブーチ氏は肩をすくめた。「今日みたいにね」

 「大変ですね」ユカリは深くうなずいて同情を表した。「結婚についてはどうお考えですか?」

 「そりゃあ、いずれはしたいですよ」自嘲気味な笑いが浮かんだ。「でも相手がねえ」

 「最近は結婚相談所などを活用されて、いわゆる婚活をされる方も増えているようですが」ユカリはさりげなく水を向けた。

 「ああ、いや……」ブーチ氏は言いよどんだ。「そういうのは、もう、当分いいかな」

 「何かイヤな思い出でも?」

 「うーん。話していいのかなあ……ま、いいか。もう会員じゃないんだし。実は、ちょっと前に入会していた相談所で、ちょっと詐欺みたいなのに引っかかって」

 「詳しく聞かせてもらってもいいですか?」ユカリは身を乗り出した。「私も個人的に興味がありますし」

 「そ、そうですか。えーとですね……」

 ユカリのフェロモン十字砲火に打ち倒されたのか、そもそも誰かに話したくてたまらなかったのか、ブーチ氏は少し苦い顔で、その顛末を語り始めた。

 ブーチ氏が、その女性を紹介されたのは、2ヵ月ほど前のことだった。<シルバースプーン>は条件に一致する異性が登録するか、フリーになると、会員にメールを送ってくる。最初は<シルバースプーン>のサイトに用意されている会員専用のチャットで、会話をすることが推奨されているので、ブーチ氏もその例にならった。

 「相手はマリコさんといって、29才の家事手伝いの人ということでしたね。ビデオチャットもあるんだけど、最初は恥ずかしいからってテキストだけのチャットだったね」

 普段から慣れ親しんだキーボードとネットを介してだったからか、会話は驚くほどスムーズに進んだ。2時間のチャットで、ブーチ氏はマリコの身体的特徴や住んでいる街、趣味――映画と読書という無難な答えだった――や、好きな食べ物――和食――といった情報を聞き出すことができ、同じぐらいの個人情報を提供した。

 「まあ結婚相談所に入会するぐらいだから、結婚相手を探しているのは当たり前で、よけいな駆け引きがない分、相手に質問するのも楽だったんですけどね」

 それから、ブーチ氏は、毎日のようにチャットでマリコとの会話を楽しんだ。文字だけの会話が7回目になったとき、ブーチ氏は思い切ってリアルで会いませんか、と提案してみた。

 「そしたら、今は足をケガしていて出歩けないので、もう少し経ってから、と言われました」

 じゃあ、せめて顔が見たい、と懇願すると、マリコは顔写真の画像を送ってきた。

 「これです」ブーチ氏はスマートフォンを出すと、画像を開いて、ユカリの顔の前に掲げた。ユカリのGoogle Glass を通して、私もその画像を見つめた。もちろん、ハードコピーを保存してから。

 一般的な基準で美人とは言えないが、普通にどこにでもいそうな丸顔で愛嬌のある女性だった。こちらに向かってニッコリ微笑んでいる。ブーチ氏は自分に向かって笑みを浮かべている、と信じていたに違いない。

 「美人でしょう?」

 ブーチ氏がユカリに同意を求めた。ユカリは一瞬、言葉に詰まったが、良心の呵責という役に立たないものをさっさと捨てて笑顔を作った。

 「ええ、そうですね」

 「ですよね。だから、ますます会いたくなりましてね。ぼくがどこにでも行くから、会えないかと訊いてみたんです。そしたら……」

 マリコは、私もあなたのことが気になっている、でも、以前に男性にだまされたことがあって、信用していいのか迷ってもいる、会うなら結婚を前提にしたい、いえ、いずれは結婚という曖昧な約束ではなく、何か保証のようなものがほしい、と答えた。

 「もう迷うことなく、ぼくは決心しました。ティファニーに行って、婚約指輪を買うとその画像を送ったんです」

 「え?」ユカリは演技ではなく本気で驚いたようだった。「いきなり指輪ですか。それはまた……すごい行動力ですね」

 「ラストチャンスだと思いましたから」

 「それで、相手の方は何と言ってきたんですか?」今や、ユカリ自身が興味津々という感じだ。

 「何も」ブーチ氏はうなだれた。「それっきり連絡が取れなくなってしまったんです。<シルバースプーン>に問い合わせたら、退会されたということで。ひどいと思いませんか?」

 「ひどいですね。ひどいです」ユカリは憤慨した。「本当にひどい人ですね、その人。指輪まで買ったのに」

 「ですよね。まあ、指輪は理由を話したら、9割の金額で返品できましたから、すごく損をしたということではないんですけど。でも、これって、立派な詐欺だと思いませんか?」

 「そうですよね!」

 ユカリは勢いよく同意したが、私は、それを詐欺というのは少し無理があるのではないかと思った。結局のところ、ブーチ氏が失ったのは、チャットに費やした時間と、返品で失った指輪の代金の差額ぐらいなものだ。警察署に駆け込んでも、「相手の気が変わったんじゃないの?」であしらわれてしまうに違いない。

 まあ、これで経緯はわかった。私はキーボードに指を走らせると、ユカリのGoogle Glass に短いメッセージを送信した。

 「ところで、やりとりは最後までチャットだけだったんですか?メールとか、音声とかビデオとか、そういうのに発展することは?」

 「なかったですね。シャイなんだと解釈してましたが、今から考えると、最初から騙すつもりだったのかもしれませんね」

 「チャットのやりとりはスムーズでしたか?つまり、応答速度のことですけど」

 「うーん、ぼくよりは遅かったですけど、まあ、普通じゃないですかね。あ、でも、たまにですけど、すごく長い文章なのに、すぐに返ってきたことがありましたけね。ひょっとして、あらかじめ定型文みたいなのが用意されてて、コピペしたのかも……」

 この質問をユカリにさせたのは、ブーチ氏と同じ疑問を抱いたからだ。チャットの記録が残っているなら、文章の長さと応答時間を調べて、パターンがつかめたかもしれないが、桐野に問い合わせたところ、会員同士のやりとりのログは一切残っていないとのことだった。

 ブーチ氏から得られることは、もうないだろう。私は適当に話を切り上げるように伝えた。

 ユカリと別れるとき、ブーチ氏はとても名残惜しそうだった。きっと、午後の仕事はいつもにもまして、あじけなく思えたのではないだろうか。

 

 『なんか気の毒な人ね』ユカリはブーチ氏に同情してしまったようだ。『結婚詐欺なんて』

 ユカリは次の会員――ヤコブソン氏と呼称することにした――とのランデブー地点に向かうために、東横線の車内にいた。次の待ち合わせ場所は池袋だが、時間にはまだ余裕があるので、混み合う急行を避けて、各駅停車に乗っている。最後尾の一番後ろの席に座っていて、周囲には人はいない。

 「まだ結婚詐欺かどうかはわからない」私は4杯目のエスプレッソをすすりながら答えた。「別の可能性もある」

 『別の可能性って?』

 「依頼者によると営業妨害だそうだ」

 『あの結婚相談所?』ユカリは短く笑った。『いやいやいや、それはないんじゃないかなあ』

 「なんでそう思う?」

 『だって今どき、申し込みがネットからできないなんてね。ダメダメだよ、ボス。何か安っぽい。そんなにお金がない会社なの?』

 「入会費は20000円。月会費、年会費は無料。紹介ごとに3000円。まあ、そんなに儲かっているわけじゃなさそうだ」

 『安いのはいいけど、安すぎるのはダメね』ユカリは一刀両断した。『何か裏があるんじゃないかって思っちゃうから』

 「GAEをインフラに使ってるから、維持費はそれほどかかってないはずなんだけどな」

 『え、何のこと?』

 「いや、何でもない。池袋に着いたら呼んでくれ」

 『はいはーい。また後でね、ボス』

 電車内での独り言という、他人が見たら不気味な行動からユカリを解放すると、私は昨夜取得した、<シルバースプーン>の受付画面のソースのハードコピーをいくつかのモニタに並べて表示した。

 最初の画面は、受付画面のプロパティ表示だった。最も注目すべきキーワードは、

 アドレス:http://8.latest.silversppon-j812ab.appspot.com/

 の部分だ。このURLはGAE上にデプロイされていることを示している。自前でインフラを持つより安価に構築できるし、開発のノウハウも広まっているので、最近はよく目にする。社員数が2名の結婚相談所が選ぶのは当然だとも言える。問題は、GAEだとトロイの木馬どころか、外部からクラッキングすることで何かを埋め込むというのが、ほぼ不可能な点だ。特定のサーバというものが存在しないからだ。

 GAEにアプリケーションをデプロイするには、Googleアカウントとパスワードが必要になるが、それが入院中だという日下社長の手元から流出したのだろうか?サイトの見た目を変えずに、何かを仕込むには、オリジナルのソース一式も必要だ。悪意の第三者がその両方を不正に入手したのであれば、自由に機能を改変することは可能だろう。ただ、それができるぐらいなら、全会員データをダウンロードするなど、より悪質な攻撃方法を選びそうなものだ。<シルバースプーン>を窮地に追い込むのが目的なら、結婚詐欺などという回りくどい方法よりも、直接的に効果のある手段はいくらでもある。

 情報がまだ足りない。ユカリの調査手腕に期待するしかない。私はユカリからの通信が入ったらアラームを鳴らすようにセットすると、別のモニタでScalaのコードを開いて、趣味の週末コーディングに没頭した。

 

 ユカリは池袋駅北口付近のミスタードーナッツで、ヤコブソン氏と落ち合った。ヤコブソン氏は49才、青白い顔で、ひょろっと痩せている。若い女性の前だからか、すっかり薄くなった頭頂部をしきりに気にしている。髭が濃く、半袖のシャツから伸びる腕も毛深い。ブーチ氏と同じく、見目麗しいイケメンにはほど遠い容姿だ。

 ヤコブソン氏が語った内容は、ブーチ氏とほぼ同じだった。チャットで逢瀬を重ねた後、会うなら結婚の覚悟を決めてほしい、と告げ、その後連絡を絶っている。ただし、見せてもらったシズカという相手の顔画像は、ブーチ氏に見せられた女性とは別人だった。茶髪のロングヘアでおしゃれなメガネをかけて微笑んでいる。メガネ属性のある男性の心を鷲掴みにしそうだ。事実、ヤコブソン氏は一発で撃墜され、結婚指輪を購入するはめになっている。

 ボソボソと話すヤコブソン氏の言葉を聞き取ろうと――私に正確に聞かせるためだ――ユカリが苦労している間に、私はマリコとシズカの画像を、Photoshopでレベル補正と色調補正をかけた後、ネットでサーチしてみた。その結果、どちらの画像も、別々の個人のブログにアップされている写真の一部として発見することができた。

 私はその事実は伏せておいて、ユカリに最後の質問をさせた。

 「それではチャットのやりとりはスムーズでしたか?」

 「シズカさんの入力がってことですか?」

 「そうです。速かったですか?」

 「結構、速い方だと思いますね。駅のホームでスマホを線路に落とした人を見たって話してくれましたけど、長い文章をすらすらと間違えることもなく打ってきましたから」

 ユカリは、ブーチ氏との会話で火を点けた怒りを、いまだにくすぶらせていて、ヤコブソン氏と別れるなり、私に噛みついた。

 『ボス!このマリコだか、シズカだかって女、ちょっと許せないよ!』

 「落ち着け。次の相手とのデートまで時間がないぞ。すぐに日吉に移動してくれ」

 『わかってるけど、ボス、ちょっと冷静すぎだよ。自分が騙されたらとか考えないの?』

 私は同性愛には興味がないので、マリコだかシズカだかに騙される心配はないが、ユカリにはなだめるように言った。

 「わかったよ。すまん。確かにその女はひどいな。だから、それを何とかしようとしてるんじゃないか。とにかく急げよ」

 『ハイハイ』

 

 3人目の仮称ランボー氏とユカリは、日吉駅のホームで落ち合った。すぐ近くの慶応大学のキャンパスに入り、ベンチで座って話を聞くことになった。

 ランボー氏の経験談も、ブーチ氏、ヤコブソン氏と大差なかった。ランボー氏の相手の名前はミサトで、送られてきた画像は、やや童顔でショートカットと大きな瞳が特徴的だった。ランボー氏も、ユカリの質問に答えて、チャットのスピードは充分に速かったと断言した。さらにランボー氏はこう付け加えた。

 「あれは、たぶんコピペだな」ランボー氏は顔を忌々しそうに顔をしかめた。「どうせサクラのアルバイトがマニュアル見ながらコピペしてるに決まってるよ」

 「どうしてわかるんですか?」

 「同じ誤変換を何回も繰り返してたからな」

 「誤変換?」

 「スヌーピーの話になったとき、”酢ヌーピー”って書いて、しかも、毎回間違えてるんだよ。普通、気付くだろ?酸っぱいヌーピーってなんだよ、一体?」

 「なんでしょうねえ」ユカリは困ったように答えた。

 

 「おつかれさま」

 『あー、疲れた』言葉とは裏腹に、ユカリは元気いっぱいの声で答えた。『ああいう非モテな人たちって、いろいろ溜まってるものがあんのねえ。ちょっと同情しちゃうわ』

 ユカリに悪気はない。ただ、自分の心の声を口にすることを躊躇しないところがあり、たびたびトラブルに発展することが多いらしい。私とユカリが出会った事件も、発端はユカリの舌禍だった。

 「まあ、そうだな」

 『あたしはバイトの時間だけど、もういい?』

 「ああ、助かったよ。ギャラは振り込んでおいたから」

 『ありがとう。じゃ、行くね。結婚詐欺の調査、がんばってね』

 「そっちもバイトがんばれよ」

 ユカリとの通信を終えた後、私はスリーアミーゴズのプロフィールを見直した。どういうわけか、3人ともエンジニアだ。ブーチ氏とヤコブソン氏はソフトウェア、ランボー氏はネットワークだ。偶然なのか、この業界の男性がよほど出会いに恵まれていないのか。

 1つだけ言えることは、この事件は、私が普段扱っているようなIT関係の調査を必要とするものではないということだ。おそらく1人、または複数の人物が、<シルバースプーン>の女性会員として、男性会員の心をもてあそぶような行動を繰り返している。これはもう、普通の調査会社の仕事だろう。

 <シルバースプーン>には、紹介した女性会員の情報は当然残っているはずだ。身分を詐称している可能性はある――というか高い確率で偽っているだろう――が、本職の手にかかれば、それなりに調べる手段はあるものだ。

 私は簡単にここまでの経過レポートをまとめた。私の見解を書き、今後は別の探偵社などに任せることを推奨する内容だ。費用は実費のみ請求させてもらう旨を追記し、桐野に送信した。私としては、これで終わりにするつもりだった。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (2)

2013/04/09 8:00:00

 通話を終えた90分後、桐野に関するおおよそのプロフィールは、私のPCのHDDに収まっていた。

 氏名:桐野ヒトシ
 年齢:41才と11ヵ月
 現住所:港区の築8年の2LDK賃貸マンション
 仕事:結婚相談所<シルバースプーン>に勤務
 家族構成:妻(桐野トモミ 26才)、子供なし

 判明したメールアドレスは、プライベートとビジネスの両方で使用しているらしいGmailアカウントだった。私は早速、契約書その他をまとめて送信しておいた。

 入手した何枚かの顔写真には、フレームレスメガネをかけた、実直そうな痩せ顔の中年男性が写っていた。経歴によると、大手百貨店で事務をずっとやってきたが、近年の業績不振によって早期退職を強要され、1年ほどの求職期間を経て、<シルバースプーン>設立と同時に事務担当社員として採用されたらしい。

 <シルバースプーン>のサイトを見てみると、おそらく専門のデザイン会社に作成を依頼したらしく、きれいだが個性のない白と淡いピンクを基調にしたページが開いた。この手のサイトは、だいたいテンプレートを元に作るので、安価ではあるが、その分どうしても似たデザインになる。特にプライバシーポリシーの文面などは、ほぼ同じと言っていいほどだ。

 会社概要のページによると、<シルバースプーン>の代表取締役社長は、トーマス日下という名前である。ハーフかクォーターなのだろう。顔写真や年齢、経歴などの情報は載っていない。

 サイトのトップページに、「申し込みから紹介の流れ」というFlashムービーがあったのでクリックしてみた。それによると、まず都内に2ヵ所、横浜市内に1ヵ所用意されている受付専用店舗に出向き、そこの端末から必要事項を入力し、身分証明書のスキャンと、写真撮影を行うことになるらしい。説明文によれば、対面しての受付だと気後れしてしまう人がいるからだそうだ。確かにそれは納得できないこともないが、人件費の節約、というのが、より真実に近い理由なのだろう。

 ネットで自宅から、またはスマートデバイスでいつでもどこでも、というトレンドを、あえて外している理由は、やはり侵入が怖かったからだろうか。まあ、理由はどうでもいい。問題は、私がこの椅子に座ったまま、システムを見ることができないということだ。

 同様の依頼を企業から受けた場合は、一時的にファイアウォールに穴を開けてもらって、私がそこから中身を覗き見る。コツはあるものの、ログを見るだけでも、意外に多くのことがわかるものだ。もちろん具体的なノウハウは企業秘密だ。だが、今回はそのやり方が使えない。

 桐野自身に頼んでソースコードをもらうことはできるだろうか?いや、桐野はエンジニアではないようだし、日下社長に内密なのであれば、それは難しいだろう。

 まずは<シルバースプーンの>申し込みがどうなっているのか見てみたいが、ここからアクセスができないとなれば、人が出向くしかない。

 「ユカリの出番だな」

 私は独り言をつぶやきながら、特定個人連絡用スマートフォンNo.3をつかんだ。このスマートフォンは、ある特定の番号の連絡のためだけに存在している。リダイアルボタンを押すだけで発信できるのはとても便利だ。このスマートフォンには、ボイスチェンジャーのソフトがインストールされていて、通話相手に届くのは、さっき桐野が聞いたのと同じ、男性の音声になる。

 呼び出し音が8回ほど鳴った後、ようやく相手が出た。

 『はい、もひもひ……あ、ボス!』

 「寝てたか?」私は言わずもがなのことを聞いた。まともな人間なら、深夜2:00には睡眠状態であるのが普通だ。

 『寝てたよ』ユカリは半分寝ているような声を出した。『今は起きてるよ、ってか、起きたよ』

 「やってもらいたい仕事があるんだが」

 『あー、助かる。今月、苦しかったの』

 ユカリは「今から?」みたいなムダな質問をしない。私がユカリを気に入っている理由の1つだ。

 「30分で準備をしてくれ。服装は地味なのにしろ。それまでに装備や場所をメールしておく」

 『わかりました。じゃ、また後で、ボス』

 通話が切れた。きっとベッドから飛び出して、大急ぎでシャワーを浴びに行ったのだろう。

 私が性別を偽ってこの副業をしている一番大きな理由は、探偵まがいの仕事をするには、男性である方が信頼を得やすいためだ。あるイギリスの女流作家は探偵のことを「女には向かない職業」などと言っているぐらいだ。システム開発の世界でも、すぐに結婚して辞めてしまうとか、深夜残業ができないとか、デスマーチに立ち向かう体力がないとか、女性エンジニア=腰掛けエンジニアとして語られている。少なくとも、私がこの世界に足を踏み入れた時代はそうだった。

 もう一つの理由は、三村スズタカと高村ミスズが同一人物であることを知られないようにするためだ。まあ、ネットの世界では性別を偽るヤツなど珍しくもないが、実生活でそれが暴露されると、いろいろ不都合も出てくる。私はこの二重生活が意外に気に入っていて、当分は現状を維持したい。今のところは、三村スズタカが、高村ミスズのアナグラムであることにすら、気付いた人間はいないので、うまくいっているようだ。

 私が依頼者と直接会わないのも、その二重生活維持のために堅守しているルールだ。それどころか、私はほとんどこの部屋から出ることなく、この副業をこなしている。世の中の問題の75%ぐらいは金で解決できるというが、同じように95%ぐらいの情報は、ネット経由で入手が可能だ。もちろん、それには一定以上のスキルと大胆さと覚悟が必要になるが。

 ただし、私が必要としている調査の中には、どうしても人間が出向いていく必要があるものが、一定の割合で存在する。ユカリは、そういうときのために、私が契約している調査員だ。

 ユカリは、26才の売れない役者で、吉祥寺の小さな劇団に所属している。普段はバイトで糊口をしのいでいるが、生活はあまり豊かではないようだ。ITに関する知識は一般のネットユーザと変わりはないが、演技力を生かした調査員としての腕は悪くない。

 ユカリを雇うことになったのは、あるITがらみの事件に巻き込まれて窮地に陥っていたユカリを、私が助けたことがキッカケだった。正確には、三村スズタカが、である。ユカリは私を姿を見せることを好まない男性だと信じている。その事件について語るのは、また別の機会に譲ることにする。

 

 2時間後、ユカリは新宿三丁目駅近くの、こぎれいなビルの前に立っていた。ビルの1Fは終夜営業のマクドナルドだが、ユカリは興味を示さない。役者としての身体を維持するために、ジャンクフードのたぐいは一切口にしないのだ。そもそも、今夜の目的は、その上の階にあった。

 『ボス、着いたよ』

 「2Fに上がってくれ」私は指示した。「<シルバースプーン>の受付所があるはずだ」

 『了解』

 ユカリはマクドナルドの脇の階段を昇り始めた。私の見ている映像が、微かに上下する。

 私が見ているモニタには、ユカリがかけているGoogle Glassのカメラを通して、リアルタイムに映像が映し出されている。幸い、30メートルも離れていない場所にソフトバンクショップがあり、そこのWi-Fiスポットを経由して、ストレスなく通信ができていた。

 『<シルバースプーン>に到着。誰もいないね。あたりまえか、こんな時間だしね。じゃ、入りまーす』

 ユカリの声は、ネックチョーカーに偽装した骨伝導マイクが拾い、私の耳に届けられている。

 『受付マシンがあるよ』

 「少し近づいてくれ」

 ユカリの視線が、プリクラのような受付マシンに近づいた。画面は17インチのタッチパネル。スクリーンセイバーになっていたが、ユカリの接近を感知して、明るい画面に変わった。

Sp

 パネルの右側にスキャナーらしき小さなボックスがある。おそらく、これで運転免許証などの身分証明書を撮影するのだろう。

 『触っていいの?』

 「ああ」

 ユカリの細い指がパネルを中央に触れた。その1点を中心にして、画面が微妙な効果音とともにスパイラル状に変化し始め、やがて入力フォームになった。私は画面の細部を注視した。

 「Windows8版のIE10だな」私はつぶやいた。

 一応、一画面に全項目が収まるようには作ってある。このようにリピータ率の低い画面で、スクロールをさせないのは、UIとしてはまあ及第点だ。

 「画面のどこかで右クリックしてみろ」

 『……マウスないよ、ボス』

 「ああ、そうか。プレス&ホールドでやるんだ。どっかに指を押し当てろ……いや、違う、押したまま1秒待て。そう、それでOK。そのメニューの一番下、”プロパティ”を選んでくれ」

 プロパティのダイアログが開いた。私は、画面のハードコピーを取ると、デスクトップに保存した。

 「よし、それは閉じていい。キャンセルボタンだ。もう一回、さっきのやり方でメニューを出せ……うん、OK。次は、真ん中ぐらいにある、”ソースの表示”だ」

 ユカリの指が指示通りに動き、ソースが貼り付けられたメモ帳が開いた。私は最初の部分のハードコピーを取り、1画面分スクロールするように命じた。ソースがスクロールされるたびに、私はハードコピーを取っていった。

 デスクトップに10以上の画像ファイルが貼り付けられたとき、ヘッドセットにユカリではない声が飛び込んできた。

 『お客様。何か不具合でもございましたか』

 ユカリがいつまでも入力操作を完了しないから、呼びかけてきたらしい。女性の声だったが、ユカリが装着している小さなマイクでは拾いきれないのか、ざらついた感じがする。人間が話しているのか、録音された音声なのかさえわからない。

 『すいません。ちょっと迷っちゃって』ユカリはアドリブで返事を返した。『珍しかったから』

 『ご利用方法のお問い合わせでしょうか?』

 ユカリはさりげなく鼻の頭をかいた。指示を求めるサインだ。

 「気が変わった、とか何とか言って、そこから出ろ」

 『ごめんなさい』ユカリは素早く応じた。『眠くなっちゃった。また今度にしまあす』

 ユカリが踵を返し、映像がぐるりと回った。ユカリのヒールのつま先が階段を小走りに降りていく。

 『ああ、びっくりした』ビルの外に出ると、ユカリは大きく息を吐いた。『次はどうするの、ボス?』

 「一度、家に帰っていい。今日、バイトは?」

 『夜のシフトだけど』ユカリは都内のデニーズでバイトをしている。『7時から』

 「じゃあ、11時ぐらいにまた連絡する。帰って睡眠を取ってくれ。午後から人に会ってもらうことになると思う」

 

 ユカリがタクシーに乗ったのを確認すると、私は桐野宛にメールを書き、いくつかの情報提供を求めた。時計を見ると、5時を回っている。返事がすぐに返ってこないことはわかっているので、少し仮眠を取ることにした。幸い、今日は土曜日なので、高村ミスズとして産総研に出勤する必要はない。

 CPAPを着けて270分ほどぐっすり眠った。はっきり憶えていないが、どこかの図書館で市長だか町長だかと、本を投げつけ合う夢を見た気がする。

 目覚めるとすぐにメールをチェックした。予想通り、桐野から返信が届いている。契約書にサインして郵送した、と本文に書かれていたが、私が欲しかったのは添付されていたWordファイルの方だった。結婚詐欺に遭ったと訴えている男性会員の、顔写真を含むプロフィール情報である。

 ファイルを開いてみると、3人分の情報があった。ただし、名前の部分は、○山○男のように伏せ字になっている。桐野が私に会員の情報を渡すことは個人情報流出にあたるから、もし公になれば<シルバースプーン>は、結婚詐欺による苦情など線香花火ぐらいにしか思えないほどの、大規模なトラブルに襲われるに違いない。桐野にしてみれば、弁解ができる余地をギリギリに残した措置なのだ。もちろん、これだけの情報があれば、私なら個人を特定できるだろうことを見越してのことだろう。

 「焦ってるね、桐野さん」

 私はつぶやくと、バリスタのスイッチを入れ、情報探索用にカスタマイズしてあるPCに向き直った。3人の男性会員の個人情報特定作業は、エスプレッソができるまでに完了した。

 ユカリに電話をかけたのは、11時ちょうどだった。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (1)

2013/04/08 8:00:00

 真夜中にかかってくる電話が、いい知らせであったためしがない。そもそも小指の先ほどでも常識を所有しているヤツなら、よほどのことがない限り、日付が変わった直後に他人に電話をかけるという選択はしない。

 不幸にして、真夜中過ぎに私に電話してくるヤツは、たいていがよほどの事情を抱えている。私はコーディング中のScalaのソースから目を離して、しつこく振動している電話に手を伸ばしかけ、それが7つ所有している電話の中で、唯一のブラックベリーであることに気付いた。この電話の、定期的に変更している番号を知っている人間は、この地上に数人しかいないはずだった。ということは、特殊事情の件だ。

 私はその電話をつかむと、常に接続してあるヘッドセットを装着した。ボイスチェンジャーの作動を示すパイロットランプが点滅しているのを確認して、通話を開始する。

 「はい」

 『あのお』気弱そうな男の声だった。『三村スズタカさんの携帯でしょうか?』

 ちがうよ、と答えたいのをこらえながら、私は部屋中に点在している18個のモニタの1つに目を走らせた。ブラックベリーで受信された音声は、同時にPCに転送され、音声認識ソフトによって解析される。過去の通話記録があればポップアップ表示されるのだが、この男の音声は登録されていなかった。

 「そうですが」私は渋々肯定した。「どちらさま?」

 『失礼ですが』男は深夜の電話について謝罪もせずに続けた。『あの三村スズタカさんでしょうか?』

 「あの、ってどの?」私はぶっきらぼうに訊いた。

 『あの高村ミスズ先生のご同僚の、三村スズタカさんでいらっしゃいますか』

――やっぱり、そっちか。

 「そうですが」

 『ああ、よかった。高村ミスズ先生のブログをいつも拝見していますし、Twitterもフォローしてます』

 「高村に何かご用ですか?紹介ならできませんよ。高村は先日オープンした、どっかの図書館の個人情報流出の件で忙しくてね」

 『はあ?いえ、三村さんにお願いしたいことがありまして。なんでも、三村さんは特殊な依頼を引き受けていらっしゃるとか』

 「あなたは?」

 『失礼しました』電話の向こうで男がぺこぺこと頭を下げている光景が浮かんだ。『私は……桐野と申します』

 「桐野さんね」私はソフトウェアキーボードで、音声データに名前を入力した。「で、この番号は誰からお聞きになりました?」

 桐野はある不動産ブローカーの名前を言った。確かに、コーディネータの1人だ。

 「なるほど。それでご用は?」

 『私、都内某所の結婚相談所で、経理などの一般事務をやっている者ですが……』

 「あいにく結婚には今のところ興味はないんですがね」

 『……』

 「すいません。続けてください」

 『実は、うちの会員様から、詐欺にあったとの苦情が、立て続けにありまして』

 「詐欺、というと?つまりアカサギですか?」

 『結婚詐欺です』桐野は私の言葉を訂正した。『先月だけで6名の会員様が被害に遭われています』

 「はあ、それは大変ですね」

 『大変どころではありません』語気が強まった。音声分析のグラフが、ノコギリ歯のような波形を描く。強いストレスの兆候だ。『そのウワサが広がって、他の会員様も次々に退会している始末で。このままでは、うちの経営は成り立たなくなります』

 「興味深いお話ですが、なぜ、それを私のところに?税金を納めている真っ当な企業なら、警察という無料相談所に直行なさるべきではないんですか?」

 『いや、警察沙汰にしたくはないんです。警察が介入してきたら、やっぱりうちの評判はがた落ちになってしまいます。今はウワサで済んでいるものが、一気に真実味を帯びてしまうじゃないですか』

 「まあ風評被害というのは恐ろしいですからね。でも、桐野さん、あなた、やっぱり電話番号を間違えてませんかね」

 『え?』

 「まともな探偵事務所なら、タウンページ見ればたくさん載ってますよ」

 桐野は少し沈黙した。ひょっとして手元のタウンページを探しているのか、と思ったが、そうではなかった。

 『三村さん。うちの結婚相談所の従業員ですが、何人いると思います?』

 「さあ……20人ぐらい?」私は当てずっぽうで答えた。

 『2人です』

 「え?」

 『2人です』桐野は繰り返した。『私を入れて。私と社長だけです』

 「2人でどうやって……ああ、ひょっとして完全にシステム化されているというやつですか」

 『そうです。完全なペーパーレスです。応対さえシステム任せになってます』

 「つまり、こういうことですか」私は確認した。「おたくの結婚詐欺事件には、システムが絡んでいると」

 『そのとおりです』桐野の声が弾んだ。『社長は元々、ソフトウェア開発のエンジニアだったんです。その……事情があってリストラされたとき、社長は会社で開発中だった転職マッチングシステムのソースを持ち出したんです。人と企業を結びつけるプログラムを、人と人を結びつけるプログラムに変更するのは、たいした難しくなかったそうで。それを元にして結婚相談所を始めたんです』

 「へえ」私はその話の非合法な部分には目をつぶることにした。「うまくいったんですか?」

 『まあ、いくつか不具合はありましたが、少しずつバージョンアップを重ねて、精度を高めていきましてね。あ、ちなみに、私の妻もそこで捕まえたんです。相談所を開いて、何人目かの客だったんですが、私がゲットしちゃったんですよ。フライングゲットです。あはははは』

 「……」

 『失礼』私の雄弁な沈黙に、桐野はすぐに落ち着きを取り戻して、話を続けた。『どうでもいい話でしたね。まあ、そんなわけで、3年ほどになりますが、何とか利益が出るようになってきました。なにしろ経費がほとんどかからないですからね。ところが、先々月あたりから、お引き合わせした男性の会員様から、苦情が入るようになりました』

 「どういった内容ですか?」

 『婚約して、指輪まで買ったのに、急に相手が姿を消して、一切音信不通になってしまったと』

 「金をだまし取られたとか?」

 『幸い、それはないんです。今のところ、ですが』桐野は心配そうな声を出した。『ただ、今後、ひょっとするとそういうことが起こらないとも限らないですし、そうでなくても評判が下がることはダメージです。同業他社はたくさんいるし、大々的な広告打てるわけじゃないので、口コミだけが頼りみたいなところがあるんです。三村さんならわかりますよね』

 「まあ、そうですね」

 この副業も、口コミだけで顧客を獲得しているので、私は少しだけ桐野に同情した。あくまでも少しだけであるが。

 「その結婚詐欺をやったという女性会員の方は、何と言っているんですか?」

 『それが……男性会員様への連絡が途絶えると同時に、こちらからも連絡が取れなくなってしまいまして。自宅の住所に手紙を出してみたのですが、宛先不明で戻ってきてしまいました』

 「デタラメな住所を申告したってことですか」

 『でなければ、すぐに引っ越したか……でも、うちは写真付きの身分証明書の撮影もやっているんです。申告した住所と、その画像を照合するのは、入会手続きの最初にやることです』

 「一致していたんですか」

 『はい。1人なら何かのミスということもあるでしょうが、連続しているとなると……』

 「でも、それがシステムの問題というより、人の問題じゃないんですか?それなら、私はあんまりお役には立てないですよ」

 『そういう可能性もあるんですが、私はこれが誰かの陰謀じゃないかと思っているんですよ』

 「陰謀ですか?たとえば誰の?」

 『きっと同業他社の誰かとか』

 「はあ、なるほど」飛躍した考えだと思ったが、私は反論しなかった。「何かそう考える根拠はあるんですか?」

 『これは想像ですが、誰かが何かの方法で、うちのシステムにトロイの木馬か何かを仕込んで、有望な女性会員の情報を流出させて、別の結婚相談所の男性会員に紹介してしまってるとか。少し条件のいい相手なら、女性会員だってそっちに乗り換えてしまうかもしれないでしょう?』

 「そういうもんですかね」私はぶっきらぼうに答えた。「あいにく、そういう心理はわからないもんで」

 『そういうもんなんですよ。結婚相談所に来る人間なんてね、男も女も、鵜の目鷹の目で少しでもいい条件の異性をゲットしようと必死なんですから。1人で複数の紹介所に登録することなんて、珍しくもないんです。元請けがいくつもの下請けを秤にかけて、一番、安くて納期が早いところを選ぶのと一緒ですよ』

 やれやれ。この男は、結婚相談所に勤務しているくせに、ロマンというものを、少しも持ち合わせていないんだろうか。しかも、自分の妻を、その結婚相談所で「フライングゲット」しておいて。録音してある音声を、配偶者に聞かせてやりたいものだ。

 『それで普通の探偵事務所に行ってみたんですが、まあ、予想通りというか何というか、どこも同じ答えでした。お役には立てません、って』

 「それで、私に?」

 『そうなんです。いろいろツテに当たっているうちに、こういうIT的な調査が得意な探偵さんがいると聞いて』

 「別に探偵のつもりはないですけどね」私はマグカップに濃いコーヒーを注いだ。「まあ、その手の調査を専門にしていることは確かですが。とりあえず一度、システムを止めて、調べてみてはいかがですか?」

 『それができるぐらいなら、三村さんに頼みはしませんよ。今はシステムを止められないんです』

 「それはまたなぜですか?24時間営業なんですか?」

 『それもあります』

 「他にも理由が?いくら24時間営業だといっても、たとえば、深夜に1時間ほど停止するぐらい、たいしたことではないでしょう」

 『実は、事業拡大のために出資を求めていて、ある銀行が話を聞いてくれたんですよ。今、その稟議の真っ最中なんですが、24時間ノンストップで受け付け可能、というのを売りにしているので……』

 「止まっちゃまずい、というわけですか」

 『そのとおりです』

 「なるほど」私は短く唸った。

 『引き受けていただけますか?』

 「つまり、おたくのシステムに、誰がどんな仕掛けをしたのか、それを調べて欲しいということですか?」あるいは、誰も何もしていないことが明らかになるか。その可能性の方が高い、と思ったが、口には出さなかった。

 『はい、お願いします。もう万策尽きたんです。このことは社長には話していません』

 「じゃあ、桐野さん個人として依頼されるんですか?」

 『そのとおりです』

 「社長さんにシステムを調べてもらった方が話が早いんじゃないですかね」

 『運営は私に一任されているんです』桐野は今にも泣きそうな声で訴えた。『社長は悪い人ではないですが、自分のプログラムには絶対の自信を持っていて、素人の私が不具合だとか言っても、聞き入れてくれるはずがありません。それに、社長は今、交通事故で入院中なんですよ。ひき逃げに遭いまして。意識はありますが、あまり心労をかけたくないんです』

 「ほう。それは大変ですね。じゃあ桐野さんが1人で全部やっているようなもんですね」

 『そうなんです。私にはこの会社を守る義務があります。社長が退院したら報告しなければなりませんが、それまでに、原因が判明するとか犯人がわかるとか、とにかく、一定の成果が出しておきたいんです』

 「まあ、どうしても私に調査を依頼したいというのなら構いませんが。料金と条件は聞いてますね?」

 『料金は……はい、聞いてます。いささかお高いとは思いましたが、この際、背に腹は代えられません。条件も大丈夫です。直接、顔を合わせることはない。やり方に口を出さない。値切らない。犯罪の片棒を担がせるようなことはしない。ウソはつかない。結果は素直に受け止める。面白いネタはタカミス先生のブログに登場する可能性がある……でしたね』

 「ええ、そのとおりです」少なくとも予習はきちんとやってきたようだ。「じゃあ、後ほど、契約書の一式をメールで送りますので、サインと印鑑を押して郵送してください。郵送先は契約書に書いてあります」

 『あ、はい。じゃあ、メールアドレスを……』

 「いえ、それには及びませんよ」私はにこやかに遮った。「それはこちらで調べます」

 『でも……』桐野は不安そうな声を出した。『まだ、私、名前しか名乗ってませんよ』

 「それと職業とね。それだけあれば充分です。一両日内に、メールが届かなければ、私の調査能力はその程度だってことです。あなたもそんな相手に、大事な調査を任せる気にはならないでしょう?」

 『はあ、まあ、そうですが……』

 「大丈夫です。さっき言ってましたよね。口コミが大切だって。あなた以上に、私も口コミは重視しているんです。あなたの依頼をすっぽかすつもりなら、ここではっきり理由を言いますよ」

 『わかりました』不安そうな口ぶりではあったが、とりあえず桐野は決心してくれたようだ。『他にアテもないことですし、信頼することにします』

 「では、メールをお待ちください。何かまだ話していないことで、思いついたことでもあれば、またお電話ください。24時間、いつでも大丈夫です」

 『お願いします。それでは、お待ちしています。あ、それはそうと……』桐野は慌てたように付け加えた。『ひょっとして、結婚相手を探してらっしゃるお友達などはおりませんか?またはご親戚とか』

 「あいにく持ち合わせがありませんね」

 『そうですか。三村さんご自身はどうですか?素敵な女性会員が、まだまだたくさん登録されているのですがね。三村さんはきっとポイントの高い会員になると思いますよ。特別に入会金は勉強させてもらいますが』

 私は笑い出しそうになった。何とも商魂たくましいことだ。会社存続の危機に際して、それだけ必死なのかもしれないが。私の性別が実は女性だと知ったら、桐野はどう対応するのだろう。きっと素早く思考回路を切り替えて「素敵な男性会員がたくさんいる」と言い出すに決まっている。

 「あいにく不自由はしていませんので」

 『そうですか。では、失礼します。よろしくお願いします』

 通話が切れ、録音終了のポップアップが開いた。私はこらえる必要がなくなった笑いを洩らしながら、コーヒーをゆっくり飲んだ。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 発端は、4月1日午前零時に公開された、次の企画でした。

 ハートマーク・アイティ

 この中に、「ラブサスペンス小説「高村ミスズ女史の冒険」を配信」 という記事があります。

 この記事を読んだとき、ふと「これ、実際に書くとしたらどんな話になるのかな」と思い、ちょっと書き始めてみました。最初は、少し書いたら止めるつもりだったのですが、次第に熱中してしまい、気がつくと第1章が完成していました。

 「これはもう続きを書くしかない!」

 そうして完成したのが、「高村ミスズ女史の事件簿」です。

 タイトルは変更しましたが、「ベテランの男性研究員に扮した高村女史が、自宅から結婚詐欺事件を解決する」というストーリーはそのままいただきました。

 あまり真剣に技術考証などをしていないので、間違いなどはたくさんあると思いますが、ジョークと考えてください。

 全5章、毎日朝8:00公開。ライバルは朝ドラです。

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コラムニスト プロフィール

リーベルG
ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

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