ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (43) オーラと失念

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 どれぐらいの時間、茫然自失状態だったのか。田代を我に返らせたのは、耳元で気遣わしげに呼びかける倉田の声だった。ヘッドセットを着けていることさえ忘れていた。
 『田代さん』どうやら少し前から話しかけていたらしい。『もしもし、聞こえてますか?』
 「あ、ああ」口から出たのは、自分の声とは思えないかすれ声だった。「すみません。何でしたっけ」
 言いながら、視線はリオから逸らすことができなかった。その田代の異常を感じ取ったのか、倉田はいつもよりゆっくりと話してくれた。
 『212 行目からのロジックですけどね、ラムダだと逆にややこしくなるんで、普通のfor 文にしてコンバート部分だけ切り出しておきます。そうすると相沢くんがやってるJSON 処理に、そのまま使えると思うんです』
 「えーと、ちょっと待ってください」田代はモニタに目を戻したが、該当のソースが見つからない。「どのクラスでしたか」
 『NRQ9028L です。大丈夫ですか?』
 田代はやっとソースを開いてスクロールしたが、いつもなら記憶と瞬時にリンクするコードが、まるで異星の言語で書かれてでもいるように、一向に頭に入ってこない。
 「......あ、その」田代は無理矢理咳払いして誤魔化した。「大丈夫です。修正、任せます。終わったらC にデプロイして再起動してください」
 『わかりました。SV さんへの連絡はどうします?』
 「それもお願いしていいですか」
 『了解です』
 田代が通話を終えると、待ちかねたようにリオが話しかけてきた。
 「お久しぶりですね、田代さん」
 「木内さん......いや、柳本さんか」
 「木内でいいですよ」リオは笑いながら言った。「お元気そうでなによりですね」
 「木内さんも元気そうだ」
 そう言うと、リオの目から笑みが消え失せた。
 「元気に見えるんですか」低い声でリオが言った。「田代さんがあたしに何したか忘れたんですか」
 「俺は何も......」
 「ああ、なるほど」リオは腕を組んで、薄く笑った。「自覚がないから、呑気に仕事してるってことですね。こんな女性ばっかりの職場で。見下す相手がたくさんいて、さぞかし楽しいことでしょうね」
 田代は額に汗が浮かぶのを感じた。口元が笑みを形作っていても、リオが発する雰囲気に友好的な要素はひとかけらもない。美人は得だ。言葉遣いと目元の動きをほんの少し変化させるだけで、大声を出すよりも数倍効果的に怒りを伝えることができる。
 「最後に会った時」田代は小声で言った。「何もなかったと認めたじゃないか」
 「はい、あのときは」リオはあっさり認めた。「でも、後からよくよく考えてみると、あたしの扱いって、結構、ひどかったですよね。だから撤回します」
 「何のことだ」
 「たとえばですね」言ったのは雨宮だった。「繁忙期でも、木内さんだけ先に退社させたりしたそうじゃないですか」
 「はあ? 女子社員に対する当然の配慮でしょう」
 「19 時ぐらいで帰れと言ったことがあるらしいですが」
 「それが何か」
 「つまり19 時以降は木内さんを戦力とみなさない前提で、タスクの割り振り等を行っていた、ということですね。必然的に重要なタスクは外していたんじゃないですか。不公平だとは思わなかったんですかね」
 「意味がわかりませんね」
 「木内さんからスキルと経験値を高める機会を奪っていた、ということです。性差による明確な差別です」
 あまりにも露骨なこじつけに、田代が唖然となったとき、イズミが進み出て、リオに話しかけた。
 「はじめまして。アリマツの朝比奈と申します。木内さんの話は伺っています」
 「はあ」リオは困惑顔で応じた。「どうも」
 「結婚と同時にお仕事は辞められたと聞いたんですが、今は復帰されたんですか?」
 「ええ」リオは頷いた。「契約社員ですが、雨宮さんのところで働かせてもらっているんです。ソリューション企画の部署にいて、QQS さんの案件も少し絡んでるんですよ。今日がイベント最終日なので、現場を見ておくのも勉強になる、と雨宮さんに言われて」
 「なるほど」イズミは微笑んだ。「それは心強いですね。お手伝いしていただけるんですか」
 最後の問いは雨宮に向けられていた。雨宮は戸惑った表情を浮かべたものの、すぐに頷いた。
 「ええ。ただ、プログラミングなんかはできませんよ」
 「構いません。じゃあ、早速、少し手を貸していただけますか」
 「はあ。私でお役に立てれば」
 イズミに誘導されてリオが会議室の方に行ってしまうと、雨宮は嘲るように言った。
 「どうです、彼女。ちゃんと自分の考えを持って行動しているじゃないですか。田代さんの下で働いていたときに比べれば、雲泥の差だ」
 「......」
 「なんと言っても美人ですからね」雨宮は田代の返事など期待する素振りすら見せずに続けた。「彼女が口を開けば、男女を問わず大抵の人が注目し、耳を傾ける。そんなオーラがあります。そう思いませんか」
 田代は唸った。
 「あんたは何がしたいんだ」
 「私は女性が活躍する場所を、もっと増やしたい。そう考えているだけです。それがあるべき姿ですからね。そのためにも、彼女のような華がある人に実例になってもらわなければ」
 「実力が伴っていれば大いに結構だがな」
 「田代さんの言う実力って何ですか」雨宮は鼻で笑った。「プログラミングスキルのことですかね。あいにく、うちにはそんなもの必要ではないんです。対人折衝とベンダーコントロール、その二つこそが重要です」
 「木内さんは、その二つを持っているのか。俺はそうは思わないがね」
 「そら出た。女性に対する偏見ですね」
 「性別は関係ない。身の丈に合わない期待を押しつけられて、困る人だっていると言いたいだけだ」
 「ご心配なく。うちでしっかり研修は受けてますからね。それに木内さんには、人を惹きつけるオーラがあります。それは誰もが持てるようなものじゃない」
 オーラ、オーラって、あんたはバイストン・ウェルの生まれかよ。田代は心の中で毒づいた。
「少しぐらい研修受けたからって何ができる」
 「いろいろできますよ。金城さんをうまく誘導して、追加仕様を増やさせるとかね」
 その言葉に、田代はハッと気付かされた。
 「まさか、昨日からいくつもスポットが追加されたのは......」
 「うちが提案させていただいたんですよ」雨宮はまた嘲笑した。「もちろん、最終決定したのはQQS さんですがね」
 「何がしたいんだ」田代は再び訊いた。
 「木内さんの見せ場を作ってるんですよ」
 田代が訊き返そうとしたとき、センターに椋本副部長が入ってきた。後ろに総務の土井も続いている。
 「田代くん」椋本は呼びかけ、雨宮に目を向けた。「こちらは?」
 「エースシステム東海の雨宮です」雨宮が椋本に一礼した。
 「エースシステムさんですか」椋本も礼を返した。「ああ、そういえば、QQS さんのシステムはエースシステムさんでしたか。田代が何か失礼なことでも?」
 「いえ、以前、別の仕事で一緒になったことがあり、そのときの話が弾んでいただけですよ」言いながら、雨宮は土井に視線を移した。「そちらは?」
 「うちの総務の人間ですが、田代と同じ部署の兼務です。社内の広報を担当しておりまして、今日は、センターの取材で同行させました」
 「そうですか。女性を積極的に活用されているようで素晴らしいですね」雨宮は土井に頷いてから、田代に目を戻した。「さて、私は少し用事があるので、また、後ほどお会いしたいですね。いろいろお話もあるので。では」
 雨宮は沼田に合図してさっさと出ていった。その姿を見送った椋本が心配そうな顔で田代に訊いた。
 「何かトラブルかね?」
 「いえ」田代は否定してから訊いた。「今日、お見えになる予定でしたっけ」
 「昨日から、連続でスポット受電なんかが追加されてて、DX もRM も、ほぼ徹夜で対応してくれていた、と聞いたからね。状況を確認しにきたんだ。どうなんだね」
 「大物のゲーマー対談は何とかクリアです。今は、常時受電の方で修正が入ったので対応してます」
 「寝てないんだろう。大丈夫かね」
 「ええ」田代はかろうじて笑みを浮かべた。「なんとか」
 「そうか。私は根津と話をしてくる」
 椋本は出ていき、土井はSV の紫吹に話しかけている。まだリオと再会した動揺が収まっていなかったが、とにかく仕事を進めなければ。
 田代は腰を下ろしてモニタに向き直ったが、どうにも集中できなかった。雨宮が口にした言葉が気になっていた。リオの見せ場を作る、とはどういう意味だろう。
 そういえばイズミはどこにいったんだ、と会議室の方に目をやると、ちょうど姿が見えた。リオと並んで歩いている。意外にも談笑していた。
 「今、柳本さんと」イズミは田代に笑いかけた。「名古屋の隠れグルメについて、いろいろ教えてもらっていたんです」
 「あ、ああ、そう」
 「面白い方ですね、朝比奈さんは」リオは田代の顔を見ると、笑みを消した。「それに責任ある仕事を任されているようですし。あたしとは大違い。少しは反省されたってことなんですか」
 「......」
 「それはそうと、今日の12 時からの通販コーナー受電なんですけど」リオは事務的な声で言った。「最終日なんで、お買い上げいただいた方にハロウィーングッズをサービスしよう、ということになりました。つきましては注文受付時に、どのグッズがいいのかヒアリングしてもらいたいです。グッズのリストは20 分前に渡します」
 「柳本さんの提案ですか?」イズミが訊いた。
 「ええ。雨宮さんから提案はどんどんしていいとお許しもらってるので」リオは田代に向き直った。「できますよね。システム対応」
 「......問題ない」
 「ただ、グッズの数は制限あるんで、その制御もお願いしますね」
 再起動が必要になる修正だ。幸い、まだ時間はあるから調整は可能だろう。
 「わかった」
 「よかった」リオは輝くような笑顔を見せた。「田代さんならやってくれると思ってましたよ。優秀な方ですもんね。まあ無理でもなんでも、やってもらわないと困りますけど」
 金城さんに報告してきまーす、と言い置いてリオがQQS 席の方に弾むような足取りで歩いていくと、イズミが心配そうに訊いた。
 「大丈夫ですか?」
 「ああ、項目の追加はSV にやってもらえばいいし、制御のロジックだけ入れれば......」
 「いえ、そうじゃなくて再起動が必要な修正じゃないんですか」
 「もちろんそうだが、まだ12 時までには時間があるから」
 「さっき倉田さんと話したんですが、この後、すぐに再起動予定してるみたいですが」
 田代は愕然となった。自分が倉田に任せたことを思い出したのだ。
 「しまった」
 急いでIP 電話機に手を伸ばしたが、指が届く前に、着信が入った。
 『倉田です。再起動かけました。C にログインし直してもらうよう、SV さんには連絡済みです』
 「B の方はどうなってましたっけ」
 『B ですか』倉田の怪訝そうな声が聞こえた。『9 時30 分過ぎに、一度、デプロイしてますよね』
 「そうだった......あ、C の方はもう使い始めてますか」
 『はい。Tomcat のセッションが4 になってますから』
 まずったな。田代は自分自身を殴りつけたくなった。これまでは、デプロイ作業は横浜のメンバーに任せても、SV への連絡は自分でやってきたのに、今回に限ってはそれも委任してしまった。デプロイが終わった後、どのOP も使用していない状態なら、もう一度、再起動をかけられたのに。
 やはり、思いもよらずリオが現れたため動揺していたのだろう。これも雨宮の意図したことだとしたら、その効果はてきめんだ。
 『どうかしましたか』
 倉田が訊いてきたので、田代は状況を説明した。
 「朝いちのスポット受電はもうすぐ終わるから」田代は赤線だらけになったスケジュール表を見ながら言った。「もう一度、再起動かけましょう」
 『常時受電のA の方が修正入ってます』倉田が指摘した。『そっちを一時的にB に移して修正予定だったはずですが』
 「......そうでした」田代はだんだん混乱してくる思考に、何とか秩序をもたらそうと頭をフル回転させた。「ならB の修正を少し待って、その間にC の切り替えタイミングを計って......」
 「いえ、ダメです」イズミが横から言った。「今日は月曜日、平日です。NARICS を使ってる他業務に影響出ませんか?」
 俺はどうなってしまったんだ。普段なら、分単位で頭に入っているNARICS を使用している業務の稼働日時に、全く思い至らなかったとは。目の前のタスクだけではなく、常に、全体を思い描いて作業しろ、と俺自身がメンバーに言っていることだというのに。
 「あら、何か問題でしょうか」
 楽しそうに言ったのは、リオだった。雨宮、沼田も一緒だ。
 「まさか、さっきお願いしたことが、できないなんてことはないでしょうね」
 田代は全身に滝のような汗が噴き出すのを感じた。何もかも放り出して、熱い風呂にゆっくりつかり、冷たいビールを喉に流し込みたい。ベッドにぶっ倒れて12 時間眠りたい。
 「すみません」イズミが頭を下げていた。「少し調整の時間が必要のようです」
 「なんだ」雨宮が冷笑した。「大口をたたくから、どんなものかと思ったら、その程度なんですか」
 「......」
 「やれやれ。できない約束はするものではないですね。柳本さん、どうでしょう? せっかく提案してもらったんですが、いったん、なしにしてもらうよう、金城さんにお願いしてみては」
 「うーん。それはちょっと困りますね」
 「そこを何とかできませんか。柳本さんがお願いしてもらえば、金城さんだってきっとわかってくれますよ」
 全部、こいつがやったんだな。雨宮だってスケジュール表は読める。どこでスポット受電や仕様変更を差し込めば、俺に負荷がかかるか調べたんだろう。システム構成はQQS に提出済みだから、雨宮がそれを入手するのは簡単だ。おまけに雨宮は素人ではなく一通りの知識がある。
 俺に負荷をかけて、休む時間を削り、集中力を欠くようにしむけた。そしてリオを俺の前に置いて大きく動揺させた。俺をバッファオーバーフロー状態にさせ、恥をかかせるために。
 もうどうだっていいか。田代は投げやりに考えた。俺が頭を下げて、リオに仕様変更の取り下げを頼む。それだけのことだ。
 田代はリオを見て口を開きかけた。だが、イズミに先を越された。
 「少しお待ちください」
 全員の視線がイズミに集中した。田代も例外ではない。何を言い出す気だ。疲労困憊した頭で田代はそう考え、穴が空くほどイズミの顔を凝視した。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(14)

コメント

匿名

>「寝てないんだろう。大丈夫かね」
>「そうか。私は根津と話をしてくる」
この間に何か会話(相槌)ありますかね?

匿名

「なんと言っても美人ですから」とか
「華がある人」とか
一番女性差別してるのは雨宮だな

匿名

必要なのはプログラミングスキルではなく、オーラ力だった・・?
しかし権力を誇示するために無茶なタスクを吹っ掛けるとか最悪だね。

匿名

別のシリーズでもそうだっけど、フィクションとはいえ私怨や権力誇示のためにプロジェクトや本番オペレーション下でこういうのはどうなの、とどうしても考えてしまう

匿名

でも見せ場はあっても結局一円も売り上げが増加していない予感。

匿名

オーラがある→リオは「ちじょうびと」ってことですね。

匿名D

さて、雨宮女史は、リオ嬢の定時退社を応援していたはずだが。
まあ、こういう人は、自分の舌の数も覚えていないんだろうな。


>対人折衝とベンダーコントロール、その二つこそが重要です


どっちもエースの権力を背景にしたもので、
本人のスキルと言えるものなんてどれほどのものやら。
現場に負荷をかけているのが胸の張れる成果なのかね?
業務上の権限を私物化するなんて、
その面の厚さには恐れ入るしかないわ。


リオ嬢は、これは強い方になびいているだけだね。

匿名

実は、先週分を読んで、逆転でリオが田代の味方になって雨宮をギャフンと言わせる展開かな?と思ったが、全然違った。汗

匿名

雨宮さんは高杉さんと同じような上級SE様なのかな。
性差に関する意識も上級すぎて怖い。。。

匿名

見せ場を作っても、一度言った事を取り下げるのがマズイという会社のメンツは無視しているような。

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。
間に1行抜けてました。

匿名

ICレコーダー回して、偉い人に突き出したくなってしまう。
オタクの社内自治が成ってないですって。
そして次回、イズミさんどうでるか。

匿名

雨宮さんのことはエース東海でも持て余しているようなので、
泳がせておいて自ら失点してくれるのを待っているのか、
それともエースvsQ-LICの因縁絡みでまた一波乱あるのか…

うどんこ

「バイストン・ウェルの世界」なつかしいワードに富野由悠季の小説(アニメかな)を思い出しました、次回を楽しみにしています。

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