レインメーカー (11の冒頭)
6 月19 日、土曜日。朝から降り続く雨のせいか、肌寒い。9 時には目覚めて朝食を済ませたイズミだったが、外出する気分ではなく、かといって勉強に手を付ける意欲も湧かず、ソファの上でゴロゴロしているだけだった。
間の悪いことに、昨日からネット回線のトラブルにより、断続的に接続が途切れる、極端に回線速度が落ちる、という現象が頻発している。プロバイダのサポート窓口に電話したが、同じ境遇のユーザからの問い合わせが殺到しているのか、オペレータにつながる段階までたどり着かなかった。そのためにYoutube もAmazon Prime Video もNetflix も満足に視聴することができない。
こういうときのために円盤で映画をストックしておくんだった、とイズミは今さらながら悔やんだ。この1LDK のマンションはアリマツへの就職が決まったときに借りたが、実家からの(正確には義母からの)援助は得られなかったので、家具や家電は最小限度にとどめてある。ブルーレイプレーヤーは少し悩んだ末、断念した。サブスクで多くの映画が観られる現在では必需品ではなくなっていたし、特典映像などを見たいとも思わなかったからだ。
11 時近くになると、さすがにゴロゴロしているのも飽きてきたので、イズミはのろのろと起き上がった。ランチの支度でもするかな、と冷蔵庫を開いたものの、たいした食材が残っていないことに気付かされただけだ。今週は帰りが遅く、買い物に行く気力もないまま、コンビニ弁当で夕食を済ませていた。
よし、とイズミは両手で頬をピシャッと叩いてモードを切り替えた。久しぶりにパンでも焼くか。
イズミはもう一度冷蔵庫を開いた。無糖のアーモンドミルク、無塩バター、スーパーカメリヤのドライイースト。ドライレーズンも一握りほど残っている。レーズンパンなら作れそうだ。
キッチンの戸棚を開け、強力粉が残っていることを確認した後、イズミはティファールの電気ケトルに水を入れた。スイッチを入れてから、冷蔵庫から無塩バターの箱を取り出し、あらかじめ切り分けてあるかけらをつまむと、ステンレスの計量カップにコロンと入れた。冷蔵庫に箱を戻すと同時にケトルがカチッと鳴る。スープ皿の中央に計量カップを置き、その周囲に熱湯を注いだ。たちまち、バターの端が融解しはじめる。
次はドライイースト、と冷蔵庫に向き直ったとき、リビングでスマートフォンが軽やかに鳴り響いた。Axel F。この着信音を割り当ててあるのは会社関係の番号だ。イズミはタオルで手を拭くと、急いでスマートフォンを掴んだ。表示されている名前は『YT 社CC』だった。
「はい、朝比奈です」
『もしもしシオリです』シオリの落ち着いた声が聞こえた。『お休みの日にごめんなさい。今、大丈夫ですか?』
「おつかれさまです」イズミは固体から液体へと変化しつつあるバターを横目で見ながら答えた。「はい、どうしました?」
『うちのセンターのシステムがちょっとトラブってて』
つまり<コールくん>が、ということだ。でも、どうして私に?とイズミは首を傾げた。その気配が伝わったのか、シオリは続けて説明した。
『システム課には連絡したんだけどね。休日待機の吉村さんが宇都さんに電話しても、どっか行ってるらしくて出ないし、LINE 送っても既読にもならないって。他の人だと<コールくん>はわからないし』
「それで、どうして私に?」
『DX 推進は<コールくん>の保守を下期から引き継ぐことになってるじゃないですか。今、その準備中って聞きました。だから復旧? できるんじゃないかと。復旧できなくても、何かしら対応はできるだろうなと思って』
イズミは内心で呻き声を上げた。<コールくん>の保守引き継ぎ、というタスクが表向きのものであることを知っているのは、まだ10 人以下だ。シオリはその一人ではない。
「トラブルって具体的に何が起こってるんですか」
『画面の一部が急に反応しなくなることがあって』シオリの背後で、誰かが早口でまくしたてている声が聞こえた。『受電処理中に急に固まるんです。そうなると他のボタン押しても、503 とかエラー出てしまって。ブラウザを閉じて、もう一度、ログインし直すと直るんですけど』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
身内に急な不幸があったため、今週はここまでです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
10/31 すいません。もう一週、お休みいただきます。
コメント
yupika
いつもありがとうございます。
ごゆっくりなさってください。
匿名
「Axel F」にくすりとしました。
どうぞご無理なさらず……
Miggy
いつも楽しく拝見しています。
ゆっくりお休みしてください。