高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (1)
真夜中にかかってくる電話が、いい知らせであったためしがない。そもそも小指の先ほどでも常識を所有しているヤツなら、よほどのことがない限り、日付が変わった直後に他人に電話をかけるという選択はしない。
不幸にして、真夜中過ぎに私に電話してくるヤツは、たいていがよほどの事情を抱えている。私はコーディング中のScalaのソースから目を離して、しつこく振動している電話に手を伸ばしかけ、それが7つ所有している電話の中で、唯一のブラックベリーであることに気付いた。この電話の、定期的に変更している番号を知っている人間は、この地上に数人しかいないはずだった。ということは、特殊事情の件だ。
私はその電話をつかむと、常に接続してあるヘッドセットを装着した。ボイスチェンジャーの作動を示すパイロットランプが点滅しているのを確認して、通話を開始する。
「はい」
『あのお』気弱そうな男の声だった。『三村スズタカさんの携帯でしょうか?』
ちがうよ、と答えたいのをこらえながら、私は部屋中に点在している18個のモニタの1つに目を走らせた。ブラックベリーで受信された音声は、同時にPCに転送され、音声認識ソフトによって解析される。過去の通話記録があればポップアップ表示されるのだが、この男の音声は登録されていなかった。
「そうですが」私は渋々肯定した。「どちらさま?」
『失礼ですが』男は深夜の電話について謝罪もせずに続けた。『あの三村スズタカさんでしょうか?』
「あの、ってどの?」私はぶっきらぼうに訊いた。
『あの高村ミスズ先生のご同僚の、三村スズタカさんでいらっしゃいますか』
――やっぱり、そっちか。
「そうですが」
『ああ、よかった。高村ミスズ先生のブログをいつも拝見していますし、Twitterもフォローしてます』
「高村に何かご用ですか?紹介ならできませんよ。高村は先日オープンした、どっかの図書館の個人情報流出の件で忙しくてね」
『はあ?いえ、三村さんにお願いしたいことがありまして。なんでも、三村さんは特殊な依頼を引き受けていらっしゃるとか』
「あなたは?」
『失礼しました』電話の向こうで男がぺこぺこと頭を下げている光景が浮かんだ。『私は……桐野と申します』
「桐野さんね」私はソフトウェアキーボードで、音声データに名前を入力した。「で、この番号は誰からお聞きになりました?」
桐野はある不動産ブローカーの名前を言った。確かに、コーディネータの1人だ。
「なるほど。それでご用は?」
『私、都内某所の結婚相談所で、経理などの一般事務をやっている者ですが……』
「あいにく結婚には今のところ興味はないんですがね」
『……』
「すいません。続けてください」
『実は、うちの会員様から、詐欺にあったとの苦情が、立て続けにありまして』
「詐欺、というと?つまりアカサギですか?」
『結婚詐欺です』桐野は私の言葉を訂正した。『先月だけで6名の会員様が被害に遭われています』
「はあ、それは大変ですね」
『大変どころではありません』語気が強まった。音声分析のグラフが、ノコギリ歯のような波形を描く。強いストレスの兆候だ。『そのウワサが広がって、他の会員様も次々に退会している始末で。このままでは、うちの経営は成り立たなくなります』
「興味深いお話ですが、なぜ、それを私のところに?税金を納めている真っ当な企業なら、警察という無料相談所に直行なさるべきではないんですか?」
『いや、警察沙汰にしたくはないんです。警察が介入してきたら、やっぱりうちの評判はがた落ちになってしまいます。今はウワサで済んでいるものが、一気に真実味を帯びてしまうじゃないですか』
「まあ風評被害というのは恐ろしいですからね。でも、桐野さん、あなた、やっぱり電話番号を間違えてませんかね」
『え?』
「まともな探偵事務所なら、タウンページ見ればたくさん載ってますよ」
桐野は少し沈黙した。ひょっとして手元のタウンページを探しているのか、と思ったが、そうではなかった。
『三村さん。うちの結婚相談所の従業員ですが、何人いると思います?』
「さあ……20人ぐらい?」私は当てずっぽうで答えた。
『2人です』
「え?」
『2人です』桐野は繰り返した。『私を入れて。私と社長だけです』
「2人でどうやって……ああ、ひょっとして完全にシステム化されているというやつですか」
『そうです。完全なペーパーレスです。応対さえシステム任せになってます』
「つまり、こういうことですか」私は確認した。「おたくの結婚詐欺事件には、システムが絡んでいると」
『そのとおりです』桐野の声が弾んだ。『社長は元々、ソフトウェア開発のエンジニアだったんです。その……事情があってリストラされたとき、社長は会社で開発中だった転職マッチングシステムのソースを持ち出したんです。人と企業を結びつけるプログラムを、人と人を結びつけるプログラムに変更するのは、たいした難しくなかったそうで。それを元にして結婚相談所を始めたんです』
「へえ」私はその話の非合法な部分には目をつぶることにした。「うまくいったんですか?」
『まあ、いくつか不具合はありましたが、少しずつバージョンアップを重ねて、精度を高めていきましてね。あ、ちなみに、私の妻もそこで捕まえたんです。相談所を開いて、何人目かの客だったんですが、私がゲットしちゃったんですよ。フライングゲットです。あはははは』
「……」
『失礼』私の雄弁な沈黙に、桐野はすぐに落ち着きを取り戻して、話を続けた。『どうでもいい話でしたね。まあ、そんなわけで、3年ほどになりますが、何とか利益が出るようになってきました。なにしろ経費がほとんどかからないですからね。ところが、先々月あたりから、お引き合わせした男性の会員様から、苦情が入るようになりました』
「どういった内容ですか?」
『婚約して、指輪まで買ったのに、急に相手が姿を消して、一切音信不通になってしまったと』
「金をだまし取られたとか?」
『幸い、それはないんです。今のところ、ですが』桐野は心配そうな声を出した。『ただ、今後、ひょっとするとそういうことが起こらないとも限らないですし、そうでなくても評判が下がることはダメージです。同業他社はたくさんいるし、大々的な広告打てるわけじゃないので、口コミだけが頼りみたいなところがあるんです。三村さんならわかりますよね』
「まあ、そうですね」
この副業も、口コミだけで顧客を獲得しているので、私は少しだけ桐野に同情した。あくまでも少しだけであるが。
「その結婚詐欺をやったという女性会員の方は、何と言っているんですか?」
『それが……男性会員様への連絡が途絶えると同時に、こちらからも連絡が取れなくなってしまいまして。自宅の住所に手紙を出してみたのですが、宛先不明で戻ってきてしまいました』
「デタラメな住所を申告したってことですか」
『でなければ、すぐに引っ越したか……でも、うちは写真付きの身分証明書の撮影もやっているんです。申告した住所と、その画像を照合するのは、入会手続きの最初にやることです』
「一致していたんですか」
『はい。1人なら何かのミスということもあるでしょうが、連続しているとなると……』
「でも、それはシステムの問題というより、人の問題じゃないんですか?それなら、私はあんまりお役には立てないですよ」
『そういう可能性もあるんですが、私はこれが誰かの陰謀じゃないかと思っているんですよ』
「陰謀ですか?たとえば誰の?」
『きっと同業他社の誰かとか』
「はあ、なるほど」飛躍した考えだと思ったが、私は反論しなかった。「何かそう考える根拠はあるんですか?」
『これは想像ですが、誰かが何かの方法で、うちのシステムにトロイの木馬か何かを仕込んで、有望な女性会員の情報を流出させて、別の結婚相談所の男性会員に紹介してしまってるとか。少し条件のいい相手なら、女性会員だってそっちに乗り換えてしまうかもしれないでしょう?』
「そういうもんですかね」私はぶっきらぼうに答えた。「あいにく、そういう心理はわからないもんで」
『そういうもんなんですよ。結婚相談所に来る人間なんてね、男も女も、鵜の目鷹の目で少しでもいい条件の異性をゲットしようと必死なんですから。1人で複数の紹介所に登録することなんて、珍しくもないんです。元請けがいくつもの下請けを秤にかけて、一番、安くて納期が早いところを選ぶのと一緒ですよ』
やれやれ。この男は、結婚相談所に勤務しているくせに、ロマンというものを、少しも持ち合わせていないんだろうか。しかも、自分の妻を、その結婚相談所で「フライングゲット」しておいて。録音してある音声を、配偶者に聞かせてやりたいものだ。
『それで普通の探偵事務所に行ってみたんですが、まあ、予想通りというか何というか、どこも同じ答えでした。お役には立てません、って』
「それで、私に?」
『そうなんです。いろいろツテに当たっているうちに、こういうIT的な調査が得意な探偵さんがいると聞いて』
「別に探偵のつもりはないですけどね」私はマグカップに濃いコーヒーを注いだ。「まあ、その手の調査を専門にしていることは確かですが。とりあえず一度、システムを止めて、調べてみてはいかがですか?」
『それができるぐらいなら、三村さんに頼みはしませんよ。今はシステムを止められないんです』
「それはまたなぜですか?24時間営業なんですか?」
『それもあります』
「他にも理由が?いくら24時間営業だといっても、たとえば、深夜に1時間ほど停止するぐらい、たいしたことではないでしょう」
『実は、事業拡大のために出資を求めていて、ある銀行が話を聞いてくれたんですよ。今、その稟議の真っ最中なんですが、24時間ノンストップで受け付け可能、というのを売りにしているので……』
「止まっちゃまずい、というわけですか」
『そのとおりです』
「なるほど」私は短く唸った。
『引き受けていただけますか?』
「つまり、おたくのシステムに、誰がどんな仕掛けをしたのか、それを調べて欲しいということですか?」あるいは、誰も何もしていないことが明らかになるか。その可能性の方が高い、と思ったが、口には出さなかった。
『はい、お願いします。もう万策尽きたんです。このことは社長には話していません』
「じゃあ、桐野さん個人として依頼されるんですか?」
『そのとおりです』
「社長さんにシステムを調べてもらった方が話が早いんじゃないですかね」
『運営は私に一任されているんです』桐野は今にも泣きそうな声で訴えた。『社長は悪い人ではないですが、自分のプログラムには絶対の自信を持っていて、素人の私が不具合だとか言っても、聞き入れてくれるはずがありません。それに、社長は今、交通事故で入院中なんですよ。ひき逃げに遭いまして。意識はありますが、あまり心労をかけたくないんです』
「ほう。それは大変ですね。じゃあ桐野さんが1人で全部やっているようなもんですね」
『そうなんです。私にはこの会社を守る義務があります。社長が退院したら報告しなければなりませんが、それまでに、原因が判明するとか犯人がわかるとか、とにかく、一定の成果が出しておきたいんです』
「まあ、どうしても私に調査を依頼したいというのなら構いませんが。料金と条件は聞いてますね?」
『料金は……はい、聞いてます。いささかお高いとは思いましたが、この際、背に腹は代えられません。条件も大丈夫です。直接、顔を合わせることはない。やり方に口を出さない。値切らない。犯罪の片棒を担がせるようなことはしない。ウソはつかない。結果は素直に受け止める。面白いネタはタカミス先生のブログに登場する可能性がある……でしたね』
「ええ、そのとおりです」少なくとも予習はきちんとやってきたようだ。「じゃあ、後ほど、契約書の一式をメールで送りますので、サインと印鑑を押して郵送してください。郵送先は契約書に書いてあります」
『あ、はい。じゃあ、メールアドレスを……』
「いえ、それには及びませんよ」私はにこやかに遮った。「それはこちらで調べます」
『でも……』桐野は不安そうな声を出した。『まだ、私、名前しか名乗ってませんよ』
「それと職業とね。それだけあれば充分です。一両日内に、メールが届かなければ、私の調査能力はその程度だってことです。あなたもそんな相手に、大事な調査を任せる気にはならないでしょう?」
『はあ、まあ、そうですが……』
「大丈夫です。さっき言ってましたよね。口コミが大切だって。あなた以上に、私も口コミは重視しているんです。あなたの依頼をすっぽかすつもりなら、ここではっきり理由を言いますよ」
『わかりました』不安そうな口ぶりではあったが、とりあえず桐野は決心してくれたようだ。『他にアテもないことですし、信頼することにします』
「では、メールをお待ちください。何かまだ話していないことで、思いついたことでもあれば、またお電話ください。24時間、いつでも大丈夫です」
『お願いします。それでは、お待ちしています。あ、それはそうと……』桐野は慌てたように付け加えた。『ひょっとして、結婚相手を探してらっしゃるお友達などはおりませんか?またはご親戚とか』
「あいにく持ち合わせがありませんね」
『そうですか。三村さんご自身はどうですか?素敵な女性会員が、まだまだたくさん登録されているのですがね。三村さんはきっとポイントの高い会員になると思いますよ。特別に入会金は勉強させてもらいますが』
私は笑い出しそうになった。何とも商魂たくましいことだ。会社存続の危機に際して、それだけ必死なのかもしれないが。私の性別が実は女性だと知ったら、桐野はどう対応するのだろう。きっと素早く思考回路を切り替えて「素敵な男性会員がたくさんいる」と言い出すに決まっている。
「あいにく不自由はしていませんので」
『そうですか。では、失礼します。よろしくお願いします』
通話が切れ、録音終了のポップアップが開いた。私はこらえる必要がなくなった笑いを洩らしながら、コーヒーをゆっくり飲んだ。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
発端は、4月1日午前零時に公開された、次の企画でした。
この中に、「ラブサスペンス小説「高村ミスズ女史の冒険」を配信」 という記事があります。
この記事を読んだとき、ふと「これ、実際に書くとしたらどんな話になるのかな」と思い、ちょっと書き始めてみました。最初は、少し書いたら止めるつもりだったのですが、次第に熱中してしまい、気がつくと第1章が完成していました。
「これはもう続きを書くしかない!」
そうして完成したのが、「高村ミスズ女史の事件簿」です。
タイトルは変更しましたが、「ベテランの男性研究員に扮した高村女史が、自宅から結婚詐欺事件を解決する」というストーリーはそのままいただきました。
あまり真剣に技術考証などをしていないので、間違いなどはたくさんあると思いますが、ジョークと考えてください。
全5章、毎日朝8:00公開。ライバルは朝ドラです。
コメント
abc
まさかの毎朝更新ですか。
数カ月単位の長編もいいですが、今回の様な読み切りだと、一週間モヤモヤした気持ちを抱えずに済みそうです。
名無し
今日来てみたら偶然最新作がうpされていてラッキーだぜ。
前々作まではシステム会社の人間ドラマにフィーチャーしたリアル寄りの作風だったけど、
こういう「IT探偵」ものなノリも面白そうだ。
elseorand
あれー始まってた。
短期っぽさも感じますが、楽しみにしてます。
ところでSacleってScalaのtypo??
saza
締め切り一週間破りましたね :-)
ayumi
「他の会員様も次々に退会してい始末で。」
るが抜けているかと~。