業務知識ゼロ、研究開発支援を主業務とする技術屋の述懐

わたしがこの職業を選ぶきっかけとなった、5つのものごと

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 はじめまして、今月からコラムニストになりました、かるたや1と申します。

 受託開発を主業務とする会社に就職してから、ずっと派遣先へ丁稚奉公に出されたまま13年目になってしまいました。幸か不幸か、派遣先での主な作業は、製品プロトタイプや実証実験用のアプリケーションの開発で、業務システム系の作業に携わったことがなく、「わたしは○○の業務知識があります」とアピールできるほど、業務知識の蓄積がありません。

 そのせいか、同僚や友人と話をしていても納得しえない「価値観のズレ」を感じることがあります。このコラムでは、わたしが見聞きしたことや実際に経験したことを紹介していくつもりです。きっと「価値観のズレ」がよいネタになってくれると思います。皆さん、よろしくお願い致します。

 では、自己紹介を兼ねて「わたしがこの職業を選ぶきっかけとなった 5つのものごと」です。

#1 MSX 日立 H2

 SONYやCASIOなど各メーカーがMSX機を発売していたころ、日立が発売したテープレコーダ一体型のMSX機です。小学生だった時分、同級生の間ではファミリーコンピュータが定番でしたが、わたしは……エポック社のカセットビジョンでした。

 友達とゲームの貸し借りできないし、ファミリーコンピュータのゲームの方が魅力的だったので、両親にクリスマスプレゼントとしてねだったところ、父が買ってきたのがH2でした。

 当時はガッカリしましたが、プログラミングをする機会を与えてくれたわたしにとっての名機です。ちなみに、はじめてのプログラミング2は父と一緒にMSXのムック本に掲載されていた「タマリン」というゲームでした。

#2 親戚がゲーム会社に入社

 親戚の兄ちゃん(母の従兄弟)が工業高校を卒業して、某老舗ゲーム会社に入社しました。工業高校を卒業してゲーム会社に就職……兄ちゃんはプログラマだろうと思い込み、BASICを教えてもらおうと帰省していた兄ちゃんを質問攻めにしたのですが、

「俺、音楽担当だから……」

 教えてもらえませんでした。

 しかたなく、母にお願いして通信講座の「パソコン入門」を受講しました。この講座の主な内容はBASICプログラミングの解説で、テストの平均点を算出するプログラムや単純なシューティングゲームを作成する課題が与えられる程度でした。

#3 マイコンBASICマガジン

 小学生のころ、何度かPTAの行事として廃品回収が行われました。学校のグラウンドに回収してきた瓶や古新聞、古雑誌などが集められてきました。その回収品の山の中から見つけたのが、電波新聞社が発刊していたベーマガことマイコンBASICマガジンでした。ゲームのプログラムがたくさん掲載されていましたので、頑張れば無料でゲームができると思って、こっそり持ち帰りました。

 当時の発売されていたパソコン、ポケコン向けのプログラムが1機種あたり1~2本ずつ掲載されていました。小学生だったわたしには、掲載されたゲームプログラムを入力して遊ぶのが精一杯で、とても自分でゲームを作って投稿する力はありませんでしたし、Dr.Dのコメントはちょっと難しすぎました。

 掲載されたプログラムは1~2ページにぎっしり印刷されているので現在入力している行を見失いやすく、プログラムを入力し終えてもエラーを多発させてました。特にIllegal Function Call というエラーは指示された行にバグがないことが多く、デバッグにひと苦労でした。

#4 NEC PC-8801 MH

 中学1年生のとき、成績がどんどん悪くなるわたしに対して、父が成績が良くならないだろうと、

「もし、入学当時の成績(30位)より良くなったら、好きなもの買ってやる」

と馬鹿にするので、ムカッときたわたしは、買ってもらえないであろうPC-8801 MHを要求しました。そして、母に頼み込んで全教科の参考書を買ってもらい、猛勉強。そのおかげで、ギリギリ条件をクリアできて、PC-8801 MHを父に買ってもらいました。付属ディスクに収録されたデモアニメーションは、いまでも忘れられません。

#5 YK-2

 ベーマガに掲載された「源平討魔伝 エンディングテーマ」を演奏するプログラムを何気なく入力して実行すると、PC-8801とは思えないほど素晴らしい演奏で感動しました。とてもFM音源3音+PSG3音3で演奏していると思えませんでした。このプログラムの作者がYK-2(古代祐三さん)でした。

 高校生になったころ、ちょうどベーマガにゲーム音楽の楽譜が載るようになったこともあって、彼のコードを真似てゲーム音楽を演奏するプログラムを自作するようになりました。FM音源の知識も音源チップの癖もマシン語も分からないわたしには当然、彼ほどスゴイ音楽プログラムを作ることができませんでした。

 その後、大学へ進学して情報工学を勉強し、卒業後に現在勤めている会社に就職しました。きっと彼のプログラムに出合っていなければ、別の進路……学校の先生4になることを選んでいたのではないかと思います。


1 実家の屋号をペンネームにしました。
2 本に掲載されたソースを打ち込んだだけでプログラミングとは呼べませんが……
3 PC-8801シリーズに搭載されたYM2203はあわせて6重和音しか出せませんでした
4 一応、高等学校教諭第一種免許状(工業)を持ってます。宝の持ち腐れですが……

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