Main) 2年目・3年目退社へ。そして転職へ。
約1年放置状態でした……このような意識も駄目ですね。頑張りまっす!(初回はこちら)
さて、やっと運用というのが理解できてきて、スイッチの設定やら何やらを行ったり、お客様の環境でのベリサインSSLの更新作業など、仕事を行えるようになりました。すべて「手順書どおり」ではなく、自分で考え、自分で検証した結果での作業なので、自ら行うというスキルを養うことができました。
後輩もできて、より責任感というのが強くなりますが……同期と比べて引き離されていく感がすごかったです。悔しかったです。
そして、技術を学ぶべく、常駐での業務を希望しますが……まったく、技術を学べない環境に四苦八苦し、ついには転職を決意します。
私の波乱万丈ちっくな人生が幕を開けます。
~テスター経験~
スポット案件として、テスター業務が入ってきました。出稼ぎ部隊隊長として、これは頑張らなければいけませんでした。とある基幹システムのテストです。常駐で約2カ月間でした。
システムのことは細部まで理解できませんでしたが、ここで学んだことが1つあります。
・ドキュメント作成能力
この能力が大幅に向上しましたw
基幹システムなので、社員さんが使用します。なので、使用する側の目線に立って、章立てなどを行う必要がありました。画像の使い方や1ページの使い方、本当にいろいろ教えていただきました。……ただ、若気の至りからか、技術を学べないもどかしさゆえ、いまだにあの発言を後悔してます。
「私は技術を学びたい! なぜ、このようなテスト作業を行っているのか。早く、会社に戻りたい」
ずっと、後悔しています。本当に、お客様には申し訳なさでいっぱいです。
他にも、cshやawkもちょっと学びました。私の書いたコードがまだ残っていれば、私の名前がコード上に残っているはずです。
~後輩達~
いまだに(2011年現在)年賀状でやりとりしている後輩君がいます。やはり、後輩はいいものです。恵まれたとも感じます。
当時いた会社では、2年目の社員が1年目の社員の教育を行います。1人かと思いきや、3人だったので、やりがいを感じましたが、オーバーフローでしたw
そのうち、1人が大学院卒で、私よりも年上でした。ちょっと接しがたいイメージがありましたが、しっかりとわきまえてくれる子で私としても誇りの後輩でした。今も当時の会社で頑張っているということで、ひそかに尊敬もしています。
他の2名は退職したと噂を聞きました。今も頑張っているのでしょう。懐かしくなったので、連絡取ってみることにします^^
~やべぇ。技術力つけなきゃ。よし、常駐を希望しよう!~
2年目になっても、研修は続きます。そこで、同期メンバーとの交流があるのですが、私は本部配属で常駐していません。ですが、ほとんどの同期メンバーは常駐しています。
そこで、いろいろ会話するのですが、たまについていけなくなることがあるんです。
「保守が切れるのでリプレイスのために新しいOSの検証が……」
「あんなものまで直してくれって言われて四苦八苦した……」
忙しいでしょうけど、私にとってはとてもうらやましいものでした。私にはそういうのは、ない。
Linuxを極めようと思い、C言語を勉強するもいまいち習得できず。「Hello World」が書けるレベルぐらいでした。必然に迫られてない分、技術力がつかない……。やる気があっても自分は何もできない……。そんな若い人間でした。
「自分を追い込もう。心地よい風を受け続けるんじゃなく、新しい風を受けるんだ」
その思いで、評価面談の際、上長に外に出ることを希望しました。……今考えると、クサイ言葉ですねwww
~常駐決定! ……あれ、何の業務だこれ?~
気持ち新たに、面談も終了し、常駐先が決定しました。話をマネージャから聞いている限りは、社内業務システムの運用という話でした。しかし……。
「やってもらうことは、開発部隊のタスクスケジュールの管理や打ち合わせの調整、議事録の作成、ユーザーからの問い合わせの2次受付窓口だから」
……あれ?マネージャから聞いた話とまったく話が違うんですが……^^;
ん?
ん?
と、いうわけで業務が開始されました。
ほんの1カ月ぐらいは、そのシステムの理解等で必死でしたので、あまり気にはなりませんでした。引き継ぎ期間も短かったですので。
改善資料作成や、WBS作成など、学ぶことも確かにありました。今となっては、やはりこれも良い経験でした。
……常駐し、2カ月後ぐらいにマネージャから言われた言葉があります。
「君がやってる業務って何なの?」
これほどショックを受けた言葉はありません。一時期は「こんな業務は経験できないから頑張ろう。まぁ、必ずしも自分がしたい業務ができるとは限らないわけだし」と意気込んでいましたが、この言葉以降、やる気がなくなり、プライベートでも「笑わなくなった」と妻から言われたほど、精神的に疲れていました。
そして、
転職を決意しました。