増8屋上屋.加速度考
●今回の発端
今回の話は、前回の「増8.プログラマの困難について」を前提としています。ですので、その前提が崩れてしまえば、この話も崩れる理屈です。そういう前提で読んでみてください。
●加速度その1
以前から述べていますが、自然現象や、交通などの現象に比べてみると、人間が行う動作の加速度は、比べものにならないほど高いです。時間は短く、力も少ないですが、その代わり、他では類を見ない加速度を日常で生み出します。
特に異性に対して気を引こうとする際の動作は、特別に強い加速度を持っています。手をひらひらさせたりして、それを見るのがいやで目をそむけると執拗に追ってきたりするなど、私にとっては非常に苦痛です。
前回、「きちんと見る人間=リア充」だと書きましたが、このような理屈がありました。「リア充」という言葉の誤用・拡大解釈というつもりではなく、両者に通底したなにかがあるのでは、という意図です。このような強度の加速度にさらされていながら普通に対応できるのは、異性を「きちんと見」ているからではないでしょうか。
とはいっても、筆者のように、加速度に悪慣れしてしまった人間には、プログラミングの初学者がどう対処すればいいか、とうてい分かりません。それについては各自、良い方法を見つけていただくしか無いと思います。
さらに、ただ1人黙々とプログラミングをする場合は別ですが、仕事の場合、「加速度禁止」とするのは現実的ではありません。それゆえ、プログラミングに特化したプログラマの他に、プログラミング的な要素を抑える代わり、他人と長くコミュニケーションを取り続ける、リーダー的存在が必要なのも必然だと思います。
ただ、どうも最近のリーダーは、うすうすプログラマが加速度に弱いことを知り、彼らを服従させるために加速度を利用しているとしか思えない節があります。配下の人間の思考を鈍らせれば、御しやすくなるからです。
自分の非力さ、生産性の限度を考えると、それはいけないことだと言い切れない面もあります。最終的な結果責任を負ったリーダーが最終的結論に異を唱えさせないために、そのようなプログラマの生態を利用するのも(個人としての自分は非常に腹が立ちますが)プロジェクト遂行を考えると、ありとせざるを得ないと思います。
問題はその後です。リーダーは、何年かするともう少し上の地位に就くはずです。それは、「自分で結果責任を負う」のでなく、リーダーを配下に置き「部下に結果責任を任せる」立場になると思います。その時、今までのように、加速度などを使って、配下がいやがることをして服従させようとすると、まずいことになります。それは、自分の責任が自分1人で頑張ればできる範囲を超えているからです。
ペンを回したり、ノック式ペンをかちゃかちゃさせたりするのは、なにからなにまで仕事を引き取って「最終的に自分がすべてできる」場合のみ許されることで、そうならなくなった時点でそれはまずい話になります。
また、そういう人間に限って「(机に)壁を作るな」とか余計なことを言いますが、人間が日常的に強い加速度を生み出すのは仕方がないことで、それを少し遮るだけで生産性が上がるのなら、それをとがめるべきではありません。
●加速度その2
「きちんと見」ない場合の、加速度というのは、目から見えるものとは限りません。特にプログラミング初学者の場合、別の加速度により強いストレスを感じるはずです。
それは、「思考の速度の変化が生み出す加速度」です。まさにSFだと思われるかもしれませんが、筆者は自信をもって「あり」だと思います。
実際の経験ですが、
- なにかプログラムについて学んでいる時、
- さらに何かすごいことを考えようとし、
- さらに何かすごいことを考えようとした時
脳みそがバチッといって(実際は肩の筋がいったのだと思いますが、実感としては「脳みそ」でした)すごく疲れ、すぐ横になっても残ったままでした。
その時は自室で1人でしたし、カーテンを引いた薄暗い部屋で、外は夕暮れでカラスが寝どこへ帰る様な、のどかなようでした。加速度など見えませんでした。そう感じたのです。
プログラミングは即興性を要求されるものではなく、積み重ねができます。また、(構造化など)積み重ねがしやすいよう、研究がなされています。さらに、知識を増やしていけば、思考の速度一定でより多くの事柄について考察できるようになります。焦らずに着実に学ぶべきです。
●最近の「手法」
「上流」「下流」とか言われ、「下流」の人間が下に置かれているのは歴史的事実だと思います。しかし「下流」の人間から見て、(実際はともかく)たてまえ・理念・使命感としては、「上流」の人間が大多数の加速度分(開発における困難)を背負おうとしていたのも事実だと思います。
ひるがえって、アジャイルやTDDなどの最近の手法ははじめから、単価の安い人間に大多数の加速度分に関する責任を転嫁する気まんまんに見えます。手法の改良も結構ですが、「机に鉛筆を立て、その上に鉛筆を立てている」状態で、「さらに鉛筆を立てようと」している様に見えます。前回の改良(行程を分ける)は(個人的にはともかく、業界全体としては)ありとしても、今回の改良はすでに、限界をまたいでいる様に見えます。
まぁ、今回はこんなところです。
●コラムのコメント欄の方針
コメントに対し、当意即妙の回答を、それなりのタイミングでする自信がありません。
ですので、このコラムで、
・わたしは基本的にコメントに答えない
・コメントを書く人は、回答がない前提で議論を進めていただく
とさせていただきます。