増17.ポストモダンとプログラム(断章)
●今回の発端
「パロール」と「ラング」(『増15補足.実行可能って』で言及)について調べていたら、この本を見つけました。『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』アラン・ソーカル ジャン・ブリクモン著 岩波現代文庫です。読んでみたらなかなか面白かったので紹介します。
●内容
ポストモダニズム(「モダニズムを批判する文化上の運動のこと」 Wikipedia 日本語版「ポストモダン」の項より)で語られる主張において、比喩は簡単な言葉を用い、誰でも分かるようにしないとならないのに、分かりにくい物理学などの理論を比喩として用い、権威付けをしているのはおかしいのではないかという内容です。
●面白く感じた点
このコラムでは、今に至るまでプログラマである筆者がプログラムについて持論を述べてきたのですが、(特に増15や16など)ポストモダンの指導原理と似てきたように思います(相対主義だとか)。
自分は一貫して理系で、高校のころエピステーメー叢書を2、3冊買って読んだ程度なのに、自然とそちらの方向に向かってしまうのは、もしかすると、ポストモダンと(“がりがり書く”狭義のでない、社会とのつながりも含めた)プログラミングに相通じる面があるからなのかもしれません。
まぁ、今回はこんなところです。
●コラムのコメント欄の方針
コメントに対し、当意即妙の回答を、それなりのタイミングでする自信がありません。
ですので、このコラムで、
- わたしは基本的にコメントに答えない
- コメントを書く人は、回答がない前提で議論を進めていただく
とさせていただきます。
コメント
くわぢ
実は「増18」は当初、ポストモダンとプログラムを絡めてコラムにしようとしていました。しかし編集の方に「解らない」と言われ、筆者としても、ポストモダンをネタにして、解らないことを解らないまま、押し通す根拠にしようとしていただけに、GiveUpする以外、手は有りませんでした。
昨日、積ん読にしていた、「情報処理」2013年5月号を開いたところ、巻頭コラムで東 浩紀さんが「情報と哲学」と題し、まさにドンピシャのことを述べておられるのを見つけました。
少々長く引用しますが、「もし本当に情報時代の哲学を構想しようとするならば、少なくとも1930年代ぐらいまでに遡り、20世紀の哲学史を総リセットするような気概がないとだめそうだ。」と有りました。
とてもで無いけどその様なことは無理です。
この件については、捨て置いていただく様、お願いいたします。