6.ところで自転車はどうなったんだ
●前回の「自転車とプログラミングと」
前回は、諸悪の根源、上司に怒られる元凶、みんなを失敗させる首魁(しゅかい)である「漏れ抜け」について、何か言えることがないかと頑張りましたが、まとまりませんでした。今回は、本コラムのメインテーマである「自転車とプログラムと」に立ち返ります。
●前回のコラムを読み直してみて
思うに、「職人」とは五感を使ってものづくりをする人です。前コラムでは、「漏れ抜け」に関する関連としてのみ「職人性」について触れましたが、読み返してみると、「プログラマが職人であるのは駄目だ」というのは、「『きちんと見る』のはプログラミングにとって不利だ」ということの別の表現だとも取れます。
五感に訴える何かに対峙しているなら、それに立ち向かえばいいでしょう。しかし、「きちんと見え」ない、そして物理的制約がないプログラミング過程で、それと同じに動いても、それは単なる見せ掛けにすぎないと、実は昔から分かっていたのかもしれません。
●自分のこと
初回のコラムで、自分は小学生のころから自転車にたくさん乗っていて、「常に全体をパンフォーカスで見て、ものの形より加速度に気を取られる」見方になってしまったと書きました。
それは事実でして、特に右目は加速度に敏感で(たぶん高速側の車線を見る方の目だからと想像しています)、学生時代には疲労を低減するため、どう考えても度が合わない(と、別の眼科医に言われた)遠視のレンズを医者から処方されたりもしました(結局、そういう時はおとなしく眼帯をするのが一番だと思います。シール式の眼帯は、はがすとおしまいですが便利です。コアを見つける能力がなくても、龍を飼っていなくても、どこかの社長でなくても、眼帯は役立つ時があります。サイドガードも便利で、ダテメガネにつけて使っています。もちろん、これらは個人の感想であり、医学的意見ではありません)。あとで気が付いたのですが、右目に最も悪影響を及ぼしていたのは、自分の字を書く右手だったというのですからお笑いです。
いろいろ試行錯誤しましたが、とにかく「きちんと見」なくても、日常生活を送れるかということで、
- きちんと見ないで、上から目線で一般論をいう(プログラマに最適!?)
- 駅などの雑踏では、周りの人の「音の吸収」を利用して、前に人がいるかどうかを知る(プログラミングでへたばっていても、通勤できる!?)
- 外に出ない。テレビは加速度が少ないので好み(ディスプレイを眺める座り作業の修練になった!?)
などをやっていました。こういうことの積み重ねが、プログラマとしての自分を育んできたようです。
●自転車のこと
自転車は速いです。今の自転車の700×28Cタイヤなど、ブレーキの利きはさすがに悪いですが、快調に走ります。自転車は速い。結局、それだけだったのかもしれません。
考えるきっかけにはなりましたが、直接プログラミングとは関係なかったようです。すいません(関係ないですが、高圧のタイヤでは、スローパンクチャーは本当にありますので注意しましょう。輪行で60キロほど走った時、駅に戻ってきたら完全に空気が抜けていました。ぎりぎりセーフでした。家に帰って、チューブを調べると、円周に沿っているチューブの合わせ目が、微妙にはがれていて、そこから空気が抜けていました。出先では、信号などで止まった際にタイヤに触って、空気圧に注意を払うことも大切だと思います)。
●プログラミングのこと
再度申しますが、とにかくプロのプログラマには「手早さ」が必要です。プログラムのオブジェクトをして語らしめ、割り当てられた問題を理解するためには、何度も何度も試行錯誤をする必要があります。
私個人の仕事においては「人間モンテカルロ法」をすでにやっているも同然ですが、そのためには手早さが必要なのです(「語らしめ」なとど言っていますが、これはKJ法からの引用です。高校時代、野帳を気取り、腰にKJ手帳をぶら下げて「データをして語らしめ」なとどかぶれていたことがありました。自分の机には、B6版のカードを立てかけるアクリルの箱もありました)。
「クロッキー絵画」よろしく、「一度コーディングしたら二度と手直しできず、次の案件に取り組まないと駄目だ」と言われたら悲しいですが、理解するための手早さならば、苦ではあっても楽もあると思います(甘いのかもしれません)。
まぁ、今回はこんなところです。次回は、「最後に」をお送りします。
●コラムのコメント欄の方針
コメントに対し、当意即妙の回答を、それなりのタイミングでする自信がありません。
ですので、このコラムで、
- わたしは基本的にコメントに答えない
- コメントを書く人は、回答がない前提で議論を進めていただく
とさせていただきます。