ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

蜂工場 (7) 台場トシオ

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 新しい仕事を始めて三日が経過し、トシオが指揮するプログラマたちは、佐藤が言うところの<蜂>を19 個作り上げた。それらのクラスがどのように使用されたのか、トシオとプログラマたちには通知されていない。まだ試用期間のためなのか、アーカム・テクノロジー・パートナーズという会社のルールなのかは不明だ。佐藤は他の仕事で多忙を極めているらしく、トシオたちの開発ルームには、一日に2、3 回顔を出すぐらいで、すぐにいなくなってしまうので、質問を投げている余裕はなかった。
 当初、トシオに対して謂われのない警戒心を抱いていたコウジは、何度かの実装作業を通して、トシオがあくまでも公正に順位付けを行うことが明確になってからは態度を改めている。これまでのところ、コウジは一位を2 回、二位を5 回獲得していた。他のプログラマと比較して、突出して良くも悪くもない成績だ。
 周辺は住宅と工場が混在していて、飲食店の数が少なかった。それらの店は12 時から13 時ぐらいまで営業すると、夜までシャッターを下ろしてしまうので、このオフィスで勤務する社員のほとんどは、コンビニやスーパーで購入したランチを持参していた。トシオたちもそれにならい、割り当てられた休憩時間に一緒に食べた。三日目の午後、遅めのランチを終えたトシオが、休憩室から曇り空を眺めていると、コウジが戻ってきて話しかけた。台場さん、コーヒーでもどうすか。おごります。
 まだ両者の間に、ワインの澱のように残るわだかまりを解消しておきたいんだな、と気付いたトシオは、おう、じゃゴチになるか、と笑顔を作った。コウジは喜び、自動販売機で缶コーヒーを2 つ買うと、トシオの前に座り、片方を差し出した。トシオは礼を言って、それほど飲みたくもない缶コーヒーを開けた。
 こないだはすいませんでした。案の定、コウジはしおらしく頭を下げた。俺、ちょっと動揺しちゃって、つまらないこと言いました。ホント、すいませんでした。もっと台場さんを信用すべきでした。これからもよろしくお願いします。
 トシオは、もういいから、と言ったが、コウジはなおもくどくどと謝罪を繰り返した。好みには甘すぎるコーヒーをすすりながら聞いていると、コウジはようやく気が済んだのか、話題を切り替えた。
 ところで台場さん。コウジは声を落とした。例のオプション、何にしたんすか?
 オプション? 面食らったトシオは訊き返した。オプションって何のことだ。
 コウジはニヤリと共犯者めいた笑みを浮かべた。またまた、とぼけなくていいんですよ。俺はTBT の偉いさんにしましたよ。なんて名前でしたけ、あの部長代理。
 そこまで聞いてトシオも思い出した。佐藤にスカウトされたとき、指名した誰かに些細な不幸を手配することができる、と言われたことだ。トシオが断ったオプションを、どうやらコウジは受け取ったらしい。少し呆れたトシオは、私はブラックジョークか何かだと思っていたからな、と答えたが、コウジは心底驚いた顔を見せた。
 え、誰も指名しなかったんすか? マジすか。聖人みたいな人ですね。俺なんか不幸にしてやりたい奴が100 人はいるんで、一人だけって言われたときがっくりしたぐらいですよ。
 お前を指名すればよかったな、とトシオは笑いながら答えた。その言葉を、コウジはジョークだとは解釈しなかったらしく、笑顔が消え、急に深刻な表情を見せた。台場さん、まさか、俺の名前を言ったんじゃないですよね。いや、それ、マジかんべんですよ。
 コウジの反応を不審に思ったトシオは、理由を訊いてみた。コウジは探るような目でトシオを見た後、知らないですか、と声を潜めた。TBT の部長代理、入院したんですよ。俺がここの入社を決めた次の日です。いつにするって訊かれたから、じゃ、明日って言ったら本当に次の日だったんです。もうびっくりですね。仕事終わってから会社の人と居酒屋で一杯やって、締めに磯辺焼きを食ってたら、何かの弾みで気管に入って、肺炎になったんですよ。一時はちょっとヤバイ状態までいったらしいです。俺も半信半疑だったんすけどね。もしかしたら、階段でつまづいたとか、犬のウンチ踏んづけたとか、そういう下らないことでごまかすんじゃないかぐらいにしか思ってなかったんですよ。これが交通事故とか、強盗に遭ったとかなら、偶然ってこともあるかもしれないですけど、餅で肺炎になるなんて。一体、どうやったんすかね。
 コウジの顔は真剣で、手の込んだ作り話や冗談を言っている様子ではない。もう少し詳しく訊こうとしたとき、プログラマの一人、山本が休憩室に入ってきて、トシオに声をかけた。佐藤さんが呼んでます。手が空いたら会議室に来てくれって言ってました。トシオは礼を言って立ち上がったが、休憩室を出るときに山本に訊いた。君もオプション、申し込んだのか?
 山本は当然のような顔で頷いた。あれですよね。せっかくなんで、前の会社でムカついてた上司にしました。何だったかな。何とかレンサ球菌とかに感染して、多臓器不全でひどい状態になったらしいです。いやいや別に後ろめたくなんかないですよ。ほんまにひどい奴で、コネ入社で仕事せえへんくせに、高い給料取って。若い女にすぐちょっかい出すわ、なんだかんだ理由つけて残業代払わへんわ、気に入らん奴をいじめで辞めさせるわで、いっぺん死ねやってずっと思ってましたから。病気になったのは偶然かもしれませんけど、正直、ザマァって思いましたよ。
 山本はそのまま休憩室に入り、コウジと雑談を始めた。互いのスマートフォンを覗き込んでは笑い声を上げている。オンラインゲームに興じているのだろう。トシオは楽しそうな二人を茫然と見つめた。自分の言葉がきっかけで知人が生死の境をさまよったかもしれないというのに、仮想空間上のキャラクターの生死の方が重大事項のようだ。最近の若い奴はみんなこうなのだろうか。
 頭を振りながら廊下に出て会議室に入ると、佐藤が窓を背に立っていた。険しい顔でタブレットを操作している。そういえば、この人の役職が何なのか聞いたことがなかったな、とトシオは今さらながら思い出した。佐藤はタブレットのカバーをパタンと閉じると、トシオに座るように身振りで促した。トシオがオプションについて訊くべきか迷っているうちに、佐藤は近くの席に座ると前置き抜きで切り出した。少しばかり状況が変わりました。近いうちに、この拠点から撤退します。元々、テンポラリーな拠点だったのですが、予想より早めに放棄することになりそうです。
 理由を訊いたトシオに、佐藤は<敵>がこの場所を探り当て、攻撃の準備をしているとの情報を得た、と説明した。別の拠点で防衛任務にあたっているチームが、デコイのハニーポットをばらまいて攪乱してはいるものの、いずれ集中攻撃を受けるのは確実だ。その前に撤退しなければならない。ただし即時撤退という選択は取れない。現在でも<蜂>の送出は続いていて、着実に効果を発揮していることが観測されている。中途半端に攻撃を中止すると、いたずらに<敵>に情報を与えるだけになってしまう。抗生物質の服用を所定量の半分で止めてしまうことで、耐性菌を生み出すようなものだ。だから攻撃は撤退の間際まで継続しなければならない。また、現在のチーム全員が同じ<蜂>を実装する方法は止め、メンバーは異なるクラスの実装を行ってもらう。なるべく多様性に富んだ<蜂>を送出する必要があるからだ。スーパーバイザたるトシオは、順位を付けるのではなく、実装されたクラスが一定の水準に達しているかを判断することになる。
 このことは一時間以内に全チームに通知します。撤退までに可能な限り多くの<蜂>を送出する必要があるので、攻撃スケジュールはかなりタイトなものになります。通知から30 時間から40 時間、全員、連続勤務を行っていただきます。当然、当初の雇用契約にはない作業となるので、規定の報酬とは別に、かなり高額な超過勤務手当が別途支給されます。食事と仮眠の割り当ては後で発表します。台場さんはメンバー以上にきついかもしれませんが容赦してください。
 反射的にトシオの頭に浮かんだのは、自分の負荷のことではなく、コウジのメンタルに対する危惧だった。体力には自信があると自負しているようだが、プレッシャーに弱い面があるのは、高い授業料を払ってトシオ自身が体験したことだ。トシオはそのことを佐藤に告げた。コウジに対する配慮を期待してのことだったが、佐藤は冷然と、特別扱いはできない、と答えた。
 台場さんには、今後、別の重要な仕事をやってもらう予定があるので倒れてもらっては困ります。しかしチームの6 人は率直に言えば替えが効く人材です。限界ギリギリまで酷使して構いません。気の毒ですが、彼らの心身の健康よりも、<蜂>の送出の方が重要度も優先度も上なのです。
 トシオが上げかけた抗議の声を、佐藤は非人間的な視線で遮った。台場さん、あなたは基本的に善人で優しい人です。それは大いなる得がたい美徳なのでしょうが、世の中には善意を平気で踏みにじる悪意があることを忘れない方がいい。台場さんが前の会社を辞めた原因は、突き詰めれば人の悪意によるものではないですか? 大抵の場合、悪意のエネルギーは、善意のそれを上回るのです。ダークサイドに身を浸せとは言いませんが、少しばかりの犠牲を許容することが、結果的にいい結果をもたらすこともあります。台場さんが能戸コウジくんを心配していることはわかります。でも、彼を過保護なまでに守ってやる必要はありません。他のメンバーも同様です。おそらく台場さんは、もう例のオプションの話を聞いたのではないですか? 台場さんのチームの中で、オプションの行使を断ったのは、台場さんだけです。能戸コウジくんや他のメンバーは、嬉々として権利を行使したんですよ。彼らに良心の呵責などあったと思いますか。
 誰にでも欠点はある。それがたとえ嫌悪感を抱くような欠点であったとしても、使い捨てにしていいという理由にはならない。そう反論したトシオに、佐藤は短く哀れむように笑うと、立ち上がった。
 今にわかります。佐藤はタブレットを見ながら言った。大多数の幸福のために、少数を切り捨てなければならなくなったとき、台場さんなら、きっと正しい決断を下すと私は信じています。いえ、知っている、と言ってもいいかもしれません。さて、私はまだやることが山積しています。台場さんは戻って休憩を取ってください。これから二日間ほどは、ゆっくりお茶を飲むことはもちろん、一時間以上の仮眠を取る余裕を確保することさえ難しくなるでしょうから。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 トシオが知った情報は、一時間後に全プログラマと全スーパーバイザが共有するところとなった。プログラマたちは不安から怒りまでの様々な顔で受け止めたが、同時に知らされた超過勤務手当の額を聞くと、それらの表情も幾分和らいだ。ここで仕事を辞める選択肢も提示されたが、わずか二日で、平均的なサラリーマンの年収に相当する額を得るチャンスを捨てる人間は一人もいなかった。気が早い数人は、何に使うつもりかを競い合うように話している。俺はキャバクラを一晩貸し切りにしてバカ騒ぎしてやるぜ。コウジが声高に宣言したのを聞いて、トシオは負債を清算するのが先ではないのか、と突っ込みたくなった。もっともコウジの前には、より喫緊に切り抜けなければならない試練が、じきに立ちはだかることになる。過去の体験から学習していてくれることを、自分と部下のためにトシオは切望した。
 あいにくその願いはかなわず、新たなスケジュールで<蜂>の実装が開始された数時間後、コウジは見事にメンタルの弱さを露呈した。
 こんなノルマおかしいじゃないすか。コウジは3 つめの実装が終わった直後、トシオに訴えた。難易度がアホみたいに上がってるのに制限時間は逆に減ってるんすよ。しかも110 分かける16 回で、間の休憩10 分って、こんなのぶっ倒れますよ。フェアじゃないすよ。
 フェアではないという言い分は適当ではない。佐藤は詳細なスケジュールとノルマを提示し、その上で仕事を続けるかどうかの判断を各自に委ねたのだ。トシオはそう指摘したが、コウジは納得しなかった。だってこんなに厳しいなんて想像するわけないじゃないすか。だまし討ちでしょ、こんなの。お前らもそう思うよな。コウジはプログラマたちに同意を求めたが、返ってきたのはどっちつかずの呟きだった。
 コウジが喚き散らしている原因の一つに、劇的な難易度の向上があった。新ルールになってから、コウジが実装した3 つの<蜂>は、どれも時間までに完成しなかった。これはコウジだけではなく、他にも2 名が同様の結果で完成報酬がゼロになっている。だが、その事実はコウジにとって何の慰めにもならなかったのだ。
 俺だけ面倒くさいのをアサインしたんじゃないでしょうね。コウジはトシオを睨んだ。前のときも、俺ばっかりタスク振ってましたよね。あれ、俺を潰す手だったんじゃないすか。俺に何の恨みがあるってんですか。
 おい、能戸ちゃんよ。プログラマの一人が呆れたようにたしなめた。いい加減にしろよ。自信なかったら、さっき下りりゃあよかったろうが。休憩時間は10 分しかねえんだから切り替えろよ、うっとおしい奴だな。体力には自信あるとか豪語してたじゃねえか。他の4 人も同意するように頷いた。コウジはふてくされたように沈黙すると、いきなり立ち上がって休憩室に通じるドアを開けて出て行ってしまった。
 戻ってこないつもりではないだろうな、心配しながら待っていたトシオは、次の実装開始時刻の30 秒前にコウジが席に着いたのを見て一安心した。もっともコウジは追い詰められた被捕食動物のような落ち着かない顔で、キョロキョロとトシオやプログラマたちを見ていた。自分以外の全員が、自分を陥れようと共謀している。そんな猜疑心に凝り固まった表情だ。こんな状態でコンセントレートできるのだろうか、とトシオは不安になったが、どうしてやることもできないまま、次の実装が開始された。
 トシオのデスクに置かれた6 台のモニタは、各プログラマのモニタとミラーリングされていて、リアルタイムでコーディング状況を確認することができる。コウジにアサインされたクラスは、画像生成ロジックで使用する損失関数を実装するもので、他の5 名に比べて難易度が高い。関連ドキュメントとしてサンプルが添付されてはいたが、主となるアルゴリズムは自前で組み上げる必要がある。
 コウジはじっとドキュメントを見つめるだけで、なかなかコーディングを開始しようとしなかった。要求が高度になっているのは全員が同じだが、コウジ以外は数分後にはコーディングを開始している。トシオはコウジにアドバイスを送ってやりたい衝動に耐えた。プログラミングという職種に習熟してくると、あれこれ考えるよりも、手を動かしている方が思考の筋道が整理され、先の展開が見えてくることが多い。何でもいいからコードを書き始めろ。そう言ってやりたかったが、今のコウジに何か声をかければ逆効果になりそうだった。そんなこと言って、また俺を混乱させよってハラでしょうが、などと反発されるだけだろう。それに自分の力でやりきった、という成功体験がなければ、この後のハードスケジュールを乗り切ることは難しいはずだ。
 コウジがコーディングを開始したのは、40 分も経過してからだった。ミラーリングされたコードエディタには、タイピングの初心者のようなノロノロした速度でコードが記述されていた。熟考の末に自信を持ってコーディングしているというわけではなさそうだ。一度入力したコードは何度も消され、書き直され、また消された。これまでなら助けを求めるようにトシオに視線を送ってきていたのに、コウジは頑なに顔を上げようとはしなかった。今回もまた最後まで完成させることはできないだろう、とトシオは悲観的に考えざるを得なかった。
 体力的な限界点に到達した、というわけではない。ブライトリンクスでのプロジェクトでは、わずかな休憩だけで20 時間連続でトラブル対応にあたったこともあるコウジだ。たかだか数時間程度で音を上げるはずがない。コウジの手を止めていたのは、量ではなく質の問題だ、とトシオは考えていた。思い返してみれば、ブライトリンクス時代、コウジにアサインしていたのは、既存プログラムの修正や、相似したクラスの大量生産といった、体力でカバーできるような作業ばかりだった気がする。若手に経験を積ませる、という大義名分で単純作業を押しつけ、自分の頭で一からビジネスロジックを構築するようなタスクはほとんどなかったはずだ。このアーカム・テクノロジー・パートナーズでの実装作業は異なる。基本的に自らの考えを反映させなければ完成しないものばかりだ。この日の午前中までは、実装に使える時間に比較的余裕があったため、コウジにも何とか対応することができた。だが、午後からは急にタイトなスケジュールとなり、加えて実装の難易度が急上昇したことが、大きなプレッシャーとなってコウジにのしかかったに違いなかった。<蜂>の実装が完成しなかった。次も完成しないのではないか、という不安と恥が心を侵食する。不安定な精神状態のまま短い休憩時間を取っただけで次の実装に取りかかる。思うように手も頭も動かない。また完成しない。不安が増幅され、自信が欠けていく。そんな負のスパイラルに陥っているのだ。
 トシオの予想通り、コウジは4 回めの実装も完成に至らなかった。コーディング開始が遅れたこともあるが、途中から手が全く動かなくなってしまい、実際に記述したコードはわずか20 行足らずでしかなかった。タイムアップのチャイムが鳴ったとき、コウジは流れる涙を拭おうともせず、茫然とモニタを見つめていた。おそらくは自分自身への嫌悪感で顔を歪めながら。
 食事時間を兼ねた4 回めの休憩は40 分が予定されていた。他のプログラマたちは、疲れた顔に一時的な解放感を得た喜びを浮かべながら、弁当が用意された会議室へ向かっていったが、コウジだけはモニタを凝視したまま動こうとしなかった。拒絶されるのを覚悟の上でトシオは声をかけた。おい、食いにいかないのか。聞こえていないはずはないが、コウジは反応しようとしなかった。
 トシオは声に厳しさを加えて呼びかけを繰り返した。やはりコウジは動かない。少し迷った後、トシオはコウジの席の横に立ち、三度呼びかけると同時に頬を軽く叩いた。コウジはビクッと身体を震わせて顔を上げ、恐る恐るトシオに視線を移した。
 台場さん。コウジの声は砂漠の遭難者のようにかすれていた。どうしましょう。俺、このままだとダメです。もう終わりですよ。こんな調子だと残りの実装も全部落とすかもしれません。そしたら完成報酬がなしになってしまいます。超過勤務手当だって6 割以上の完成度でなければ支払われないんです。こんなんで放り出されたら、もう借金返すアテがないんです。何とかなりませんか。
 我ながら甘い、と思いながら、トシオはコウジの隣の席に座った。何とかと言われてもな。今日の午前中までに、かなり稼いだじゃないか。一位と二位を何回も取ったんだからな。それで......
 わかってないんだよ、あんた。コウジはいきなりヒステリックに喚いた。そんなはした金で返せる額じゃないんだよ。わかんないのかよ。もっと何週間も稼げるはずだったのに、いきなりあと二日って言われても困るんだ。こっちにも都合ってもんがあんだよ。超過勤務手当は絶対もらわないと、俺、マジで困るんだよ。内臓売るとか、ゲイ風俗に沈めるとか脅されてるんだ。もしかしたら何かのマンガみたいに、地下で何年も重労働させられるかもしれない。なんで俺がそんな目に遭わなきゃならないんだよ。あんた、SV なんだろ。部下を助けてくれるぐらいしてくれないのかよ。
 コウジの甲高い声はドアの向こうまで響いたらしく、プログラマたちが戻ってきて、何事かと顔を覗かせた。コウジはそれも目に入らない様子でトシオに訴え続けた。なあ、頼むよ。同じ会社にいたじゃんか。俺がこんな仕事しなきゃならんのも、元はと言えばあんたのせいだ。あんたには俺を救う義務ってもんがある。そうじゃないか......
 言葉が途切れ、コウジは激しく咳き込んだ。その間隙を捉えて、トシオは訊いた。二日で放り出されるってどういうことだ。そんな話は聞いてないんだがな。
 答えたのはコウジではなく山本だった。ここを撤退する時点で、俺ら、一度解雇ってことになるんです。成績のいい奴は新しい施設で再雇用されるんですけど......。山本は語尾を濁したが、何を言いたいのかは明白だった。コウジの実装成績では、真っ先に切り捨ての対象になる。トシオは山本に礼を言い、食事に行くように身振りで指示してから、コウジに注意を戻した。
 それは知らなくて悪かった。私もお前を助けてやりたいのはやまやまなんだが、この状況だとどうしようもないことぐらいはわかるだろう。もはや私が順位を付けているわけではないんだからな。前にも言った通り、私は仕事に私情を持ち込むようなことはしないが、仮に、あくまでも仮にお前に有利な採点をしてやりたくても、現在はルールが変わっているから不可能なんだよ。相対評価ではなく、絶対評価になってるんだからな。各自が最善を尽くして完成度の高い実装をするしかない。わかるだろう。それにまだ4 本やっただけだ。残りの実装は10 本以上あるから、挽回のチャンスはあるじゃないか。
 もう無理だって。コウジは弱々しく言った。残り、ほとんど全勝するってことだろ。俺には無理だよ。あんただって、それぐらいわかるだろうが。俺の人生、もう詰んだようなもんだって。
 こいつ一体、いくら借金があるんだ。トシオは呆れながらもコウジの肩を掴んだ。とにかくメシを食って、脳に栄養を送り込んでこい。勝率を少しでも上げるためにもな。5 本目からは、俺もできるだけアドバイスしてやるから。
 コウジはトシオの顔をまじまじと見つめてから、ようやく涙腺の崩壊を止めた。同時に、数秒前の自分がどんな言葉遣いだったのかに、今さらながら思い至ったようで、狼狽が顔をよぎった。あ、あの、俺、すいません。なんかひどいこと言ったみたいで。すごいストレスでちょっと......
 トシオが苦笑しながら答えようとしたとき、不意にフロア放送で耳障りなアラームが鳴り響いた。同時に、これまでそんなものがあることさえ気付かなかった天井の警報ランプが、毒々しい赤い光を放ちながら点滅した。
 二人が思わず顔を見合わせたとき、叩き付けられるようにドアが開いて佐藤が足早に入ってきた。予定が早まりました。<敵>が、ここを特定したようです。急いで撤退します。台場さん、すぐロッカーから私物を取ってきてください。
 おい、ちょっと待てよ。コウジが怒鳴った。俺たちの給料はどうなるんだよ。途中で終わるなら、金払えよ。
 佐藤はほとんど無関心な表情でコウジを眺めたが、言葉を発したのはトシオに向けてだった。台場さんのチームからは2 名だけ、新しい拠点で継続採用します。チームの中からプログラマとして信頼できる2 名を選んでください。5 分でお願いします。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。

Comment(9)

コメント

匿名

佐藤さんは未来を知ってる?

匿名

佐藤さん、ワープスキル持ってそう

匿名

台場と駒木根が加わることはアカシックレコードで決まってるからスカウトしたのかな?

匿名

コウジはオプションがなくても不幸になった説

匿名D

コウジはヒステリーでも起こしてつまみ出されるのかと思っていましたが。
なるほど、そんな顛末ではトシオさんに対してはぬるいということになりますな。

ブンブン堂

コウジ、おめーどっかで枝つけられたな?

ダイコンスクラム

リーベルGさんは、プロダクトオーナー職ではないですか??
何事も、優先順位が大切。

匿名

台詞が全て括弧抜きかつ改行も無いのは、故意なのかどうか…

匿名

そういう文章スタイルでしょうね。元ネタの雰囲気に近くて個人的には好きです。

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