組み込み系システムに3年、オープン系システムに7年。徹夜がこたえるお年頃。独身貴族から平民へと降格したホリは、墓場へまっしぐらなのだろうか……。

みなさん、馴れ合っていますか?

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 新婚をテーマとして掲げておきながら、最近はめっきりテーマにそったコラムを書いていない。というか、入籍してすでに半年以上たった今、はたして新婚と言っていいのだろうか。いつまでが新婚なのか。半年? 1年? それとも、子供が生まれるまで?

 そんなことはさておき、新婚生活にもさすがに慣れるのだ。良い言い方をすれば「慣れ」。身も蓋もない言い方では「マンネリ」。

 慣れは良いことなのか、悪いことなのか。何に対しても自然と慣れというのは発生する。奥さんの料理にも慣れ(新鮮味がなくなったとも言う)、奥さんも味の好みを把握し、常においしいものを作ってくれるのだ。たまにでてくる突飛な創作料理にも慣れてしまった。くだらないことでの喧嘩もなくなった。良い意味での慣れなのだろう。

 日々生活するうえで、習慣化されることは大事だ。その結果発生する慣れというのは好ましいことだ。家庭での慣れは、その生活が習慣化した証であり、夫婦円満な証拠かもしれない。

■馴れ合いは楽だ■

 家庭での慣れは好ましいことだが、仕事上での慣れ(馴れ合いとも言う)は好ましくはない。ITエンジニアとして似たような仕事を10年続けていると、どうしても馴れ合いというのは発生してしまうのだ。

 馴れ合いは楽だ。決まった顧客から、定期的に似たような開発を発注され、外部へ委託する。やることはほぼ決まっており、大きなトラブルもなければ、赤字になることもない。会社から見ると、優秀プロジェクトになるのだろう。

 そんな馴れ合いの仕事ばかりしてきた人が、突然別の仕事をしたらどうなるのか。

 馴れ合いの中で仕事をしてきた人は、違う環境へ来ても、馴れ合いを目指してしまうのだ。プロジェクトとしては馴れ合いではすまされない、食うか食われるかの状態。顧客にしても、馴れ合いが許されるような状況ではないのだ。

 馴れ合いの関係であれば、受け入れ検査は軽くすませ、何か問題があれば適宜対応するという対応だったらしい。しかし、現在担当しているプロジェクトは受け入れ検査がすべて。そこで問題が発見できず、後日仕様漏れが発覚してもそれは受け入れ側の検査ミスということになるのだ。それをわかっていない担当者は、受託側に馴れ合いを求めるのだ。

■馴れ合いを打破する刺激■

 習慣化すると馴れ合いが発生するのはしょうがないこと。馴れ合いを防ぐには、担当者を頻繁に入れ替え、新鮮な気持ちでプロジェクトにあたらせるしかないのだろう。担当者にすれば、新たな環境でノウハウを学びなおすということで、本人のスキルの棚卸しにもなる。良いことずくめだが、会社としてはなかなかそううまくいかないのが現状だ。

 刺激を求め、自ら新天地を求める開発者は良い。そうではなく、馴れ合いの環境にどっぷりとつかったままの開発者には、外部から刺激を与えてやる必要があるのだ。

 夫婦間も同じく、慣れだけではいけない。たまに刺激が必要なのだ。そんなことから、習慣化した生活に刺激を与えようとある考えを実行した。

ある日、奥さんには内緒で夕食を作り、帰ってきたらびっくりさせてやろうと思っていた。しかし、帰ってきた奥さんは、怪しげな視線をぼくに投げかけるだけなのだ。

 「普段やらないことをなんで急に? 何か後ろめたいことでもあるんじゃないの?」

 やぶへびである。余計な刺激は、やらないに限る。

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