組み込み系システムに3年、オープン系システムに7年。徹夜がこたえるお年頃。独身貴族から平民へと降格したホリは、墓場へまっしぐらなのだろうか……。

新人よ、KYであれ!

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 4月で社会人暦丸10年ということになる。早い。とてつもなく早い。歳をとるごとに時が経つのを早く感じるのはすでに常識だろう。その結果、4月に大量発生するフレッシュマンを見て、「あー、ついこの前、自分もそうだったなぁ」という、とんでもない錯覚をしてしまうのである。

 思えば新人時代は何をやるのも新鮮で、緊張感にあふれていた。打ち合わせで先輩たちの発言する単語の意味が分からず戸惑ったり、ちんぷんかんぷんな仕事を命じられ、ストレスを感じながら四苦八苦したこともあった。

 物事の重要性がよく分からず、些細なことも大げさに受け取ったかと思うと、重要なことを軽く受け流したり。すべてにおいて、新人らしい新人だったと思う。

 では、新人と今を比べて何が一番変わったのか。スキルや仕事の進め方についてレベルアップしているのは当然として、それ以外に大きく変化したことに気付いたのだ。

■麻痺する感覚■

 良い意味でも、悪い意味でも、当たり前の社会人となってしまったのだ。顕著なのは、精神的に図太くなったことと、会社という枠組みにどっぷり浸かってしまったということだ。

 新人時代を振り返ると、かなり打たれ弱かったと思う。ちょっとしたことで悩み苦しんでいた。若いという字は苦しいに似ているという言葉があるように、常に悩んでいたような気がする。単純に経験の差というのもあるのだろう。しかし、ちょっとしたトラブルに落ち込み、そして、次もまたバグるかもとビクビクしていたのである。

 それがいつの間にか、ちょっとやそっとでは動じなくなり、打たれ強くなったのだ。毎回悩んでいたらやってられないと、どこかで吹っ切れたというのもある。それでも、たまに自分の動じない心に驚くことすらある。

 今ではグループで一番の強心臓の持ち主ということになっているのだ。

■新人だからこそできる発言■

 図太さと共に身につけたのが、組織に属すということだ。図太さは、まぁ許せるとしても、この部分は好ましくないことなのだ。

 新人の特権といえば、空気の読めない発言で、周りを震撼させることだ。僕自身も、何度会議中に進行役の先輩を固まらせたことか。

 怖いもの知らずというよりも、何が怖いのかも分かっていなかった時期。そして、その発言の中にはキラリと光るものもある。新人だからからこそできる発想というのもある。今では、新人時代のような発言ができるはずもなく、周りを見て、まるくおさめることに終始してしまうのだ。

 毎年新人が入るたびに思うことがある。常に新鮮な気持ちを忘れないようにしたい、と。しかし、それは想像以上に難しいことなのだ。

 プロジェクトの進め方や仕事の進め方にしても、今までの経験からそれが最適だという先入観を持ってしまう。会社としての業務の進め方にしてもそうだ。そこに、新人ならではの奇抜な発想と発言。普通に社会人として過ごしていれば、出てくるはずのない発言が平気で飛び出す。この瞬間は、驚きと共にうらやましくもあるのだ。

 そんな新人たちも、次第に会社という枠にはまり込み、毒されていく。どんなにトゲトゲした新人であっても、あっという間に丸くなってしまうのだ。これが組織の恐ろしさなのだろうか。そして、気付けば自分が新人の角を削っている立場になっていることにも愕然とするのである。

 新人の新鮮な発想というのは常に大事にしていきたい。そして、そんな環境も作っていきたい。ベストは自分が常に新鮮な発想をすることなのだが、それも難しい。今から若手に戻るにはどうすればよいのか、模索している最中なのである。

 続く

Comment(4)

コメント

インドリ

>今から若手に戻るにはどうすればよいのか、模索している最中なのである。

もし既に知っていて後半に書いて居たらごめんね。
ボクがやっている手段は、常に自分を認めず必ず「○○出来ないじゃないか」と叱咤激励を行う事です。
人間はこれぐらいでいいと妥協をしてしまうと自分に天井を作ってしまいます。
ですからボクは、常に新しい事に挑戦し、成功したら自分自身が出来ない事を発見し「○○出来ないお前は初心者だ」と自分にいい続けて、それを材料に鍛え続けています。
大体こんな感じです。

自分A「○○言語が分かったぞ」
自分B「その言語の処理系作れないレベルで分かったとはいえない。プロならば、ひとまずコンパイラぐらい作れて当然。」

自分A「コンパイラを実装したぞ」
自分B「その程度の出来で完成?GCCに全然勝てないじゃないか。」

ホリ

インドリさん。

コメントありがとうございます。

>人間はこれぐらいでいいと妥協をしてしまうと自分に天井を作ってしまいます。

おっしゃるとおり、自分で自分の限界を作るべきではないですね。
常に新しいことに挑戦し、モチベーションを保つよう努力していきたいです。

さすがにコンパイラを作るまではいきませんが、一つのことを突き詰めて
調査している時は、新人のころ右往左往しながら技術書を読みまくったことを
思い出します。

そういった意味では、若手に戻っているのかな…?

るぱん

インドリさんに近いんですが、下記の二つです。
1.「これで3歳児が理解できるかなぁ?」
2.「本当にそれで十分なの?」


1.「これで3歳児が理解できるかなぁ?」
うまく説明できないと言う事は、
中途半端な理解だと認識する事が大事だと思います。

新人が・・・ではなく、いっその事3歳児が理解出来るかどうかを基準にする必要が
あるのではないでしょうか?


2.「本当にそれで十分なの?」
知識があればそのさきのコンパイラが~とかGCCがとかはいえますけど、
「わかっていない状態で前に進もうとできるかどうか」
の気概が必要なんじゃないでしょうか?

車輪の再発明でも良いんじゃないでしょうか?
業務時間帯じゃなければ誰も文句言わないはずですし。

たいていの人は、「まぁ、周りに文句言われないからここでいいか?」
これが知らず知らずのうちに天井を作っているのだと思います。

さて、このコメントに関しても「本当にそれで十分なの?」なんてね。
相当角が取れましたが30過ぎた今でも十分問題児です。
(注:社会人暦は8年目に入りました。)

三年寝太郎

こんにちは。

新人のKY発言の有効成分は、個人よりも組織にとってより効果のあるもののような気がします。

個人としてどう精進していくかは他の方のコメントと大して変わらないと思うのですが、組織としての視点がないと、上司や会社やお客さん、或いは業界全体といった、仕組みとして動かし難いものに対しては、なんのアクションも出来ないのではないかと思います。

周囲の人にはなるべく文句でも愚痴でも良いからマイナスの言葉を言ってもらう。
そこを気をつけていれば、組織としてまだまだ未完成、或いはここは老朽化していて、何かしらの改善が必要だとかも見えてくると思うし、案外簡単にアクションが取れることもあるでしょう。

それと、新鮮な発想をするのに若手に戻る必要は無い、というより若手に戻ってはいけないのではないですかね。
今の、経験を積んだエンジニアとして、KYな発想をしてみる。が良いではないかと思います。
そのためには意識的に、或いは無意識にブレーキを踏むのを止めなきゃダメかもしれませんが。

「いや」「無駄」「面倒くさい」「やりたくない」。
どれもマイナスな言葉ですが、いつの間にか麻痺して感じなくなってるのはそういう語群ではないですかね。私の経験上はそうだったというだけかもしれませんが。

マイナスに感じられる語群が示唆してるものこそ、実は仕事の中で非効率や不利益に繋がっていると言えるのでは?
上司や同僚、個人に対しての不満が、実は思った以上に非効率を内包していたから出ていた、なんてこともよくあるし。

K.Y.=改善要求、「これ止めましょう」とか「これやりたくない」、あるいは改善提案「こうやりましょう」と受け取ることも出来ると思います。
ただ、マイナスの言葉に過剰反応する人も結構いるので、それを、どういう言葉に代えて出すかは考えないといけませんが。
でも、余り無理に考えさせると面倒くさくて言わなくなるから(笑)、ストレートに言ってもらった方が無駄がなくて良いですね。言葉で説明するのが下手な人も多いですから。

嫌なこと面倒なことを感じ取る力を失うと結果的に自分が困る。(組織が停滞する)
問題を知覚できなくなるし、一度失うと取り戻すのが大変ですから。

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