年輪のはじまり:新米SEのとき
はじめまして。このたびエンジニアライフのコラムニストとして“エンジニアの年輪”というテーマでコラムを書かせていただくことになりました。よろしくお願いいたします。
“エンジニアとして、どのように年齢を重ねていくことが望ましいのか?”と立派なサブタイトルを付けてしまいましたが、わたし自身がすでに40代半ばと歳をとってしまっているので、もしかしたら、わたしの後悔を綴るコラムになってしまうかもしれませんが、コラムを読んでいただく若いエンジニアの方々に、少しでもお役に立てる内容を書いていければと考えています。
わたしは、社会人になって以来ずっとソフトウェア開発の技術者として働いてきましたが、現在では、執行役員とCTOという役割を仰せつかっており、日夜奮闘をしています。
ずっと一技術者として働いてきたと思っていたのですが、ふと気がつくと、企業を経営する側の立場になっていました。実際、技術の現場からは少し遠のいてしまっています。できる限り若いエンジニアと接点を持ち、いろいろな話をしようと努力をしていますが、思うように時間がとれず苦しんでいるというのが現状です。
このコラムでは、エンジニアの生活や思いが年齢とともに変化していく様を、わたしの経験や後悔を通じて綴っていきたいと思っています。
■ 技術者には、様々な可能性がある、だから楽しい!
時代の変化とともにソフトウェア技術者のあり方も変わってきていると思います。変化したというよりも、バリエーションが増えたと表現した方が正しいのかもしれません。
それは、ITを取り巻く環境の変化によって、職業としてITに関わる技術者の職種が増えたということなのだと思います。
わたしがこの仕事についた頃は、インターネットなんてものはなく、ソフトウェアエンジニアといえば、「企業システムの開発」「OSやミドルウェアの開発」「業務パッケージの開発」など、大別するとこのようなことをする職種のこと、だったと思います。しかし、インターネットの普及やモバイルデバイスの技術的進展を見れば分かるとおり、ITはどんどん進化しています。こういった背景から、ソフトウェアエンジニアなどIT関連の技術職の幅は広がってきています。
現在は、職業の選択の幅という視点から、ITに関わる技術者にとって、プログラムを開発する以外にも、Webコンテンツ開発など多種多様な職種を選択できる環境があり、将来の可能性が広がったということにもなるでしょう。また、技術者として、どのような役割を目指していけるかをみてみると、「生涯一プログラマ」のような職人を目指したり、ソフトウェア開発を通じて専門業務知識を習得し、コンサルタントになることや、ITに特化した技術でコンサルタントになれるという可能性もあります。さらに、プロジェクトマネージャやIT企業の経営層になるなど、SEという1つの職種から、様々な職種(役割)に転身できるのも、IT業界で働く技術者の面白味であるとわたし自身が感じています。
■ 自分は何になりたいの?
しかし、社会人1年目に、現在の40歳半ばの自分の姿が想像できたはずもなく、その頃のわたしは、自分が何になりたいのかもよく理解をしていなかった気がします。
今までを振り返ってみると、現在に至るまでいろいろと回り道をしてきていると感じることがあります。
わたしがこのコラムでお伝えしたいことは、人は誰でも歳をとっていくものですが、年齢とともに人間として、技術者として確実に成長していくことが重要であるということです。時の経過とともに、自然と成長していければよいのですが、それは容易なことではなく、1つ間違えると年齢による衰えだけは確実に進むけれど、年輪や熟練といった、年とともに深まっていく経験や人間味、風格のようなものを醸し出せないといったことになる可能性があります。それでは寂しいですよね。
こう書いている自分にその年輪があるのか疑問を感じつつ、わたし自身の若い頃を思い出しながら、年代ごとに、どんなことを考えながら過ごしていくことが望ましいのかについて書いてみましょう。
偉そうに書いていますが、わたしが社会に出たばかりの頃は失敗の連続でした。自分が何になりたいのかさえ明確に認識もせず、日々仕事に追われていたと記憶しています。
さて、長い前置きはさておき、今回は新人エンジニアの頃にさかのぼり、その年代のエンジニアの取組みについての話を書いてみます。
■ 若い頃の苦労は買ってでもしろ!
実は、わたしがこの職業に就いたことに明確な理由はありませんでした。
ただ、なんとなくシステムエンジニア(以下、SE)という職業が“格好いいかな”と思ったぐらいでした。SEという職業の詳細までは、あまり理解していませんでした。プログラミング言語を使ってのプログラミングは多少なりともできたものの、“SEとは、おそらくソフトウェアづくりに関わる仕事なのだろう”と漠然と考えている程度でした。
新入社員当初は、某メーカーのSEとして従事していました。実際は、メーカー企業の社員ではなかったのですが、入社直後に資本関係のあるメーカー企業へ出向となり、それ以降約7年間、そのメーカー企業でSEとして働いていました。技術者としての教育などは、このメーカー企業に大変お世話になりました。
この時期において、わたしの記憶に一番残っていることは、“若い頃の苦労は買ってでもしろ”です。
わたしが好きで買った苦労ではなかったのですが、結果的には、ここでの苦労が現在のわたしの基礎を作ったといっても過言ではありません。単に苦労をすればよいという意味ではなく、若い時には短期間に集中的に多くの技術を学ぶことが重要という意味です。
前述したとおり、あまり明確な目標も抱いていなかったわたしにとって、この頃の日々の課題は、とにかく多くの技術を身につけることでした。
そして、当時の最大の苦労は、何しろ労働時間が長かったことです。おそらく入社してから3年間は、普通の人の2倍近くの時間を働いていたのではないかと思えるほどでした。
しかし、今振り返ると、この3年間で技術的に、かなり成長したのではないかと思います。最初の3年という、技術者としての基礎を作る大切な時期に多くのことを学べたことが良かったのでしょう。
最近のIT業界は、よく“3K”と言われていますが、状況は当時も同じです。正にそれを絵に描いたような状態でした。しかし、そんな厳しい環境の中で耐えることができたのは、指導してくれた先輩社員に恵まれたからだと思います。先輩社員には技術だけではなく、エンジニアとしての志を教えていただきました。精神論ではありますが、当時、教えていただいた志は現在でもわたしの支えになっています。
「入社直後の技術者の取組みとして重要なこと」は2つ、
- 時間を惜しまず多くの技術(特に基礎的な)を学ぶことに貪欲になる
- エンジニアは、“こうあるべき”を自分なりに考えてみる
であると思います。
2つ目の“こうあるべき”は、自分の中でなかなか定まるものではありませんが、真剣に考えてみることが大事だと思います。わたし自身も同期や年齢の近い先輩と、よくこの話題で議論しました。
深く考えることなくこの業界に飛び込んだわたしでしたが、このような厳しいながらも同志に恵まれた職場環境を過ごしたことで、情熱を持って仕事をする魂が芽生えるまでに多くの時間はかかりませんでした。
コメント
小林
いよいよコラムはじまりましたね。
将来経営層を目指すITエキスパートの方も多いので、山崎さんのコラムに期待しています。
テクノロジーを追求したいのに経営層になってしまった(?)葛藤なども読めるとうれしいです。