筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

選手からコーチへの転身

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 22年前の僕は、実はプログラミングが無茶苦茶好きでした。学校の放課後、夕暮れ時の情報棟にいつまでも居残って、端末(NEC N5200 model05)にかじりついて、当時のBASICやFORTRANなどで、無我夢中でプログラミングをしていました。竹馬や自転車の練習のように、最初は覚束なくても、誰だってそれだけ熱心にやれば、次第に、さまになっていくものです。さすがにZ80とは違って、i8086はメモリのページングや、仮想アドレッシングが複雑でした。どんなにハードウェア系の本を読んでも難解で、マシン語は無理だったのですが。とりあえず、クラスの皆や先生方からは、ある一定程度の評価は受けていたわけです。

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1988年、高校生時代。使用前(苦笑)の17歳。

■しゃにむにプログラミング

 それはもう、思うがままにプログラムが無事にできた時の喜びは、いまでも忘れることができません。また、プログラム技術の向上のために、端末実習の予習復習のために、また部活動のために、情報棟は常に開放されていました。まずは、目先のスキルの習得が優先され、手段を選ばずにスキルを磨く。そんなとき、このプログラムが誰のために、また、何のために作るのかを考えることは余所へ置いといて、ともかく速く、きびきびとした処理を行わせる。デバッグし、間違いのない処理を行わせる。なるべくメモリ領域を食わないソースを書く(当時のDRAMメモリは高価だったのです)。そして、命令語や関数をただひたすら暗記する。選手の頃は、ただ練習する、それだけで良かったのです。

■キャリアの変転があって

 前述の通り、COBOLのやり過ぎで病気寸前になった先輩の顔を見るにつけ、この職業は健康にやばそうだと思ってしまったので、あえて、当たらずとも遠からずの職業に就き、プログラミングで飯を食うことはしませんでした。また、家庭の事情もあって、学校推薦で就職することはありませんでした。ともかく、親父が家を即座に出ていけというので、仕方がなく自立しなきゃならない。食べて行かなきゃならない。なので、学業は一旦、中座せざるを得ませんでした。

 家電量販店、百貨店、プラント機器メーカー、商業印刷、プログラム受託開発会社、カスタマーエンジニア、そしてシステムインテグレータを経て現在に至ります。どれもコンピュータ関連なのですが、プログラミングの実績といえば、経歴上は皆無に等しく、もっぱらオペレーションや技術支援の立場でした。そうしていくうちに、プログラミング環境はどんどん進化し、僕は、プログラミング回復不能地点まで至ってしまったわけです。まあ、極端に時間をかければ、きちんとしたものは作れなくはないですが、新たな学習を伴いながらなので、生産性においては非常に低いものとなってしまっています。なので、若くて賃金的に安価な即戦力にはなり得ないのです。

■宙ぶらりんになって

 それでも、何らかの形で食べていかなきゃなりません。ある時期から、酷い人間不信になり、メンタルな病気で3年休んで、それから3年セーフティネットの中で将来について考えました。もう選手(プログラマ)には戻れない。人月単位で出向するのにも抵抗がある。また、非正規雇用では暮らしていけないし、常に、明日の我が身の心配を抱えながらの仕事は、非常にストレスフル。都会で負けて帰る実家もなければ、頼る親や親戚の資力もない。なぜならば、すべての退路を断って千葉から大阪へ出てきているからです。

 キャリアの一貫性がない、スキルが不一致である、資格がない、即戦力ではない、年老いているなどの理由で、どの会社にでも丁寧に行く末を「祈られ」ました。ただ祈られても、こちらはどうしようもないのですが……。このようにして、数十社近く「祈られ」た挙句、これはもうダメかもわからんね、と思って、ここでコラムを書き始めました。そこで、気づいたことがありました。これは、ただのスランプじゃない。どうやら僕は「選手」の時期をとうに終えて、むしろ「監督、コーチ」の年齢だと。スポーツの世界でも、選手を退く時期だと気づいたわけです。

■そして、中年は「匠」を目指す

 ちょっと言葉は方言ですが、「オレが若いもんを引っ張って行かんで、どげんすっとか!!」という意気込みでいます。肝心なこの場面で、根性や気合いを見せなければ、僕は一介の失業者になったままです。このまま引きこもっていたら、ドヤ街で寝てるのと、ほぼ同じです。とにかく、中年になったなら、若い奴らを牽引するコーチになる必要があります。難しい資格にトライして、1歩1歩、壁を乗り越えたいと考えます。やがて、たね銭をかせいだら、独立するかも知れませんね。「生涯一選手」などといった、きれいごとは言っていられません。僕にはプログラミングにしがみつくことさえ困難になってきているのです。だからこそ、とりあえず目先の中小企業診断士を目指すのです。

 まずは、基本から始めましょう。……毎日が眠くて、アタマがフル回転で、昼夜逆転とヘビースモーキングで、今にも、身体がどうかなっちゃいそうです。はい。

(何事も、死なない程度に頑張ります……)

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