売れるモノを作るには哲学が必要なんじゃないか、という話。
自分はあんまりテレビを観ないんですが、例外的に録画までして見ている番組がいくつかあります。
「カンブリア宮殿」「プロフェッショナル仕事の流儀」「トップランナー」「ソロモン流」など。
まあ、要は業界をリードするような人間を取材した番組が大好きなのです。
で、1つ気付いたことがあります。こういった人達が普段仕事で使っているPCは圧倒的にマックが多い。うーん?
2007年度のデータですが、確かリサーチ結果によると、シェア的には10%未満のはず。
けど、前述した番組などでの登場頻度は間違いなくそれ以上に高い。
これはもう、マックの時代到来だ! なんせプロフェッショナルもトップランナーも使ってるし! という乱暴な結論を元に鼻息荒く嫁を説得し(ちょうど嫁のPCが買い替え時期だったので)、試験的にMacBookを導入してみました。
MacBookが自宅に届き、その箱を開ける、あの感動というかワクワクは、私がコンピュータ(MSX笑)に初めて触れたときのそれでした。
プロダクトとして美しさもさることながら、入っているソフト、UIの完成度。仕事のためのコンピュータではなく、あなたのためのコンピュータ、というその仕上げに、激しく感動です。これはまさに“Personal Computer”と呼ぶにふさわしい!(とはいえ、Web系の開発者の中では今Macがだいぶ普及してるらしいですね)
そこでハタと思ったのです。最近のWindowsも普通に使う分にはそんなに悪くはないだろうと。何がそこまでの体験の違いを感じさせるのか。
いろいろと考えた末の私の結論は、「そこに哲学があるか、ないかの違い」ではないかと思ったのです。
Macには、ソフトウェア、ハードウェア共に、コンピュータはこうあるべき、というある種押し付けともいえる思想が感じられるんですが、それに対して、Windowsにはそんなものは感じられません(もちろんOSとハードを1つのパッケージとして開発しているMacと比べるのは酷かもしれませんが)。
それはすなわち、きちんとユーザーのことを考えて「デザイン」されているからです。Windowsは、機能性はあるけれども、デザインされていない。「デザイン」とはどういうことか、最近、デザインについての本を良く読んだ上で、自分なりの結論ですが、「デザイン」とはうわべの良さをいうのではなく、「よく考えること」と同義ではないかと思っています。すなわち、Appleのプロダクトは、言い換えればよく考えられている。
考えるということは結論を出すことであり、そこには何かしらの方向性、志向性があるはずです。そして、それが哲学といえるものになるのではないでしょうか。
明確な哲学には賛同者がいます。Appleの場合、いわゆるMac信者というやつです。Windows信者というのは聞かないのに、これいかに。
いや、今回の話の落としどころとしては、明確なコンセプト、哲学のある商品には、熱心な賛同者が現われてヒットするんじゃないか? ということです。これはコンピュータに限らず、コンテンツについてもやはり同じことが言えると最近思っていることです。強いテーマ性のある映画に熱心なファンがいるように。
あらゆる物作りにおいて、無難なものがヒットする時代ではなく、作り手がきちんと哲学を示す必要のある時代になっている気がします。そういう意味で、物作りというのは哲学を世の中に問う行為に他ならないといえるでしょう。
さらに言えば、物作りだけでなく、人間にも同じことが言えるんじゃないでしょうか? 自分のやり方、哲学のある人というのは、たとえ自分とは考え方が違っても、やっぱり一目置いて接してますし。
さて、そんなわけで自分にはそういう哲学といえるものがあるのか、確固たる哲学がない自分に気付き、日々もんもんとしている訳なんですけどね。