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ものまね(物学:ものまなび)を使いこなそう(1)

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 先日、以前からきちんと読まねばと思っていた『風姿花伝』をようやく読むことができ、目から鱗が十枚ぐらい落ちてしまいました。

 『風姿花伝』は、室町時代の能楽の大成者である「世阿弥」が、もともと秘伝書としてまとめあげたものです。明治の終わりになってようやく一般の目に触れるものとなりました。その内容は能としての心得だけではなく、総合芸術論でもあり、教育論でもあり、哲学書でもあります。世界中の人々に今でも読み続けられている名作になっています。エンジニアのみなさまにも、多くのヒントが得られる非常に意味深い書籍だと思います。宮本武蔵の『五輪書』もそうですが、何かを極めた方が広い視野を持ってまとめあげた文章には、圧倒されるものがあるだけでなく、時代が変わっても生き続け、今でもいろいろな業種の方々に影響を与えています。本当に素晴らしいことですよね。

 前フリが長くなってしまいましたが、今回はこの『風姿花伝』の中で、ホスピタリティプロジェクトにつながる内容を一部抜粋して、エンジニアのみなさま向けにまとめてみたいと思います。

【ものまねの語源】

 ものまねと聞くと、ついついテレビに登場するたくさんのものまねタレントが思い浮かんでしまうと思いますが……『風姿花伝』の中では、「物真似」は「物学條々(ものまねのじょうじょう)」として章のタイトルに使われています。物学=ものまね??? と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、どうも「学ぶ」の語源が「真似る」からきたものだという説もあるらしいですね。なんとなく意味深い章タイトルです。

 世阿弥は、この「物学條々」という章の中で、能楽として物真似の極意を、九つ(女・老人・直面※1・物狂・法師・修羅・神・鬼・唐事※2)の分類で述べています。もちろん細かい所作なども書かれてはいますが、それぞれの役柄をどう表現していくのか、その心得を俯瞰した形で書かれているところが面白いところです。この内容をそのまま読むだけでも、生きていくうえでの大きなヒントが得られるような気がします。

 ※1 能面をつけずに、素の面で演じる演目
 ※2 中国の故事を題材にして演じる演目

【エンジニアとしてのものまなび】

 では、この「物学條々」の章を、みなさんのプロジェクトでのホスピタリティの視点で考えてみましょう。

 日頃のプロジェクトにとって「ものまね」というと、まず先に思い浮かぶのが、OJTに代表されるような、先輩などの設計や開発の作業をとにかく真似ながら、自分自身のスキルをアップしていく、すなわち『身近にいる「できる」人を真似て、技を盗む』という、職人気質なものまねを思い浮かべると思います。

 そして、もう1つ忘れてはならないのが、プロジェクトメンバー、リーダー、上司、そしてお客さんなどなど、プロジェクトに関わる人たちをじっくりと観察しながら、良い面は取り入れ、悪い面は自分自身としての振舞いの確認ポイントにする『人のふり見て我がふりなおせで、自分自身の振る舞いを見つめる』という振る舞いとしてのものまねがあります。

 この2つの「ものまね」を、『風姿花伝』を参考にしつつ、それぞれを具体的に見つめてみましょう。

【身近にいる「できる」人を真似て、技を盗む】

 会社などで、どんなトレーニングが効果的ですか? と聞くと、真っ先に出てくるのがOJTでしょう。実際の新人教育などでも、一通りの基礎研修が終われば、先輩がコーチになり、上司がメンターになりOJTを計画的に実施している企業も多いのではないでしょうか。実際の業務を進めながら、その業務にたずさわる先輩自身が、実見本を見せながらトレーニングを進めていくわけで、よりリアルで効果があるスキルアップを実現できることができます。

 ただ、OJTを終了すると、あとは本人任せ。「トレーニングも終わったので、あとはがんばれよ!」という感じで、どこかですっぱり切り分けられてしまっていることはないでしょうか? 「必要があれば、聞きにおいで!」という感じで、どこかでOJT型のコミュニケーションを打ち切って、通常モードのコミュニケーションに切り替えている感もあります。もちろん、OJT自体がコーチになる先輩の工数を割くことになりますし、それだけ見えない予算もかかっているわけで、正しい選択なのかもしれません。とはいえ、コミュニケーションを切り替えてしまい、トレーニングする方、される方とも気持ちの持ち方まで変わってしまうのは悲しいことです。

 その背景にあるのが、OJTの時の双方の気持ちの持ち方。もっと的確にいうと、感謝の心の持ち方にもよるのではないでしょうか?

 ほとんどの場合、教えてもらう新人さんは「教えてくれてありがとう」という感謝の心を持っているはずです。もしかすると「どうせ上司に言われたのでやっているのでしょ」「お仕事、お仕事」という割り切った考えで感謝の心を忘れている場合もあるのかもしれませんが、極めて少ないパターンだと思います。いや、そう信じたい!!

 ここまではいいのですが、教えている方の先輩達はどうでしょう? もしかすると「しかたないなぁ」「こいつができるようにならないとプロジェクトが進まないしなぁ」といったシブシブ感いっぱいでOJTに望んでいる場合も少なからずあるのではないでしょうか? たとえそうでなくとも、どちらかというと「教えてくれてありがとう」と言ってもらう、つまり「感謝される心を期待している」のではないでしょうか? それでいいのでしょうか? 教えられる方からの感謝する義務感と、教える方の感謝される期待感。この2つの感覚にどこかで依存し過ぎてしまっているから、OJTという決められた期間が過ぎると、その依存関係を切ってしまいたくなるのかもしれませんね。

 教えている先輩達は、感謝する心を持つことができないのでしょうか?

 そうではないはずですよね。まずは自分自身がOJTのコーチに選んでもらったということは、それだけのスキルを認められているということで、最初の感謝の心をつかむことができます。そのあと、実際のトレーニングで教えるということ自体、得るものが大きいことを認識しなければならないと思います。非常に簡単なプログラミング作法であったり、仕様書のまとめ方、そしてプロジェクトでのプロセスやちょっとしたルール。簡単なことだからこそ、普段は「あたりまえ」に過ごしてしまっていることも多いはずです。できて当然に思える領域に達していることばかりかもしれません。しかし、これらを教える際には、そのまま思いつきで発言するのではなく、まずは自分達の日頃の行いを整理して、相手に分かるようにまとめ、相手が理解できているかどうか反応を確認しながら伝えていく必要があります。これらの一連の思考は、教える側につかない限り体験することのできないことです。そこから得られるものは非常に大きいものであり、このことを認識することで、もう1つの感謝の心をつかむことができます。

 そして最後に、とっても単純ですが、教えてあげた新人さんから「ありがとう」と言ってもらえること。これが最大の感謝の心なのかもしれません。「ありがとう」と言ってもらって当然だろ! とは思わずに「ありがとうと言ってもらってありがとう」と思えていますか?

【感謝の心は継続できる】

 OJTを通して、教える方、教えられる方の双方が、このような感謝の心を持つと、OJTが終わっても、それぞれの心の中で同じ心を持ち続けることができます。そして、感謝の心を持ち続けることによって、最初に書いた「OJTが終わったとたんにミュニケーションが切り替わる」ということを防ぐことができるはずです。

 お互い、義務感や責任感だけで、あたかも作業のようにOJTをこなすだけでは、感謝の心は発生しにくくなります。でも、その機会に恵まれたことによって持つことができた感謝の心を感じることは、OJTが終わってからも、2人の関係だけではなく、プロジェクトにとって、よい影響を与えることになります。

 感謝の気持ちが持てれば、そこに「うれしかったな!」という自分の喜びを感じ取れます。そして自分自身の喜びは、やっぱり身近な人と共有したくなるのが自然な姿です。だからこそ、OJTが終わっても、他のメンバーもあわせて、教え続けようとしてくれるはずですし、教えてもらったことに感謝できます。その小さな積み重ねの結果、プロジェクト全体がこの「良いループ」に包まれ、メンバー全員で成長できるようになるはずです。

 そう考えると、そもそも「新人さんが入ったらOJTでトレーニングしなければならない!」という発想自体が間違っているのかもしれませんし、良いループに包まれていれば、そもそも必要ないのかもしれません。といっても、プロジェクトの良いループは一朝一夕に出来上がるものでもありません。OJTを「新人のスキルをアップさせ、技術を身につけさせる」ことと考えずに、「教え、教わることから始めることで、お互いに感謝の心を生み出す」と考えれば、もっともっと、よりよいプロジェクトに変えていくきっかけになるのではないでしょうか?

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 さてさて、いきなり『風姿花伝』からはずれてしまった感もあるのですが、実はこのあたりの内容は、冒頭に説明した「物学條々」の章の前にある「年来稽古條々(ねんらいけいこのじょうじょう)」という章にヒントが隠されています。能の稽古をする心得を「七歳」から「五十有余」まで年代別にまとめたものですが、その中で、教えられる方、教える方の年代を想定して抜粋すると……(『風姿花伝』が生まれた時代を考えると、現在の年齢とは少しギャップがありますが)。

●「十七、八より」(教えられる方に近いかな?)

 「たとえ人に指さされ笑われようと相手にせず、普段の稽古では喉に無理のない調子で、朝夕発声練習を心がける。心中には願をかけ、一生の分かれ目は今ここだと、死ぬまで能を捨てない覚悟をかためるほかはない。ここでやめてしまえば、能はそのまま止まってしまう」

 (前川解釈:この頃、ちょうど体も変わってくるころで、大人への階段をのぼる頃。エンジニアとすれば、社会人になってリアルにお仕事として感じる時期ですね。まずは生涯の仕事と認識して、教えに感謝しながら覚悟を決める時期なのかもしれません)

●「二十四、五」(教える方に近いかな?)

 「この時の花こそ初心のたまものと認識すべきなのに、あたかも芸を極めたように思い上がり、はやくも見当違いの批評をしたり、名人ぶった芸をひけらかすなど何ともあさましい。たとえ人にほめられ、名人に競い勝ったとしても、これは今を限りの珍しい花であることを悟り、いよいよ物真似を正しく習い、達人にこまかく指導を受け、いっそう稽古にはげむべきである」

(前川解釈:ほめられても今を限り!? というのは、今回の内容とは食い違うようにも思えますが、あながち違うものでもありません。ほめられて感謝されながらも、さらにその感謝から次を考えること。このことも重要な心得なのだと思います)

 最後に少し厳しい引用でまとめてしまいましたが、これもご自身の心の中で大切にしていく重要な心得だと思います。それぞれの心得を大事にしながら、お互いに感謝の気持ちを持ち、「物学」を続けること、これがプロジェクトにとっても、よい効果を生み出すことになるはずです。

 さて、今宵はこのあたりで、いったんお開きといたします。

 次回は、もう1つの「人のふり見て我がふりなおせで、自分自身の振る舞いを見つめる」ものまねについて、「物学條々」を元にまとめていきます。ホスピタリティプロジェクトの核心をついてくる……かも? 乞うご期待!

※引用:『風姿花伝』(現代語訳、水野聡訳、PHPエディターズグループ、ISBN-13:978-4569641171)

Comment(1)

コメント

>教えている先輩達は、感謝する心を持つことができないのでしょうか?
昔、OJTをやってたときはそうだったかもしれませんね。どうして自分の言うことを理解してくれないんだろって感じで。

最近2年目の社員が配属されてきて、フレッシュな気持ちになったし、自分自身の仕事をきっちりやろうと思ったし、刺激になりましたね。

昨年、コーチングの研修を受けました
教えるのではなく、問いをあたえることで、相手は自分自身の答えを見つける。
そして、相手は自分(コーチ)の考える以上の答えを出す可能性をもっている。
こんな考え方に触れ、意識が徐々に変わってきたのだと思います。

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