私は勉強が嫌いだ
子どものころから、勉強が嫌いで、本が好きでした。
本を読んでいると大人たちから「勉強が好きなんだね。えらいね」とよく褒められたのですが、「わたしが好きなのは勉強じゃなくて本だよ!」といつも反発していました。
それでも、勉強はできないよりはできる方がいいだろうと思って、年に1度くらいはやる気になるのですが、3日と持ちませんでしたね。特に、暗記が嫌いで、やらなきゃいけない意味がまったく理解できませんでした(←覚えなくても、そのたびに本を読み返せばいいだけじゃん)。
そんな勉強嫌いのわたしでも、本好きが幸いしたのか、無難な成績で学生時代を乗り切り、無事に就職できました。
就職して、わたしの教育を担当してくださった先輩は、最初にこんなことを言いました。
「ここは学校じゃない。カンニングし放題だ。だから暗記なんてしようとするな。情報の引き出し方さえ覚えればそれで十分だ。自分に本当に必要なことならイヤでも覚えるから問題ない」
暗記が大嫌いだったわたしは素直に喜びました(笑)。さらに先輩はこう続けました。
「今まで暗記にかけてた労力は、考えることに振り向けろ。とにかく考えろ! 考えるのが、これからのおまえの仕事だ!」
確かに、仕事で「なんであのとき、ちゃんと覚えておかなかったんだろう」という場面に遭遇することは、ほとんどありません。だいたい、カンニングペーパー(←紙とは限らないけど)が見つかりますから。それと、必要なことはイヤでも覚えるというのも本当でした。覚えようとしてないのに、気付けば丸暗記していたりするのですね。人間、必要があれば何でもできるようになるものです(笑)。
そして、「なんであのとき、もう一歩、踏み込んで考えておかなかったんだろう」という場面にはしょっちゅう遭遇します(←それはきっとわたしがダメダメなだけ)。そういう失敗は、精神的ダメージが大きくて、そのたびに前述の先輩の言葉を思い出し、さらにヘコむわけです。
わたしはいまだに自分の「仕事」をきっちりやりきれてないなあ、と。
ところで、プログラマをやっているとイヤでも勉強しなければならない場面が出てきます。でも、就職してからはそれがそんなに苦ではなくなりました。「プログラマとして生き残る」という見返りを期待するようになったからです。
それと、仕事の関係上で、どうしてもなんとかしなきゃ、ということになってから勉強を始めることが多いので、苦とか楽とか言っている余裕はありません。「とにかくなんとかしないと!」という、夏休みの最終日に宿題をやってた子どものころと大差ない状況です(苦笑)。
それでもやっぱり勉強は嫌いなので、「将来、役に立つかもしれないから」という理由で勉強することはめったにありません。でも、IT技術に関する書籍を休日に読むことはよくあります。本を読むのは好きだから(笑)。
技術書を読んで、いろいろと考えをめぐらせるのは楽しいです。それは、学生時代にSF小説を読んでわくわくした気持ちに似ているような気がします。未知のものが、少しずつその姿を現してくる、という辺りが近いのかなあ、とか思います。
ところで、「勉強は嫌いだけど、本を読んで考えごとをするのは好き」と言ったら、「もしかして、それを勉強というのでは」と言われたことがあるのですが、そんなはずはありません。
わたしは勉強が嫌いなんですから!
コメント
仲澤@失業者
爺も勉強は嫌いでしたね。かといって本が好きというわけでも
ありませんでした。暇さえあれば山だの川だの野っぱらだのに
行ったまま夕飯の時間になっても帰ってこない奴だったそうです(本人は認否を保留)。
まぁ、家には本と言えそうなものは「家の光」と「百科事典」くらいしか
ありませんでしたからしかたありません(vv;)。
もっとも厨房になった頃からFM-fanなどをちくちくと読み初め、
長岡鉄夫氏(故人)のまねをしてスピーカーなんぞを作ったのが
エンジニア人生のきっかけかもしれませんねぇ(とほい目)。
真っ赤なレモン
勉強が好きな人を見つけるのは、さすがに難しそうです。
ちょっと頭の中でイメージしてみます。
仮に勉強が好きな人がいたとして。
おそらくその人が「本が嫌い」というケースは稀ではないでしょうか。
勉強が嫌いだけれども、勉強ができる人がいたとして。
その人が「本が嫌い」というケースも、稀ではないでしょうか。
勉強が嫌いで、勉強ができない人がいたとして。
その人が「本が好き」か「本が嫌い」かは、なんとも言えないように思います。
傾向としてはこう言えそうな気がします。
1.「勉強が好き」ならば「本が好き」
2.「勉強ができる」ならば「本が好き」
つまり、「本が好き」ということは、「勉強が好き」である(または「勉強ができる」である)ための、必要条件に近い。
もしも上記の1.と2.が正しいなら、その対偶である3.と4.も正しいことになります。
3.「本が嫌い」ならば「勉強が嫌い」
4.「本が嫌い」ならば「勉強ができない」
だから大人は、本が好きならば勉強が好きな(または、勉強ができる)可能性が高いと思うのでしょう。
私は少し違う見方をします。
本が好きな人は、賢い可能性が高いのです。賢いというのは、勉強ができるということではありません。
賢いというのは、興味があることについて、正しい判断をしたり、なんらかの成果を出せるということです。
本が好きといっても、その好きの方向は様々。
ストーリーを追うのが好き。登場人物の思考をトレースするのが好き。という人もいて。
理数系の論理を追い、論理を身につけるのが好き。という人もいて。
知らなかったことを知るのが、知識が増えるのが好き。という人もいて。
周囲の人から話しかけられずに時間をつぶせるから好き。という人もいて。
いずれの場合でも、なんらかの能力は身について賢くなってゆく。
私のように、ただの活字中毒ってケースもありますが。 ←役立たず。賢くない(笑)
ひでみ
こんばんわです。ひでみです。
仲澤@失業者さん。
私の家にも本はほとんど置いてなかったですねえ。両親ともにまったく本を読まない人でしたし、子供の頃に絵本とかを読んでもらった記憶もありません。
だけどなぜだか、本好きに育ってしまいました。不思議です。
真っ赤なレモンさん。
私が知っている勉強好きな人は、もれなく本好きです。
かなりな確率で「勉強が好き」=「本が好き」は正しいと思います。
私は本を読んで考え事をするのが好きですね。
多分、本を読むというのは、考え事の「燃料」をチャージする、ということです。
あとは単純に「萌え」の補給です。そういう意味でも「燃料」です(笑)。
このコラムはとても同感です。
私も勉強が嫌いですが、正確に言うと、仕事をしていて、いま眼前にある課題を解決するために必要な勉強ならば、それほど嫌いではない。
嫌いなのは、
>「将来、役に立つかもしれないから」という理由で勉強すること
こっちの方です。
怠惰なのかもしれませんが、もうこのままでいいや、と思っています。
通りすがり
私もそんな感じだったのですごく共感しました。
本好きと勉強好きは全くイコールではないと思います。というかまず、暗記できる=勉強できる、だと思うので、本を読むのが好きでも暗記ができない人は勉強ができないですし、勉強ができなければ本好きだろうが勉強嫌いになりますし。
そして本好きの中でも、小さい頃(特に、絵本やら童話やらの、創作のお話を読む年頃)からの本好きであるほど、暗記嫌いになると思います。
ぎりぎり理解できる範囲のお話を1回読んで楽しんだらすぐ次の本を読む、なるべく脳に負担をかけないで楽しむべく、読むものをいちいち覚えないし思い出さない、という頭の使い方を訓練してしまうので、初めて学習する事に対してでも同じく頭が省エネしてしまうのだと思っています。
それと、教科によっては本を読んでいるうちに勝手に得意になっていたので、勉強において暗記作業は当前、という認識が弱く、できるだけ避けるべき苦行として、おろそかにしてしまうというのもある。
とにかく、理解力はあるのに、暗記と演習が足りない(やりたくないから)、と言われる感じでした。試験も詰めが甘いまま雰囲気で乗り切っていた感じでしたね、、、