ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

冬の一日

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 うずくまるハトと、凍る街路樹......そんな歌詞が思わず口をついて出そうな陰鬱な午後だった。昨夜から関東地方の上空を占拠している重々しい雲が、ただでさえ弱々しい冬の陽光を無慈悲に遮断している。いつ雨が落ちだしてもおかしくないし、気温が上昇を頑固に拒んでいるため底冷えがする。風が比較的弱いのがせめてもの救いだ。これで北風が吹き付けるようなら、外出するのを躊躇してしまうだろう。
 ぼくはセーターの上に、リサイクルショップで買ったエディ・バウアーのコートとマフラー、コーデュロイのズボン、厚手のソックスとトレッキングシューズに身を固め、センター北駅の線路沿いを歩いていた。インシデントZ以前は、このあたりの街路樹には、無数のLED が巻き付けられ、白と青の光で幻想的な夜を演出していたものだが、電力不足の昨今では、そんな光景は望むべくもない。クリスマスバーゲンと銘打って、道行く人々の財布を虎視眈々と狙っていた路面店も、今はほとんど開いていない。そもそも、土曜日の昼間だというのに、人通りが少ないのだ。
 「あまりキョロキョロしないで」
 ぼくの左側を歩くブラウンアイズが小声でたしなめた。こちらは、デニムジャケットにレギンスパンツ、ハイカットブーツと、防寒より動きやすさに比重を置いたコーディネートだ。
 「人がみんなハウンドの諜報員に見えて」
 「ハウンドも、日本全国の街角に監視員を置くほどヒマじゃないわよ」ブラウンアイズは澄んだ茶色の目をぼくに向けた。「それよりむしろ、防犯カメラに注意すべき」
 そう言われたぼくは、街灯や店舗などに目立たないように設定されているカメラを見た。
 「電気代節約で、止めてあるんじゃないかな」
 「その可能性もあるけど」ブラウンアイズは頷いて認めた。「でも、逆に、こういう何が起こるかわからないときだからこそ、警戒して動かしているかも。キョロキョロしてたら、それだけで不審者としてマークされる。さりげなくしてて。かわいい恋人とデートを楽しんでる、って顔をするの」
 そう言うブラウンアイズは、そこらのナンパ男なら焼き尽くしてしまいそうな視線で、周囲を睥睨している。恋人というよりボディーガードだ。おおっぴらに銃やナイフを持っているわけではないが、ひとたび危険を察知すれば、その手に何らかの武器が出現するだろうことを、ぼくは確信している。
 「ハウンドの奴らは、あっちの方で忙しいんじゃないかな」
 あっちの方、というのは、JSPKF 港北基地に近いツルミ防衛ラインのことだ。ブラウンアイズたちは、表向きはJSPKF を無許可離隊中だが、港北基地に残っているテンプルを始めとするJSPKF 隊員との接触は絶やしていない。そちらからの情報によれば、秋ぐらいまでは防衛ラインにZの大群が何度も押し寄せてきて、港北基地のバンド隊員たちは、多いときで日に5回も第一種警戒態勢によって駆り出されたらしい。懸念されるのは、毎回、D 型が混じっていて、しかもその数が次第に増えていることだ。Zの活動は気温の低下に比例して下がるから、現在では小康状態らしいが。ソリストも大いに活用されているようで、プログラマとして喜んでいいのか悪いのか。
 ハウンドも装備類を大幅にディスカウントした価格で提供するなど、協力を惜しんでいないそうだ。日本国内で公式に活動できるのはHISS だけで、火器を使用することはできないから、戦闘には参加していないが。
 サンキストが以前、教えてくれたところによると、ハウンドは海外にある民間軍事会社を経営していたり、資本提携していたりするから、本音では重火器で武装した大部隊を鶴見川の南側に送り込みたいところだろう。おおっぴらに<ナンシオ>の実験を、自分たちだけでやれるのだから。
 そうなれば、ぼくたちが世間から隠れて過ごす理由もなくなるのだが。ハウンドが、元オペレーションMM 参加の生き残りを追跡しているのは、みなとみらいで行われた実験データと、ワクチンプログラムの両方、あるいは片方を持っているのではないか、という疑念があるからだ。もっとも、日本政府もJSPKF も人権監視委員会も、ハウンドの暗躍を見過ごすつもりはないだろうから、実現の可能性は低い。
 ぼくたちがクリスマスイブの今日、人気の少ないセンター北駅を歩いているのも、ハウンドの<ナンシオ>計画を阻止、というか、妨害する活動の一環だった。ぼくは元住吉のアパートを脱出して以来、多摩川近くにダミー会社を通じて購入したマンションで、ワクチンプログラムの開発を続けてきた。ブラウンアイズたちが用意してくれた20 台のノートPC でソリストの分散システムを構築していたのだが、最近、そのうちの13 台のメモリが認識されなくなる現象が頻発するようになってきた。13 台とも同じメーカーの同じ型番で、どうやら初期不良だったようだ。開発を開始したときは、それほど負荷をかけていなかったのだが、最近になって大量の演算を分散して走らせるようになって表面化した。
 「すまん」事情を知ったサンキストは謝ってくれた。「急いでたんで、メーカーの倉庫に眠ってたのを横流ししてもらったんだが、不良で返品されたやつだったのかもしれんな。残りの7 台で何とかなるか?」
 「今すぐ、どうこうってことはないけど」ぼくは正常稼働している7 台のリソースをチェックしながら答えた。「でも、こっちの7 台は元々、メモリとディスクが少ない機種だからなあ。ネットに繋げてメールとブラウザだけ動けばいい、ってノートなんだよ」
 「ああ、そっちはタダみたいな値段だった。実際、ネット回線を契約するとタダで付いてきてたノートらしいからな」
 「できれば一般企業で使ってるような、普通のビジネス用ノートが入手できると助かる」
 「わかった、探してみる」
 ぼくは少ないリソースをやりくりして、ブラウンアイズに手伝ってもらいながら開発を続けていた。ブラウンアイズが助手に立候補してくれたときは、正直なところ、それほど役に立つとは思っていなかったが、すぐにその認識を改めさせられることになった。記憶力がいいし、数字にも強い。感覚的に対応するタイプかと思っていたが、ロジカルに処理しているようだ。プログラミングの経験はなかったが、そもそもデジタルネイティブ世代なので、操作にも概念にも戸惑いがない。そういえばオペレーションMM のときも、火器やデジタル装備のスペックなどを完璧に暗記していた。バンド隊員たちはみんなそうなのかと思っていたが、たとえばレインバードなどは狙撃に関するデータは頭に刻み込まれているが、二進数と十六進数の違いさえ知らなかった。
 試しにユニットケースの書き方を簡単にレクチャーして、一部のテストをやらせてみたが、すぐにコツを飲み込み、こなしていくようになっていた。おかげでぼくの負担はかなり軽減されている。
 ただ、ワクチンプログラムの開発は、かなり難航していた。基準となる仕様書があるわけでもなく、サンプルソースもない。手探り状態で進めざるを得ない。ぐずぐずしていると、ハウンドが何らかの形でD 型に対する実験を再開する手段を見つけ出してしまうかもしれない。表には出さないようにしたが、内心、かなりの焦燥が積み重なっていた。
 サンキストは危険を冒して機材の調達に飛び回ってくれていたが、数日前、一枚のチラシをぼくに差し出した。
 「これ、どうだ」
 ぼくは作業の手を止めて、そのチラシを眺め、ブラウンアイズも隣から覗き込んだ。

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 28,900 円より

 「これって」ブラウンアイズがうさんくさそうな目を向けた。「譲渡って書いてあるけど、有償の中古なんだよね」
 「まあな。それでも普通に買うより安いと思うぞ」
 「そういうのなら知ってる」レインバードがドラグノフのパーツを掃除しながら言った。「前に勤めてた会社で、リース切れのPC が大量発生したのよ。どうするのか、って総務に訊いたら、中身をきれいにしてまたリースに出す場合もあるけど、古めの機種だと、どっかに払い下げてしまうって言ってたわね。専門の業者がいるんだって」
 「企業で使ってたやつなら、型は古くても、それなりのスペックはあるだろうな」食事当番だったリーフが、見事なナイフさばきでチョップドサラダを作りながら言った。「それに数も揃うんじゃないか」
 「そうだね」ぼくは頷いた。「まあ、今のよりはマシかな」
 「じゃ、行ってみてきてくれ」
 そう言いながら、サンキストはチラシをぼくに渡した。
 「え、ぼくが行くの?」
 「そりゃそうだろう」サンキストは肩をすくめた。「あんたじゃないと、役に立つかどうかわからんからな」
 ぼくはチラシの下を見た。12 月24 日、13 時から17 時。会場は横浜市都筑区総合庁舎内都筑公会堂、第一会議室とある。
 躊躇いが顔に出たらしく、ブラウンアイズがぼくの腕に手をかけた。
 「大丈夫、あたしも一緒に行くから」
 「......ありがとう」
 ぼくが躊躇ったのは、別の理由があったのだが、それは封印しておくことにした。
 こうしてぼくとブラウンアイズは、都筑区に向かうことになった。都筑区総合庁舎は、ブルーラインセンター南駅近くにある。区役所などは、Wi-Fi スポットが開放されているから、人の出入りが多いことが予想される。万が一に備えて、簡単に変装していくことになった。
 ブラウンアイズはフレームの太いメガネをかけ、短い髪の上に茶髪のウィッグをつけ、簡単に外見を変えている。ぼくもメガネとマスクをかけたが、それ以外は素のままだ。最新の顔認識技術にかかれば、この程度の変装など簡単に看破されてしまうので、気休め程度でしかないし、不自然な変装だと、余計な注意を惹いてしまい逆効果だ。ぼくたちは指名手配されているわけではないが、職務質問され、身元を照会されるような事態は避けるに越したことはない。どこにハウンドの目や耳があるのかわからないのだ。
 「二人とも似合うよ」変装を手伝ってくれたレインバードがからかうように言った。「優秀なプログラマと、凶暴なバンド隊員には見えない」
 「誰が凶暴よ」ブラウンアイズは姿見の前で身体をひねり、自分の服装をチェックしながら訊いた。「何に見えるの?」
 「そうねえ。パパ活やってる女子大生とか」
 「......」
 ぼくたちは1 時間に1 本だけ運行している東急田園都市線に乗った。電車内はそれなりに混雑していて、ぼくたちは、あざみ野駅まで立ったままだった。インシデントZ前、東急線は車内防犯カメラの設置を進めていたが、その作業は田園都市線にまで及んでいなかったため、少なくとも顔を隠さずにすんだ。スマートフォンをいじっている乗客も少ない。
 あざみ野駅に降りたぼくたちは、そこで困惑して顔を見合わせることになった。ブルーラインでセンター南駅まで行くつもりだったのだが、運休だったのだ。
 「仕方ない」ブラウンアイズは改札近くに設置されている周辺図を見ながら言った。「歩くわよ」
 「マジか」
 「足腰には自信あるんじゃなかったっけ」ブラウンアイズは挑発的な視線を向けた。
 「ここんとこ、ずっとデスクワークばっかりだからね。もう、なまってるよ」
 ブラウンアイズはクスッと笑うと、ぼくの背中を軽く叩いた。
 「まだ時間はあるから。ゆっくり行きましょう。デートだと思ってさ」

◇ ◇ ◇

 センター北駅とセンター南駅の中間まで歩いてきたとき、ブラウンアイズが急に身を寄せてきた。普段は人前で過度な親密さを見せることを嫌っているので、少しばかり驚いたが、ブラウンアイズはぼくの顔を見上げ、笑顔を浮かべて囁いた。
 「尾行されてる」
 「え」
 ぼくは反射的に後ろを振り向こうとして、ブラウンアイズの手で強引に頭部を固定された。
 「ばか、振り向かないで」
 「尾行って」ぼくは囁き返した「確か?」
 「間違いない。何のために、曲がらなくてもいい角を曲がってきたと思ってるの」
 「道に迷ったのかと思ってた」
 「......まあいいけど。相手も歩きね。それほど人数はいない」
 「どうしてわかった?」ぼくの記憶にある限り、ブラウンアイズは後方を警戒しているような素振りは見せなかったのだ。
 「言ってなかったけど、このメガネ」ブラウンアイズはニッと唇の端を吊り上げた。「後ろにカメラがあって、レンズに映せるようになってるのよ。解像度は低いけど、人の見分けぐらいはつくの」
 「JSPKF の装備?」
 「これは個人的な持ち物」
 「個人的な、ね」
 「まあ、人生はいろいろ複雑だから」
 隠しカメラ内蔵のメガネを、個人的に持つ必要がある人生など、想像することもできない。この数ヶ月で、ブラウンアイズについては、様々な新情報を知ることができたが、まだまだ知らないことがあるようだ。
 「で、どうするんだ」ぼくは後ろを見たい衝動を抑え付けた。「今日は中止にする?」
 ブラウンアイズはにっこりと魅力的な笑みを浮かべた。
 「バンド隊員は、そういう選択肢を採らないの。それにPC は必要でしょ」
 「じゃ、どうする?」
 「走るのよ」ブラウンアイズはそう言うと、前を向いた。「そこのペットショップの角、右に曲がるわよ。曲がったら走る。全力で」
 問い返す間もなく、二車線道路に近付いた。センター南駅に向かうなら、左に曲がってから道路を渡る。右に曲がると元来た方向に戻ることになる。
 ブラウンアイズはいかにも左に向かうような素振りで足を踏み出し、次の瞬間、クライフターンで身体の位置を入れ替えた。そのまま、ぼくの手を掴んで、右側に走り出す。
 ぼくは何とかその動きに追随したが、ブラウンアイズは数メートルで、すぐにまた右に曲がった。足がもつれ、危うく転倒しかけたが、何とか踏ん張って走った。方向を変えるならせめて1 秒前に予告してほしい。
 ブラウンアイズはぼくの手を引きながら、壁沿いに走った。ぼくが付いてこられるよう、多少は手加減してくれていたのだろうが、それでも限界近くまで足を動かす必要があった。冬の冷たい空気が、暖まる間もなく肺に送り込まれ、ぼくの全身は久しぶりの激しい運動に抗議の声を上げていた。プログラマなら、プログラマらしく、モニタの前に座ってキーを叩いていろ、と言われているようだ。
 一方で、ぼくは爽快感を味わってもいた。ワクチンプログラムの開発のため、外を出歩く時間があまりなかったし、たまの外出でも、人気の多い場所は避けていたからだ。さらに、ワクチンプログラムの開発自体が、順調とは言いがたかったこともある。自分では気付いていなかったが、思った以上にストレスが蓄積していたのかもしれない。
 それはブラウンアイズも同じだったようだ。ちらりと振り返ったブラウンアイズの顔は、檻から解放された野生動物のような生気に満ちていた。プログラミング作業の手伝いなどをしていたときには決して表には出すことはなかったが、インドア派とは言えないバンド隊員にとって、身も心も幸福な環境とはほど遠かったに違いない。
 ブラウンアイズは時折、右に、左に、と不規則に方向を変え、建物の陰に飛び込み、駅近くの階段を駆け上がり、シャッターの降りた店舗と店舗の間を走り抜けた。行き当たりばったりに走っているように見えたが、本人が宣言したように、逃げていたのではなかった。
 「次!」ブラウンアイズは叫んだ。「右に曲がるよ」
 いつの間にか、ぼくたちは走り始めたペットショップ付近に戻ってきていた。ブラウンアイズは右に曲がり、ぼくも続いた。そのまま駆け抜けるのか、と思っていたら、ブラウンアイズは、ぼくの身体ごと、大きな業務用のダストボックスの陰に飛び込んだ。走りながら、反撃に最適な場所のあたりをつけていたに違いない。
 後ろから走ってくる足音が聞こえてきた。そいつは、同じように曲がってきたが、その瞬間、ブラウンアイズが豹のような敏捷さで襲いかかった。壁に叩き付けられたそいつは、黒いセーターと黒の綿パンで、ベースボールキャップと黒いマスク、サングラスをかけていた。ブラウンアイズは、相手の右腕を背中に回してひねり上げ、そのまま足を引っかけて路面に転倒させた。背中に膝を突いて動きを封じる。その左手には、どこに隠していたのか小型のナイフが握られていた。
 反対側から別の足音が近付いてきた。ぼくは近くに放置されていたモップを掴んだ。相手がHISS の人間だとしたら、格闘戦に長けているに違いないが、時間を稼ぐぐらいはできるはずだ。
 ぼくがモップを構えたとき、聞き覚えのある声が後ろからかけられた。
 「ストップ、ナルミン」
 反射的にぼくはモップを振り回したが、いつの間にか後ろに忍び寄っていた人物は、それをあっさり受け止めた。
 「え」相手の顔を見たぼくは、呆気にとられた。「レインバード!?」
 その声を聞いたブラウンアイズは、振り向いてポカンと口を開けた。反対側から近付いてきた男が苦笑交じりの声をかける。
 「お前、気付くの早すぎ」
 サンキストだった。
 「おい」ブラウンアイズに組み伏せられている男がもがいた。「どいてくれ」
 それはもちろんリーフだった。混乱した顔のブラウンアイズが膝をどけると、リーフは背中をさすりながら、身体を起こした。
 「え、なに?」ブラウンアイズは仲間たちの顔を見回した。「どういうこと?」

◇ ◇ ◇

 全てはサンキストたちの陰謀だった。ぼくのワクチンプログラムの開発の進行がはかばかしくなく、日々の態度に苛立ちが見られるようになってきていたそうだ。ぼくはプログラミングに没頭すると、一人でモニタに向かってブツブツ言っていることが多いので、最初はわからなかったが、ちょっとした言葉が尖っていたり、食事のときに皿に汚れが残っていることを指摘したりと、細かい仕草などにそれが現れていた。助手をしているブラウンアイズにも、それが伝染しつつあり、サンキストたちは遠からずストレスが爆発する兆候ではないかと考えた。ICZF で世界中を転戦していたとき、身体的な疲労よりも、精神的なそれで自滅する兵士を何人も見てきたらしい。早めにガス抜きをさせてやるべきだ。サンキストたちは、そう結論づけた。
 ただ、どっかで遊んでこい、と言っても、ぼくは承知しなかっただろう。やるべき作業が残っているのに、呑気に遊ぶ気にはなれないし、無理矢理送り出されても、楽しめなかったに違いない。そこでサンキストたちは、ぼくが外出せざるを得ない理由をでっち上げ、ブラウンアイズと一緒に送り出したのだ。
 「だったらどうして」ブラウンアイズは怒りと困惑が等分に混じった表情で詰問した。 「あたしたちを尾行したりしたのよ?」
 「ただ区役所に行って帰ってくるだけじゃ、ストレス解消にならんじゃないか」サンキストは苦笑した。「適当なところで、さりげなく怪しそうな姿を見せて、走り回らせてやろうと思ってな。あのチラシは偽物だから、区役所に行かせるわけにはいかなかったし」
 「え、偽物なのかよ」ぼくは驚いた。「じゃあPC は結局......」
 「ああ、それなら心配いらん」
 「どういうこと?」
 「全国のJSPKF 基地から、1 台とか2 台ずつ、通常の内部移動便に載せて練馬基地に送ってもらった。年明けに港北基地に移送予定なんだが、その途中で、事故にあって紛失することになってるんだ。テンプルが骨を折ってくれたんだよ。ちゃんとスペックも確認して、それなりのマシンになってるから安心してくれ」
 ぼくとブラウンアイズは視線を交わした。ブラウンアイズの顔には、呆れたような安堵が浮かんでいる。きっと、ぼくの顔にも似たような表情を見いだしていることだろう。
 「本当はもっと、あちこち走り回らせてやるはずだったんだがな」リーフが慎重に上半身を動かしながら言った。「鳴海が一緒だし、逃げの一手になるだろうと思ったんだ。まさか、反撃してくるとは思ってなかった」
 「言っとくけど」レインバードは、きれいな黒髪をゴムでまとめた。「あたしは一応、反対したのよ。ナルミンがいるからって、ブラウンアイズが逃げるのを選択するとは思えなかったから」
 「ちょっと待ってよ」ブラウンアイズは抗議した。「あたしが鳴海を放り出して、敵の相手を優先すると思ってたわけ?」
 「そうじゃなくてさ。ほら、ブラウンアイズとナルミンは、もう互いに切り離せない関係になってるってこと。別に変な意味じゃなくてね」
 ブラウンアイズはそっぽを向いたが、その顔には当惑と同時に、よく見なければわからないような淡い笑みが浮かんでいた。
 「さてと」サンキストが立ち上がった。「俺たちは撤収するか」
 「どっかにチキンとケーキでも売ってないかしらね」
 「そういう贅沢品はなかなか品薄だからなあ」
 3 人のバンド隊員は、ぼくとブラウンアイズのことなど忘れたように話しながら、駅の方へ歩き出した。ブラウンアイズは慌てて声をかけた。
 「ちょっと、あたしたちは?」
 リーフが首だけ振り向いた。
 「せっかくだから、もうちょっとデートしてけよ」
 「そうそう」サンキストも楽しそうに手を振った。「明日の朝まで休暇にしてやる」
 「このあたりはラブホないけどなあ」
 「明日の洗濯当番、ブラウンアイズだからね。忘れないでよ」
 3 人は避妊具についての冗談を声高に交わしながら、ゲラゲラ笑っていた。年末年始によく見かけた、酔っ払いグループのようだ。たとえハウンドが監視していたとしても、逃走中のバンド隊員と判断することはあり得ないだろう。
 「結局さあ」ぼくは彼らの後ろ姿を見送りながら呟いた。「自分たちがストレス発散したかっただけじゃないのかね。ぼくらをダシにして」
 「まあ、そんなとこでしょうね」ブラウンアイズは頷いた。「で、どうする? せっかくだから、どっかで何か食べてく?」
 「その前にちょっといいか?」
 「何よ」
 「今日は、これがなくても、何か理由作って、外に出ようと思ってた」
 ぼくはそう言いながら、ポケットから小さな包みを取り出して渡した。先ほどのアクションで、少しへしゃげてしまったが許容範囲だろう。
 ブラウンアイズは大きく目を見開き、まるで危険物でも扱うように、おそるおそる手を伸ばした。
 「爆発しないから」
 ぼくが言うと、ブラウンアイズは自分の態度に気付いて苦笑し、包みを普通に受け取った。頭上に持ち上げ、弱い陽光に透かしてみている。
 「ありがとう。開けていいの?」
 「もちろん」
 ブラウンアイズは丁寧に包みをほどき、ビニール袋に入ったネックレスを取り出した。細いチェーンの先に小指の先ほどの琥珀がついている。
 「きれいね」
 ブラウンアイズは嬉しそうに言うと、指先につまんだ琥珀を、もう一度頭上に掲げた。そのとき、奇跡的に雲の切れ間から太陽が覗き、琥珀から美しい光を引き出してくれた。ブラウンアイズの瞳のきらめきにも似た光だった。
 「この前、外に出たとき、リサイクルショップで買ったんだ」
 「いつの間に」ブラウンアイズはニコニコしながら、ネックレスを首にかけた。「何か企んでるな、とは思ってたんだけど」
 「クリスマスだから。安物で悪いけど、何かあげたかったんだ」
 ワクチンプログラムが完成したら、また、みなとみらいに行く必要がある。死ぬつもりはないが、何しろ、D 型が徘徊している封鎖区域だ。生きて帰れる保証はない。
 「ありがとう。嬉しい。こういうもの、もらったことがなかったから」
 「よかった。じゃ、何か食べられる場所を探すか」
 「ちょっと待って」そう言いながら、ブラウンアイズは背中に手を回し、ジャケットの裏側から何かを取り出した。「これはあたしから」
 「え!?」
 ブラウンアイズが差し出していたのは、やはり小さな包みだった。何か薄いカードのようなものが入っている。ブラウンアイズに促されて、ぼくはそれを開けた。
 中に入っていたのは、新品のUSB メモリだった。容量は16GB だ。
 「あ、ありがとう」ぼくは当惑して、USB メモリと、ブラウンアイズの顔を交互に見た。「えーと、これは......なかなか素敵なUSB メモリだ」
 「色気がないプレゼントで悪いけど」ブラウンアイズは下を向いていた。「そこにコピーして、あたしに預けてほしいの」
 意味がわからず、ぼくはブラウンアイズの顔を凝視した。
 「コピーって?」
 「あんたの、例の大事な画像よ」ブラウンアイズは顔を上げた。「そこにコピーして、あたしに預けて。命に代えても守るから」
 ぼくは肌身離さず持ち歩いているスマートフォンを、コートの上から触った。死んだか、Zになっているだろう妻と息子の、たった一枚残った画像が、メモリに残っている。ぼくが黙っていると、ブラウンアイズは慌てたように手を振った。
 「あ、いいや、ごめん、これ取り消し」そう言って、ブラウンアイズはぼくの手から、USB メモリを取り返そうとした。「ちょっと無神経だった」
 答えるかわりに、ぼくはブラウンアイズの小さな身体を抱きしめた。ブラウンアイズは驚いたように少しもがいたが、すぐに力を抜いた。
 「ありがとう」ぼくは心からそう言った。「戻ったら、すぐにコピーして君に預ける」
 「本当にいいの?」
 「それ以上、信頼できるバックアップはないね」
 頬に何かがあたった。ぼくたちは揃って空を見上げた。雲が再び厚くなり、雪がちらつきはじめていた。ぼくたちは抱擁を解くと、クスクス笑いながら歩き出した。
 「あの3 人にも何か買っていってやろうか」
 「そうね」ブラウンアイズは同意した。「サンキストとリーフは酒ね。490 円ぐらいの安いワインか何かでいいよ。何もなきゃ料理酒でも」
 「たぶん酒屋はあると思うよ。レインバードも飲むだろ」
 「レインバードは嗜む程度。狙撃のときに指の微妙なタッチが変わるのがイヤなんだって。あ、古本屋とかないかな」
 「本が好きなのか?」
 「BL 系の同人誌とかね。飲みに付き合ってるときは、大抵、隊員同士のあれこれを妄想して、それを肴にしてるらしいわよ」
 「......それはあまり知りたくなかった情報だ」
 気温が下がってきた。さきほどのちょっとした運動で暖まった身体も、そろそろ冷え始めている。ぼくたちは、それを身を寄せ合う口実にし、手をつなぎながら、酒屋と本屋を求めて街を歩いて行った。一人ではない、という幸福感が、共に戦う仲間がいる、という安心感が、ぼくたちの足取りを軽くしていた。
 降り始めた雪は、すでにうっすらと路面を覆っている。夜には積もるに違いない。ホワイトクリスマスになりそうだ。

(終)

 2015 年に連載していた「ハローサマー、グッドバイ」を、先日KDP(Kindle Direct Publishing) で正式に出版しました。正式に、というのは、今年の初めにKDP のテストで「オペレーションMM」という適当なタイトルで登録していたからです。誰も気付かないだろう、と思っていたのですが、何人かが購入していただいたようです。ろくに推敲もしていない本を500 円も出して購入していただいた方々、申し訳ありませんでした。
 今回、仕事と「魔女の刻」の連載の合間を縫って、いろいろトライアルしながら、Kindle 形式の作成方法(できるだけ無料で可能な)を模索し、書き下ろしを加えたものを「デバッグ・オブ・ザ・デッド 上」として登録しました。一番苦労したのは、縦書きにしたことで、数字やアルファベットの扱いを全て見直さなければならなかったことでした。他にも目次がうまく生成されないなど、電子書籍特有の制限にいくつもぶつかりました。
 下巻は1 月中に販売開始の予定で、書き下ろしの続きと用語集などを入れます。
 誤字脱字などは、可能な限り潰したつもりですが、もし発見しましたら、ここのコメント欄で指摘していただけると嬉しいです。

 というわけで、久しぶりに「ハローサマー、グッドバイ」の登場人物によるクリスマス話を書いてみました。「冬の1日」はTMNのアルバム「Carol」に収録されている歌から取りました。

 みなさま、よいお年を。

Comment(30)

コメント

朝の通りすがり

リーベルGさんからのクリスマスプレゼント!!
何気なくエンジニアライフみたらびっくり!

るんたるんた

もしや…と来てみたら、やっぱりー!
素敵なプレゼントありがとうございました!
リア充うらやましい

N

レインバード…ある意味Z以上に腐っていたとは…
ナマモノはいかんよナマモノは

匿名

やっぱりきた\(^o^)/
ありがとうございます。
タイトルと冒頭の歌詞で気が付かなかった私はTMファン失格だあああ!

後ほど、デバッグ・オブ・ザ・デッドも確認してきます~!
良いお年を。来年も楽しみにしています。

匿名

OKワインで乾杯を!

へなちょこ

今年のクリスマスもうれしいプレゼントが!!
ありがとうございます。ありがとうございます。
そして続きが速く読みたい!!

のり&はる

ああん、もうちょっと色気があっても良かったんじゃございませんことw

【し】

リーベルサンタ、ありがとう!

あんのうん

TM Network、懐かしいですね

Winter Comes Around、いい曲です

じぇいく

メリークリスマス!!

匿名

毎週更新がないかチェックしていた甲斐がありました
素敵な話を読めて幸福です

Dai

> 相手を右腕を背中に回して

 相手の ?

> 他にも目次がうまく生成されるなど、

 生成されないなど ?

N

もしかしたら新しいお話きてるかな、と思ってみたらやっぱり…!


変わらないと思っていたらやっぱり発展していたみんなを見ることができてとてもうれしいです~!
ちょうど先週読み返していたところだったのでさらにうれしい…
Kindleのほうもあとで見てみます!


メリークリスマス!

リーベルG

Dai さん、ありがとうございました。

匿名

またブラウンアイズに会えるとは...素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございます。

Dai

内容はもちろんですが、勝手に「間違い探し」でも楽しませていただいています。
今回は単発クリスマスプレゼントなんですね。次回連載楽しみにしています。

<半角抜け>
・できるのはHISSだけで
・13台とも同じメーカーの
・Wi-Fiスポットが開放されている
・それにPCは必要でしょ

<全角でよい?> ”Z"は、全角でいいんですよね。
BL系の同人誌

<余分な改行?>
「レインバード!?

<自省?質問?>
「ちょっと無神経だった」 <-疑問符いなない?
 答える代わりに、

L+

>Daiさん
鳴海が何か言う前に自分で「ちょっと無神経だった」と答えを出してしまったブラウンアイズに対して、「ありがとう」と答える代わりに抱き締めている。


そのあとすぐに言葉に出しているけれど。
質問には思えないので前者に見えます。
疑問符はいらないと思いますね~

MUUR

懐かしTMネタだ!としょっぱなからツボり、一気に読み終えました。
うれしいクリスマスプレゼントでした。

リーベルG

Dai さん、どうも。
まだまだありましたね。ありがとうございます。

「ちょっと無神経だった」は、L+さんの仰るとおり、そのままです。

匿名

久々!

randy

毎回思うんですが「間違い探し」って表現は失礼ですねー
作品を楽しむことよりも「粗探し」してるようにしか見えない。
残念。

楽しみました。
これはZの攻撃をスマホが食い止めて壊されてしまう流れですね(^^

「安物で悪いけど、何か上げたかったんだ」
二人のフラットな関係性を見ると、上げるはひらがなの方が良いんじゃないかと思いました。

リーベルG

ささん、ご指摘ありがとうございます。
たしかに「上げる」は変ですね。

オペレーションMM買ってました

デバッグ・オブ・ザ・デッドにアップデートされるんですね。
amazonにはオペレーションMM版の評価がついてしまっているので,新アイテムとして頂いてもよかったのに…とか思っています。前バージョン購入の代金は毎回楽しませて頂いてるお礼で全く問題ありませんでしたが:)

すてきなクリスマスプレゼントありがとうございます。願わくは彼ら彼女らの活躍を最後まで見届けられることを。

おのちん

読み終わった後、ほっこりとした気持ちになれました。
何よりのクリスマスプレゼントありがとうございました。
来年も期待しています。

ウェルザ

あけましておめでとうございます。
後日談とも次回作(Z関連)の助走とも読めて1人ニマニマしながら読ませて頂きました。
TMNの曲も思い出して懐かしい感じがしました。
プレゼントって高価な物より大事にしたい物であることなんだなぁ

alg

遅まきながら、KDPでの出版おめでとうございます&ありがとうございます。
気づくのが遅くなりましたが早速購入し、一気読みしました。
typoの指摘はこちらのコメント欄でとのことですので、上巻で気づいたところを。
すでにお気づきの点も多々含まれているかもしれませんが、ご容赦ください。
(KDPだと「ページ」という概念がないので章とロケーションで箇所を示しましたが、問題ないでしょうか)
---
【章】やがて明ける夜
【ロケーション】934
> と呼ばれている、オペレーションMMの作戦指揮車両だ。、
文末に不要な読点があります。
---
【章】BIAC
【ロケーション】1163
> ヘアバンドにベルトの付いた平ぺったい
「平べったい」でしょうか。方言的表現だと「ひらぺったい」もありそうです。
---
【章】Knockin' on Hell's Door
【ロケーション】1656
> USBメモリ
アルファベット3文字なので全角で「USB」のほうが統一感がありそうに思いました。
---
【章】Knockin' on Hell's Door
【ロケーション】1666
> 1台のEVヴァンがこちらに向かってくるのが見えた。バンは
「ヴァン」「バン」で表記が揺れています。
ただ、別の箇所で「EVワゴン」という表現も出てくるので、どう統一すべきか私には何とも言えないです。
---
【章】探知不能
【ロケーション】1771
> UTS‐15Jを銃口を地面に向けて
「を」が連続しているのが気になりましたが、どう直すべきなのか何とも言えません。すみません、気にしすぎかもしれません。
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【章】探知不能
【ロケーション】1772
> 第1分隊のスクレイバー
濁点「バ」になっていますが、半濁点「パ」ですよね?
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【章】デバッグ・フォー・ビギナーズ
【ロケーション】2129
> 他の隊員はZに二人の邪魔をさせるな」2人の分隊長から、
「二人」「2人」で表記が揺れています。が、これも気にしすぎですかね。個人的には漢数字が好みです。
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【章】デグレード
【ロケーション】2895
> おたくが判断は間違っていたということになる。
「が」より「の」の方がよさそうに思えます。
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【章】いくつかのZ不測事態対応策
【ロケーション】4568
> 3体が、もつれあって身体をようやくほどいて、
「もつれあった」とか「もつれあっていた」とか、でしょうか。
「もつれあって」が「身体」にかかるのか「ほどいて」にかかるのか、ちょっと判断がつきませんでした。
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【章】フォネティックコード
【ロケーション】4774
> 過不足なくダウンロードし、コンパイルであると確認することだ。
「である」ではなく「できる」な気がしました。
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【章】フォネティックコード
【ロケーション】4778
> yum instal llynx
「yum install lynx」でしょうか。半角スペースの位置が違うみたいです。
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【章】もう少し あと少し…
【ロケーション】4959
> 明らかにハンドガンの残弾数より多く……
ここが句点で終わっていないのは意図的でしょうか。
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以上です。
引き続き、リーベルGさんのいろいろな作品を勝手に待ちわびております。
ところで、下巻で気づいたtypoもこちらのコメント欄でお伝えしてよいのでしょうか。

リーベルG

algさん、ありがとうございます。
まだまだありましたね。早速、修正したので、72時間以内に反映されるはずです。

> 「二人」「2人」で表記が揺れています。が、これも気にしすぎですかね。個人的には漢数字が好みです。
 これはかなり悩んだ部分で、縦書きだと、数字は漢数字になっているのがほとんどなのですが、新聞だとアラビア数字なんですね。どっちにするか迷ったのですが、アラビア数字で統一しました(したつもりでした)。

> ここが句点で終わっていないのは意図的でしょうか。
これは意図的です。

> ところで、下巻で気づいたtypoもこちらのコメント欄でお伝えしてよいのでしょうか。
この話のコメントでなくても、どこのコメントでも大丈夫です。
よろしくお願いします。

yunishio

一ヶ所、アイスになっているところがありますね。

リーベルG

yunishioさん、ありがとうございます。

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