長い間、エンジニアをやっているうちに嫁き遅れた老婆の足跡。

さよなら夏の日

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 あぁ、今日も来てくれてありがとう。こないだは悪かったね。取り乱しちまって。

 あたしにはもう、あまり時間がないんだ。

 これが最後のお茶だよ。

 ……ねぇ、エンジニアって仕事はどうだい? 楽しいかい? 辛いかい?

 …………そう。そうだね。楽しいことばかりじゃないよね。

 あたしのエンジニアライフは最後の最後で階段を踏み外しちまった。みっともないねぇ……。でも、踏み外しちまったからこそ、ここに来て、あんたたちと話すことができたんだねぇ。人生は不思議なものさ。

 このあいだ、エンジニアやってたときのお客に会ったんだ。その日は偶然あたしの誕生日でね。正直、エンジニア時代を思い出させる人に会うのは辛かったよ。でも、彼はお酒を飲みながらこう言ったんだ。

 「今でも時々思い出すんだよね。うちのシステム作るときの話だけどさ、あんなに一生懸命仕事をしたことは、あとにも先にもないよなぁって。あのころ僕とXさんとで毎日、夜中までがんばって作ったシステム、運用もやっと軌道に乗って、みんな使ってくれてるよ」

 泣きそうになったよ。あたしの心は死んじまっても、あたしのシステムは生きてる。どこかで誰かとともに生きてるんだって。

 バースデイプレゼントの白いトルコキキョウと赤いアルストロメリアの花束。花に隠れて鼻を啜ったよ。

 あたしの人生の夏の日々。太陽の温かさに優しさを感じたり、じりじりと灼かれて痛い目に遭ったりしながら、全力疾走で駆け抜けた季節。もしかしたら、その間に誰かをなぎ倒したことがあったかもしれない。傷つけたことがあったかもしれない。それでもずっと走り続けた。そして気が付けば、全力疾走していたはずの足は突然もつれ、何度も転び、血を流し、そして立ち上がれなくなった。

 でも、もう一度、あの夏の日々の中に身を置きたくなるんだ。また血を流すことになっても、時間を巻き戻して、眩しい日差しの中へ走り出したくなるんだ。

 ネットワークエンジニアたちがインフラ整備したステージの上で、踊るのが大好きだった。踊り子が赤い靴に恋したように、あたしもエンジニアって仕事に恋をしていたんだねぇ。赤い靴を履いて、いつまでも踊り続けるつもりでいたんだ。アンデルセンの童話のように。

 ねぇ、いつかはあんたもエンジニアを辞める日がくる。それは定年退職の日かもしれない。そうじゃないかもしれない。

 その日が来たときに、「あぁ、こんなクソみたいな仕事、二度としたかねぇ」って思わないように、仕事をして欲しいんだよ。

 「エターナル・サンシャイン」って映画があるだろう? 別れた恋人の記憶をすべて消してしまうお話さ。あたしもエンジニア時代の記憶はすべて消してしまいたかった。なかったことにしてしまいたかった。でもその中には、宝石のようなビー玉がいっぱいあったんだ。

 あたしはもうここには戻って来られない。だから、少しだけ言い残しておきたいんだ。

 エンジニアって仕事は、新しいものを取り入れて、いつも変わっていかなきゃならない。技術の新陳代謝も激しいから、昨日までメインストリームだった技術が、明日には陳腐化していることも珍しいことじゃない。心が休まる暇もないよね。その中でがんばっていくのは大変なことだよ。

 でも、お客さんが何を求めているのかを考え、どうやったら役に立てるか悩み、何もないところからシステムを生み出していく。そしてそれが誰かに使われ、世の中が少しだけ便利になる。小さくても、世の中を変えていくことができる仕事なんだ。

 エンジニアは生きがいにできる仕事だよ。

 人との関わりの中でいろんな経験を積んでおいき。自分を妙に偽ったりせずに、心を開いて相手の懐に飛び込んでごらん。恥をかくかもしれない。怒られるかもしれない。でも、それがスタートさ。

 経験を重ねていく中で、いろんな出来事に出合うだろう。厳しいだけだと思っていた人のうしろに優しさが見えることがある。仕事に向き合う人の情熱を垣間見ることがある。心を動かされたら、何のために自分がここにいるのか、きっとわかるよ。そのときにすぐに走り出せるように勉強しておおき。でも、あんまり根を詰めちゃダメだよ。たまには息抜きしながらね。

 それから、仲間とお客を大事におしよ。あんたにはあんたのウエダ君がいるはずだし、ニッタさんだっているはずさ。つらいときに彼らはあんたを支えてくれるよ。

 あたしのエンジニアライフは、いいお客と同僚に恵まれて、やっぱり幸せだったのかもしれないねぇ。

 そして、信じられない人間に出会っても、しなやかに身をかわす柔軟さを身につけておくれ。苦しくて辛くて耐えられなくなったら、壊れる前に誰かに相談するんだよ。差し伸べられた手まで見えなくなっちまう前に。

 今年は花が早いねぇ。おまえさんとこの花はもう咲いてるかい?

 あのころ……いつか春が来て花が咲くことを信じられずに、あたしはステージを下りた。でも季節は巡り、花の季節はこうして誰にもやってくる。今は強い北風にふるえているかもしれない。永遠の闇夜の中で光も見えないかもしれない。でも、身を切るような凍える闇夜の中で蕾は我が身をふくらませ、春の訪れとともに花を咲かせるんだ。

 あぁ、もう店じまいの時間だねぇ。

 会えてよかった。こんなしょぼくれた婆さんの与太話につきあってくれて、ほんとうにありがとう。うれしかったよ。

 あたしはいつも祈ってる。あんたたちが素晴らしい仲間やお客と出会えるように。つらい嵐の日には、誰かが寄り添っていてくれるように。そして、幸せなエンジニアライフをまっとうできるように……。

 ありがとう、さよなら。

 机の上に転がるテキーラのボトル。

 老婆が座っていた場所には、砕けたビー玉の欠片。

 記憶はひからびた化石になり、ひと冬の幻は一陣の風でちりぢりに消えた。

 部屋に差し込むのは桜色の光。

 春だ。

最後のBGM:「さよなら夏の日」 by 山下達郎

Comment(14)

コメント

インドリ

Xさん今まで有難う。コメントしたのは前回だけでしたが何時も拝見していました。
私も色々ありますが、死ぬまでエンジニアを続けます。

第3バイオリン

Xさん

行ってしまうのですか?
いつまでもここにいて下さると思っていました。寂しいです。

私はこれからもテストエンジニアを続けます。
ゼロからものづくりをする開発に寄り添い、オブリガートを奏でていきたいと思います。
いつまでも、ありがとうの言葉と感謝の心を歌い続けていきます。

Xさん、今までありがとうございました。Xさんの幸福な前途をお祈りしています。
いつまでも我々を、この業界に生きる妹、弟たちを見守っていてください。

はがねのつるぎ

やあ、お邪魔するよ。

いつも飲ませてもらってばっかりじゃ悪いから、スピリタス、持ってきたんだ。
まだ、飲み足りないんじゃないかと思ってね。

ここに来る前に読んでた本にさ、「生きてさえいれば最適である必要はない」なんてことが書いてあったんだ。思うに、エンジニアライフって、エンジニアとライフに分解できて、さっきの言葉をかりれば 「エンジニア < ライフ」ってことになるのかもしれないね。

でも、エンジニアという袖が触れて、おいしいお酒が飲めたよ。いつもありがとう。また、気が変わって、お店、再開する気分になったら呼んでほしいな。そのときには、お祝いにでっかい花を贈らせてもらうから。

Xさん、はじめまして。
ここでコラムを書かせていただいています生島です。

私と同世代と思うのですけど?もっと若いかな。
女性の年齢を詮索したらいけないか。
私は若い女性は苦手で10歳前後年上ばっかりと付き合ってきました。
若い(薄っぺらな)ことに価値はないと思うけどね~、どこまでも、普通じゃない価値観なのでしょうか(苦笑)

10回と決めて書かれてたのですか?
作家のような構成力ですね。

私は、仕様書では「見出しから書け!」って怒るくせに、思いつくまま、ちょいちょい章立ても忘れて書いてしまいます。

こういう文章を書かないといけないな、といつも勉強させていただいていました。
また、ネタを考えて戻ってきてください。

組長

Xさん、お別れなのですね・・・。とても寂しいです。今日も涙、涙です。

私はコラムを通して自分の道を模索していくつもりが、つい先日突然見つかってしまいました。目指したい方向が。これからは、「如何にして目標に向かうか」を試行錯誤しながらエンジニア(もどき)街道を突っ走って行きます。

この場所で、Xさんに出会えて本当に良かったです。本当に、本当に、ありがとうございました!!

ヨギ

Xさん

よいしょっと。
今日は、石川県は黒龍って日本酒の、「石田屋」の銘が付いたのを持ってきたよ。
こいつぁ、うめぇよ。
これは黒龍の中でも最高峰でさ、フランスからやってきた名のあるソムリエが、
一口飲んで30秒くらい口をきけなかったってやつなんだ。

さてと、漠連口調はこれくらいにして。

僕は上質な小説を読むと、読み終わるのが惜しくて、
ああ、もうこんなに読んでしまったのか、
と時々小説を閉じて、残りの本の厚みを見るクセがあるんです。

今回のコラムには、それと同じ気持ちを感じました。

>エンジニアは生きがいにできる仕事だよ。
僕は、正直、家庭を持ってからは、家族を養うのに必死で、
エンジニアとしての生きがいなんて、あまりなくなってました。
だって、生きがいもやり甲斐も大事だけど、家族養えなきゃ「ゼロ」ですから。

それなら、仕事は「生きる手続き」くらいに考えて、
気分良く、息長くサラサラと流れてゆこう。
それでやってけるんなら、それでいいじゃないかとね。

でも一方でずっと薄ら寂しかった。エンジニアとして。
そんな思いを抱いてきた人間にとって、今回の記事は重い。
泥の中をはいずり回って来られた方の文章であるだけに、胸に迫ります。

まいったな。

この記事読んだら、なんだか人間界から悪の世界に堕して、
人間のこころを忘れてしまっていた者が、
ふとまた、人間のこころを思い出したような気持ちです。

とりあえずこの記事、いつでも読めるよう、ファイル保存してPCの中に入れときます。

ああ、そうそう。
今回のは、新装開店までの店じまいと思ってますから。
それまでにこっちも、いやーもう日本酒しか飲めないねってお酒、探しときます。

では、また会いましょう。

popo

はじめまして。同じく元エンジニアのpopoです。
下戸なのでオレンジジュースでいいですか?

コメントせずにずっと読んでいました。
嫁には行ったけれど、それと同時にエンジニアからは足を洗いました。
ひどいこともたくさんあった。
エンジニアだったときにはやめたいと思ったことも何度もあった。
だけど、私にもウエダ君やニッタさんがいて、
今でも元気に稼動しているシステムがあって、
毎日毎日終電を乗り過ごすような日々だったけど、
それはそれで充実していて大切な時間だった。
私の懐かしい夏の日々。
対岸から眺める火事は案外きれいなもので、
火の中に戻りたいとすら思う。
それでも私は老いて、現役を退き対岸から見ることしかできなくなった。
でも、それでもいいと思う。
あのときに後悔は残していないから。
未練を振り払うまでにはずいぶんと時間がかかったけれど。

これからも元気で。
またふらっと店を始めたりしたら知らせてください。

X

インドリさん、いらっしゃい。
閉店の日に来てくれてうれしいよ。

>私も色々ありますが、死ぬまでエンジニアを続けます。

死ぬまで働いちゃダメだよ。命あっての物種だからねぇ。
体を大事にしながら、幸せに働いておくれ。

X

第3バイオリンさん、いつもありがとう。

>ゼロからものづくりをする開発に寄り添い、オブリガートを奏でていきたいと思います。

システムってのはテスト工程がしっかりしてないと、ちゃんとした製品にならないよね。あんたの力が、お客に喜んでもらえる製品作りには必須なんだ。
誇りを持って仕事をしていっておくれ。

みんなに信頼される、すばらしいテストリーダーになれるように祈ってるよ。

X

はがねのつるぎさん、最終日に来てくれてありがとう。
うれしいねぇ。

「エンジニアライフ・コラムニストに聞く(3)」に、こう書いてあっただろう?。
>ブログで何を書くかが重要なのに、いつの間にか「ブログを作ること」が目的化する。この問題は、技術全般でも同じだとはがね氏は語る。

あたしも若かりし頃の失敗を思い出しちまったよ。javascriptなんてものが世に出たばかりの頃にねぇ、頼まれてもいないのに、ただjavascriptを使いたいってためだけに、いらん機能を組み込んだりしちまったことがあってねぇ。

ところでスピリタスだって?。またまた新しいお酒を婆に教えちゃったりなんかして、困った男だねぇ。ポーランドのウォッカかい?。アルコール度数96度なんて、すごいシロモノだねぇ。ポーランドのお酒はズブロッカだったら飲んだことがあるよ。

フリーでやってるってことは代わりの人間がいないわけだから大変だろうけど、体を壊さないようにしておくれ。

X

生島さん、最終日にありがとう。
ランキングにいつも丸い緑色のマークが並んでるから、すごい人がいるなぁと思っていたよ。

>私は若い女性は苦手で10歳前後年上ばっかりと付き合ってきました。

世の中の男性がみんな生島さんみたいだったら、このコラムのタイトルは「デスマーチでも嫁き遅れませんでした」(爆)になってただろうと思うんだけどねぇ。
そうそう、海外に出かけると、婆でもナンパにあったりするんだよ。婆の活路は外国人だ!と思ったけど、田舎には外国人がいないんだよ~。

>10回と決めて書かれてたのですか?

最初に書いたのが、この最後のエントリー「さよなら夏の日」でね。つまりはこれを基本設計に、この思いを伝えるためには何が必要かってことで、概要設計で残りのテーマの見出しを書き出して、詳細設計で、そこに埋め込むエピソードを書き出して・・・なんて感じで書いたんだ。
だから、最初から10回の予定だったんだよ。
ついでに言えば、「さよなら夏の日」の内容から言っても、3月中に終わらせないと季節が合わないんで、納期は3月末で。

宮仕えでサラリーマンやるのも大変だけど、経営者ってのはまた違った大変さがあるよねぇ。仕事上、経営者の人たちと関わることが多いんだけど、話を聞けば聞くほど、あたしにはとてもできそうにないねぇ。
経営者ストレスに負けないように頑張っておくれよ。

X

組長さん、お花見はもうしたかい?。
酒乱ぶり(笑)を如何なく発揮したかい?。
こっちは雨降りで花見が楽しめそうもないよ。涙雨ってヤツだろうかねぇ。

目指す道を見つけたんだね。良かったよ。
その道をまっすぐに走っておいき。いろんなところでぶつかるかもしれないけど、めげずに頑張っていくんだよ。

いつもコメントをくれて本当にありがとう。

X

ヨギさん、いつもありがとう。
モニタの向こうから熱いベーゼを送るよ。・・・ちょいとっ、迷惑だなんてお言いでないよっ。

で、黒龍の「石田屋」だってぇ?。720mlで10,500円もするじゃないか。うまそうだねぇ。どっかの量販店で割引販売なんてしてないかねぇ・・・そんな種類の酒じゃなさそうだねぇ。それはさておき・・・。

>でも一方でずっと薄ら寂しかった。エンジニアとして。

あぁ、同じような感性を持ってる人がいるなぁと思ったよ。
あたしはエンジニアを辞めてしまったけど、人間として生きていくこれからが、こんなんでいいのかといつも問いかけてるんだ。
コラムでエラそうなこと書きながら、今や自分は全然そんなふうに生きてない。とにかくお金がなきゃ生きていくことはできない。だから生きがいなんてもう考えない。ただ給料もらえて、食っていければそれでいいんだと。
だから、こうして「昔は仕事に情熱を傾けて一生懸命頑張ってた」的な話をしているのは、マスターベーションに過ぎないんじゃないかと思ったりする自分がいる。

泥沼は意外と深くてね、脱出するのに苦労してるんだ。

でも、傷ついても情熱をもって生きていく方が、人間として生まれてきた意味があると、頭では思ってるんだよ。

ニッタさんが言ってた。
「光は必ず見えるはずです」

その光を探しながら、泥の中を歩いていこうと思ってるよ。

X

popoさん、最後の日に来てくれてありがとう。
下戸かい?。シチリア島のブラッドオレンジジュースなんてどうだい?。うまいよ。

>対岸から眺める火事は案外きれいなもので、火の中に戻りたいとすら思う。

そうだね。辞めてしまった人間が眺めると、対岸のデスマーチは打ちあがる花火のように綺麗に見えるよね。実際に近寄ってみたら、火の粉まみれで怪我をすることになるんだろうけど。

失ってしまったから、ただのガラス玉だと思っていたビー玉が、宝石だったことに気付くのかもしれないねぇ。

popoさんのこれからの人生が幸せであるように・・・。

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