第2話 起業は甘くなかった
ぼちぼち梅雨も明けてきて本格的に夏が始まりますね。わたしは夏よりは冬の方が好きで、この時期は食欲が落ちて(体重は落ちないけど)、ついついそうめんやざるそばで済ませてしまいます。
今回はわたしが起業したときの話です。エンジニアは割とフリーになりやすい職業だと思いますが、会社となると話は違ってきます。サクセスストーリーはそれなりにIT関係の情報誌(Web)に載ってますが、失敗談となるとあまり載ってませんよね。そんなわけで、今回はわたしの失敗談です。
■ 意気投合してみたけれど
わたしは20代の終わりに一時期フリーで仕事をしていました。その時に仕事でT氏と知り合いました。T氏は通信関係のフリーの営業でした。
当時は一般にパソコンやインターネットが普及し始めた頃でした。Windowsが発売され、ISDNでインターネットもできました(テレホーダイやフレッツISDNなど)。
T氏は訪問先でよくインターネットやパソコン、ホームページについて質問を受けるようになり、そのことについてわたしに相談してきました。ときには一緒にお客様の所に行って、説明を手伝ったりしました。
そういうことが何回か続くと「一緒にやろうか?」みたいな話がそれとなく出てきました。わたし自身は気分的に半々でしたが、最終的には自分の守備範囲を広げるつもりで一緒に会社を作りました。
■ 運転資金がない
ソフトウェア開発は規模にもよりますが、契約、開発、納品、検収、支払のサイクルがそれなりに長いです。あまり長期間、高額な場合は途中に検収を何回かはさみ、支払いを分割してもらいますが、それでもそれなりに運転資金は必要になります。
一方、T氏の通信関係の営業は機器販売など早ければすぐにお金がもらえます。ただし、そんなに高額ではありませんが。
社員を数名抱え、ソフトウェア開発やホームページ作成を行い、通信関係の営業で短期的な収入を得て回していこうと考えていました。
ところが、そんな目論みは甘かったことをすぐに思い知らされます。
ある程度の貯金はお互いにありましたが、半年もしないうちに運転資金どころか自分たちの生活費も底をつきかけました。わたしは当時独身だったので、経費削減? のために、住んでいたアパートを出て会社に住んでいました。
結局、短期的な通信関係の営業では会社の経費をまかなえるほど稼げず、ソフトウェア開発も思うように成果があがりませんでした。すぐ集金できるようにホームページの仕事も取ってきましたが、因縁付けて支払いを渋る所も結構ありました。
■ 背に腹は代えられない
目の前のお金がなくなってくると、目先の収入を模索し始めます。T氏は営業だけではなく、工事の仕事も請け負うようになりました。T氏は自分で電話工事ができたので、それで売上げを上げようとしました。
電話工事が増えてくると、T氏の裁量で工事担当の社員の割合いが増えていきました。それでも忙しいときは、開発メンバーを工事に回しました。わたしも役員として仕事に穴を開けるにはいきません。ときには、昼は工事(わたしは電話工事の資格も電気工事の資格も持っています)、夜はソフトウェア開発というサイクルで仕事をしていました。
こういう事態が続くと、会社的には収入が安定してきましたが、ソフトウェア開発のメンバーは嫌気がさして少しずつ退職していくようになりました。
■ そして失敗
そんな中、T氏のお客様のクライアント/サーバーシステムを請け負いました。開発期間を3カ月と見積もってお客様に出しましたが、期間も値段も気に入らなかったらしく、どちらも減らすよう要求してきました。絶対無理なのは分かっていたので、「断わった方がよいかな」と思いましたが、お客様がT氏に根回ししたらしく、何とか1カ月で頑張ってくれとT氏に言われました。結局、お客様の言い値で請けてしまいました。当然、工事の方も忙しかったので、ちょこちょこメンバーは取られ、わたしも時々手伝い、本当に寝られないぐらい頑張りましたが、結局システムはろくなテストもできず、ボロボロの状態でした。何とか納期を延ばして欲しいと懇願しましたが、1週間が限度でした。しかも寝不足で、リリース日に車で事故を起こすおまけ付き。
当然お金はもらえず、納品したサーバは自己負担。T氏は激怒して「俺の顔に泥を塗ったな」と吐き捨てました。わたしはこうなると予感していましたが、周りの圧力と期待に屈してしまう形でプロジェクトを失敗させてしまいました。
■ 離脱
T氏はソフトウェア開発について、だんだんと会社から遠ざけるようになりました。メンバーもほとんどいなくなり、わたし1人でできることもすでに限られていました。そして、一緒に工事に専念しようと提案してきました。
でも、わたしは悩むことなく断って、会社を離れる決意をしました。慰留はされましたがお互いの方向性が変わってしまったので、それは仕方ないと言うことで決着しました。
■ そして現在
貯金のほとんどを会社とマンションにつぎ込んだので、また会社員としてソフトウェア開発を始めました。家族もいますし。ただ、ある程度蓄えたら、またフリーになって、そして起業したいとは思っています。
会社を始めるのは何人でも良いとは思いますが、よほど良い収入源がないのであれば、全員同じ方向に向かっていなければ、まずもちません。また、最低でも経費の半年分、運転資金をプールしておかなければ破綻します(当たり前か)。「独立」は夢がありますが、夢だけでは生きていけないと痛感しました。夢と引き替えに高い授業料を払ったと思っていますが、ただ、やるだけのことはやったので後悔はしていません。
でも、起業はそんなに甘くなかった。
コメント
インドリ
やはりそうですか・・・
私なんてフリーなのに
>因縁付けて支払いを渋る所も結構ありました。
こればかりです。
といってもブラック企業にしか勤めた事しかありませんから、社員の時も給与踏み倒しや時給100円でなんて事が当たり前の様にありました。
日本の商習慣とソフトウェア開発の相性が悪いと感じる時が多々あります。
そういった事もあって起業はしたいとも思いませんでした。
その考えが正しかった事が今改めて分かりました。
日本でソフトウェア会社の起業は難しいですよね。
余程のコネ・ツテ・資金がないとやっていけませんよね・・・
にゃん太郎
インドリさん、ありがとうございます。
> 余程のコネ・ツテ・資金がないとやっていけませんよね・・・
まぁ、私のように無計画に行ってしまうのは論外ですがやはり資金とツテは
大事だと思います。コネはあったら嬉しいかな。
ソフトウェア開発している会社の仕事ならまだしも、小さい会社だと1万円
以上見積もると「こんなにするの?」って必ず言われます。パッケージソフト
と同じ感覚でいるので説明するのが大変です。あげくの果てに「×××は無料だ
よね?」とか言い出すし。オープンソースソフトウェアは無料って意味じゃ
ないんだー、と叫びたくなります。