テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

拝啓 新人の君へ

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 こんにちは、第3バイオリンです。

 早いもので新年度がスタートして約1週間たちましたね。わたしも社会人5年目に突入しました。さて、この時期のお楽しみといえば……そう、新入社員です!

 わたしの会社にも新入社員がやってきました。スーツ姿が初々しい新入社員は見ているだけでも微笑ましいものです。やっぱり若い男の子はいいなあ……って、これは完全にセクハラですね。以後気をつけます。

 期待と不安が入り混じった表情の新入社員たちを見ているうちに、わたしが新人だった頃のことをふと思い出しました。今回は、わたしの新人時代のことをお話ししたいと思います。

■日本海に流れ着いたオリーブの実(イメージ)

 現在わたしは、日本海側に位置する地方都市で暮らしています。瀬戸内の穏やかな土地で生まれ育ったわたしは、東京の大学に進学し、大学院修了と同時に知り合いのいないこの町にやって来ました。

 そのため、最初の1年はとにかく「なんでここに来たの?」とよく聞かれたものです。今の会社を選んだ理由は、大学院で学んだことが生かせそう、と思ったからです。わたしは画像関係、特に画像の色処理に関する研究をしていました。今の会社は主にプリンタドライバや描画系アプリケーションを開発しているので、わたしの研究分野が応用できそうだと思ったのです。

 それなら東京で就職しても同じでは? と思う人もいるかもしれません。しかし、当時わたしは東京以外の土地で暮らしてみたいと思っていました。一から生活の基盤を作っていく楽しみを味わいたい、そしてそのチャンスはこれが最後かもしれないと考え、この町に来ることを決めました。

 まあ、本当のことをいうと就職活動に乗り遅れてしまい、たまたま追加募集をしていた今の会社に運良く滑り込んだだけです(苦笑)。

 その年の新人で県外から来たのはわたしだけでした。同期は全員この土地の出身で、地元の大学院や専門学校を出ている人ばかりでした。わたしは「新しい風を吹き込んでやるぜー!」と意気込む反面、何のゆかりもないこの地に自分の居場所はあるのだろうか……と不安にもなりました。今思えば、頼れる人のいない土地に来た以上、ひとりで強く生きなければ、と妙な気負いがありました。

 4月にしては肌寒い新天地で、わたしの社会人生活はスタートしました。

■新人研修で悪目立ち

 たいていの新人がそうだと思いますが、入社当時のわたしは自分の身の丈が分からないまま、漠然とすごい仕事がしたいと思っていました。ちょうどその頃、NHKで放送していた「プロジェクトX」にかぶれていたわたしは、入社式で「プロジェクトXに紹介されるような仕事がしたい!」と宣言してしまいました。まさに若気の至りですね。

 このコラムを書くにあたって、久々に新人研修の資料を引っ張り出してみました。資料をパラパラと見てみると、短期間でずいぶんたくさんのことを学んでいたことに驚きました(そして、それらをほとんど忘れてしまったことにも)。研修期間は毎日、とにかく疲れて眠かった覚えがあります。ちなみに新人研修で居眠りして講師(外部の方)に起こされたのはわたしが初めてらしいです。良くも悪くも、目立つ新人であったことは間違いありません(汗)。

 そんな新人のわたしがプログラミング実習で作成したファイルも見てみました。「内部仕様書」と銘打ったファイルを開いてみて、思わずひっくり返りそうになりました。

 ぬおー! これのどこが内部仕様書じゃー!

 どうみてもプログラムのフローを言葉で説明しただけにしか見えません。もしタイムマシンで当時に戻れるなら、こんな「内部仕様書」を提出した過去のわたしの首根っこをひっつかんで説教してやりたいです。

 新社会人のわたしは自分が何者か分からないまま、大きな夢をみて研修期間を過ごしていました。

■プログラマとしてスタート

 3カ月の研修期間を終えて、わたしは開発部署に配属されました。配属された課では、アプリケーションのモジュールを開発するプロジェクトにアサインされました。同期たちはそれぞれ別の課に配属されたので、課の新人はわたし1人でした。アサインされたプロジェクトはわたしのすぐ上の人でも8年先輩で、みんなバリバリ働く人ばかり。ついていくだけで必死でした。当時のノートを見てみると、自分で言うのも何ですが、毎日真面目に学び、考えていた跡がうかがえます。しかし、新人だったわたしはそれでも「まだ知識もスキルも足りない、まだまだ頑張りが足りない」と焦っていました。

 この頃は、周りの先輩方との差もさることながら、学部卒で就職した大学時代の友人との差も感じていました。学部卒で就職した友人たちは社会人3年目、みんな社会人として独り立ちを始めていました。それに比べて院卒で2年遅れて就職したわたしは、歳だけ食って何もできない自分を不甲斐ないと思い、(女子の)院卒は不利だと考えていました。

 理想と現実、やりたいこととできること、新人プログラマのわたしはそのギャップに愕然とし、憔悴していました。

■新人当時の評価のイメージは?

 わたしが配属されたプロジェクトはアプリケーションの一部のモジュールを開発していたので、テストはメインのアプリケーションの評価チームが実施していました。その評価チームは親会社にあったため、当時のわたしにとって評価は遠い存在でした。プログラマであったわたしにとって、テストらしい仕事といえば作成したプログラムの動作確認や、評価チームから報告されたバグがモジュールのどの機能の問題なのかを切り分けるための再現確認くらいでした。

 自分の手の届く範囲しか見えていなかったわたしは、評価もそれと同じようなことをやっているだけだろうと思っていました。自社の評価部署の人とは廊下などで挨拶を交わす程度で、親しく話す機会はほとんどありませんでした。もちろん、後に彼らが直属の上司や先輩になるとは夢にも思っていませんでした。

 何をしているのか分からないけど、忙しそうなテストエンジニアの姿を、わたしは遠目に見ているだけでした。

■拝啓 二十四の君へ

 今、このコラムを読んでいる方の中にも、今年社会人になったばかりの新人さんがいることでしょう。その中には、かつてのわたしと同じように気負っていたり、焦っていたりしている人もいると思います。そこでアンジェラ・アキさんの歌ではありませんが、新人だったわたしに伝えるつもりで、今の新人のあなたに伝えたいことがあります。

 大学や大学院ではそれなりに活躍したつもりかもしれませんが、社会に出たばかりのあなたははっきり言って無力です。だから自分を抑え、人に尽くすことを心がけてください。

 もちろん、いきなり大きな仕事で尽くすことはできません。まずは小さな仕事を通して感謝すること、されることを実感してください。これは組織の中で働くことにおいて一番大切なことです。小さな仕事でもつまらないなんて思わないでください。先輩は忙しい中、代わりにやってくれてありがたいと感じていますよ。

 それから、仕事が面白いと思えるようになるには時間がかかります。わたしの場合は4年かかりました。だからすぐに仕事が面白いと思えなくてもそれは当然のことですし、それで向いていないと決めつけるのも早すぎると思います。たとえ最初の志望と違う仕事でも、です。また、院卒だと学部卒に比べて2年遅れていることで、年齢とスキルのギャップに悩むこともあるでしょう。そのギャップも4年たてばほとんどなくなるので心配いりません。

 それでも、そう遠くない将来に大きな挫折が待っているかもしれません。わたしもプログラマとしては挫折しました。心の調子も崩しました。しかし、そのことで自分を支えてくれる人の存在を知り、彼らのために何かしたいという気持ちを持つことで乗り越えることができました。

 今のわたしはテストエンジニアとして誇りと喜びを持って働いています。そうそう、頼れる人のいない孤独な町は、愛すべき仲間のいる大好きな町に変わっていますよ。

Comment(6)

コメント

第三バイオリンさん

田所です。僕は、親にすねをかじられている状態で、職場復帰をしなければならないので、いろいろ大変です。うつとか、そういうレベルでなく、陰湿な職場を複数経て、繰り返し神経症になっていったことで、今では統合失調症(統合失調感情障害)になりました。ですので、寝たり起きたりマンガ読んだり、の生活です。

そんな自分が、高校浪人&絶賛引きこもり状態の15歳の僕に言えることはあるのかな、自信ないなあ、と思いながら、かきためたコラムの続きには、やはりアンジェラ・アキさんのようなことを書こうと思いました。それは、このコラムがきっかけです。

ヨギ

就職活動にズレがあったとは言え、
なかなかバイタリティありますねー。

瀬戸内の穏やかな土地で生まれ育って東京の大学へ、
そして日本海側って。。。。仕事とか抜きにしてもなかなかできない気がします。

瀬戸内って、魚がまた格別旨いんですよねえ。
ああ、すいません。どんどん記事と全然違うコメになってしまう。。。

あずK

はじめまして。

自分も、院卒で尚且つ学部受験に1年失敗したため、
同期とは3年離れてまして・・・。
更に専攻は情報系ではない分野だったので、
入社直後は「同期に比べて自分は・・・」ていう意識は相当強かったです。
それを考え直し、出来る限り、同期との比較は意識しないように努力し(難しかったですが)、
その時その時でしていた仕事では学ぶことも多かったので
結果的には入社当時から楽しかった気がします。

社長面談で、「うちの会社を代表するものを作りたい」だなんて言っていたのも
今ではいい思い出です(苦笑)

第3バイオリン

田所さん

>かきためたコラムの続きには、やはりアンジェラ・アキさんのようなことを書こうと思いました。それは、このコラムがきっかけです。

うわー、そう言ってくださると嬉しいです。この話を書いてよかったです。
これからも田所さんのコラムを楽しみにしています。

統合失調症については少し調べたことがあるのですが、
治療に長い時間がかかるうえ、病気についての誤解や偏見がまだ強く残っていると聞いたことがあります。
なので私が心の調子を崩したというのはそれほどたいした問題ではありませんが、
それでも「こんな自分を過去の自分が見たらなんと言うだろう」と情けない気持ちになったことがあります。
若いころはしょうもないことで悩んでいましたが、大人になればなったで若いころとは別の悩みが出てくるものですよね。

それでも今、ここに立っているということが大事なんだと信じたいです。

第3バイオリン

ヨギさん

>就職活動にズレがあったとは言え、なかなかバイタリティありますねー。

いや、当時は「就職しなければ」と必死でしたから。
就職先が決まったものの、やはり見知らぬ土地に行くのは不安でした。
そんなとき、当時一緒に暮らしていた妹が言いました。
「同じ日本なんだからいいじゃん。それよりも、ちゃんと卒業してこの家出てよね。」
姉が頼りないと妹はしっかりするものです(苦笑)。

>瀬戸内って、魚がまた格別旨いんですよねえ。

ええ、その通りです。
天然の魚もおいしいし、ハマチやタイは養殖が盛んなのでいいものが安く手に入ります。
しかし日本海の魚も荒海を泳いでいるだけあって身が締まっていて格別です。

第3バイオリン

あずKさん

はじめまして。

>出来る限り、同期との比較は意識しないように努力し(難しかったですが)、

学部卒よりスタートが遅いんだから、比べること自体が間違いなんですよね。
当たり前のことなのに、それに気がついたのはつい最近でした。
学部卒の友人の仕事の話を聞いたり、雑誌やWebサイトで
「○歳の標準的なスキル、貯蓄額は~」という内容の記事を見ると焦ってしまうんですよね。

>その時その時でしていた仕事では学ぶことも多かったので
>結果的には入社当時から楽しかった気がします。

結局、そのときにできることを精一杯やるしかないですよね。
ただ、「精一杯」の質と量を年齢とともに向上させていきたいです。

>社長面談で、「うちの会社を代表するものを作りたい」だなんて言っていたのも
>今ではいい思い出です(苦笑)

おおっ、あずKさんも若気の至りですね。
私やあずKさんに限らず、こういう発言したことある人って結構いると思うんですよねー。

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