テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

「不機嫌な姫とブルックナー団」に思う、イケてない自分がイケてないなりに生きていくということ

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 こんにちは、第3バイオリンです。

 先日、「不機嫌な姫とブルックナー団」(高原英理著、講談社)という小説を読みました。わたしはブルックナーの交響曲が大好きです。ブルックナーはクラシック音楽に詳しくない人にとってはなじみのない作曲家ですが、たまたまこの本の存在を知り「ブルックナーがフィーチャーされるなんて珍しい」と思い手に取ってみました。今回は、この小説の感想を書いてみたいと思います。

■ブルックナー好きな女子=オタサーの姫!?

 この小説の主人公は代々木ゆたき。独身のアラサー女子で図書館の非正規職員をしています。ブルックナーのコンサートに出かけた彼女が、たまたま隣に座った武田一真(タケ)という男性から声をかけられるところから物語は始まります。タケは、同じコンサートに来ていた仲間の玉川雪之進(ユキ)、一本橋完治(ポン)をゆたきに紹介し、「俺たち、ブルックナー団なんです」と語ります。

 それぞれ強烈な個性の持ち主であるブルックナーオタク(ブルオタ)3人組のペースに巻き込まれ、勝手に姫扱いされて憤慨するゆたきでしたが、タケがブルックナー団のサイトに掲載している「ブルックナー伝(未完)」という小説を読み進めていくうちに心境に変化が訪れます。そしてタケの意外な夢を知り、一度はあきらめた自分の夢を思い出す......というストーリです。

 わたしもブルックナーが好きですが、市民オーケストラをやっていてもブルックナーが好きな人に出会う機会は少ないです。特に女性でブルックナーが好きという人にはお目にかかったことがありません。以前所属していたオーケストラでブルックナーが好きだと言うと「女子でブルックナー好きなんて珍しいね」と言われたことがあります。オーケストラをやっている人ですらそうなのですから、ひとりでブルックナーのコンサートに来ていたゆたきがタケたちにひどく珍しがられたのもうなずけます。

■タイトルにも出てくるブルックナーってどんな人?

 ヨーゼフ・アントン・ブルックナーは、19世紀のオーストリアの作曲家です。敬虔なカトリック教徒でオルガンの名手、11曲の交響曲のほか、多くの宗教曲などを残しました。彼の大規模な編成による長大な交響曲は決して万人受けするわけではありませんが、そこがいいというコアなファンが大勢いることもまた事実です。わたし個人の意見ですが、ブルックナーの交響曲は「交響曲」というジャンルの最終形態だと考えています。

 ここまで言うとなんだかすごい人に思えるかもしれませんが、その生涯は決して順風満帆とはいえないものでした。ブルックナーの交響曲はあまりにも当時の常識から外れた作品だったため、オーケストラからは演奏を拒否され、批評家からは手厳しい批判をくらうことはしょっちゅうでした。作曲家としてようやく認められるようになったのは60歳近くになってのことです。他人の意見、こと権威ある人の意見に弱いブルックナーは批判を受けるたびに何度も作品を改訂するはめになりました。また、私生活では若い女性にいくども求婚しましたがすべて断られ、生涯独身を通しました。40歳を過ぎて10代の少女に結婚を迫り、拒絶されたことも一度や二度ではありません。

 タケが「ブルックナー伝(未完)」の中で描くブルックナーも、なんとも情けなくカッコ悪い人物です。自分が求婚して断られた女性のことを書き記したノートを「嫁帖」と名付け、ことあるごとに読み返して悦に入る姿はさながら二次元キャラを「俺の嫁」と呼ぶオタクのようですし、尊敬する大作曲家ヴァーグナーに出会ったときのエピソードは勉強会やセミナーで有名人と名刺交換しただけで舞い上がってしまう人のようです(その後、交響曲第3番の献呈を受けてもらえることになるので舞い上がっておしまいではないですが)。

 今風に言えば「非モテ」「非リア充」「ロリコン」「処女厨」「こじらせ男子」「マジメ系クズ」といった残念なワードがぴったりの人物といったところでしょうか。

■リア充たちにはわからない

 ゆたきが出会うブルオタ3人組は、自分たちのような人間はおしゃれとか優雅とかいう言葉とは無縁、そういう世界から締め出された人間には野暮で鈍重、クラシックの正統派とはいえないブルックナーがお似合いだと口々に語ります。容姿や金に恵まれ、人生がうまくいっている人間にはそうでない人間の気持ちなどわからないと憤り、でもブルックナーを聴いているときだけは「どうせ俺なんて」という気持ちから解放される、自分たちにとってブルックナーは隠れ家だ、とも。確かにこの3人、まるで自分自身を投影するかのようにブルックナーの不遇ぶりを小説に書くタケ、語尾に「ぽ」をつけて話し、初対面のゆたきに「ゆたきたん」と呼びかけるわかりやすいオタクキャラのユキ、過去にいじめられていたらしいポン、みんな劣等感を抱え、自分をイケてないと思っている人たちです。

 ゆたきにしてみても、32歳で独身、彼氏もいないし、仕事も好きで選んだ職業ではありません。それでも小さなやりがいを見出して働いていましたが、職場の事情でそれすらも失ってしまいます。ブルックナー団の面々には「あんたたちみたいなオタクと一緒にしないで!」と言ってはみるものの、どこか彼らに対して共感を覚えてしまう一面も見せます。

 なにをもってイケてる、イケてないを分けるのかは難しいところではありますが、わたし自身、エンジニア時代は仕事や勉強会で凄腕エンジニアを目の当たりにし、彼らに対する憧れとどこまでいってもかなわないという諦観を抱え、ついにはそこから退場するという選択を取りました。今は専業主婦として育児中ですが、仕事も育児もがんばりつつ女性らしさも忘れないワーキングママがテレビで紹介されているのを見ると「この人とわたしと、どこがどう違ってこうなってしまったのか」とこぼしたくなるときもあります。だからゆたきやブルックナー団のメンバーが抱えるどこか鬱屈した気持ちはわかるような気がします。

■イケてない人生に寄り添うもの

 よく「エンジニアは非モテ」「エンジニアはコミュ障」なんて言われることがあります。それに当てはまる人もそうでない人も、仕事で無理難題を押し付けられたり、人間関係に疲れたりして「自分はなんてイケてないんだろう」と落ち込むことがあるかもしれません。「生きていればそのうちいいことあるよ」「がんばっていれば誰かが見ていてくれるよ」なんて言葉もむなしいだけという日もあるでしょう。

 そんなときにそっと寄り添ってくれるのが、イケてない人生を送ったブルックナーと、彼が残した交響曲なのかもしれません。それは決して「こいつよりはマシ」と見下して笑うためではなく、イケてない人がそれでもひたむきに生きる姿に心を動かされるからです。

 自分の夢を思い出したゆたきも、「駄目な人には同じ駄目な人の必死さが胸にくるのだ」と思います。そして、どんなに下手でもいいから、もっと上手い人が出てくるまでのつなぎ役でもいいから今からでもやれ! と自分自身を鼓舞します。

 無理にイケてる人になろうとするのではなく、どんなにカッコ悪くても腐らずに自分のやりたいことを追い求めて、ときどき自分だけの隠れ家に身を寄せる、そんな人生があってもいいのではないでしょうか。ブルックナーだって、確かにイケてない人生だったかもしれませんが、それでも生きている限り何度も曲を作り、書き直していたのですから。

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