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失敗と中止の狭間で

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JAXAのH3ロケットが第一段エンジン点火後に異常を検知し、自動で緊急停止し
しました。その記者会見の場で、JAXAと報道陣のやり取りがネットを賑わして
います。JAXAの見解として今回の件は「中止」。それに報道陣側が「失敗」で
はないかとしつこく噛みついています。

なんらかの異常を検知し、フェールセーフの機構がきちんと働き自動で停止した
のは設計通りだから失敗ではなく「中止」。ロケットを打ち上げる予定のものが
打ちあがらなかったのだから理由は何であれ「失敗」。
自称技術者の自分からすると、フェールセーフが働いたから今、「失敗」と決め
つけるには時期尚早という意見です。今後、フェールセーフが働いた原因を調査
するでしょうから、もしかしたらその原因には何か「失敗」といえるものがある
かもしれません。その時には失敗を認めて、反省し次の対策を考えるべきです。

個人的にはフェールセーフという考え方は人類が経験に学んだ大切な知恵だと考
えています。もし全ての事象が想定でき、想定外がおこるのは怠惰だだからだ、
というのなら。もし全ての物事は完全にすることができ、不完全なのは罪だとす
るならば、フェールセーフという考え方は生まれません。人は神ではないないか
ら想定外のことも起きるし、不完全なもの作ってしまう。その無知の知という謙
虚さが、だから想定外の事が起こっても最悪の事は起きないようしよう、という
フェールセーフという知恵を生み出したと思うのです。そして、その謙虚さが、
より正確なものを想定できるようにしよう、より完全なものを作れるようにしし
よう、という人類のあくなき探求心につながるのだとも思います。

高い税金を使ってロケット開発を行い、それを飛ばすことができなかったのだか
ら失敗だ、謝れ、という心情があることも知っています。しかし科学がその心情
におもねって、自ら積み重ねてきた定義を変えたとしたら、科学の進歩は止まっ
てしまうことでしょう。

先日、羽田発福岡行きのJAL機が福岡空港の門限に間にあわず、関空で給油し、
羽田空港まで戻ったという記事を見ました。前後の便は遅刻の申請をしていたの
で該当便より遅く着いたにも関わらず福岡空港に着陸できたが、該当便は遅刻の
申請をしていなかったので着陸許可がおりなかったと。乗客は7時間も飛行機か
ら降りられず、深夜3時に羽田空港で解放されたのは気の毒だ、もっと柔軟な運用
ができてもよいのではないか、とその記事を書いた記者は締めくくっていました。

羽田-福岡便を頻繁に利用している身としては、7時間も機内に束縛される、とい
のは考えてもゲンナリしますが、だからとって柔軟な運用をして欲しいかと聞か
れると、これっぽちも思いません。柔軟な運用というのは、決められたルールを
特定の人の判断で変えられるということ。普段の生活や所属組織などでは、柔軟
な運用を心がけていますが、安全を第一にしている航空業界にそれは求めません。
そのような運用が自分の命に係わることを重々知っているからです。

航空業界も過去の経験から、そのようなルールをつくり順守しているはずです。
何か重大な事故が起こって反省することは必要ですが、ルールを順守しているの
に乗客が大変だった、という理由だけでルールを緩めることを求めるのは、本末
転倒だと思うのです。

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