ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (23) 見つからない理由

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 5 日間の出勤停止が明ける前日、監査室の山本室長から、調査の結果、パワハラの疑いは晴れたので翌日から出勤するように、と事務的な連絡が入った。調査の詳細について聞きたかったのだが、「それは明かせません」とにべもなく拒否された。
 「......ということになったよ」
 そう報告すると、マリは当然、という顔になった。
 「あったりまえじゃん、そんなの」
 「まあね」
 そう返したものの、嫌疑をかけられている本人としては、マリほど楽観できてはいなかったから、とりあえず正しい結果となったことに安堵したのは事実だ。
 翌日、マリと一緒にシステム開発室に出勤すると、在室しているのは尾日向さん一人だった。茅森課長と安川さんは、どちらも姿が見えない。
 「おはようございます」尾日向さんは何事もなかったように挨拶してきた。
 「おはよう」ぼくは何と続けるべきなのか迷った末に、結局、無難な言葉を発した。「風邪の方は?」
 「おかげさまで回復しました」尾日向さんは笑顔で答えた。「Housync のテストは順調に進んでいます。それで今日......」
 「ねえ、ちょっと」しびれを切らしたマリが険悪な声と表情で遮った。「他に何か言うことはないわけ?」
 「何か、と言われても」尾日向さんは穏やかな表情でマリを見た。「特に思いつきませんが」
 「パワハラの件は?」
 「ああ、それですか。何か誤解があっただけ、と聞いていますが」
 ぼくとマリは顔を見合わせた。今の言葉が、尾日向さんの芝居でなければ、パワハラの告発を行ったのは、尾日向さん本人ではない、という浅海さんの言葉が正しかったことになる。
 「それで今日」尾日向さんは遮られたことなどなかったかのように続けた。「Housync の件で、10:00 にエースホームの浜口さんが来社されることになっています。同席していただいていいですか」
 「えーと」ぼくは即答を避けた。「何の打ち合わせ?」
 「来期から、うちで紹介制度管理業務を行う件、と聞いています」
 聞いています? つまりHousync の機能やテストではなく、運用面の話ということだろうか。ぼくがそう訊くと、尾日向さんは首を傾げた。
 「私も詳しいことは知らないんです。夏目部長の仕切りなので」
 「そうなんだ。うちは誰が出席する予定?」
 運用面の打ち合わせだったら、わざわざシステム開発室が出る必要もないか、と考えた上での質問だ。尾日向さんと話をしながらメールを確認していたのだが、各部署からの問い合わせがいくつも受信トレイに溜まっていて、それらに目を通すだけでも時間がかかりそうだったからだ。
 「夏目部長とマーケティング課の方々、それに戸室さんです」
 出勤したとき、人事課に顔を出してきたのだが、課長席には誰も座っていなかった。ぼくとしては戸室さんに訊きたいことと言いたいことが1000 個ぐらいある。
 「わかった」ぼくは頷いた。「出席します」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 女性の比率が多い打ち合わせだった。
 夏目さんの他、マーケティング課からの出席者2 名はどちらも女性。エースホームからは浜口さんの他、桃園さん、楠木さんという女性2 名。男性はぼくと尾日向さんだ。戸室課長はまだ来ていない。
 出席者の性別が気になったのは、浅海さんから聞いた尾日向さんについての噂が頭にあったからだ。その噂とは、数名の女性社員と尾日向さんが関係を持った、というものだった。
 それが単なる色恋であるなら、人事課が干渉するようなことではない。浅海さんが懸念しているのは、関係を持った後、一方的に捨てられた、との証言が人数分あるからだ。その中の一人などは、退職を真剣に考えているという。
 「こういうことが続くと」浅海さんはすごく嫌そうな顔で言った。「人事としても、何らかの対応を考える必要が出てきます。その担当は、どうも私になりそうなんです。採用に携わった、というだけの理由で。問題が顕在化する前に、何とかならないものかと思いまして」
 「顕在化というと......」
 「たとえば不倫とか。今のところ、関係があったのは独身の女性社員ばかりですが」
 「そう言われても......」ぼくは言葉に詰まった。
 「あの」マリが小さく手を上げた。「実は、私もその件で後輩から相談されたことがあります」
 ぼくは驚いて自分の配偶者を見た。
 「友だちの話、ってぼかしてたけど」マリは言いにくそうな顔を作った。「あれはたぶん本人の話だと思う」
 「初耳なんだけど」
 「そりゃそんな話、言えるわけないでしょ」
 そういえば、いつだったか、誰かの相談に乗るとかで、マリが外でのランチに行ったことがあったな、と思い出した。どこの部署の人だったかも憶えていないが。
 「俺もその話は耳にしたぞ」伊牟田さんも言った。「マネジメントの女子だけどな」
 誰にも言えずに自分の中だけに秘めている、というケースも考えると、実数は浅海さんが把握しているより多いのかもしれない。尾日向さんがモテるだろう、というのは認識していたが、そこまで手を出しまくっているとは思わなかった。
 「これは実はルール違反かもしれないんですが」浅海さんは声をひそめた。「尾日向さんが登録していた人材サービス会社の担当者に連絡を取ったんです。はじめは言い渋ってたんですが、長い付き合いでもあったので、最後には教えてくれました。過去の転職の直接の理由は、どうも女性問題だったらしいです」
 「戸室さんは知ってるんですか?」
 「知ってますが」浅海さんの顔が歪んだ。「あくまでも当人同士の問題だから人事が介入すべきではない、というスタンスです。大事にする気はないようです」
 理屈の上では正論だが、個人的な理由の方が上位にあるに決まっている。かつごうとする神輿が、実はスケコマシ野郎だった、などと負の評判が立つのは何があっても避けたいところだろう。
 「それで」ぼくは訊いた。「ぼくに何をどうしろって言うんですか。女性社員に手を出すのをやめろ、と命令することなんて、できないですよ」
 正直なところ、一方的に尾日向さんを断罪するのは、少し違うんじゃないか、というのが本音だ。結婚を餌にするなどして騙したとか、薬物を使用するなどして相手の意思に反して関係を持った、というのでなければ、成人している男女同士の話だ。当人同士で解決すればいいのではないか。
 「私が懸念しているのは」浅海さんは答えた。「尾日向さんが新部署の実質的なリーダーとなったら、ますます"被害者"が増えるようなことにならないか、ということです。つまり......」
 「あの野郎の異動を止めるような口実を考えろってことだよ」伊牟田さんが怒鳴るように言った。「その紹介何とか業務のことをよくわかっとらん、とか何とか、適当な理由を思いつくだろ」
 「もちろんこれは」浅海さんは部屋の隅で遊ぶナナミを見ながら言った。「人事課としての依頼ではないです。一人の女性としてのお願いです......」
 そのときのことを思い出しながら、ぼくはさりげなく、室内の人間関係を観察した。二人のマーケティング課社員は、この打ち合わせに参加しているということは、新設される部署へ異動が決まっているのかもしれない。一人は、今年度、広報課から異動になった友成さんだ。以前、ぼくと木名瀬さんの「不適切な関係」の噂について、興味津々に訊いてきて、夏目さんに叱責されていた記憶が残っている。その友成さんは尾日向さんの隣に陣取って、あれこれ話しかけていた。社内で注目の的になっている人物と公然と関わり合う機会を得て、舞い上がっているのを隠そうともしていない。もう一人はぼくと同年代の粟田さんで、左手の薬指にマリッジリングをはめている。そのためかどうか、尾日向さんへの興味は好奇心以上のものにはなっていないようだ。
 エースホームの浜口さんは小声で夏目さんと話をしていて、尾日向さんには注意を払っていない。他の二人はクスクス笑いながら、尾日向さんの方に、ちらちらと視線を送っている。ぼくに対しては、最初に挨拶したときに事務的な笑顔を見せたきりだ。以前に何度か打ち合わせで顔を合わせていて、メールやチャットでもやりとりしているのだが、その全ての期間の印象度を合計しても、この数日間で尾日向さんが与えた数値には遠く及ばないようだ。
 ドアが開いた。「お待たせしました」と入室してきたのは、戸室さんだ。ぼくの方をちらりと見ただけで、何も言わずに着席した。この案件には全く関係がないはずの人事課の戸室さんの同席に、エースホーム側もマーケティング課も違和感を感じた様子がない。ぼくが強制的に業務から隔離されている間に、かなり暗躍されたようだ。
 「では始めましょう」夏目さんが宣言して、エースホーム側の席に頭を下げた。「今日は、寒い中、ご足労いただきましてありがとうございます。まずは、システム開発室の方からテストの進捗について報告してもらいましょうか」
 夏目さんの視線は、ぼくを通り越して尾日向さんに向けられていた。尾日向さんも当然のような顔で頷くと、手にしたタブレットを操作した。
 「えー、すでに報告が行っていると思いますが、エースホーム様側の承認系処理について4 つの指摘をいただきまして、改修を行っています。本日中に最終確認を終えて、ステージング環境に反映の予定になっています」
 ぼくは手元のノートPC でシステム開発室の共有フォルダから、エースホーム関連のドキュメントをまとめてあるフォルダを開き、改修依頼一覧.xlsx をダブルクリックした。ぼくが作成したファイルで、エースホームからの追加・改修依頼や、不具合の指摘などがまとめてある。解決済の行には日時と内容を記述する。ぼくが最後に編集したときには、20 個以上が未解決状態だったが、現在では4 個まで減っている。
 「依頼してあった社員用の報奨金マスタのメンテ画面についてはどうですか?」
 桃園さんの問いに、尾日向さんは微笑みながら答えた。
 「画面モックを作成中です。こちらも今日中に確認していただける予定になっています」
 「御社で承認が終わった後、うちに通知が届くタイミングですが、夜間バッチで前日分をまとめて送信、になってますね。社員分だけ即座に通知してもらうことは......」
 やりとりを聞きながら、ぼくはGit リポジトリでソースを確認してみた。安川さんが修正した履歴もあるが、ほとんどは尾日向さんが対応していた。以前に指摘した――そしてパワハラ疑惑の根拠ともなった――コーディング上の問題もかなり改善されている。
 何よりも、この短期間でHousync の仕様と、紹介制度管理の業務プロセスを理解して、この打ち合わせに臨んでいるのには、素直に感心せざるを得なかった。予告なしに担当を押しつけられたというのに。ヒストリーには土日の日時もある。労務管理的には推奨されない行為ではあるが、休日返上で仕事をしてくれたらしい。
 30 分ほどテスト関連の質疑応答が続き、そこから新たな要望がいくつか派生した。ぼくは尾日向さんの対応を注視し、必要なら助け船を出す心構えをしていたが、結局、その必要はなかった。尾日向さんは、画面上の表示といった軽微な要望には即座に応じ、納期的にシビアだと思われる要望に対しては、丁寧な口調ながらはっきりと断っていた。
 戸室課長は、全国模試で一位を獲った我が子を見るような顔で、質疑応答をこなす尾日向さんを見ている。きっと脳裏に輝かしいロードマップを浮かべているのだろう。新設される部署でバリバリと案件をこなす尾日向さんと、それを管理する自分の姿を。伊牟田さんは、尾日向さんを新部署に不適格な理由を探せ、と言ったが、残念ながらエースホームの紹介制度管理業務やHousync をよくわかっていない、という理由は該当しないようだ。
 エースホーム側の二人も、尾日向さんに好感を抱いているのがわかる。スキル的にも不安がなく、人間的要素もプラス加点しかない。この点でも不適格とする根拠にはならない。
 質疑応答が終わると、夏目さんが咳払いして発言した。
 「それでは、次に私からいくつか。まず、来期からの弊社の体制ですが、ほぼ固まりましたので、この場を借りてご報告させていただきます」
 夏目さんに指示されて、友成さんがプリントアウトを配布した。来年度の組織図だった。浅海さんの情報通り、ソリューション業務本部の下から、通信事業部に代わって、新しい箱が増えている。
 「エースグループ様関連の業務を担う部署として、ソリューション推進部が新設されます。部長は当面の間、私が兼務いたします。御社の紹介制度管理業務は、その下のハウスオペレーション課が担当します」
 プリントアウトを見た桃園さんと楠木さんは、小声で何か話した後、桃園さんが質問した。
 「御社のマーケティング課で行われるわけではないんですね」
 「はい」夏目さんは頷いた。「機微情報を扱うことになるので、専門の部署でデータをクローズドな環境においた方がいい、と判断したためです。この二人はハウスオペレーション課に異動の予定です」
 「なるほど」桃園さんはプリントアウトに書き込みながら訊いた。「この課の管理者はどなたになりますか? つまり、うちからの窓口になっていただける方、ということになりますが」
 「それは」戸室課長が笑顔で口を開いた。「不肖ながら、私が務めさせていただきます」
 桃園さんは、ほんの少し眉をしかめた。
 「失礼ですが、戸室さんは、紹介制度管理について、先日初めて知ったばかりだと仰っていたと思いますが......」
 本来なら「大丈夫ですか?」と続けたかったのだろう。音声化されなくても、その意図は十分に伝わったようで、戸室課長は慌てた表情を作った。
 「いえ、ご心配なく。実はもう一人、ハウスオペレーション課にはメンバーが増える予定になっています。業務にもシステムにも十分に習熟した人間です」
 「どなたですか?」桃園さんはぼくの方をちらりと見た。「井上さんは、開発業務の方で多忙だと伺っていますが」
 夏目さんが何か言いかけたが、戸室課長はそれに気付かず、誇らしげにその人物を指した。
 「こちらの尾日向でございます」
 この指名は全くのサプライズだったらしい。尾日向さんの顔に驚きが走った。

 (続)

Comment(1)

コメント

匿名

属人化は問題と言い続けてもう属人化は仕方ないとパラダイムシフトしたのか位ですね。

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