ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (22) 読めない思惑

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 浅海さんが「社外秘密会議」の場所として指定してきたのは、みなとみらい線馬車道駅から徒歩数分の場所にあるカフェレストランだった。受付で浅海さんの名を告げると、ウエイトレスさんが個室に案内してくれた。わざわざ個室を予約してくれたのは、こちらが幼児連れであることを考慮してのことだろう。
 10 分ほど遅れる、とマリのLINE に連絡があったので、ぼくたちは注文を後回しにして座って待った。個室の片隅にはマットが敷かれていて、絵本や積み木、塗り絵と色鉛筆などが用意されていたので、ナナミは早速遊び始めた。
 「いつだったか」マリはメニューでナナミの夕食を吟味しながら言った。「木名瀬さんとサイゼリヤだったかで、こんな感じで待ち合わせしたことありましたね」
 「あったね」ぼくも同じことを思い出していた。「行ったら、夏目さんが同席していたときね」
 「浅海さんも誰か連れてきたりして」
 「誰を」
 「尾日向さんだったら面白いんだけど」
 「まさか」
 マリの予測は半分だけ当たった。少しして現れた浅海さんには連れがいた。
 「遅くなりました」
 「やあ、イノウー夫妻、おはこんばんちわ」
 「い、伊牟田さん」ぼくは驚きの声を上げた。「なんで」
 「すみません」浅海さんがコートを脱ぎながら言った。「ちょっと理由がありまして。もう、オーダーされました?」
 「いえ......」
 「話は後にして、とりあえずオーダーしましょう」
 浅海さんと伊牟田さんが対面する席に座った。ぼくとマリは改めてメニューを開いた。といっても、昨日の残りのおでんを夕食にすることに決めてあったので、ここではドリンクだけにする。ナナミは唐揚げとチキンライスのキッズセットだ。
 「最近はどこいってもスマホで注文なんだねえ」伊牟田さんがテーブルに置かれたQR コードを指でつついた。「こういうのは苦手なんだよな」
 浅海さんと伊牟田さんも、ここで空腹を満たす気はないらしく、それぞれホットドリンクをオーダーした。せっかく個室を取っておいて、大人が全員ドリンクのみ、というのも、お店に申し訳ない気がしたので、スコーンを人数分追加注文する。
 オーダーを済ませると、ぎこちない沈黙がテーブルに落ちたが、浅海さんがナナミの方を見ながら明るい声で言った。
 「お子さん、いくつですか?」
 「もうすぐ4 歳です」
 「年少さんですか」浅海さんは目を細めた。「おとなしいですね」
 ナナミは見知らぬ顔の人間の出現に興味津々で近寄ってきた。浅海さんは「こんばんは」と声をかけたが、伊牟田さんは顔をしかめた。
 「おいら、子供は苦手なんだよな」
 わざわざ子供の前で言うことか、と怒鳴りつけたくなったが、さすがに我慢した。マリも伊牟田さんを睨み付けている。そんな両親の思いが伝わったのか、ナナミは浅海さんにはにっこり笑いかけたが、伊牟田さんには冷たい一瞥を投げただけで、また塗り絵に戻っていった。
 「かわいいですね」
 汚染された空気を濾過しようとしてか、浅海さんが言ってくれたが、伊牟田さんはフンと鼻を鳴らした。
 「まあ、おいらにはたぶん一生縁がないだろうなあ」
 この人には、将来の年金が誰によって支えられることになるのか、という思考はないんだろう。こういう人を相手にしてもHP を削られるだけだ。ぼくは伊牟田さんを無視することに決めたが、マリはそこまで割り切れなかったようで、戦闘モードに変わりつつある。寡黙なぼくと違って、マリも伊牟田さんも、言葉の暴力行使を躊躇わない。タイミング良く、ウエイトレスがノックしてくれなければ、室内に罵詈雑言の嵐が吹き荒れていたかもしれない。
 「ナナミ」マリは娘溺愛モードに切り替えて呼んだ。「ごはんだよ」
 「いらない」ナナミは見向きもせずに答えた。「いまいそがしいから」
 「あそ。じゃあ、ママが食べちゃうから。あー、唐揚げおいしそうだな」
 「食べる!」
 ナナミが旺盛な食欲で唐揚げにかぶりついたのを見て、大人達もそれぞれのドリンクに口をつけた。
 「さて」浅海さんが言った。「本題に入りましょうか。イノウーさんのパワハラ疑惑と尾日向さんの業務代行についてです」
 ぼくとマリは頷いて耳を傾けた。
 「おわかりだと思いますが、イノウーさんのパワハラ疑惑は、尾日向さんの意志ではなく、戸室さんが上げたものです。今日、調査委員会が設置されて、安川さんへのヒアリングが行われました。その他、何人かの社員にも実施される予定ですが、パワハラなどはなかった、という結論になるのは間違いないでしょう」
 「じゃあ一体、何が目的でこんなことをやったんですか」
 「簡単ですよ」浅海さんはぼくを見た。「尾日向さんにイノウーさんの仕事を引き継がせるためです」
 「エースホームの件ですか」
 「それです。尾日向さん、明日には出社できそう、という連絡が茅森さんに入ったようです。早速、エースホームのHousync でしたか、あれを担当させるようです」
 ぼくは首を傾げた。Housync は実装はほぼ完了して、受入テストの段階だから、これまでほとんど携わったことのない尾日向さんでも、テストを進めることぐらいはできるかもしれない。だが、今の浅海さんの話では、ぼくの出勤停止は延長されることなく5 日間で終わる。それまでの間、尾日向さんが代理を務めることで、何かが変わるとは思えない。
 「あ、イノウーさん」浅海さんがニヤリと笑った。「出勤停止期間が終わったら、元通り俺が担当するのに、とか思ってるでしょう」
 「え、違うんですか?」
 「おそらくHousync の担当は尾日向さんのままです。こういうことは前にもあったんです。何度もコロコロ担当が変わるのはクライアントに失礼、という理由で」
 「待って」マリがカップを置いて言った。「Housync の担当を尾日向さんにするためだけに、うちのボスにパワハラ疑惑をでっちあげたってことですか? そこまでする理由がわからないんですが」
 「でしょうね」浅海さんはぼくとマリを交互に見た。「これから話すのは、まだ社内では公になってないし、裏SNS でも話題に出てないので、オフレコでお願いします」
 「約束します」
 「来年度、ソリューション業務本部の下に、一つ部が新設されます。名称はまだ未定ですが、エースグループ各社との連携を強化するための部署です。うちに移管されるエースホームさんの紹介制度管理業務は、その中の課の一つで行われることになります」
 紹介制度管理業務はマーケティング課で行われると聞いていて、Housync 関連の打ち合わせもマーケティング課の社員と行ってきたのだが、組織変更があるということになる。
 「その課、仮にエースホーム業務課としておきますが、そこの管理者に戸室さんが立候補しているんです。もちろん、他にも候補者はいます。かなり熾烈な競争になってるようですね」
 それはそうだろうな、とぼくは頷いた。エースホームの業務を専任で行う部署となれば、一気にエースグループとの距離を縮めることができる。夏目さんのように強力なパイプを築き上げることも不可能ではないだろう。多くの管理者にとって垂涎の的に違いない。
 「それが実現したら、戸室課長にしてみれば、AI でやらかした失地を挽回してあまりあるってところですね」
 「そうなんです」浅海さんは首肯した。「人事に長年いると、順調に課長、部長と昇進していくのが誰で、その逆は誰か、って情報がだいたいわかってくるんです。戸室さんは、このままだと定年まで課長から上に行くことはできない、というのが、現状です。今イノウーさんが言われたAI 関係の件の失点は、それぐらい大きかったわけです」
 「あー、なるほど、わかってきたかも」マリが言った。「エースホームの業務を行うとなると、Housync の担当者が、その新しいエースホーム業務課にいた方がいい。うちのボスだと、そんなことやってるヒマはないけど、尾日向さんなら、そこまでシステム開発室の業務に深く携わっているわけじゃないから、異動させやすい」
 「あたりです。すでに戸室さんは、尾日向さんを異動させる方向で動いています。これは人事課長として正当な権限なので問題はないんですが......」
 「ついでに自分も、そっちに異動させちゃえってことですか?」マリは首を傾げた。「それはさすがに公私混同ってやつじゃ?」
 「はい。人事課長といえども、自分の異動を決めることはできません。そして、今のところ、戸室さんは有力な候補、というわけではないんです。選挙でいうなら泡沫候補、というところです。でも、一つだけ大逆転の目があります」
 ぼくとマリが顔を見合わせていると、伊牟田さんがしびれを切らしたように口を開いた。
 「鈍いやつらだな。尾日向が新部署に必須の人材だってのは、誰もが認めるところだろうが。その尾日向が、戸室さんを強力に推薦したら、その意向を無視するのは難しいってことだよ」
 普通に考えれば、入社してからそれほど月数も経過していない社員が、課長レベルの人事に口を出せるはずがない。たとえば尾日向さんが社長の隠し子だとか、陰の大株主だとか、そんなドラマじみた設定でもない限りは。だが、ことエースシステム絡みとなると、また話は変わってくる。エースホームからの紹介制度管理業務移管は、会社としても決しておろそかにはできない。その業務を円滑に進めるため、という理由であれば、尾日向さんの意見が大きな力を持つ、というのは絵空事とは言い切れない。
 「そういえば」ぼくは忘れていたことを思い出した。「伊牟田さんは、どうしてここにいるんですか」
 伊牟田さんは唸った。
 「俺もその新しい部署に異動させられるらしいんだよ」
 「今はネットワーク業務課ですよね」
 「あそこは来年度になくなります」浅海さんが言った。「正確には、通信事業部自体がなくなり、残っている業務は外注することになります」
 「そうなんですか」
 ネットワーク業務課は、マーズ・エージェンシーがマーズネットという名前だった頃に、販売していたネットワーク機器の保守を細々とやっている部署だ。法律で定められた交換部品の保存期間も過ぎているし、そもそも利用しているユーザは20 人にも満たない、と聞いたことがある。会社としてもお荷物だったのだろう。
 「じゃあ、良かったじゃないですか」
 「良くねえよ」伊牟田さんは歯をむき出しにした。「あんな奴の下で働くのはごめんだ」
 「あんな奴って、尾日向さんのことですか?」
 「他にいるか」
 「優秀な人材だと思いますけどね」あなたよりは、と付け加えたのは、心の中だけだ。
 「実は、今日、話したかったことがもう一つあるんです」浅海さんが割り込んだ。「尾日向さんのことです」

 (続)

 来週は遅い夏休みのため、更新はありません。

Comment(1)

コメント

SQL

安川さんがエースの上司と会ってたのは部署新設の件と関連するのかな

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