ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

魔女の刻 (8) 30秒ルール

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 冬の雨は出勤する社会人をうんざりさせる。ただでさえ寒い上に、身体や顔が濡れるので不快感が二乗になる。しかも今日は霧雨だ。雨が素直に地面に到達せず、風にあおられて全方向から襲いかかってくるのだから始末が悪い。
 2 月1 日、水曜日の朝。気温は10 度以下。バス停からICT センタービルに歩きながら、私はもう一度教習所に通って、すっかり忘れている運転技術をリビルドしようかと真剣に考えた。横浜市はJR、私鉄、地下鉄、バスが充実しているので、普段は全く自動車の必要性を感じないが、あればあったで便利だ。買い物だって楽になるし、息子とドライブに行くとか素敵じゃないか。電車やバスより行動範囲が広がるだろう。「でもね、あなたが思ってるより、ずっと遠くまで行けるのよ」と、誰かが言ってなかったっけ。
 開発センターに入って、健気なエアコンが提供してくれる快適な暖かさに安堵のため息をつきながら、コートとマフラーをロッカーにしまった。周囲のプログラマたちと挨拶を交わし、自席に座る。細川くんはすでに来ていて、東海林さんの席にも缶コーヒーが置いてある。
 「雨で大変だったでしょう」
 「座れなくてね」
 「明日も雨みたいだから、朝はピックアップしていきますよ」
 「助かるわ。ありがとう」
 9:00 になると、コマンドルームから白川さんが現れた。寝不足なのか、目の下に薄い隈ができているが、身体にはいつも通りエネルギーがみなぎっている。
 「みなさん、おはようございます。いよいよ今日から開発スタートです。なんだかワクワクしませんか。楽しいですよね。これから来年の3月末まで、ということは、14ヵ月、だいたい280 日ぐらいです。1 日10 時間作業するとして、2,800 時間。分にすると168,000 分になります。うーん、数字にするとぞっとしますね。まだ最初の5 分すら経過していませんが。全員で一緒に完走して、栄光と報酬を手に入れようじゃないですか」
 鼓舞しているんだか、消沈させるつもりなんだかわからない挨拶の後、白川さんはニッコリ笑った。
 「では、早速、お仕事に取りかかっていただきますが、その前に些細なお知らせがあります。残念ながら、TFG デジタル株式会社、およびモロドメ開発より、今回の案件に参加できなくなったと連絡がありました。理由は訊いていません。2 社合わせて7 名が減ったわけです。おかげで私は徹夜で作業分担の再構築を行っていて寝不足です」
 驚きながらも、私は頭の中で計算した。これでトレーニング開始時は42 社113 名だったのが、31 社 80 名になってしまったわけだ。実装を開始してもいないのに、30% の人的リソースが減ったことになる。
 同様の計算を行ったらしい東海林さんとTSD の草場さんがほぼ同時に手を挙げ、互いに譲り合うような仕草を見せた。最終的に発言権を得たのは草場さんだった。
 「減った人の分は補充される予定なんでしょうか」
 「訊かれると思ったんですよね」白川さんは苦笑しながら答えた。「補充の予定はありません。残った人数で実装をこなしていただきます」
 興奮したざわめきが沸き起こる中、東海林さんが立ち上がった。
 「人が30% 減ったからといって、作業量も比例して減らせるわけではないですよね」
 「東海林さんが懸念されるのも当然ですが、ご心配には及びません。元々、83 から90 名程度が残る想定で、実装作業の割り当てを考えていました」
 「3 名分ぐらいのブレは想定の範囲内ということですか?」東海林さんがやや皮肉な口調で訊いた。
 「いいえ」白川さんは楽しそうだった。「単に私も万能ではないというだけです。さすがの私も予知能力は持っていませんので。では、作業を開始してください。すでに最初のチケットが届いているはずです。そうよね?」
 問いかけられたサブリーダーの人たちは、慌てて頷いた。
 「最初は、2 名から3 名ずつのチームで、1 つのコンテナの詳細設計を行ってもらいます。組み合わせは毎回変更されます。その後、進捗状況を見ながらロールを変えて行く予定です。では始めてください」
 プログラマたちはざわめきながらモニタに向き直った。
 「本当に予想してたんですかね」細川くんが話しかけてきた。
 「かもね」私はPC にログインしながら答えた。「説明会のとき、あれ、って思ったことはあったんだけど」
 「何ですか?」
 「工数。2 つのシステム構築で、900 人月だったでしょ。113 人が14 ヵ月だと、単純計算で1,500 人月ちょっと。最初は入札のために低めの工数を見積もったのかと思っていたけど、最初から80 人ぐらいの予定で出したのかもね。ま、それでも多いけど」
 「もし全員がすごく優秀で、全員テストに合格してたらどうするつもりだったんでしょうね」
 「さあね。さ、仕事するよ」
 私はグループウェアにログインした。白川さんが言った通り、実装の割り当てが届いている。

 order No. 0206-0047
 user : GV074 川嶋ミナコ
 対象機能:kngsss-A9-0091-S122
 グループコード:1611
 コンテナID:KGCT_470_097

 「川嶋さん、どこですか?」細川くんが訊いた。
 「sss だから、学校システムの方みたいね。細川くんは?」
 「ぼくは図書館の方です。東海林さん、どこです?」
 「図書館だな」東海林さんはキーを叩いた。「ああ、お前と同じグループだ」
 「一緒ですか」
 「一人じゃ頼りないって思われたんじゃないの」私は笑った。「早く独り立ちできるといいねえ」
 顔をしかめた細川くんが何か言おうとしたとき、サブリーダーの一人、新美さんが歩いて来た。がっしりした体格でいかにも体育会系のエース社員だが、先週、見ていた限りでは、プログラマに対して居丈高な態度を取るような人ではなさそうだ。
 「えーと」新美さんはタブレットを見ながら言った。「サードアイの川嶋さん、多摩アプリケーションの畠さん、蜂須賀テクノロジーの岡沢さん、いますか?」
 「はい」私は立ち上がった。「じゃ、行ってくる」
 「がんばってください」
 「あんたもね」
 私は、他のプログラマ2 名と一緒に新美さんの後について、第4 会議室に入った。開発センター内に用意された5 つの会議室のうちの1 つで、8 人分の椅子が用意されている。28 インチの4K モニタの近くに、市職員の男性が座っていた。くぬぎ市再生タスクフォース推進室室長の瀬端さんだ。
 「どうもおはようございます」
 瀬端さんは礼儀正しく挨拶してくれた。私たちは、それぞれ挨拶を返しながら座った。瀬端さんは少し古い型のノートPC を操作した。
 「じゃ、早速。グループコード1611 ですね。設計書はこれです」
 モニタにエースシステム標準の機能設計書が表示された。
 私たちプログラマの仕事は、コンテナを作成することだが、白川さんが説明したように詳細設計書は存在しない。エースシステムが要件定義フェーズで作成したのは、機能設計書で、画面あるいはロジック単位に実現すべき機能が細かく定義されている。実装に先立って、まずくぬぎ市の担当者から機能についての説明を受け、その後、エースのSE を中心にコンテナの単位を話し合う。最終的に白川さんが承認すると、コンテナ単位の仕様が決定するので、そこからようやくコーディングの世界になるわけだ。
 「これは掲示板ですね」瀬端さんは画面イメージを表示した。「まあ、簡単な方です。学年、クラス、生徒番号、性別とか、いろいろな条件で登録されているお知らせを、間違えずに表示するだけです」
 「3 人もいらなかったですかね」
 岡沢さんが軽口を叩いたが、瀬端さんはニヤリと笑った。
 「と思うでしょう。ところが、そうじゃないんですね。ま、とりあえず現行の画面を見てもらいましょうか。本当はタブレットなんですが、この開発センターはアクセスポイントがないんで」
 瀬端さんが画面を切り替えると、よくある掲示板画面が表示された。一見すると洗練されていてかっこいいイメージの画面だったが、少し注意深く観察すると、見た目「だけ」しか考えていないということがわかった。たとえばフリーワード検索や、期間指定で過去のお知らせ表示が、右上のハンバーガーメニューから数階層下にあったり、スクロールバーが見づらく幅も狭かったり。この画面の設計者、または実装者は、いろんな部分でちょっとした手間を惜しんだようだ。
 「もちろん、これは悪い例です」瀬端さんは掲示板機能をいろいろ動かしながら、悔しそうに言った。「Q-LIC の子会社で、大きなデザイン会社が画面設計をやったようです。クリックブックスの店舗デザインをやってるところで、HP やWeb アプリのデザイン実績のないところです。もちろん当時のくぬぎ市側の担当者もいろいろ要望は出したようですが、費用と期間の関係で反映されませんでした。文字数が少ない都合のいい例だけでデモをやって、前の市長が見た目だけでゴーを出したんです。生徒や保護者の評判がよくないことは言うまでもありません」
 「誰が作ったか知りませんが」畠さんが顔をしかめた。「基本ができてないというか、手抜きですね」
 「で、これが」瀬端さんは数枚のプリントアウトをクリアファイルから抜き出すと、私たちに配った。「教師や生徒にヒアリングしたり、外部のセキュリティ会社に見てもらった改善要望項目、いえ、必須改善要望項目一覧です」
 一目見た私は、思わず呻いた。

 ■閲覧機能――生徒、管理者権限を持たない教諭

  • 起動するたびにくぬぎ市のロゴアニメーションが4秒間表示されるのがウザい。
  • タイトルのロゴのシャドウがいかにもフォトショ処理でダサい。
  • フリーワード検索がフリーワードで検索できない。例) "テスト期間"が"てすと期間"や"テスト期間"で検索できない
  • 背景画像が3分毎に切り替わるが、画面がリロードされるので開いていたお知らせが消えてしまう。
  • 特定のクラスのみのお知らせを表示すると、URLパラメータにクラスコードが付くので、少し知識があれば、他のクラスのお知らせを表示できてしまう。
  • 画面の解像度が横画面表示前提で、縦画面にすると段組が崩れる。
  • 長い文章でも折り返しされずに、横スクロールされるため、入力するときに改行を入れる必要がある。
  • ボタンのデザインが背景デザインと同化しすぎていて、デザインなのかボタンなのかが判別しづらい。
  • フリーワード検索で半角カナを入力すると「半角カナは入力できません」とエラーになる。
  • スマートフォン対応のはずなのに、ほとんどのスマートフォンで表示が崩れる。
  • モーダルウィンドウがウィンドウ外をクリックしても閉じない。
  • メニュー階層がWord と同じぐらい複雑で目的の機能に辿りつけない
  • 生徒が教師用の管理画面を開けた、との報告が数点あり(再現方法不明)。

 1 ページめは、こんな調子で、およそ40項目の改善要望が並んでいた。2 ページめからは、管理者用機能に対する要望一覧だった。こちらは遙かに数が多い。

 ■管理機能――主幹教諭、その他管理者権限ありの教諭

  • 投稿用の確認画面で、  や、& などが表示され、確認にならない。
  • 連続して投稿しようとすると、前回の入力内容が残っている。クリアボタンがないので、全て手動で消す必要がある。
  • 特定のクラスを選択して投稿しようとすると、1回めに必ず「クラスが登録されていません」とエラーになる。2回めは投稿できる。
  • クラスの選択機能がなく、クラスコードを手入力する必要がある。
  • 複数のクラスへの同時投稿ができないので、同じ内容をコピペしている。
  • 画像をアップロードしても、表示される生徒とされない生徒がいる。
  • 過去の投稿一覧にソート/絞り込み機能がない。
  • 投稿のコピー機能がない。
  • 投稿の削除機能がないのでシステム担当者に削除依頼を上げる必要がある。
  • "delete" と "from" の文字を同時に入力すると、「セキュリティエラーです。投稿できません」となる(全角文字だと発生しない)。
  • 投稿内容確認画面からブラウザの戻るボタンで戻ると、添付ファイルが消えている。
  • 第3 水準、第4 水準の漢字を使うと、閲覧画面で文字化けしている(中国人の生徒の氏名が表示されない例あり)。
  • 公開日時の修正ができない。
  • 他の管理者の投稿内容が修正できてしまう場合がある(再現方法不明)。

 3 ページまで、同じような項目が続いている。4 ページめは、セキュリティ会社からの調査結果のようで、CSRF やXSS の危険性や、脆弱性の残るApache のバージョンについての警告が、具体的なコードなどを添えて報告されていた。その合計は、211 項目にも上っている。
 「ひどいですね、これは」畠さんが呆れたように言った。「見ると、結構、基本的な項目も多いようですけど、開発段階や運用してから指摘はされなかったんですか?」
 「もちろん要望、というか要求は、システム稼働当初から、現場や保護者から上がったんですが、当時のKID の担当者からは、1 ページあたり20 万円という高額な修正見積が帰ってきたので、極端にひどいもの以外は放置されていたんです」
 「うわ」岡沢さんが顔をしかめた。「URL に26 個もパラメータ付けてる。しかもcnt とかnum とか。これ設計した奴、うちに転職してこないかな。5 時間ぐらいかけて変数名の付け方について教育してやりたい」
 私も思わず笑った。count → cnt、return → rtn のような無意味な省略は、うちの会社では真っ先に矯正される悪癖だった。東海林さんが嫌うからだ。
 「難易度が低い掲示板でさえこうですから、もっと複雑な他の学校業務支援機能や授業で使う学習ソフト、教員の管理画面などがどれほどのできなのか、想像がつきますよね。今回のプロジェクトでは、こういったことのないようにお願いしたいものです」
 最後の言葉は、エース社員である新美さんに向けられていた。新美さんはうろたえる様子もなく、ゆっくり頷いた。
 「うちはQ-LIC さんと違って、IT システムのプロですからね。その点は、大船に乗ったつもりで大丈夫ですよ。PL は白川ですし」
 「ああ、白川さんはとても優秀な方ですね」瀬端さんは納得したように頷いた。「要件定義フェーズでも、素敵な提案をいくつもしてもらいました。うちの推進室の連中も、みんな感心してましたよ。まあ、前回がひどかったせいもあるんでしょうが」
 「何といってもエースの白い魔女ですから......あ」新美さんは慌てた様子で、私たちを見回した。「すいません。今のはオフレコで」
 私たちはひとしきり笑った。
 「さてと」新美さんは咳払いして、緩んだ空気を引き締めた。「仕事に戻りましょうか。このミーティングの目的は、各コンテナの機能単位を決定することです。必要な詳細な機能は、この一覧の通りです。コンテナ数としては6 か7 といったところでしょうか」
 「この画面で、そこまで細かく分解するんですか?」私は少々驚きながら訊いた。
 「ええ。部品化しておけば、再利用率も上がりますから」
 「コーディネータの設定が複雑になりませんか?」
 「設定は後でなんとでもなるので。それに、コンテナの機能としては単純な方が実装も楽でしょう? 単体テストもね。この画面をコンテナ単位に分けるとすると、そうですね、初期化部分、絞り込み条件のバリデーション、一覧の表示、お知らせ本文の表示、確認済みフラグの更新ってところですか」
 ふーん。私は少し感心して新美さんを見た。おそらく20 代後半ぐらいで、真面目そうだ。エース社員にしては、しっかり技術的な知識もあるようだ。話に聞いているエース社員のイメージは、上から目線の傲慢な実装能力皆無の自称システムエンジニア、だったが、その伝聞情報をアップデートする必要がありそうだ。
 と思ったのも束の間、新美さんはタブレットを掴むと立ち上がった。
 「では、そんな感じで、3 人でコンテナ単位を決定してください。席にいますので、終わったら声かけてください」
 「え」私は呆気に取られた。「私たちだけでですか?」
 「そうですよ。実装部分はあなたたちの仕事でしょう。私はコーディネータ部分の設計と設定が仕事です」
 そう言うと、新美さんは瀬端さんに一礼して、さっさと会議室から出ていってしまった。
 「やれやれ」畠さんが呆れたように言った。「やっぱりエース気質ですね」
 「そうでもないんですよ」瀬端さんは面白そうな顔で言った。「今、エースシステムの人、白川さん入れて11 人いますけど、去年までは32 人ぐらい入ってたんです」
 「へえ」私は興味を惹かれた。「残りの21 人はどうなったんですか」
 「白川さんがプロジェクトから外したんです。同じ会社の人間なのに、足の引っ張り合いばっかりしてたから。少数精鋭にしたってことです。しかも面白いのが、外したほとんどが経験年数の多い人ばかりで」
 「それはまたどうしてでしょう。若手に経験を積む機会を与えるためとか?」
 「明言したわけじゃないですが、船頭多くして船山に登るという状況を嫌ったんでしょうね。このプロジェクトを成功に導くためには、自分が強力なリーダーシップを発揮することが最善だと考えたんだと思います」
 「単なる独裁者気質なんじゃないですか?」岡沢さんが皮肉な口調で言った。「前に仕事をしたエースの人は、自分の意見が絶対で他の奴らはろくでなしの無能、って考えの人でしたよ。座ってスケジュール表の更新ばかりやってましたけど」
 「ところが、白川さんはVilocony の設定と設計を、ほとんど自分でやってるんですよ。図書館システムも学校支援システムも、頭の中に完璧なデザイン図が完成しているみたいで。このお仕事を完璧に完成させることに生活の全部を投入しているようです。自宅は武蔵小杉のようですが、要件定義が佳境に入った時期は、何ヶ月か、近くのウィークリーマンションに住んでました。朝は誰よりも早く来てるし、夜は日付が変わる前に帰ったことがない」
 そういえば、メイクで隠してはいたが、白川さんの目の下には隈ができていた。慢性的な睡眠不足が続いているのかもしれない。
 「じゃコンテナ単位を決めていきましょうか」私はプリントアウトを広げた。「新美さんが言った感じですかね」
 「初期化部分って、HTML がなくてロジックだけのコンテナになりますか」畠さんがペンを握りながら言った。「View 部分なしも作れましたね」
 「でも単体テストは、A フレプラグインを使うんですよ。あれはHTML なしってできましたっけ」
 「確かモックHTML が自動生成されるはずですね。トレーニングじゃ、そんな問題は出なかったですけど、ヘルプに書いてありました」
 「よく見てますね。ぼくはそこまで余裕なかったな......」
 3 人で議論を重ね、仕様の不明点は瀬端さんに確認し、90 分ほどかけて7 つのコンテナとして作成することに決定した。手分けして各コンテナの仕様を、所定のフォーマットに入力していく。最後に7 つのExcel ファイルを、ダブルチェックして完成だ。
 完成したファイルを、プライベートクラウド上に用意されたWebDav の指定ディレクトリに放り込むと、私たちは新美さんの席に行き、チェックをお願いした。
 「わかりました。次からはもう少し時間を短縮してください。チェックしておくので、次のチケットに進んでください」
 「え、次ですか?」私は訊き返した。「今のコンテナの実装はどうなるんですか。それに仕様の修正だって。最初なので、おそらくミスや不足箇所があると思うんですが」
 「チェックは少し時間がかかるんですよ」新美さんは私の方を見もしなかった。「それに、たとえ修正が必要になったとしても――まあ、必ず発生すると思いますが――対応するのが、同じプログラマとは限らないんです」
 私たちは顔を見合わせた。
 「つまり、別の誰かが、私たちの続きをやるかもしれない、ってことですか」
 「そうなるでしょうね。私のチェックが終わったとき、たまたま川嶋さんがアサイン待ちであれば、回ってくるかもしれませんが、これだけ人数がいるし、機能数は膨大ですから、その可能性は低いでしょう」
 「同じメンバーが修正して、実装までやった方が効率的じゃないですか?」岡沢さんが不安そうに言った。「別の人が作った続きをやるのは......」
 「そうですよ」畠さんも頷いた。「ライン方式よりセル生産方式が主流ですよ」
 新美さんはため息をついて口を開きかけたが、白川さんが立ち上がって歩いてくるのに気付いて、会話の続きを上司に委譲した。白川さんは、スマートフォンに接続したヘッドセットで誰かと会話していたが、通話を終えて私たちを見た。
 「すいません。地獄耳なんで聞こえちゃいました」白川さんはにこやかに言った。「何のために、コンテナというクローズドな単位にしているのかおわかりですか? 各コンテナの構造をシンプルに、とことん徹底的にシンプルにするためです。誰が続きをやっても、問題なく継続できるように。逆に言えば、前回担当者の説明が必要になるようなら、そのコンテナの構造は複雑すぎるということになりますね」
 「そう言われても......」
 「私はプログラマではありませんけど、プログラミングには30 秒ルールというものがあるそうじゃないですか。それと同じです。後日、修正するメンバーに迷惑をかけたくなければ、サルが見ても理解できるぐらい簡潔にしてください」
 「......それはわかりますが」私はおずおずと反論した。「でも、そのやり方だと、いつまでたっても全体が見えてこないと思いますが」
 「みなさんに全体を理解してもらう必要はありませんよ」白川さんはヘッドセットをかけ直し、スマートフォンを操作した。「それは私たちSE の仕事ですから。では、3 人とも次のアサインチケットが出ているはずです。時間をムダにせず進めていただければと思います」
 白川さんは言い終わると同時に通話を再開した。反論を封じ込められた形になった私たちは、自席に戻るしかなかった。
 東海林さんと細川くんは、まだ打ち合わせが続いているらしく戻っていなかった。私が次のアサインを確認しようとグループウェアを開いたとき、先に戻っていた草場さんが声をかけてきた。
 「おつかれさまでした」
 「あ、どうも」私は小さく頭を下げた。「もう終わったんですか」
 「私のは、画面のないロジックだけのコンテナだったんで、かなり早く終わりました。次のチケットは川嶋さんと一緒みたいです」
 「そうですか。よろしくお願いします」
 「こちらこそ。今の話、ちょっと聞いてました。やっぱり全体の見通しが悪いってのは、ちょっと不安ですね」
 「そうですよね」私はアサインチケットを確認しながら頷いた。「もっと開発の後半になれば、コーディネータ部分の情報も降りてくるんですかね」
 「来ないと思いますよ。エースシステムですから」
 「やっぱりそうですか。あれ?」私は首を傾げた。「次の打ち合わせ、場所が市役所3 階、2 番会議室となってますね」
 「ああ、次のは学校支援システムのコンテナなんですが、外部システムとの通信です。外部システムというのは、地元商業振興支援ネットワークです。あれはQ-LIC の子会社が発売してるパッケージなんで、Q-LIC のシステムエンジニアが説明してくれるらしいですね。だから場所が市役所なんでしょう。この開発センターにQ-LIC の居場所はないですが、市役所内ではまだ影響力がありますから」
 「Q-LIC というと、この前会った人も来るんでしょうか」
 「弓削さんですか。どうでしょうね。同席するかもしれませんね」
 あまり間近で顔を合わせたい人ではない。性格がどうのというより、技術者以外の人間が技術者同士の打ち合わせに同席しても、あまりいいことはないからだ。特に弓削さんのような自己主張の強そうな人だと、自分の存在感をアピールするためだけに無益な発言を繰り返して時間を消費することが多い。
 「打ち合わせは午後からです」草場さんは時計を見た。「少し早いですが、二人でお昼に行きませんか。うちの相棒は今日は参加していないので、私一人なんですよ」
 了承の言葉が口から出る寸前、私は「二人で」という言葉に気付いて、発声を緊急停止した。二人で、というのは、単に人数を示したに過ぎないのか、それとももう少し深い意味があるのか。
 ほんの数秒前まで、同じ仕事をしているプログラマ仲間、でしかなかった草場さんの属性に、いきなり男性という要素が追加されたようだ。私は自分の鼓動が高まっていることに気付き、それが不快ではないことに驚いた。
 「あー、そうですね」私は声を平静に保とうと努力しながら答えた。「でもうちの人間ももう少しで戻ってくると思うので、もうちょっと待ってます」
 「わかりました」草場さんはにっこり笑って立ち上がった。「じゃ、また別の機会にお誘いします」
 草場さんは一礼すると、ロッカールームの方へ歩いていった。
 離婚してからは仕事と子育てが生活のほとんどを占めていて、プライベートな楽しみを優先させることがほとんどなかった。我ながら臆病な応じ方をしてしまったのは、そのためだろうか。
 いかんいかん。私は自分の額を弾いて戒めた。平日の仕事中にランチに誘われたぐらいで気の回しすぎだ。世の中には一人で食事をするのが苦手な人もいる。草場さんもそんな人種だというだけかもしれない。それとも、たまたま空腹時に近くにいた人間を誘っただけかもしれないではないか。私は表情を引き締めたが、心の中は春の朝のような暖かさで満たされたままだった。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(14)

コメント

のほ

いつも楽しみにしております。

1点気になったのですが、閲覧機能の部分。

> フリーワード検索がフリーワードで検索できない。例) "テスト期間"が"てすと期間"や"テスト期間"で検索できない
> フリーワード検索で半角カナを入力すると「半角カナは入力できません」とエラーになる。

最初の"テスト期間"が半角カナで後ろで半角カナ不可になっているため、
最初の"テスト期間"を削除した方が良いかもしれません。

N

count→cntとかindex→idxとか普通にやっちゃってるので耳が痛い。
狭いスコープでほぼ使い捨て変数でしかやってないので許して…

M

さすがに今の時代255文字とかではないけど GETのURIには長さ制限があるのだから そこで使う省略が無意味とかいうのはちょっと……

のほさん>
つまり半角カナを入力できるようにするという修正項目ですよ、たぶん。

O

あれ?川嶋さんの恋バナも入ってくる?

アキ

初投稿ですが、いつも楽しみにしています。
白川さんでエースのイメージ塗り替え?!と思いつつ、またエースの不安が見えて来てワクワクします。

育野

このプロジェクトのトラックナンバーは1(白川さん1人)ってことですか.
で,その人には恒常的に負荷がかかり続けてる.
有能の自負ゆえの抱え込み気質もあるのでしょうが,
前にも体調崩したとの描写がありましたし,不安を誘いますね.
とすると,1話で連絡取れなくなったのも「破壊工作」とは無関係だった?

YUJI

「でもね、あなたが思ってるより、ずっと遠くまで行けるのよ」
ドラマ逃げ恥でしたっけ?

匿名

ウォータフォールじゃなくアジャイルだから実装には関与しないというスタンスなんでは?
前作の失敗を踏まえて詳細や実装には口出さない方がいいと学んだという事でしょうか
細かいコンテナ多数で実装を分離する問題はSEや客がコンテナを把握できるかどうかなのではないかと
第一話で白川さんが消えて誰も分からないとなってたという事は白川さんはだた一人それを把握してたという流れになりそうですが
驚異の白い魔女という事でしょうか

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設計は個人の脳内ドキュメント、仕様策定はスパゲティ、ソースを追ってもワケワカメ
保守不能引継不能案件なのでは…

匿名

面白い

ブンブン

今度もまた面白そうな物語ですね。楽しみにしています。

>「では、そんな感じで、3 人でコンテナ単位を決定してください。席にいますので、終わったら声かけてください」
>「え」私は呆気に取られた。「私たちだけでですか?」

このあたりが導火線というかキナ臭いですな笑。

夢乃

毎回楽しませて戴いています。今後も楽しみ。
 
遅ればせながら、「?」と思ったところがあったのでコメントします。
>42 社113 名だったのが、31 社 80 名になってしまった
つまり、-11社 -33名なのですが、リタイアした人数を数えると……
         田熊通信システム…4名
         株式会社オリクス…2名
   オー・ワイ・エス開発株式会社…2名
   オートコム・ワークス株式会社…2名
           サカクラ(株)…4名
       三根システム株式会社…2名
      株式会社アイカワ製作所…4名
 株式会社オリエントソフトシステム…3名
      株式会社ウィングネット…3名
TFG デジタル株式会社/モロドメ開発…計6名
で、合計-11社 -32名と、1名ずれてます。どこか見落としていたらすみませんけれど。
重箱の隅をつつくようなコメント、すみません。
 
(今頃コメントした理由は…登場人物が多くなって来て頭で把握できなくなってきたので、
 ついさっき登場人物を書き出していたところで気付きました)

リーベルG

夢乃さん、ご指摘ありがとうございます。。
「ハローサマー」のときもオペレーション進行図を作っていただきありがとうございました。
そんなに丁寧に読み込んでいただいて嬉しいです。

TFG デジタル株式会社/モロドメ開発の人数が違ってました。
TFG デジタル株式会社…4名
モロドメ開発…3名
で、計7名でした。

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