ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

高村ミスズの事件簿 コールセンター篇(2)

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 横浜市西区に本社を置くダンデライオンコンタクトサービス株式会社、通称、DLコンタクトから、何人かの仲介人を通して私に連絡があったのは、2 週間前のことだった。「私」というのは、本名の高村ミスズではなく、もう一つの顔、三村スズタカのことだ。

 「エンジニアが過労で入院?」私は首を傾げた。「御社の事業はコールセンター運営ですよね。社内SE ということですか?」

 例によって深夜に近い時間にかかってきた電話の相手は、DLコンタクト本社サービス事業本部首都圏サービス部の熊谷という男だった。ブラックベリーにかけてくる人間は、何らかの厄介な問題を抱えているのが通例だが、熊谷も例外ではなかった。

 『いえ』何とも頼りなさそうな声だった。『弊社の社員ではないんです。弊社にシステムを入れている会社の社員なんです』

 「よくわからないんですが……」私はブラックベリーを口元から離すと、最近はまっているホワイトココアを一口すすった。「御社と取引のあるシステム会社の社員の労働環境を問題にされている、ということでしょうか?それなら、あと9 時間ほど待ってから、お近くの労基署にお電話された方が……」

 『違うんです。システムに関することなんです』

 「というと?」

 『ちょうど1年ほど前、うちの部に新しいCTI システムを導入したんです。全社的にWindows のアップデートを予定していたんですが、既存のシステムが新しいWindows では動作を保証しないと言われまして』

 熊谷は事務部門に所属しているが、システム関連のファシリティ担当として、新CTI システム導入プロジェクトに参加していた。導入にあたってはゼロからの新規開発も検討されたが、コスト削減とリードタイムの短縮のために、製品を購入し、必要なカスタマイズを行う方針に決定した。数週間に及ぶ評価と選考の結果、購入の決裁が通ったのは、株式会社ナツメシステム開発が新発売した<キャナリー22C>というCTI 製品だ。イニシャルコストは、専用サーバ4台と、必要なクライアントライセンス、DLコンタクト向けのカスタマイズも含めて2,100 万円。サポートおよび年間利用料は60 万円。他社の同様の製品に比べて価格が安い上に、既存のPBX をそのまま使用できるため、導入コストが抑えられるというセールスポイントが採用の決め手になった。

 ナツメシステムによる製品の導入および研修は比較的順調に進み、<キャナリー22C>は去年の4 月第2 週の月曜日から、2 つのコールセンターで稼働を開始した。いずれも、数十万件の顧客データを持つ業務で、CTI システムの利点を生かせることが期待されたのだ。

 当初、<キャナリー22C>は、その期待に十分応えたように見えた。稼働直後こそ、バグや仕様もれが50 件以上発生したが、いずれも24 時間未満で対処され、大きな問題にはならなかった。SV やオペレータたちの評価も悪いものではなかった。30 日間の並行運用期間の後、残りのセンターでも、既存システムからのリプレースが実施された。同時期にWindows のバージョンアップが実施予定だったため、リプレースのタイミングをそれ以上遅らせることはできなかったのだ。センターによる業務の差違もあって、さらに追加のカスタマイズが必要になったものの、いずれもナツメシステムは無料か、格安の改修費用で対応してくれた。

 『というように順調に導入が完了したんですが……』

 「問題が発生した?」

 私は訊いたが、それは修辞疑問に過ぎなかった。問題がなければ、私に電話をかけてくるはずがない。

 『仰る通りです』

 半年が経過し、横浜本社の全てのセンターが<キャナリー22C>に依存するようになった頃、オペレータが不満の声を上げてくるようになった。最初はポツポツと、やがて怒濤のように。

 「不満と言いますと?」

 『一言で表すなら、重い、という点に尽きます』熊谷は電波経由で体温と湿気が伝わってきそうなぐらい深く大きなため息をついた。『本来なら着信と同時に、1 秒以内に電話番号から会員情報を検索して画面に出せるはずなんですが、30 秒から40 秒、下手をすると2 分近くかかるか、タイムアウトで落ちてしまうこともありまして』

 顧客サービスが主業務のコールセンターにおいて、会員認証に時間がかかったり、できないというのは致命的なのだそうだ。緊急対応として、全会員データを電話番号の2 桁目別のExcel ファイルにダウンロードし、SV が検索をかけることで認証だけはできるようにしたが、詳細情報や過去の対応履歴を参照することができず、サービス対応速度は大幅に低下した。

 報告を受けた事業部長は、直ちに改善を指示したが、それまで迅速だったナツメシステムの対応がなぜか鈍かった。担当営業マンが異動し、後任は不在が続き電話に出ないし、メールの返事も遅れがちだ。システム担当者に直接連絡しても、多忙を理由に対応が後日になる。検収も終わり、請求に対する支払手続きも完了した後だったから「釣った魚にエサはやらない」ということか、と事業部長の名で抗議したところ、数日後にようやく改善方法を知らせてきた。

 「それは?」

 『サーバの再起動です』

 根本的な原因が解明されたわけではないが、とりあえず業務に支障が出なければ、というわけで毎日、早朝6 時にサーバがリブートされることになった。ところが、その方法が一時しのぎでしかないことが、すぐに明らかになる。リブートによって<キャナリー22C>が快適に動作するのは、せいぜい午前中まで。13 時を過ぎると、まるでサーバが眠気を感じ始めるかのように、動作が緩慢になっていくのだ。

 「サーバは4 台あるんですよね。全部が遅くなるんですか?」

 『詳しい構成は私にもわからないんですが、とにかくレスポンスが遅くなることは確かです』

 さすがに業務中にリブートをかけるわけにもいかず、各センター長と事業部長は、再びナツメシステムに早急な対応を求めた。ただし、その声はあまり強くはなかった。すでに全センターの全業務が<キャナリー22C>に依存している以上「へそを曲げられたくない」というのが理由だった。UI の細かな修正依頼などは、以前と変わらず迅速に対応されていたので、そちらの流れを止めたくなかったのだそうだ。

 「で、改善されたんですか?」

 『それが一向に。ただ回避方法はわかってきました。ナツメシステムが提供する管理ツールで、リソースを解放してやればいいんです』

 問題はリソース解放の処理を、センターから直接操作することができないことだった。管理ツールは、サーバに用意されているリモートメンテナンス用のLAN ポート経由でしかアクセスできず、しかも通常のLAN 環境とは別のサブネットにする必要があるからだ。やむなくDLコンタクトは備品室を1 つ空けて、ネットワークを引き、モニタルームとした。費用はもちろん、DLコンタクト負担だ。改善されるまで、という条件で、ナツメシステムのエンジニアが、常駐することになった。

 「なるほど」システム会社のエンジニアが、問題解決のために常駐するのは、わりとよくある話だ。「それで、システムは安定したんですか?」

 『ダメでした』熊谷は大きなため息をついた。『毎日のように修正版に更新してくれているんですが、全く症状が改善しなくて。最初は業務開始前に1 度リソース解放作業をやれば、夕方ぐらいまではもっていたんですが、そのうち、数時間おきにやらなければならなくなってしまって』

 いくらなんでも、そこまでリソースを食うのは異常だ。私は少し興味を抱いた。ただし、三村スズタカが受けるべき仕事だと思ったのではない。あくまでも、いちソフトウェアエンジニアとして、興味を持ったに過ぎない。

 『結局、今は、24 時間、ナツメシステムの人が張り付いている状態です。しかもナツメシステムも人が足りないらしく、同じ技術者が連続勤務しているんですよ』

 もちろん、そんな状態が長続きするはずもなく、すでに3 人が体調を崩して入院してしまったという。

 「面白い話ですが」私はホワイトココアを飲み干して言った。「そういう調査なら、専門にやってる会社がいくつもありますよ。ネットで検索すれば出てきますが」

 熊谷はまたため息をついた。

 『もちろん、そうしようと思いましたが、ナツメシステムに拒否されました。理由は2 つ。改善の目処はついたので任せて欲しいというのと、他の会社にシステムをいじって欲しくないということで』

 「でも、納入されたシステムが、要件を満たしていないわけですよね。期限を切って改善をやらせて、できなければ契約不履行を理由に、導入をなかったことにすればいいんじゃないですか?」

 『そういう意見も現場から出たんですが、上から拒否されました。導入を決めた以上は、使えるものにしろと。決裁した面子もあるのかもしれませんが。それに別の製品を選定するとなると、それはそれで大変でして』

 「なるほど」ようやく話の方向が見えてきた。「つまり、正攻法で第三者の調査を入れることができないから……」

 『そういうことです。何とか助けていただけないでしょうか』

 私は少し考えた。幸い、今のところ、他に引き受けている案件はないし、昼間の本業の方も落ち着いている。

 「いいでしょう。条件の方はご存じですね?」

 『はい。報酬の方は、社外の専門家へのコンサル料ということで捻出します』

 いくつかの条件を取り決めて通話を終えた後、私はまず、DLコンタクトと、ナツメシステムの両方の詳細な情報を収集することから始めた。この場合の詳細な、というのは、企業のHP や帝国データバンクなどから得られる類いの公開情報だけではなく、経営者や主要株主の戸籍や現住所、家族構成、SNS の情報なども含む。それらの情報のほとんどは依頼内容とは関連のない背景情報に過ぎないが、何が役に立つかわからない。

 DLコンタクトの情報は、1 時間もかけずに、ほぼ収集することができた。テレマーケティング業界では後発組だ。2001 年に埼玉県川口市で創業し、一度、都内に移転した後、3 年前に現在の横浜市西区に本社を置いた。社名も何度か変わっている。浜松市と那覇市にコールセンターを持ち、今年の7 月には札幌市にも拠点を開設する予定だ。資本金は2 億3,200 万円。昨年度の売上高は64 億4,700 万円。従業員数は2,400 名弱で、8 割が契約社員か短期のアルバイトだ。プライバシーマークも2 年ごとにきちんと更新している。

 手間取ったのはナツメシステムの方だった。90 年代、某大手メーカーがFA 事業の一環として、FA ソフトウェアを開発する部門を設立した。21 世紀に入ってからメーカーが赤字になり、早期退職制度の導入と同時に、不採算部門に大鉈をふるうことになった。FA ソフトウェア開発部門も対象となり、外資系ファンドに二束三文の値で売り飛ばされた。その後、どういう経緯を経たのか定かではないが、3 年前にテキストマイニング、音声分析、画像解析といった、やや特殊なソフトウェアの開発、販売を行う株式会社ナツメシステム開発が誕生した。従業員数は30 名ほどらしい。ソフトウェアといっても、一般向けに販売している商品はなく、知名度も低い。ルートセールスに近い販売方針を採っているようだ。株式は51% を従業員持株会が保有しているが、残りは複数の企業だ。ただ、それらはほとんどがペーパーカンパニーで実体がない。放置しておこうかとも思ったが、データの一部に欠損があるのは、ジグソーパズルをピースがかけたまま壁に飾るようなもので気分のいいものではない。

 私はキサラギにSkype で連絡した。キサラギは天才的なゲーマーとしてカリスマ的な人気を誇っているが、もう一つ、限られた人間しか知らない才能を持っている。ネットの海を泳ぎ回り人間の情報を検索する能力だ。正確には人間同士の隠された関係性を見つけ出す能力というべきか。

 『ペーパーカンパニーですか』キサラギの若い声が答えた。『大丈夫です。何とかなりますよ』

 「どれぐらいかかる?」

 『非合法な手段を使ってよければ……』

 「ダメだ。それほど急いでいるわけじゃない。手が後ろに回らない方法でやってくれ」

 『わかりました、ボス』キサラギは残念そうに言った。『また連絡します』

 キサラギとの楽しい会話を終えた後、私はアプローチ方針を考えた。基幹システムであってもクラウド利用が検討される昨今だが、<キャナリー22C>はオンプレミス型のシステムとして提供されている。この手の調査を行う場合、ファイアウォールに穴を開けてもらうのだが、それは関係者から書面による許可を得た場合に限る。私が不正アクセス禁止法で逮捕されてはシャレにならないからだ。その気になれば、侵入する方法もスキルもあるが、人命に関わるケースでもない限り、法に抵触することはしないのが原則だ。

 となれば、人間が内部から調査を行うしかない。私自身が行ければ一番話が早いのだろうが、高村ミスズが関わるのはおかしいし、三村スズタカが出向くのも別の理由で無理だ。こういうときのために、何人かエージェントを確保してある。真っ先に思い浮かんだのが、ユカリの顔だった。

 ユカリは吉祥寺の小さな劇団に属する舞台俳優だ。舞台を直接観たことはないが、劇団がネットに公開している映像を見る限り、小柄な身体からは想像もできない迫力のある演技に感心したものだ。一定のファンもいるようだが、メジャーになるには何かが少しだけ足りないのだろう。IT に関する知識は、そこらの高校生と同レベルだが、記憶力はいいし、頭の回転も速く、突発的なトラブルでも臨機応変に切り抜ける度胸もある。

 あいにく暮らしは裕福とは言えず、普段はいくつかのバイトをかけもちしている。それは必ずしも生活のためだけではなく、いろいろな仕事を経験することで演技の幅を広げようとしているとのことだ。アウトバウンドコールセンターでオペレータを数ヶ月、という経歴を思い出したとき、この仕事をユカリに頼むことに決めた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ユカリが連れて行かれたのは、オペレータルームから廊下を2 回曲がった先にある部屋だった。「N-3 関係者以外立ち入り禁止」というプレートが貼ってある。ドア自体は普通の汚れの目立つスチール製で、施錠はされていなかったが、中にあるもう1 つのドアは真新しいスライド式で、テンキーの電子ロックで守られていた。

 「テンキー見てくれ」私は命じた。

 ナツメシステムの今野は、7 桁の数字を入力してドアを解錠し、私はユカリのGoogle Glass を通して、それを記録した。

 『入ってください』

 2 人は入室し、その後ろでドアが閉じた。電波状態が少し悪くなったが、途切れるほどではない。

 元備品室のモニタルームは、3 メートル四方ぐらいの窓のない狭い部屋で、ドアの反対側の壁を、古いノートPC やネットワーク機器が乱雑に置かれたスチールラックが占めていた。左側に幅1.5 メートルぐらいのデスクがあり、ノートPC が2 台とデスクトップPC が1 台、それにIP 電話が並んでいた。

 『うわ』ユカリは手に持っていたコートを羽織った。『寒いですね。エアコンないんですか?』

 『元々、備品室だったそうですから』

 ユカリはゆっくり室内を見回した。私に室内の様子を送ってくれているのだ。

 『ここ、出るときはどうするんですか?あたしじゃ出られないですよね』

 『ああ、出るときは誰でも出られるんですよ。だから、トイレとか行って戻ってくるときは、木原さんに言ってドア開けてもらってください』

 『……』

 『まあ、短い時間ですから』

 デスクの前には座り心地の悪そうなパイプ椅子が1 つだけ置かれていて、椅子の背には薄汚れた毛布がかかっていた。今野は、毛布を無造作につかんで、近くの袖机の上に放り投げると、デスクトップPC のマウスを触って、スクリーンセイバーを解除した。

 『これがモニタ用の端末です。そこ、座ってください』

 ユカリは言われた通りに座ると、モニタを見た。Windows のデスクトップが表示されている。壁紙は味も素っ気もない、くすんだグレーだ。デスクトップの半分を、CyberFox らしいブラウザが占有していて、管理ツールらしい画面が見えた。

 『見ててもらいたいのは、この画面です』今野は画面を指で突いた。『このグラフがアプリのリソース使用量です。90% を越えると、赤くなります。そしたら、そっちのGC ボタンで解放してやってください』

 「正面から見せてくれ」私はユカリに言った。「もう少し左だ」

 JMeter のようなアプリケーションだった。ボタンやスクロールバーの形状からすると、Swing の標準コンポーネントのようだ。一般向けのサイトでは、ほとんど見かけることもなくなったApplet だが、最新のハードを販売している大手メーカーでも、サーバ管理ツールはApplet であることが多々ある。不特定多数が使用するツールでもないので、新たにHTML で再作成する手間とコストを省いているのだろう。<キャナリー22C>は新製品だと言っていたが、管理ツール自体は以前から存在しているものを使用しているのかもしれない。

 『これだけでいいんですか?』

 『いえ、ウィンドウを切り替えてください』

 ユカリはAlt + Tab を押した。裏に隠れていたらしい、別のブラウザが浮かび上がる。やはり同じ管理ツールだが、左上に [ server2 ] と表示されている。

 『3 つあります』今野は身を乗り出して説明した。『サーバも3 台なので。管理できるのは、セキュリティの関係でこのパソしかないので、何分かおきに切り替えて確認してやってほしいんです』

 サーバは4 台じゃないのか、と訊きたいところだったが、口に出さなかった。ユカリが知っているはずのない情報だからだ。私は別の質問をした。

 「アラートがポップアップしたりしないのか?」

 『アラートがポップアップしたりしないんですか?』ユカリが訊いた。

 『しません』今野はユカリの豊かな胸部にチラチラと視線を送りながら答えた。『そういう機能はないので。アラートメールを飛ばす機能はあるんですが、ここはクローズドなネットワークで、外部のSMTP サーバにつながってないので、無効にしてあります』

 ユカリはさぞ理解したような顔で頷いていたが、頭の中はパニックになっているようだ。視線を指先に落として、わけわかんない、というサインを作っている。私は指示を出した。

 『30 分おきぐらいに確認すればいいんですか?』

 『もう少し短い間隔でお願いします。10 分おき、できれば5 分毎ぐらいで』

 『トイレに行ってる時間なんかなさそうですね』

 ユカリは冗談を言ったつもりらしいが、今野はにこりともしなかった。

 『そうですね。できるだけ控えてください』

 『こういう状態はいつまで続くんですか?』ユカリは私に代わって質問した。『前にも技術の人が倒れたって聞きましたけど』

 『じきですよ。一時的なものです。些細なバグですから』

 ナツメシステムでは、6 ヵ月近く続いていて、解消する目処も立たない原因不明の現象を、些細なバグと呼ぶらしい。私なら重大な欠陥と呼ぶだろう。

 『ネットなんか見られないでしょうね』

 『当たり前です』今野は名残惜しそうにユカリから視線を外した。『では、よろしくお願いします。他のパソは触らないようにしてください。まあ、ロックかかってますけど。すぐに弊社のエンジニアが交代しますので。あ、何かあったら、木原さんまで電話してください』

 今野はそう言い残すと、慌ただしく出て行った。ドアが閉まったのを確認して、ユカリは椅子に背中を預けて伸びをした。

 『ボス、何をすればいいの?』

 「ちょっと待て」

 Applet か。ソースを見ても、Applet のクラス名やパラメータがわかるぐらいで、知りたい情報は得られないだろう。

 「とりあえず、その管理ツールのメニューを、片っ端から開いてみてくれ」

 ユカリはマウスを握り、言われた通りにメニューを開き出した。(L)ogViewer、(A)gents Polling、(M)IB Import、(C)heck Threshold、(P)ower Management……全て英語だ。大して期待はしていなかったが、状態を参照するメニュー項目がほとんどで、あまり役に立たない。

 「そういえば」私はふと思い出した。「さっき、彼は倒れたとき、何といったんだ?」

 ユカリはイヤピースをはめている左耳を勝呂の口元に近づけてくれたが、すでに勝呂は意識を失った後だったので、私には聞こえなかったのだ。ユカリはうーん、と唸った後、肩をすくめた。

 『あ、とか、てす、とか、意味不明の言葉だったよ。テスト、だったかも』

 「そうか」死んだり気絶したりした人間が、何か言い残すのはミステリー小説の中だけの話だ。「あまり役には……お」

 『あ』ユカリも同時に声を出した。『赤くなった』

 リソースのグラフが、90% の境界線を越え、さらにジリジリと上昇を続けていた。グラフのラインが赤くなったが、変化はそれだけだ。ログやメッセージなども出ていない。私はウィンドウの端に向かって伸びていくグラフを眺めていたが、95% に達したところでユカリに言った。

 「GC ボタンを押してみろ」

 ユカリはすぐに言われた通りした。反応は迅速で、グラフは一気に急降下し、40% 台まで下がり、グラフのラインもグレーに戻った。そのまま見ていると、また上昇が始まり、数分後には50% を越えた。

 『この調子で上がっていくとなると』ユカリは早くもうんざりしたような声で呟いた。『ホントにトイレに行く暇なんかなさそう』

 「他の2 つを見せてくれ」

 ユカリはウィンドウを切り替え、他の2 つが70% 台になっていることを確認した。

 「とりあえず最初のやつに戻せ。server1 と出ているやつだ。まだ、64% か。よし、そのブラウザを落としてくれ」

 『え?』ユカリは戸惑った声で訊き返した。『落とす?』

 「そうだ。右上の×ボタンでブラウザを閉じろ」

 『閉じたらまずいんじゃ……起動方法を教えてもらってないよ』

 「何とかなる。やってくれ」

 ユカリはCyberFox を閉じた。

 「他の2 つを最小化して、デスクトップを見せてくれ」

 『あ、3 つアイコンがあるね。server1 からserver3 まで。これをクリックすれば……』

 「管理ツールが起動するんだろうな。右クリックで、server1 のプロパティを見せてくれ」

 ショートカットは、やはりURL になっていた。https://dly06fs2216:3666/srvmng。さっき、オペレータルームで、ユカリが開いた受付システムのURL は、http://dly06fs2215/cnry22c/start?ui=1&md=a だった。おそらく、dly06f2215 が共通のログインサーバで、ロードバランサーも兼ねているのだろう。dly06fs2216 は<キャナリー22C>を構成するアプリケーションサーバ群の1 つらしい。

 「起動してくれ」

 ユカリがアイコンをダブルクリックすると、CyberFox が起動し、何かのページが開いた。ウィンドウの中央で、処理中のアイコンがくるくる回り出した。すぐに管理ツールの画面が表示されると思いきや、そのまま1 分近く過ぎても変化がない。

 『これ、死んでるんじゃないの?』焦れてきたらしいユカリが文句を言った。『もう1 回やってみようか?』

 そう言った途端、何かのダイアログが表示された。やっと進んだか、と思ったが、セキュリティ警告だった。どうやら、https で接続しているのに、まともに証明書も用意していないらしい。

Alert1

 「続行を押してくれ」

 『オッケー。ぷっちん』

 ユカリが妙な擬音を発したせいではないだろうが、またもやダイアログが出た。今度は、Java アプレットの警告だ。

Alert2

 『なんか、怖いこと書いてあるけど』

 「気にするな」

 ユカリが実行ボタンをクリックすると、ようやくさっきの管理ツールが表示された。そろそろリソース消費率が危険領域に到達しているのでは、と心配になったが、管理ツールは「initialize...」と呑気な表示を出して、なかなか操作可能にならない。

 不意にけたたましい電子音が鳴り響き、私もユカリも同時に飛び上がった。ユカリは音源の方向に視線を向けた。机の端に置かれているIP 電話が点滅していた。

 『はい』ユカリは受話器を取って左耳にあてた。『えーと……』

 『あのー』イヤピースが拾った声は、遠慮がちな女性の声だった。『ファイバーメディカルセンターの新田ですが……ナツメシステムの方でしょうか?』

 『あ、えーと、あたしは臨時で見ているだけで』

 『はあ。あの、ちょっとこっちのシステムが重くなって、応答がなかなか返ってこなくなってしまったんですが……』

 「他の2 つのサーバは?」

 私は指摘したが、すでにユカリはserver2 のウィンドウに切り替えていた。リソース使用率:98%。急いでGC をかけてリソースを解放する。server3 は、91% だったがこちらも解放した。

 『すいません。これでどうでしょう?』

 『……あ、大丈夫そうです。ありがとうございました』

 電話が切れた。同時に、server1 の管理ツールもようやく操作可能な状態になっている。こちらも85% まで上昇していたので、ユカリはGC をかけた。

 『ふう』ユカリはかいてもいない汗を拭う仕草をした。『ボス、何かわかった?』

 「ああ、いくつかな」

 冗長化と負荷分散のためか、サーバが3 台構成で、バランシングしているらしい。よくあるラウンドロビン方式か何かで、3 台のリソースを順に割り振っているのだろう。4 台目はDB サーバか、ホットスタンバイなのか。当然、何らかのデータベースを使用しているはずだが、それは何なのか。依頼者の熊谷は、技術的な知識がなく、細かい構成までは知らされていなかった。システム構成に関するドキュメント等が納品されたはずだが、そのありかもわからない。保守契約も結んでいるので、DLコンタクトの人間は、誰も興味を示さなかったらしい。

 とはいえ、Oracle や、SQL Server などの商用データベース製品を購入したなら、当然、そちらの保守契約も結ぶだろうし、その契約者はDLコンタクトの社員になるはずだ。熊谷は、そういうことはなかったと言っていたから、オープンソースのデータベースではないかと推測できる。レプリケーション機能のあるRDBMS か、何かのNoSQL、KVS の類いか。

 考えていると、また電話が鳴った。今度はユカリも冷静に応答した。

 『はい。モニタルームです』

 『エルエルセンター嶋です』今度は男性だ。『あれ、勝呂さんは、いらっしゃいますか?』

 『すいません。現在は、私が代理でモニタリングしています』ユカリは落ち着いた声で答えた。『どのようなご用件でしょうか』

 『はあ、あの、うちのIVR の設定、進捗はどんなもんかなと思いまして。確か、今日の午前中に設定が終わるという話で……』

 『すいません。確認しておきます』ユカリはメモを取った。『折り返し連絡させていただきます』

 受話器を置いた途端、IP 電話がまた鳴動した。ユカリが素早く応答する。

 『はい。モニタルームです』

 『あれ、勝呂さんじゃ……』

 以降も、電話は10 分と間を置かずに鳴り続けた。いずれも、何らかの不具合の連絡か、作業の進捗状況を確認する電話だった。各センターの受信業務は、10 時から開始することが多い。受付システムを使い始めて不具合が発生するか、業務開始のルーティンが済んだ時点で、勝呂に依頼していた作業の進捗を確認してきたのだろう。ユカリはメモを取り、折り返しの電話を約束しつつ、3 つの管理ツールを切り替えて、リソースの消費率を確認し、早めにGC をかけていった。

 1 時間が経過したとき、電話攻勢は一段落し、ユカリはぐったりと椅子にもたれた。

 『うう』ユカリは呻いた。『これは疲れるわ、ボス。息つく暇がない。勝呂って人が倒れたのもわかる気がする』

 「そうだな」

 私は同情をこめて答えた。5 分おきにモニタして、並行して各部署からの依頼に対応していたのでは、あくびをする時間もないだろう。

 「それより、デスクの周囲を探してみてくれ」私は命じた。「何か手順書とかマニュアルとか、そういったものだ」

 『わかった』

 ユカリはデスクの引き出しを開けたり、キャビネットを見たりしてくれたが、収穫はなかった。パスワードを書いたポストイットが、モニタに貼ってある、というようなこともない。今日から仕事を開始したばかりのユカリを入室させても平気なのだから、見られて困るようなものが置いてあるはずはないが。

 電話が鳴った。また何かの問い合わせか、と思ったが、相手は木原SV だった。

 『ああ、前園さん、おつかれさまです。今、ナツメシステムから連絡があって、交代の技術者の人が少し遅れるそうです。京浜東北線が人身事故で遅れてるとかで。14:00 過ぎるらしいですけど……』

 ユカリが答える前に数秒間躊躇ったのは、室温のためと、ランチの時間がそれだけ遅くなることを考慮したのだろう。

 『……大丈夫です』

 『初日からすいませんね』

 電話を切った後、ユカリはデスクに突っ伏した。

 『ボス』恨みがましい声が漏れた。『寒いんだけど』

 「もう少しがんばってくれ。バイト料はずむから」

 『本当でしょうね』ため息と共にユカリは答え、顔を上げた。『で、次は何をすればいいの?』

 「あれの出番だな」私はホワイトココアを、音がしないようにそっとすすった。「B の方だ。持って来たか?」

 『もちろん』

 誰にも見られていないことはわかっていただろうが、それでも、ユカリは一応周囲を見回した。半裸に近い服装で舞台に立つこともあるので、羞恥心が理由ではない。一歩間違えれば、違法行為で訴えられる危険性があるためだ。

 ブラウスのボタンを1 つ外して胸元から手を突っ込み、隠してあったキシリトールガムぐらいのデバイスを取り出す。万が一見つかったときの言い訳に銀紙で包んである。手早く銀紙を取り去り、出現したUSB デバイスをつまみ上げ、目の高さに持ち上げた。

 『これって』ユカリは囁いた。『いわゆるウィルス?』

 「いや」私は即座に答えた。「全く違法ではないツールを組み合わせただけだ」

 『ま、信用してるけどね』ユカリはモニタを確認してから、デスクトップPCを見た。『じゃ、挿すよ』

 「やってくれ」

 『オッケー。ガシャッと』

 ユカリはUSB デバイスを、USB ポートに差し込んだ。

(続く)

この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

Comment(6)

コメント

S

以前から楽しみにしていました。当方CTIを専門にしているので展開楽しみです。アプレットですか・・・Javaは詳しくないのですがすたれた技術ってイメージでですね。15年前にSwing(外注さんにお願いして)をクライアントにCTIソフトを作りました。まあその後はJavaScriptでいいやー的な流れでCTIと業務用ソフトを分けてCTI一本やりでやってますね、昨今は着信時に顧客情報読み込んでルーティングの制御しています。

BEL

一箇所”使用洩れ”は”仕様”ですね

BELさん、どうも。仕様です。

SA10

大した話ではないですが、タイトル中の「カッコ()」が半角になっていますよ。

as

いつも楽しみにしてます。
木原さんに行ってドア開けてもらってください
行って→言って、ですかね?

SA10 さん、ご指摘ありがとうございます。
半角カッコで統一しました。

as さん、ご指摘ありがとうございます。
修正しました。

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