ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

罪と罰(1) 西からやってきた男

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 「いや、だからさ」守屋が言った。「引数を1個増やせばすむじゃんかよ。なんでそうしないんだよ」

 「お前、よく考えてもの言ってるか?」木下が答えた。「この先、項目が1つ増えたら、また引数増やすのか? そのたびに関連するとこ全部直すのか? どう考えても手間だろ」

 「じゃあどうしろって?」

 「まとめてDTOにしよう。それが手っ取り早い」

 「それだとわかりにくくなるじゃねえか」

 「はあ? 誰が?」

 「後からメンテする奴に決まってるだろ」

 「DTOのどこがわかりにくいんだ?」

 「引数だったら"stockCode"とか"limitDate"とか、一目で分かるじゃねえか」

 「DTOだってJavaDoc見ればわかるだろう」

 「いちいちJavaDocなんて開いてられるかよ。コーディングのリズムってもんがあるだろ」

 「はあ? リズム? そういうことは、ブラインドタッチぐらいできるようになってから言えよ」

 「関係ねえだろ! お前だって数字はいまだにテンキーで打ってるくせに」

 「それこそ関係ないだろうが!」

 睨み合った2人の間に、足立の声が割り込んだ。

 「あのさあ」うんざりしたような声だった。「どっちでもいいから早く決めてくんないかな。そのインターフェイスが決まらないと、こっちが進まないんだけどねえ」

 守屋と木下は顔を見合わせた後、足立に向き直った。

 「足立っちゃんはどっちがいいと思う?」

 「まあ、どっちでもいいけどさ」足立はJINS PCのブラウンレンズ越しに2人を見た。「ぼくなら普通にFacadeパターンを使うかな」

 「わ、出たよ、GoFマニア」

 「どこが普通だよ」

 「なんでそう複雑にしたがるかな」

 「別に複雑じゃないよ」足立は冷静に反論した。「そのインターフェイスを使う側にしてみれば、シンプルになる」

 「作る側は面倒だろうが」

 「それはそっちの問題だからね」

 「お前、なんでそう自分勝手なんだよ」

 「ぼくは意見を求められたから、自分の思うところを言っただけだよ」

 「そういうのを自分勝手って言うんだろうが!」

 放っておけば夜中まででも議論――というか口論――を続けていそうだった。私は腰を上げて、パンと手を叩いた。

 「守屋、木下、足立」私は3人を順に睨み付けた。「いい加減にしなさい。なんで、そう、どうでもいいことで、いつもいつもヒマさえあれば口論してるの」

 「......」

 「......」

 「......いや、あの」守屋が躊躇いがちに口を開いた。「これは大事なことなんで......」

 「お・だ・ま・り」私は守屋を視線で突き刺した。「それは木下担当のインターフェイスでしょう? だったら、木下に設計を任せなさいよ」

 「でも、それだとコードが美しくなさそうなんで......」

 「けっ」木下が冷笑した。「その顔で美しいとか言うなよな」

 「顔は関係ないだろうが!」

 「やめなさい」私はピシリと言った。「美しいコードにしたかったら、後でリファクタリングすればいいことでしょう。とにかく今は動くものを作ることを優先して。っていうか、それ以外のことをするな。スケジュール遅延でお客様から文句言われるのは、あたしなんだからね」

 「......」

 「わかったの?」

 「「「はーい」」」

 3バカトリオは返事をハモらすと、とにかく口は閉じて、それぞれのコーディングに戻った。私はため息をついて、それまで格闘していたタスク表に目を戻した。

 

 私の名前は、箕輪レイコ。3週間ほど前に30才の誕生日を迎えた。独身で一人暮らし。H&Gコンピューティング株式会社、Webシステム開発部第1開発課に在籍している。

 うちの会社はいわゆるITベンダーで、規模的には中小企業に分類されるのだろう。横浜市に本社があり、川崎と渋谷に営業所が1つづつ。主な業務は、神奈川県を中心とした関東一帯の自治体、一般企業の業務システム開発である。

 業績ははっきり言ってよくない。コーポレートシステム開発部――略称はCS開発部――は一般企業を、公共事業サービス開発部――公事開発部が略称――は地方自治体を主顧客として、長年、メインフレームや、AS/400および後継のiSeries でのシステム開発をメインにしてきたが、ここ数年は新規の受注が激減している、というよりほとんどない。既存システムの保守案件は、途切れることなく発生してはいるが、こちらも新規案件ほどではないものの、無視することができないほど、はっきり減少の一途を辿っていた。

 Webシステム開発部は、そうした危機的状況に対する会社の対策の一環として4年前に発足した、Web系のアプリケーション開発を主業務とする部署である。とはいえ、課は1つで課員は10名。部専属の営業部隊もない。受注業務もそれほど多くはなく、残業時間は平均して月10時間以内だった。守屋、木下、足立の3バカトリオが、さっきのような議論に時間を費やしていられるのも、業務量が少ないことによる。

 私自身は、4年前、Webシステム開発部発足と同時に、モバイルアプリの開発会社から、この会社に転職してきた。前の会社は、ブラックとまではいかなくても、グレーゾーンに腰まで浸かっているような職場で、毎年、大量に採用しては、大量の業務を押しつけ、7割近くが辞めていくような会社だった。給与も平均以下で、残業手当もきっちり払われたことがない。限界を感じ始めたとき、転職サイトで、H&Gコンピューティング株式会社が、新部署設立のための求人を掲載しているのを発見し、応募したのだった。前職ほど激務でなければどこでもいい、という投げやりな動機だったが、入社してみると、激務どころか部門の方向性すらまともに決まっていない状態で、いささか拍子抜けしたものだった。

 守屋、木下、足立の3バカトリオは、私より1年後に揃って採用された。同期という関係以上に精神的な波長が似ているのか、普段は仲良くつるんでいるのだが、プログラミングにはそれぞれこだわりがあるらしく、しばしば先ほどのような議論を始める。部内には私より先輩が何人もいるのだが、1年先輩、というだけで、暗黙ルールとして、私は彼らのまとめ役のような立場にいた。従って、彼らの議論をやめさせて仕事に戻らせるのは、私の役目になっている。指導というより、子守をしている気分だ。

 私のため息を耳にしたらしく、隣のデスクから進藤カスミさんが身を寄せてきて囁いた。

 「子守は大変ね」

 「そう思うなら代わってもらえませんか?」

 カスミさんは40代のお母さんエンジニア。新卒で採用されて以来、ずっとこの会社で働いているそうだ。CS開発部からの移籍組である。全体的にふっくらとしているが、誰にでも好かれる優しい人だ。

 「私は自分の子供がいるから」カスミさんは理由になってない答えを返すとにっこり笑った。「そろそろ、お茶にしようか」

 「そうですね」私は時計を見てうなずいた。15時を過ぎている。「今日はキャンティのクッキーですね」

 「そうねえ。昨日は坂角のゆかりだったしね。じゃあ、紅茶かな。課長も飲みますか?」カスミさんは課長席の中村課長にも呼びかけた。

 「ああ、ありがとう」

 頭髪がかなり薄くなりかけた中村課長は小さく答えた。元々、System/38、AS/400エンジニアだったが、Webシステム開発部が発足すると同時に、CS開発部から第1課長として異動してきたらしい。Webシステム開発部は、それほどの実績を出しているわけではないので、当の中村課長は左遷させられたように感じたこともあったという噂だったが、本当のところはどうなのかは不明だ。少なくとも、管理業務に手を抜くようなことはない。もっとも、積極的にWeb技術を勉強しようという気もないようだが。

 私とカスミさんはお茶の準備をすべく、オフィスエリアを出て給湯室に向かった。いつからともなく、15時前後に女子社員がお茶を淹れて、お菓子を配る習慣になっている。いつもは、カスミさんと、Webシステム開発部の3人目の女子社員、藤崎クミという女子社員が準備をすることが多いが、今日は風邪で休んでいる。

 「このクッキーって」カスミさんは、キャンティーの箱を開けて中を覗き込んだ。「誰からだっけ?」

 「確か部長がどっかからもらったんじゃなかったでしたっけ」

 「ああ、そうだったわねえ」カスミさんはうなずいたが、少し顔をしかめた。「そういえば、部長はまた何かのセミナーに行ってるらしいわ」

 「はあ。またですか」私は苦笑した。「ホント、熱心ですね」

 CS開発部とWebシステム開発部の部長を兼務している瀬川開発部長は、昔はAS/400のエンジニアだったらしいが、もう何年もシステム開発の現場に足を踏み入れたことはない。そのかわり、よく社外セミナーやIT関連のイベントに出席しては、これは、と思った製品や会社の情報を持ってくる。情報収集に熱心なのはいいことだし、開発ツールやデータベース、有償セミナーなどにお金を出すのを渋ったこともなく、開発部門のトップとしては理想に近い人だったが、やたらに目新しいものに飛びつきたがる傾向があるのが欠点だった。

 瀬川部長が「金に糸目をつけない人」であることは、業界にかなり知れ渡っていて、会社には部長宛に「親展」と印刷された封筒が毎日のように届く。瀬川部長はそれら全てに熱心に目を通すのだが、自分では検証する知識がないので、困ったことにWebシステム開発部にお鉢が回ってくることになる。

 2年ほど前に、香港だか台湾だかの小さな会社の開発した「SuperSQL」とかいう怪しげな製品に惚れ込み、私は2週間もかけて検証を命じられたことがある。1開発ライセンスが500ドルもするわりには、やたらに動きが重たいEclipseプラグインの開発ツールと、既存のいかなる言語とも互換性のない独自仕様の開発言語のセットだった。一応、日本語のドキュメントは付属していたが、「例えるオブジエクトの生成に必要なクラスは次のように使え。たくさんの事前に準備しておくべきなライブラリリをまずは宣言することがしなくてはならない」といった怪しすぎる文章なので、理解を助けるどころか妨げる始末。ネットにもその製品に関する情報が全くない。他のメンバーの反対もあって、幸いなことに導入は見送られた。半年後、開発した会社のHPは消滅していた。

 カスミさんは、大きなティーポットを、あたしはアルルカン、レモンクッキー、チェリージアを人数分トレイに載せて、部長のセミナー好きに対する噂話をしながら、オフィスエリアに戻った。ドアにカードキーをかざしたとき、当の部長が反対側から出現したので、慌てて口をつぐんだ。

 「部長、今、お戻りですか」カスミさんが落ち着いて訊いた。

 「ああ、進藤くん。ただいま。中村くんはいるかな?」

 「はい。いらっしゃいますよ」

 瀬川部長はドアがスライドすると同時に、オフィスに飛び込んだ。驚いて立ち上がった中村課長に近づくと、手にしていた資料を突きつけながら、興奮した声で訊いた。

 「中村君、ここを知っているかね」

 課長は老眼鏡をかけて資料に目を落とした。私は課長席にお茶とクッキーを持っていくついでに、横からその資料を覗いてみた。

 パワーポイントからのプリントアウトらしい資料の表紙には、でかでかとこう書かれていた。

  ベンチャーからの下克上!

  貴社のシステム開発効率を200%アップ!

  主催 ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進協会
    Software Engineer Labor Conditions
    Advancement Initiative

  代表 五十嵐徳郎

 「いえ、知りませんね」中村課長は資料を返した。「今日行ってきたセミナーですか?」

 「そうなんだ」瀬川部長は目を輝かせた。「この五十嵐って男が、なかなかやり手でね。関西じゃ有名らしいんだが、今後は関東圏でも活動するらしいんだ」

 「はあ、そうなんですか」中村課長は腰を下ろした。「で、この何とか推進協会というのは、NPO法人か何かですか?」

 「いや、いくつかのベンチャー企業が集まって作った組織らしいな。代表の五十嵐さんは、その中の一社の社長だよ」

 中村課長は、ちらりと私と視線を合わせた。その顔を見れば、瀬川部長が感じている興奮に、少しも共感していないことはわかった。

 「そうですか」中村課長は辛抱強く答えた。「それで、この協会は何をやってくれるんでしょうか。セミナーか何かですか?」

 「いやいや、そうじゃないよ。ここはシステム開発チームの教育をやってくれるコンサルなんだよ」

 「コンサルですか」気乗り薄そうな声だった。「教育というと、開発手法とかそういったことでしょうか」

 「具体的な内容は、対象の会社によって違うらしいな」瀬川部長は顔を輝かせたまま続けた。「関西の方じゃ、いくつものSIerの開発効率を大幅に上げてきたらしいぞ。普通はこの協会のスタッフが常駐するんだが、今回は関東地方進出記念ということで、五十嵐代表自らがコンサルに来てくれるというんだ。しかも、料金は大幅にディスカウントしてくれるんだ。いい話だろう!」

 中村課長は片方の眉を器用に上げた。

 「ちょっとお待ちください。今回はと言いますと?」

 「ああ、うん、来月からうちに来てくれることになった」瀬川部長はあっさりのたまった。「セミナーが終わった後、私が強引に口説きおとしたんだ」

 聞くとはなしに聞いていた他のメンバーも、これには驚いて、一斉に顔を上げて部長に視線を集中させた。今日は1月30日の水曜日だ。

 「来月ですか? あと1日、今日を入れても2日しかないじゃないですか」

 「急なのは承知してるよ。でも、早く申し込まないと、他社に持って行かれるかもしれなかったんだよ」

――やれやれ、今度は得体の知れないコンサルか。

 私は心の中で嘆息した。

 中村課長は反論しようとはしなかった。もう決まってしまったことでは反論したところでムダだっただろう。

 「で、どういった準備をすればいいんでしょう?」

 「そういうことは来てから説明するそうだ。詳しいことは私が聞いてもわからないだろうから、直接聞いてくれ」部長は嬉しそうに中村課長の肩をポンと叩いた。「まあ、そういうわけだ。受け入れの段取りとか契約内容を説明するから、後で私の部屋に来てくれ。よろしく頼むよ」

 瀬川部長はそう言うと、スキップするような足取りでオフィスを出て行ってしまった。カスミさんが、お茶をいかがですか、と声をかけるヒマもなかった。

 残された私たちは、顔を見合わせた

 「あまりに急と言えば急だが......」中村課長は苦笑した。「いつものことか、仕方がない。まず机とPCの用意だな。村瀬くん、準備を頼んでいいかな」

 村瀬さんは、30代後半の大柄のがっしり系――はっきり言えば太り気味――の人だ。中村課長と同じく、Webシステム開発部の発足時にCS開発部から異動してきた。

 「わかりました。メールとか社内LANへのアクセス権限とかデバイス制御はどうしますか?」

 「とりあえず、ガイ1で用意しといて」

 ガイ1は、外注さん用設定パターン1の略で、Webシステム開発部の外への接続不可、USB使用不可、電子メールは受信のみという制限がかかった環境だ。ネットから何かをダウンロードしたいような場合は、私たちの誰かに頼むことになる。

 「わかりました。確か、貸し出し用のノートPCが倉庫にあったと思うので、それ使います」村瀬さんは立ち上がると、部内で一番若い社員に声をかけた。「おい、マサル。ちょっと手伝え」

 「はあ......」

 のっそりと立ち上がった曽我マサルは、新卒の2年目。経済学部出身だが、在学中はアカデミック価格で買ったPhotoshopをいじって過ごしたらしい。そのスキルは健在で、ちょっとしたアイコンとかロゴなどでも、マサルに作らせると、素人っぽさがない。

 村瀬さんとマサルが連れ立って出て行くのを見送った後、中村課長はカスミさんを呼んだ。

 「進藤さん、入館証の申請書をお願いします。あと、ゲストユーザを作って、うちの開発共有フォルダーにアクセス権を設定してください。とりあえず書き込み不可で」

 「わかりました」

 「お願いします。私は部長室に行ってきます」そう言うと、中村課長は足早に出て行った。

 「コンサルかあ」守屋がつぶやいた。「憧れるな」

 「はあ?」と木下が突っ込む。「なんで?」

 「だって、適当なアドバイスとか言って、金もらえるんだろ。おれもそっち目指そうかな」

 「そりゃ気の毒に」

 「なんでオレが気の毒なんだよ?」

 「お前じゃない。お前にコンサルされる会社が気の毒なんだ」

 「なんだと、てめえ。どういう意味だ」

 「こんな簡単な日本語も理解できないのかよ。ますますコンサルなんて無理だな」

 「てめえ......」

 止めるか、と思ったとき、足立が先に口を挟んだ。

 「やめろよ、2人とも」呆れたような口調だ。「木下の言ってることはおかしいよ」

 「はあ?」木下は足立を睨んだ。「おかしい? 何が?」

 「前提がおかしいんだよ。守屋がコンサルになれる可能性なんか、SHA-256の衝突発生と同じぐらいなもんだろう」足立は真面目な顔で答えた。「そんなことで時間をムダにするなってことだよ」

 「てめえ......」

 「おい、そこの3バカ」私は冷たい声を出した。「あんたたち、そんなにヒマならタスク増やそうか?」

 3人は揃って首を横に振った。あたしはまたため息をつきそうになった。どんなコンサルが来るのか知らないが、まずはこいつらを何とかしてほしいものだ。

 

 そして2月1日、金曜日。

 Webシステム開発部の全員が待ち受ける中、10時きっかりに瀬川部長が勢いよく入ってきた。その後に続いていたのは、四角い顔に黒縁メガネをかけた、やや小柄な男性だった。緊張しているのか、気負っているのか、少し怖いような表情を浮かべている。

 「みんな、おはよう。こちらが」瀬川部長は得意そうな顔で紹介した。「ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進協会の代表、五十嵐徳郎さんだ。じゃあ、五十嵐さん、一言挨拶を」

 うなずいて進み出た五十嵐さんの挨拶は、しかし、一言では終わらなかった。

 「はじめまして。五十嵐です」よく通る声だった。「大阪の某ベンチャーの社長をやってますが、同時に、ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進協会――長いので、単にイニシアティブと略しています――の代表でもあります」

 五十嵐さんは半歩前に出ると、私たちの顔を正面から順番に見ながら続けた。

 「Webシステム開発部のみなさんは、おそらく、今、こう考えていることでしょう。イニシアティブって何だ?瀬川部長からは、単なるコンサル、という話しか聞いていないはずです。なのでみなさんの何人かは、システム開発について、およそ実用的ではないアドバイスをして金を取っていくお気楽商売だな、とでも考えているんじゃないでしょうか」

 私の隣で守屋がギクリと肩を上下させたのが感じられた。

 「また何人かはイニシアティブについて、ネットで検索してみたことでしょうね」五十嵐さんはニヤリと笑った。「でも、結果は思わしくなかったでしょう。ほとんど情報は得られなかったはずです」

 今度は私が目を見開いた。昨日の夜、私は自宅で「ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進協会」についてネットで調べてみたのだが、瀬川部長が見せてくれたドキュメントと似たり寄ったりの簡素なサイトしか見つけることができなかった。口コミ情報も皆無だ。

 「それは我々が、意図的に情報の公開を抑えているからです。その理由は後で説明します。

 イニシアティブは、IT企業にコンサルを派遣して、システム開発における業務改善を行うということを主業務にしています。技術者の派遣業ではありません。いわゆるデスマーチ業務の火消し屋でもありません。特定の製品や手法を売り込むわけでもありません。開発プロセス全体のクオリティを高めることを目的としています。

 その業務の性質上、単なる外部コンサルという立場では、その役割を十全に果たすことができません。私はあなたたちの組織の一員にならなければなりません。遠慮して厳しい意見を言えないお客さんではなくて、です」

 五十嵐さんは、同意を求めるように瀬川部長の顔を見た。部長は大きくうなずいた。

 「今、私は厳しい意見、と言いました。そう、私は厳しい意見を遠慮なく言います。繰り返しますが、遠慮はしません。そのために、あなたたちの何人か、いえ、ほとんど全員が不愉快な思いをするでしょう。ですが、そのために私の契約が中断されることがあっては、やはり役割を果たすことができません。そのため、最低1年間の契約期間の途中で契約を中断させられるようなことがあれば、莫大な額の違約金を支払わなければならない契約になっています。

 また思い切った改善を行うためには――話を聞く限り、このWebシステム開発部には、その必要が大いにありそうですが――ある程度の権限が必要になることはご理解いただけると思います。瀬川部長と協議した結果、私の職位は、Webシステム開発部の副部長ということになりました。従って私があなたたちに敬語を使うのは、これが最後となるでしょう」

 声にならないざわめきが満ちた。中村課長は知っていたらしいが、私を含めた課員には初耳だったので、一斉に視線が瀬川部長に向けられた。瀬川部長はさりげなく壁の方を向いて、その集中砲火を避けた。

 そういう反応に慣れているらしく、五十嵐さんは私たちの動揺など気にも止めなかった。

 「私には、1年という期限付きではありますが、Webシステム開発部に対して人事権以外のほぼ全ての権限が与えられることになります。一定の金額を越える購入は、瀬川部長の決裁が必要となりますが、それ以外、つまりシステム開発の実務については、私に全ての決定権があると考えてください。もちろん、瀬川部長は私の決定を覆すことができますが、それは相当な根拠がある場合に限ってのことになります」

 瀬川部長の、Webアプリケーション開発に関する知識は、セミナーや雑誌などで得たものに限定され、実装レベルでは皆無に等しい。つまり実務レベルでは、実質的に五十嵐さんが最終権限を持つことになる、と言っているわけだ。

 「イニシアティブがコンサル内容の詳細を公表していないのは、こういった契約内容が、現場レベルにおいては、最初に拒否反応で迎えられることが多いと、経験上、わかっているからです。実際、イニシアティブ活動の初期においては、対象の企業における権限が不足していたために、単なる助言で終わってしまい、充分な成果を上げることができなかったケースが多々ありました。しかし、それでは私たちの目的を達成することができないのです」

 五十嵐さんは言葉を切ると、少し口調を変えた。

 「今、日本のIT業界の現状は、崩壊寸前のところまで来ています。慣習や前例だけを踏襲して、新しいことにチャレンジしない経営陣や、目の前の業務をこなすことばかりにかまけて、新技術の習得を怠っているエンジニア。優秀な若手エンジニアより、能力の劣る年輩エンジニアが高給をもらう理不尽さ。残業を前提とした過酷な勤務体系。効率よりも精神論がまかりとおっている教育。どんぶり勘定の見積とスケジュール。これではブラック企業が多いと言われているのもやむを得ないでしょうし、ユーザ企業から見放される日も遠くないでしょう。

 イニシアティブはそういう現状を打破する目的で存在しています。まだ規模は小さいですが、この理念に賛同するエンジニアやSIerは少しずつ増えてきています。みなさんが誇りを持って、ソフトウェアエンジニアだと名乗れる日が来ることを目指しているのです」

 Webシステム開発部のメンバーは、押し黙ったまま、五十嵐さんの話を聞いていた。私はちらりと全員の顔を見たが、表だって反感の表情を浮かべている人は一人もいなかったが、手放しで賞賛している人もまたいないようだ。私自身、この人を救世主として信頼すればいいのか、敵と見なすべきなのか、決めかねていた。

 「私の挨拶は以上です。イニシアティブの理念については、おいおいわかってもらえると信じています」

 五十嵐さんは軽く頭を下げると、元の位置に戻った。入れ替わるように瀬川部長が笑顔で進み出た。

 「そういうわけで、みんなよろしく頼むぞ。仲良くな。じゃあ、五十嵐さん、他の部署に挨拶にいきましょうか。中村くん、戻ってきたら細かいことの説明をしてあげてくれよ」

 中村課長は無表情でうなずいた。瀬川部長は満足そうに、五十嵐さんをともなって出て行った。

 「聞いての通りだ」中村課長は残された私たちに向かって、抑制された口調で言った。「唐突なことで戸惑っただろうが、これがWebシステム開発部にとってプラスの方向に作用することを信じよう。とりあえず、別命あるまでは今のまま仕事を続けていてほしい。以上」

 その言葉とともに中村課長は課長席に戻り、私たちもそれぞれの自席に座った。私はやりかけのソースを開きながら、カスミさんに囁いた。

 「なんかすごい人ですね」

 「そうね」カスミさんはうなずいた。「でも、まあ、命令系統の上の方に人が一人増えただけ。よくあることよ。私たちの仕事はそう変わらないでしょ」

 実は私もほぼ同じことを考えていたので、少しホッとした。私は構築中の勤怠管理システムに頭を切り換えた。

 もし、私のスキルシートに、JavaやPHPと並んで、未来予知言語が含まれていたとしたら、ここまで楽観的な気分ではいられなかったに違いない。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。

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Comment(13)

コメント

敬語がどうとか言ってる時点で期待ができないw

tako7

うちの社長が連れてきたコンサルより危険な香りがします笑。弊社では約1年かけてお引き取り願いましたが、今回のストーリーはどのように展開するのか非常に楽しみにしております。

ねざーど

新作来てた!

リーベルGさんのお話でコンサルタントとか聞くともう胡散臭くてたまらない(笑)

伊丹

某社長を思い出します。
SQLマンセーって言い出さないと良いのですけど。

ちけんち

新入社員が7割辞めるけどグレーゾーンっていうのに笑った。

あと、事前にあまり情報を出さず、しかも最低1年の契約期間ってのはまた面白いですね。「このコンサルは役に立たない」って思っても1年間お金を払い続けなくてはいけないってことですよね。

できればハッピーエンドのストーリーになることを期待したい…でも…無理っぽいかな(笑)。

wwJww

中村課長が 1 箇所だけ "室長" になっていますね。
課長が室長を兼任していることは普通にあるので誤りではないかもしれませんが。

それはさておき、五十嵐さんが今後どのような旋風を奮うのか楽しみです。

みなさま、どうも。
またしばらく連載させていただきます。

毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、8:00公開予定です。
今日だけは、7:00 に公開しましたが、それは、るびを入力してみたのですが、
公開時にどのようになるのか不安だったためです。
具体的には、

イニシアティブ
推進協会

のようにしたのですが、ブラウザによっては、表示されないものがあったので、
慌ててカタカナだけに修正しました。

wwJwwさん>
いえ、課長の間違いです。ご指摘ありがとうございました。

わるを

新作楽しみです。
過去作品ではさほど気にならなかったけど、今作は読点がやたら多く感じます。
とりあえず文頭のワンセンテンス後に読点を入れてしまっている感じかと。

BEL

新作待ってましたー

冒頭では、今回はディープ開発ネタか?と思いきや
謎の人物登場のトリッキー設定。

まだまだどんな展開かわかりませんが、週一の楽しみが増えます。

笑うコン猿タント

何をするかも分からない自称コンサルタントに、1年契約で途中解約も不可なんて不吉な予感しかしませんな。たとえば、たかがケータイでも、まだ開発も始まってないしスペックも分からない未発表端末で、2年縛りの契約なんてよほどのヒトバシラー以外は挑戦しようとしませんよ。

ちなみに、右上の「スポンサーからのお知らせ」をふと見ると、
「ITコンサルのニーズ、2013年以降急増中!」だってさw

育野

今更ですが,わーい!新作だ!

>「それは我々が、意図的に情報の公開を抑えているからです。
…未公開株とか怪しい健康食品とかのセールスマンが言いそうなセリフですね.
こういうのを信じ込んじゃう瀬川部長みたいな人を表わすのがマーフィーの法則にあったような,
と思ってググったらあまりに多過ぎて笑ってしまいました.

続きを楽しみにしています.

あいおー

>一話の頃のみなさんの予感は的中したようで。
予感はあっても、ここまでの展開を予想できてた人はいたでしょうか。

一話の頃は、コンサルと聞いてその能力を全く信用してなかった人が大半だったのでは?
私はせいぜい五十嵐さんが半端な手腕で開発体制を不必要に乱す、程度にしか考えてませんでした。
そこから話が展開するにつれ、五十嵐さんの改革を支持するコメントが多数派になっていったのが面白かったです。
武田さんというわかりやすい憎まれ役が居たのも上手いですね。

五十嵐さんは最初から全くブレてません。彼らの信念と、箕輪さんたちの抱える矛盾が初めて対立してしまった状況。
正義も悪もなく、正解もない、現実の問題に対して、箕輪さんがどんな決断を出すか楽しみです。

匿名

ツギクル?

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