高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (4)
またもや深夜の電話だった。
「消えた?」私は訊き返した。「会員データが?」
『そうなんです』桐野の声は、音声解析ソフトの心理分析グラフを見なくてもわかるぐらい動揺していた。『三村さんからのメールを見て、訴えのあった女性会員のプロフィールを確認しようとしたら、全部消えていたんです』
「他の会員のデータは?」
『それは残っているんです。訴えをされている男性会員のデータも全部あります。ただ、その方たちに紹介した女性会員のデータだけが、きれいに消えてしまっているんです』
どういうことだろう。
「1つ確認したいんですが、会員データは全部クラウド上に置いてあるんですか?」
『……どういうことですか?』
「えーとですね、つまり、自社のどこかにサーバルームか何かがあったりしますか?」
『そういうものはないです』
「社長さんだけしか知らないサーバがあるとか」
『会社の資産情報は、1円単位まで、私が管理しています。ボールペン1本にいたるまで切り詰めて運営しているんです。私が知らないはずはありません』
「社長の個人資産で購入したのかもしれませんよ」
『そりゃ、社長の個人の口座までは把握してませんが。預金を切り崩して運営していて、報酬なしの月だってあるんですよ。そんな余裕はないでしょう』
「はあ」それはお気の毒に、という言葉は、かろうじて呑み込んだ。「大変ですね」
『実はちょっと気になることがありまして』
「なんですか」
『詐欺を訴えている会員さんの1人から問い合わせがありまして。うちがサクラを使ってるんじゃないかと』
最後に話を聞いたランボー氏だ、と直感した。
「使ってるんですか?」
『そんなわけないでしょう。別に良心がどうのというわけではなくて、そんなお金がないからですが。ただ、なぜかと訊いたら、応答がちょっと機械的だったと言われて』
「それがどうかしましたか?」
『いえ、ひょっとしてなんですが、社長の作ったホームページのプログラムが、勝手に動き出して、サクラみたいなことをしてるんじゃないでしょうか』
「……」呆れて言葉もなかった。
『そう考えると、女性会員のデータが消えたのも説明が付きますよ』桐野は自分の仮説に夢中になっているようだ。『そのプログラムが自分の犯行の発覚を怖れてデータを消したんですよ。そう思いませんか?』
「いや、それはないと思いますけどね」
男性会員とチャットで普通に会話ができて、結婚まで決意させるプログラムがあるなら、それはすなわち、チューリングテストにパスした人工知能だということだ。そんな人工知能を<シルバースプーン>が保有しているなら、利益の出ない結婚相談所の経営などやらなくても、金を稼ぐ方法はいくらでもあるだろう。
『そうですか?あり得ると思いますけどね。一応、そういう可能性を調べてみてもらえませんか?』
SFの読み過ぎなんじゃないのか、とバカバカしく思ったものの、藁にもすがりたい気持ちなのは理解できた。
『とにかく、引き続き調査をお願いしますよ』
「まあいいですけどね。ところで、今朝もらった3人以外で、詐欺被害を訴えている人は、まだいらっしゃるんですよね。残りの人たちの情報も送ってもらえませんか?」
『いや、それはちょっと……』桐野は躊躇った。『実はあの3人の方たちは、会員ではなくて、元会員なんですよ。だから、まあいいかと思ってお渡ししましたが、他の方はまだ会員ですので……』
まあいいか、って。その情報管理の考え方はちょっとおかしいんじゃないか、と思ったが、他人の会社の方針に口を出すのはやめておいた。そういうことを指摘するのは、三村スズタカではなく、高村ミスズの役目だ。
「では、年齢とか職業だけでも教えてもらえませんか?」
『ああ、そうですね、まあ、それぐらいなら。少しお待ちくださいね』
5分ほど待たされた後、桐野は年齢と職業を読み上げた。
『46才プログラマー、39才システムエンジニア、47才雑誌のライター、51才プログラマー、42才大手PCメーカー営業、45才システムエンジニア、43才派遣社員……』桐野は言葉を切った。『偶然でしょうか。エンジニア職が多い気がしますが。最後の人もプログラマとしての派遣社員です』
「雑誌のライターの人は、何の雑誌なんですか?」
『えーと、Software Designという雑誌です』
「エンジニア向けの雑誌ですね」私は首をかしげた。「つまり、結婚詐欺に遭ったと訴えているのは、全員、システム関連職の男性だということですね?」
『そうですね。どういうことでしょうか?』
私に訊かれても困る。
「ちなみに女性会員からは、そういう訴えはないんですか?」
『今のところはないですね』
「わかりました。とにかく調査を続けてみます」
『よろしくお願いします』
被害を訴えている全員がエンジニアというのは、何か意味があるのだろうか。1人か2人なら偶然ということもあるだろうが、10人となると、IT業界の男性どもに異性との出会いの機会が少ない事情を考慮したとしても、あり得ない確率だ。
「なんだろうね、これは」私は、キャラメル・シロップをたっぷり入れたカプチーノを口に運びながらつぶやいた。
確かにこれは三村スズタカが調査すべき事象だと思われたし、高村ミスズとしても興味がある。私はもう少しだけ、真剣に調査を続けようと決めた。
ただしその前に、<シルバースプーン>のプログラムが高度な機能を持つAIだというたわごとを否定するために、いくつかの調査を行う必要があった。依頼人の希望を優先するのが、プロというものだ。おそらくそれほど時間を取られることはないはずだ。入院中だという日下社長が、プログラマとしてどの程度のスキルを持っているのかを調べればいいだけだ。
私はそう考えて調査を開始した。ところが、その調査は意外な方向へ発展していくことになった。
ある統計によれば、この地球上には、10億を超えるデータベースが存在しているという。これは稼働ベースの数字だから、どこかのデータセンターで電源を落とされたまま眠っているサーバの中のリソースを加えると、その数は数十倍にもなるに違いない。それらのデータベースにアクセスする適切な方法がわかり、適切な時間を費やせば、たいていの情報は入手できる。金を出せば、その時間さえ短縮することも可能だ。
あらゆる情報には、その存在を知っている誰かがいる。たとえば、多摩川の河川敷に生育している全ての草花の種類とか、過去に発売されたベビースターラーメンの全バージョンとか、「ラピュタ」の放映時に「バルス!」とツイートされた数とか、一見、誰の役にも立たなさそうな情報であっても、どこかの誰かが持っているはずだ。六次の隔たり仮説や、Facebookの4.74人仮説が示す通り、人のつながりをたどれば、到達できない情報はない。その情報の真偽は別の問題ではあるが。
自慢することではないが、私は一般のネットユーザよりも、多少、深い場所まで検索するスキルを持っているので、世の中の80%ぐらいの人間や企業の情報を得ることはできる。私が人間の調査をするのは、IT関係の調査に参考情報として必要になった場合がほとんどなので、大抵の場合はそれで事足りる。一方で私は、自分が万能ではないことを知っているので、残りの2割の調査をする必要ができたときのために、情報調査員を数名確保している。ユカリと同じく、24時間365日、私からの電話には必ず出る契約だ。私は鬼や悪魔ではないので、大抵の場合、電話をするときは相手が活動中の時間を選ぶことにしているが、今日はそういう配慮を捨てることにした。できれば、月曜日の朝までに、この件を片付けたかったからだ。
『ボス、お久しぶりです』答えたのは若い男の声だ。
「起きてたか?」
『土曜の夜ですよ』電話の向こうでキサラギは笑った。『朝までオンラインでゲームです』
「またちょっと調べて欲しい人間がいるんだが」
『いいですよ』キサラギは気軽に引き受けてくれた。『わかっているのは何ですか?』
「名前と会社名だけだ」
『わかりました。じゃ、送ってください。アドレスは変わってませんから』
「頼む」私はすでに準備していたメーラーの送信ボタンを押した。「今、送ったから。わかったらメールをくれ」
『まだメール使ってるんですか?そろそろ、LINEに移行したらどうですか?』
「慣れ親しんだ手段の方がいいんだよ。頼むぞ」
キサラギは、人間の情報を検索するのが得意なゲーマーだ。日本の社会は、ゲーマーという職業を許容するほど成熟してはいないので、キサラギも普段は大手のSIerでプログラマとして働いていた。週末は季節や天候に関係なく、ほぼ自宅でオンラインゲームをプレイして過ごしている。私は詳しくないが、その世界では有名人で、「天才」とか「神」とか呼ばれているらしい。もう一つの才能が、人間の情報を検索してまとめることで、私が重宝しているのは、そちらの才能だ。きっと内調やCIAに就職しても頭角を現すのではないだろうか。
連絡があったのは、45分後だった。キサラギにしては、時間がかかった方だ。
『お待たせしました』キサラギは珍しく落ち着かない声だった。『今、送りました』
「ありがとう。読んでから連絡する」
私はキサラギが送信してきたレポートによれば、<シルバースプーン>の取締役社長のトーマス日下は、都内の普通科高校を卒業した後、父親の住むボストンへ移住し、マサチューセッツ工科大学へ入学した。日本人の母親は、日下が7才のとき離婚しているので、日本に未練はなかったのだろう。
MITでは主に数学と情報工学を学び、成績は特に秀でたものではなかったが、なぜか卒業後にMIT最大の研究所であるCSAILに入所を許可されている。CSAILとは、MITコンピュータ科学・人工知能研究所のことだ。
「人工知能……」私は思わずつぶやいた。「マジか」
ただし、CSAILでも特に目立った業績を上げたわけでもなく、4年後に日本に帰国している。帰国後は、大手のSIerに就職しては、数年で転職するということを繰り返していた。記録に残っている最後の就職先は、エースシステムエンジニアリング株式会社だが、そこも9ヵ月で退職とあった。
その次の記述を読んで、私は再びキサラギに電話をかけた。
「この職歴だがな」私は前置きなしで言った。「エースシステムを退職した後、<シルバースプーン>を設立するまで、およそ16ヵ月の空白がある。この間は何をしてたんだ?」
『そこなんですけどね』キサラギの声は悔しそうだった。『わからないんですよ』
意外な言葉に、私は驚いた。キサラギがその気になれば、ネットバンクの預金残高はもちろん、YouTubeでどんな動画を再生しているかや、吉野家に最後に入った日付までわかるはずなのに。
『わかった限りでは就職をしていないことは確かです。金には困っていないようですから、ゴロゴロしてたんじゃないですかね』
それは疑わしいな、と私は思った。経歴が事実なら、日下のような男は「ゴロゴロして」いられるような人間ではない。
「TwitterやSNSもやってないんだな?」
『ありません。あるとしたら、全くの別戸籍か何かでやってるんでしょうね。どうします。もう少し探ってみますか?少し時間をかければ、何かわかるかもしれませんけど』
「うーん」私は迷った。「何かあてはあるのか?」
『まあ一応。企業秘密ですけど』
「わかった。じゃあ、1時間以内で何かわかったら知らせてくれ。それを過ぎてもわからなかったら、そこまででいい」
『やってみます』
キサラギとの通話を終えた後、私は考え込んだ。
トーマス日下は、CSAILで人工知能の研究をしていたのだろうか?帰国後、その知識を生かした職場を探したが、受け皿がなく、職を転々としたのだろうか?そして、とうとう、<シルバースプーン>を設立し、AI技術を生かしたシステムを作り上げたのだろうか?そして、男性会員で何かの実験を……
バイブ音で私は我に返った。一瞬、キサラギからの連絡かと思ったが、振動しているのは、特定個人連絡用No.3――ユカリとの連絡専用スマートフォンだった。
「ユカリか?どうした?」ユカリからかけてくるとは珍しい。
『ボス』ユカリの声からは、いつもの快活さが失われていた。『昨日の夜中に、<シルバースプーン>ってところに行ったでしょう』
「ああ」
『さっき、バイトから帰ってきたら、ポストに<シルバースプーン>からのDMが入ってたの』
「なんだと」
『ちょっと怖くなっちゃったよ。何で、あの結婚相談所は、あたしの住所知ってるの?』
「中に入っていたのは何だ?」私は努めて静かな声を出した。
『普通に入会案内だけなんだけど』
「偶然かもしれないな」
私は信じてもいないことを言ったが、ユカリもそれを信じるほどウブな女ではない。
『そんなわけないでしょう、ボス』ユカリの声に恐怖が混じった。『昨日の今日だよ。いくらなんでも、そんな偶然あるわけがないじゃん』
「……」
『それとね、さっき<シルバースプーン>をググってみたの』やや冷静さを取り戻したユカリが続けた。『そしたら、2chの板で話題になってるみたい』
「婚活関係の板か?」
『ううん違う。AIの板。意味がよくわからなかったけど』
私は自分の愚かさを呪った。ネットユーザなら、誰でも最初にやるであろう簡単な方法を、これまで忘れていたとは。
「わかった、見てみる。ユカリはもう寝ろ。心配ないから」
『ホントに?』
「大丈夫だ」根拠はなかったが、私はユカリの精神的健康のために断言した。「夜更かしは美容によくない」
『まあ、ボスのことは信じてるけどさ』
「何か会ったらまたいつでも電話しろ」
さらに数分を費やして、ユカリを落ち着かせた。ようやく電話を切った私は、すぐに2chを訪問した。ユカリが言った通り、<シルバースプーン>が話題になっているのは、人工知能について議論されている板だった。
451:シンギュララバイ:201x/04/08 20:48:21.53 ID:Cfya27YW
シルバースプーンという結婚相談所にはサクラがいるんだが、それが実はAIらしい。
452:シンギュララバイ:201x/04/08 20:49:16.12 ID:NJ4mDXfX0
>>451
アホか。
453:シンギュララバイ:201x/04/08 20:52:15.1 ID:Cfya27YW
>>452
確かな情報だ。男の会員がチャットで何日も話し込んだんだが、完全に人間だと思ったって
454:シンギュララバイ:201x/04/08 20:54:03.92 ID:F6GW11oL
>>453
そりゃ、本当に人間だったからだろうよ(笑)
455:シンギュララバイ:201x/04/08 20:54:48.22 ID:NJ4mDXfX0
>>454
賛成。451は板を間違えてないか?
456:シンギュララバイ:201x/04/08 20:57:16.14 ID:Cfya27YW
実はシルバースプーンを辞めた人間から聞いたから確かだ。あのタカミス先生も調査してるみたいだ。
457:シンギュララバイ:201x/04/08 20:59:05.54 ID:F6GW11oL
>>456
じゃあ、そのうちタカミス先生のブログに載るのか?それが載ったら信用してやるよ。
「おいおい」私は苦笑した。
そのとき、呼び出し音が聞こえた。キサラギからだ。
「何かわかったのか?」
『まだ未確認なんですが、日下は<シルバースプーン>を始める前に、ハウンド・メカニカルという会社で働いていたらしいです。今はもうないですけど』
「ハウンド・メカニカル?倒産したのか?」
『そこはよくわかりません。とにかく検索しても、キャッシュすら残ってないんです。もともとホームページなんかなかったのか、何かの方法で消去したのかは不明ですけどね』
「何をする会社なんだ?」
『本社はアメリカにあるハウンド・グループです。航空機電子機械と防衛電子産業分野ではトップですね。ハウンド・メカニカルは、特に軍との取引で実績があります。日下がいたのは、その日本支店です』
「つまり軍需産業か」
『そういうことです。ちょっとヤバイかもしれませんね』ヤバイ、と言いながら、キサラギは興奮しているようだった。『これ以上探ると、黒服を着た男がやってきて記憶を消されたりして』
「降りるか?」
『冗談じゃない。こんな面白ネタ、追いかけずにいられますか。きっちり調べ上げてみせますよ』
「じゃ、引き続き頼む。例によって、君または君のメンバーが捉えられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりでな」
あはは、と憑かれたような笑い声とともに、キサラギは通話を切った。
冷めてしまったカプチーノをすすりながら、私は、キサラギが送ってきたトーマス日下の資料を見た。写りの悪い顔写真も添付されている。51才という年齢よりずっと老けて見えるが、目つきは鋭い。粗暴さは感じられないが、自分の行く手を邪魔する人間とは徹底的に戦う、と宣言しているような目力があった。
「一体、あんたは何を見てきたんだろうね、日下さん」私は画像に呼びかけたが、当然のことながら返事はなかった。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。
コメント
BEL
ぅぅ、全く展開がよめぬ、面白い。
fgnplo
自分だったら>>454に「お前はレス先間違えてんだろ」と突っ込むな。
LaLa
454が2つ?
2ちゃんがばぐった!
aaaa
チューリングテストをパスするAIか……。
おそらく何らかのトリックや誤認がありましたってオチがつくんだろうけど、
マジでチューリングテストをパスするAIが出てきてSFじみた展開になっても、それはそれで面白そうだ。
カットマン
面白い!タカミス先生が追い詰められる展開かですかね。
atssuhifx
ELIZA http://ja.wikipedia.org/wiki/ELIZA の例があるから、不可能ではないかも。
今回は結婚相談所+会員がエンジニアという限定があるし。
そもそも、最初の話からしてシルバースプーンには実績が必要だという大前提があるから、そのバイアスを考えないと
レモンT
トーマス氏はITPでも開発したのか…と思いましたが、今朝のNHKのニュースで曰く『脳に直接電極を接続して、ロボットアームを思考コントロールする実験が一定の成功を収めた』って…SFと現実の境界って意外と薄いものなんですねえ。とりあえず赤い楯だの蟹だのが出てこないことを祈ってます(苦笑)。
atlan
ハウンド・メカニカル、これがハローサマー、グッドバイに繋がってたのか