高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (3)
13時ちょうど。ユカリは、横浜みなとみらいのランドマークタワーにあるスターバックスにいた。向かいに座っているのは、どうみても標準より20キロほどオーバーしている体重を持つ46才の独身男性で、ルックスはお世辞にもいいとは言えない。職業はいわゆるシステムエンジニア。桐野から送られてきた3人の1人だ。私はこの男に、ブーチ氏という変数名をつけることにした。
待ち合わせ場所が横浜になったのは、ブーチ氏の職場がすぐ近くであるためだ。この業界では珍しくもなんともないことだが、今日も出勤してコードと格闘していたらしい。見知らぬ人間からの突然の呼び出しにも、嫌な顔ひとつせずに快く応じてくれるとは、いい人なのだろう。もっとも、わざわざ仕事を抜け出してきてくれたのは、待ち合わせ用にと、ユカリが送った写メが大きく物を言ったということもあっただろうが。
「お仕事中にすみません」ユカリは恐縮してみせた。
「いえ、いいんですよ。ちょうど休憩しようとしていたから」
ブーチ氏は快活そうに笑ったが、その視線はユカリの顔ではなく、45度ほど下方向にずれていた。今のユカリの服装は、胸元が適度に開いたノースリーブの白ブラウス。ややオーバーサイズのカットで風通しがよさそうだ。下は脚線美を強調するような明るいイエローのフィットパンツ。こういう服装をすると、たいていの男性の警戒レベルが4段階ぐらい低くなることを、ユカリは熟知している。まったく、メガネをかけ、豊かな胸部を持ち、アニメ声の女の子を目の前にした男性の口が、どれだけ軽くなるかには驚くばかりだ。
ユカリは微笑みながら、名刺を相手の前に置いた。「アイテイメディア」の社名が印刷されている。もちろんこれは偽造で、私が準備してユカリに渡してあるいくつかの職業の1つにすぎない。今回は、相手がエンジニアということで、なじみが深そうな会社名を選んだ。4文字目の「イ」が小文字でないことには気付かれていないようだ。
「よく見てますよ、ITMediaさんのサイトは」
「ありがとうございます」ユカリは小さくお辞儀し、少し前屈みになった。「お電話でもお話したとおり、何人かのエンジニアの方の生活について調査をしておりまして。少しお時間をいただければと思いまして」
「ど、どうぞ。な、何でも訊いてくださいよ」ブーチ氏は舌を噛みながら答えた。
「それでは、まず、平均的な一日の生活についてお訊きしたいのですが、朝はだいたい何時ぐらいに起床されますか?」
ユカリは、私にもユカリ本人にも全く興味のないエンジニアの生活サイクルについて、いくつか質問をしていった。以前に、男性化粧品会社のコールセンターで、アウトバウンドオペレータのバイトをしていたこともあるので、この手の質問は得意とするところだ。私は、ほとんど指示を出すこともなく、2人の会話に耳を傾けていた。
10分ほどどうでもいい質問を続けた後、ユカリはようやく本題に入った。
「では、恋愛についてはいかがでしょうか?現在は独身ということでしたが、出会いなどは?」
「ないですね。職場じゃあ。平日は夜まで仕事だし、休日も出勤することが多いですから」ブーチ氏は肩をすくめた。「今日みたいにね」
「大変ですね」ユカリは深くうなずいて同情を表した。「結婚についてはどうお考えですか?」
「そりゃあ、いずれはしたいですよ」自嘲気味な笑いが浮かんだ。「でも相手がねえ」
「最近は結婚相談所などを活用されて、いわゆる婚活をされる方も増えているようですが」ユカリはさりげなく水を向けた。
「ああ、いや……」ブーチ氏は言いよどんだ。「そういうのは、もう、当分いいかな」
「何かイヤな思い出でも?」
「うーん。話していいのかなあ……ま、いいか。もう会員じゃないんだし。実は、ちょっと前に入会していた相談所で、ちょっと詐欺みたいなのに引っかかって」
「詳しく聞かせてもらってもいいですか?」ユカリは身を乗り出した。「私も個人的に興味がありますし」
「そ、そうですか。えーとですね……」
ユカリのフェロモン十字砲火に打ち倒されたのか、そもそも誰かに話したくてたまらなかったのか、ブーチ氏は少し苦い顔で、その顛末を語り始めた。
ブーチ氏が、その女性を紹介されたのは、2ヵ月ほど前のことだった。<シルバースプーン>は条件に一致する異性が登録するか、フリーになると、会員にメールを送ってくる。最初は<シルバースプーン>のサイトに用意されている会員専用のチャットで、会話をすることが推奨されているので、ブーチ氏もその例にならった。
「相手はマリコさんといって、29才の家事手伝いの人ということでしたね。ビデオチャットもあるんだけど、最初は恥ずかしいからってテキストだけのチャットだったね」
普段から慣れ親しんだキーボードとネットを介してだったからか、会話は驚くほどスムーズに進んだ。2時間のチャットで、ブーチ氏はマリコの身体的特徴や住んでいる街、趣味――映画と読書という無難な答えだった――や、好きな食べ物――和食――といった情報を聞き出すことができ、同じぐらいの個人情報を提供した。
「まあ結婚相談所に入会するぐらいだから、結婚相手を探しているのは当たり前で、よけいな駆け引きがない分、相手に質問するのも楽だったんですけどね」
それから、ブーチ氏は、毎日のようにチャットでマリコとの会話を楽しんだ。文字だけの会話が7回目になったとき、ブーチ氏は思い切ってリアルで会いませんか、と提案してみた。
「そしたら、今は足をケガしていて出歩けないので、もう少し経ってから、と言われました」
じゃあ、せめて顔が見たい、と懇願すると、マリコは顔写真の画像を送ってきた。
「これです」ブーチ氏はスマートフォンを出すと、画像を開いて、ユカリの顔の前に掲げた。ユカリのGoogle Glass を通して、私もその画像を見つめた。もちろん、ハードコピーを保存してから。
一般的な基準で美人とは言えないが、普通にどこにでもいそうな丸顔で愛嬌のある女性だった。こちらに向かってニッコリ微笑んでいる。ブーチ氏は自分に向かって笑みを浮かべている、と信じていたに違いない。
「美人でしょう?」
ブーチ氏がユカリに同意を求めた。ユカリは一瞬、言葉に詰まったが、良心の呵責という役に立たないものをさっさと捨てて笑顔を作った。
「ええ、そうですね」
「ですよね。だから、ますます会いたくなりましてね。ぼくがどこにでも行くから、会えないかと訊いてみたんです。そしたら……」
マリコは、私もあなたのことが気になっている、でも、以前に男性にだまされたことがあって、信用していいのか迷ってもいる、会うなら結婚を前提にしたい、いえ、いずれは結婚という曖昧な約束ではなく、何か保証のようなものがほしい、と答えた。
「もう迷うことなく、ぼくは決心しました。ティファニーに行って、婚約指輪を買うとその画像を送ったんです」
「え?」ユカリは演技ではなく本気で驚いたようだった。「いきなり指輪ですか。それはまた……すごい行動力ですね」
「ラストチャンスだと思いましたから」
「それで、相手の方は何と言ってきたんですか?」今や、ユカリ自身が興味津々という感じだ。
「何も」ブーチ氏はうなだれた。「それっきり連絡が取れなくなってしまったんです。<シルバースプーン>に問い合わせたら、退会されたということで。ひどいと思いませんか?」
「ひどいですね。ひどいです」ユカリは憤慨した。「本当にひどい人ですね、その人。指輪まで買ったのに」
「ですよね。まあ、指輪は理由を話したら、9割の金額で返品できましたから、すごく損をしたということではないんですけど。でも、これって、立派な詐欺だと思いませんか?」
「そうですよね!」
ユカリは勢いよく同意したが、私は、それを詐欺というのは少し無理があるのではないかと思った。結局のところ、ブーチ氏が失ったのは、チャットに費やした時間と、返品で失った指輪の代金の差額ぐらいなものだ。警察署に駆け込んでも、「相手の気が変わったんじゃないの?」であしらわれてしまうに違いない。
まあ、これで経緯はわかった。私はキーボードに指を走らせると、ユカリのGoogle Glass に短いメッセージを送信した。
「ところで、やりとりは最後までチャットだけだったんですか?メールとか、音声とかビデオとか、そういうのに発展することは?」
「なかったですね。シャイなんだと解釈してましたが、今から考えると、最初から騙すつもりだったのかもしれませんね」
「チャットのやりとりはスムーズでしたか?つまり、応答速度のことですけど」
「うーん、ぼくよりは遅かったですけど、まあ、普通じゃないですかね。あ、でも、たまにですけど、すごく長い文章なのに、すぐに返ってきたことがありましたけね。ひょっとして、あらかじめ定型文みたいなのが用意されてて、コピペしたのかも……」
この質問をユカリにさせたのは、ブーチ氏と同じ疑問を抱いたからだ。チャットの記録が残っているなら、文章の長さと応答時間を調べて、パターンがつかめたかもしれないが、桐野に問い合わせたところ、会員同士のやりとりのログは一切残っていないとのことだった。
ブーチ氏から得られることは、もうないだろう。私は適当に話を切り上げるように伝えた。
ユカリと別れるとき、ブーチ氏はとても名残惜しそうだった。きっと、午後の仕事はいつもにもまして、あじけなく思えたのではないだろうか。
『なんか気の毒な人ね』ユカリはブーチ氏に同情してしまったようだ。『結婚詐欺なんて』
ユカリは次の会員――ヤコブソン氏と呼称することにした――とのランデブー地点に向かうために、東横線の車内にいた。次の待ち合わせ場所は池袋だが、時間にはまだ余裕があるので、混み合う急行を避けて、各駅停車に乗っている。最後尾の一番後ろの席に座っていて、周囲には人はいない。
「まだ結婚詐欺かどうかはわからない」私は4杯目のエスプレッソをすすりながら答えた。「別の可能性もある」
『別の可能性って?』
「依頼者によると営業妨害だそうだ」
『あの結婚相談所?』ユカリは短く笑った。『いやいやいや、それはないんじゃないかなあ』
「なんでそう思う?」
『だって今どき、申し込みがネットからできないなんてね。ダメダメだよ、ボス。何か安っぽい。そんなにお金がない会社なの?』
「入会費は20000円。月会費、年会費は無料。紹介ごとに3000円。まあ、そんなに儲かっているわけじゃなさそうだ」
『安いのはいいけど、安すぎるのはダメね』ユカリは一刀両断した。『何か裏があるんじゃないかって思っちゃうから』
「GAEをインフラに使ってるから、維持費はそれほどかかってないはずなんだけどな」
『え、何のこと?』
「いや、何でもない。池袋に着いたら呼んでくれ」
『はいはーい。また後でね、ボス』
電車内での独り言という、他人が見たら不気味な行動からユカリを解放すると、私は昨夜取得した、<シルバースプーン>の受付画面のソースのハードコピーをいくつかのモニタに並べて表示した。
最初の画面は、受付画面のプロパティ表示だった。最も注目すべきキーワードは、
アドレス:http://8.latest.silversppon-j812ab.appspot.com/
の部分だ。このURLはGAE上にデプロイされていることを示している。自前でインフラを持つより安価に構築できるし、開発のノウハウも広まっているので、最近はよく目にする。社員数が2名の結婚相談所が選ぶのは当然だとも言える。問題は、GAEだとトロイの木馬どころか、外部からクラッキングすることで何かを埋め込むというのが、ほぼ不可能な点だ。特定のサーバというものが存在しないからだ。
GAEにアプリケーションをデプロイするには、Googleアカウントとパスワードが必要になるが、それが入院中だという日下社長の手元から流出したのだろうか?サイトの見た目を変えずに、何かを仕込むには、オリジナルのソース一式も必要だ。悪意の第三者がその両方を不正に入手したのであれば、自由に機能を改変することは可能だろう。ただ、それができるぐらいなら、全会員データをダウンロードするなど、より悪質な攻撃方法を選びそうなものだ。<シルバースプーン>を窮地に追い込むのが目的なら、結婚詐欺などという回りくどい方法よりも、直接的に効果のある手段はいくらでもある。
情報がまだ足りない。ユカリの調査手腕に期待するしかない。私はユカリからの通信が入ったらアラームを鳴らすようにセットすると、別のモニタでScalaのコードを開いて、趣味の週末コーディングに没頭した。
ユカリは池袋駅北口付近のミスタードーナッツで、ヤコブソン氏と落ち合った。ヤコブソン氏は49才、青白い顔で、ひょろっと痩せている。若い女性の前だからか、すっかり薄くなった頭頂部をしきりに気にしている。髭が濃く、半袖のシャツから伸びる腕も毛深い。ブーチ氏と同じく、見目麗しいイケメンにはほど遠い容姿だ。
ヤコブソン氏が語った内容は、ブーチ氏とほぼ同じだった。チャットで逢瀬を重ねた後、会うなら結婚の覚悟を決めてほしい、と告げ、その後連絡を絶っている。ただし、見せてもらったシズカという相手の顔画像は、ブーチ氏に見せられた女性とは別人だった。茶髪のロングヘアでおしゃれなメガネをかけて微笑んでいる。メガネ属性のある男性の心を鷲掴みにしそうだ。事実、ヤコブソン氏は一発で撃墜され、結婚指輪を購入するはめになっている。
ボソボソと話すヤコブソン氏の言葉を聞き取ろうと――私に正確に聞かせるためだ――ユカリが苦労している間に、私はマリコとシズカの画像を、Photoshopでレベル補正と色調補正をかけた後、ネットでサーチしてみた。その結果、どちらの画像も、別々の個人のブログにアップされている写真の一部として発見することができた。
私はその事実は伏せておいて、ユカリに最後の質問をさせた。
「それではチャットのやりとりはスムーズでしたか?」
「シズカさんの入力がってことですか?」
「そうです。速かったですか?」
「結構、速い方だと思いますね。駅のホームでスマホを線路に落とした人を見たって話してくれましたけど、長い文章をすらすらと間違えることもなく打ってきましたから」
ユカリは、ブーチ氏との会話で火を点けた怒りを、いまだにくすぶらせていて、ヤコブソン氏と別れるなり、私に噛みついた。
『ボス!このマリコだか、シズカだかって女、ちょっと許せないよ!』
「落ち着け。次の相手とのデートまで時間がないぞ。すぐに日吉に移動してくれ」
『わかってるけど、ボス、ちょっと冷静すぎだよ。自分が騙されたらとか考えないの?』
私は同性愛には興味がないので、マリコだかシズカだかに騙される心配はないが、ユカリにはなだめるように言った。
「わかったよ。すまん。確かにその女はひどいな。だから、それを何とかしようとしてるんじゃないか。とにかく急げよ」
『ハイハイ』
3人目の仮称ランボー氏とユカリは、日吉駅のホームで落ち合った。すぐ近くの慶応大学のキャンパスに入り、ベンチで座って話を聞くことになった。
ランボー氏の経験談も、ブーチ氏、ヤコブソン氏と大差なかった。ランボー氏の相手の名前はミサトで、送られてきた画像は、やや童顔でショートカットと大きな瞳が特徴的だった。ランボー氏も、ユカリの質問に答えて、チャットのスピードは充分に速かったと断言した。さらにランボー氏はこう付け加えた。
「あれは、たぶんコピペだな」ランボー氏は顔を忌々しそうに顔をしかめた。「どうせサクラのアルバイトがマニュアル見ながらコピペしてるに決まってるよ」
「どうしてわかるんですか?」
「同じ誤変換を何回も繰り返してたからな」
「誤変換?」
「スヌーピーの話になったとき、”酢ヌーピー”って書いて、しかも、毎回間違えてるんだよ。普通、気付くだろ?酸っぱいヌーピーってなんだよ、一体?」
「なんでしょうねえ」ユカリは困ったように答えた。
「おつかれさま」
『あー、疲れた』言葉とは裏腹に、ユカリは元気いっぱいの声で答えた。『ああいう非モテな人たちって、いろいろ溜まってるものがあんのねえ。ちょっと同情しちゃうわ』
ユカリに悪気はない。ただ、自分の心の声を口にすることを躊躇しないところがあり、たびたびトラブルに発展することが多いらしい。私とユカリが出会った事件も、発端はユカリの舌禍だった。
「まあ、そうだな」
『あたしはバイトの時間だけど、もういい?』
「ああ、助かったよ。ギャラは振り込んでおいたから」
『ありがとう。じゃ、行くね。結婚詐欺の調査、がんばってね』
「そっちもバイトがんばれよ」
ユカリとの通信を終えた後、私はスリーアミーゴズのプロフィールを見直した。どういうわけか、3人ともエンジニアだ。ブーチ氏とヤコブソン氏はソフトウェア、ランボー氏はネットワークだ。偶然なのか、この業界の男性がよほど出会いに恵まれていないのか。
1つだけ言えることは、この事件は、私が普段扱っているようなIT関係の調査を必要とするものではないということだ。おそらく1人、または複数の人物が、<シルバースプーン>の女性会員として、男性会員の心をもてあそぶような行動を繰り返している。これはもう、普通の調査会社の仕事だろう。
<シルバースプーン>には、紹介した女性会員の情報は当然残っているはずだ。身分を詐称している可能性はある――というか高い確率で偽っているだろう――が、本職の手にかかれば、それなりに調べる手段はあるものだ。
私は簡単にここまでの経過レポートをまとめた。私の見解を書き、今後は別の探偵社などに任せることを推奨する内容だ。費用は実費のみ請求させてもらう旨を追記し、桐野に送信した。私としては、これで終わりにするつもりだった。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。
コメント
fksk
僭越ながら。
>ブーチ氏とヤコブソン氏はソフトウェア、ヤコブソン氏はネットワークだ。
→>ブーチ氏とヤコブソン氏はソフトウェア、ランボー氏はネットワークだ。
でしょうか。