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高村ミスズ女史の事件簿 結婚詐欺篇 (2)

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 通話を終えた90分後、桐野に関するおおよそのプロフィールは、私のPCのHDDに収まっていた。

 氏名:桐野ヒトシ
 年齢:41才と11ヵ月
 現住所:港区の築8年の2LDK賃貸マンション
 仕事:結婚相談所<シルバースプーン>に勤務
 家族構成:妻(桐野トモミ 26才)、子供なし

 判明したメールアドレスは、プライベートとビジネスの両方で使用しているらしいGmailアカウントだった。私は早速、契約書その他をまとめて送信しておいた。

 入手した何枚かの顔写真には、フレームレスメガネをかけた、実直そうな痩せ顔の中年男性が写っていた。経歴によると、大手百貨店で事務をずっとやってきたが、近年の業績不振によって早期退職を強要され、1年ほどの求職期間を経て、<シルバースプーン>設立と同時に事務担当社員として採用されたらしい。

 <シルバースプーン>のサイトを見てみると、おそらく専門のデザイン会社に作成を依頼したらしく、きれいだが個性のない白と淡いピンクを基調にしたページが開いた。この手のサイトは、だいたいテンプレートを元に作るので、安価ではあるが、その分どうしても似たデザインになる。特にプライバシーポリシーの文面などは、ほぼ同じと言っていいほどだ。

 会社概要のページによると、<シルバースプーン>の代表取締役社長は、トーマス日下という名前である。ハーフかクォーターなのだろう。顔写真や年齢、経歴などの情報は載っていない。

 サイトのトップページに、「申し込みから紹介の流れ」というFlashムービーがあったのでクリックしてみた。それによると、まず都内に2ヵ所、横浜市内に1ヵ所用意されている受付専用店舗に出向き、そこの端末から必要事項を入力し、身分証明書のスキャンと、写真撮影を行うことになるらしい。説明文によれば、対面しての受付だと気後れしてしまう人がいるからだそうだ。確かにそれは納得できないこともないが、人件費の節約、というのが、より真実に近い理由なのだろう。

 ネットで自宅から、またはスマートデバイスでいつでもどこでも、というトレンドを、あえて外している理由は、やはり侵入が怖かったからだろうか。まあ、理由はどうでもいい。問題は、私がこの椅子に座ったまま、システムを見ることができないということだ。

 同様の依頼を企業から受けた場合は、一時的にファイアウォールに穴を開けてもらって、私がそこから中身を覗き見る。コツはあるものの、ログを見るだけでも、意外に多くのことがわかるものだ。もちろん具体的なノウハウは企業秘密だ。だが、今回はそのやり方が使えない。

 桐野自身に頼んでソースコードをもらうことはできるだろうか?いや、桐野はエンジニアではないようだし、日下社長に内密なのであれば、それは難しいだろう。

 まずは<シルバースプーンの>申し込みがどうなっているのか見てみたいが、ここからアクセスができないとなれば、人が出向くしかない。

 「ユカリの出番だな」

 私は独り言をつぶやきながら、特定個人連絡用スマートフォンNo.3をつかんだ。このスマートフォンは、ある特定の番号の連絡のためだけに存在している。リダイアルボタンを押すだけで発信できるのはとても便利だ。このスマートフォンには、ボイスチェンジャーのソフトがインストールされていて、通話相手に届くのは、さっき桐野が聞いたのと同じ、男性の音声になる。

 呼び出し音が8回ほど鳴った後、ようやく相手が出た。

 『はい、もひもひ……あ、ボス!』

 「寝てたか?」私は言わずもがなのことを聞いた。まともな人間なら、深夜2:00には睡眠状態であるのが普通だ。

 『寝てたよ』ユカリは半分寝ているような声を出した。『今は起きてるよ、ってか、起きたよ』

 「やってもらいたい仕事があるんだが」

 『あー、助かる。今月、苦しかったの』

 ユカリは「今から?」みたいなムダな質問をしない。私がユカリを気に入っている理由の1つだ。

 「30分で準備をしてくれ。服装は地味なのにしろ。それまでに装備や場所をメールしておく」

 『わかりました。じゃ、また後で、ボス』

 通話が切れた。きっとベッドから飛び出して、大急ぎでシャワーを浴びに行ったのだろう。

 私が性別を偽ってこの副業をしている一番大きな理由は、探偵まがいの仕事をするには、男性である方が信頼を得やすいためだ。あるイギリスの女流作家は探偵のことを「女には向かない職業」などと言っているぐらいだ。システム開発の世界でも、すぐに結婚して辞めてしまうとか、深夜残業ができないとか、デスマーチに立ち向かう体力がないとか、女性エンジニア=腰掛けエンジニアとして語られている。少なくとも、私がこの世界に足を踏み入れた時代はそうだった。

 もう一つの理由は、三村スズタカと高村ミスズが同一人物であることを知られないようにするためだ。まあ、ネットの世界では性別を偽るヤツなど珍しくもないが、実生活でそれが暴露されると、いろいろ不都合も出てくる。私はこの二重生活が意外に気に入っていて、当分は現状を維持したい。今のところは、三村スズタカが、高村ミスズのアナグラムであることにすら、気付いた人間はいないので、うまくいっているようだ。

 私が依頼者と直接会わないのも、その二重生活維持のために堅守しているルールだ。それどころか、私はほとんどこの部屋から出ることなく、この副業をこなしている。世の中の問題の75%ぐらいは金で解決できるというが、同じように95%ぐらいの情報は、ネット経由で入手が可能だ。もちろん、それには一定以上のスキルと大胆さと覚悟が必要になるが。

 ただし、私が必要としている調査の中には、どうしても人間が出向いていく必要があるものが、一定の割合で存在する。ユカリは、そういうときのために、私が契約している調査員だ。

 ユカリは、26才の売れない役者で、吉祥寺の小さな劇団に所属している。普段はバイトで糊口をしのいでいるが、生活はあまり豊かではないようだ。ITに関する知識は一般のネットユーザと変わりはないが、演技力を生かした調査員としての腕は悪くない。

 ユカリを雇うことになったのは、あるITがらみの事件に巻き込まれて窮地に陥っていたユカリを、私が助けたことがキッカケだった。正確には、三村スズタカが、である。ユカリは私を姿を見せることを好まない男性だと信じている。その事件について語るのは、また別の機会に譲ることにする。

 

 2時間後、ユカリは新宿三丁目駅近くの、こぎれいなビルの前に立っていた。ビルの1Fは終夜営業のマクドナルドだが、ユカリは興味を示さない。役者としての身体を維持するために、ジャンクフードのたぐいは一切口にしないのだ。そもそも、今夜の目的は、その上の階にあった。

 『ボス、着いたよ』

 「2Fに上がってくれ」私は指示した。「<シルバースプーン>の受付所があるはずだ」

 『了解』

 ユカリはマクドナルドの脇の階段を昇り始めた。私の見ている映像が、微かに上下する。

 私が見ているモニタには、ユカリがかけているGoogle Glassのカメラを通して、リアルタイムに映像が映し出されている。幸い、30メートルも離れていない場所にソフトバンクショップがあり、そこのWi-Fiスポットを経由して、ストレスなく通信ができていた。

 『<シルバースプーン>に到着。誰もいないね。あたりまえか、こんな時間だしね。じゃ、入りまーす』

 ユカリの声は、ネックチョーカーに偽装した骨伝導マイクが拾い、私の耳に届けられている。

 『受付マシンがあるよ』

 「少し近づいてくれ」

 ユカリの視線が、プリクラのような受付マシンに近づいた。画面は17インチのタッチパネル。スクリーンセイバーになっていたが、ユカリの接近を感知して、明るい画面に変わった。

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 パネルの右側にスキャナーらしき小さなボックスがある。おそらく、これで運転免許証などの身分証明書を撮影するのだろう。

 『触っていいの?』

 「ああ」

 ユカリの細い指がパネルを中央に触れた。その1点を中心にして、画面が微妙な効果音とともにスパイラル状に変化し始め、やがて入力フォームになった。私は画面の細部を注視した。

 「Windows8版のIE10だな」私はつぶやいた。

 一応、一画面に全項目が収まるようには作ってある。このようにリピータ率の低い画面で、スクロールをさせないのは、UIとしてはまあ及第点だ。

 「画面のどこかで右クリックしてみろ」

 『……マウスないよ、ボス』

 「ああ、そうか。プレス&ホールドでやるんだ。どっかに指を押し当てろ……いや、違う、押したまま1秒待て。そう、それでOK。そのメニューの一番下、”プロパティ”を選んでくれ」

 プロパティのダイアログが開いた。私は、画面のハードコピーを取ると、デスクトップに保存した。

 「よし、それは閉じていい。キャンセルボタンだ。もう一回、さっきのやり方でメニューを出せ……うん、OK。次は、真ん中ぐらいにある、”ソースの表示”だ」

 ユカリの指が指示通りに動き、ソースが貼り付けられたメモ帳が開いた。私は最初の部分のハードコピーを取り、1画面分スクロールするように命じた。ソースがスクロールされるたびに、私はハードコピーを取っていった。

 デスクトップに10以上の画像ファイルが貼り付けられたとき、ヘッドセットにユカリではない声が飛び込んできた。

 『お客様。何か不具合でもございましたか』

 ユカリがいつまでも入力操作を完了しないから、呼びかけてきたらしい。女性の声だったが、ユカリが装着している小さなマイクでは拾いきれないのか、ざらついた感じがする。人間が話しているのか、録音された音声なのかさえわからない。

 『すいません。ちょっと迷っちゃって』ユカリはアドリブで返事を返した。『珍しかったから』

 『ご利用方法のお問い合わせでしょうか?』

 ユカリはさりげなく鼻の頭をかいた。指示を求めるサインだ。

 「気が変わった、とか何とか言って、そこから出ろ」

 『ごめんなさい』ユカリは素早く応じた。『眠くなっちゃった。また今度にしまあす』

 ユカリが踵を返し、映像がぐるりと回った。ユカリのヒールのつま先が階段を小走りに降りていく。

 『ああ、びっくりした』ビルの外に出ると、ユカリは大きく息を吐いた。『次はどうするの、ボス?』

 「一度、家に帰っていい。今日、バイトは?」

 『夜のシフトだけど』ユカリは都内のデニーズでバイトをしている。『7時から』

 「じゃあ、11時ぐらいにまた連絡する。帰って睡眠を取ってくれ。午後から人に会ってもらうことになると思う」

 

 ユカリがタクシーに乗ったのを確認すると、私は桐野宛にメールを書き、いくつかの情報提供を求めた。時計を見ると、5時を回っている。返事がすぐに返ってこないことはわかっているので、少し仮眠を取ることにした。幸い、今日は土曜日なので、高村ミスズとして産総研に出勤する必要はない。

 CPAPを着けて270分ほどぐっすり眠った。はっきり憶えていないが、どこかの図書館で市長だか町長だかと、本を投げつけ合う夢を見た気がする。

 目覚めるとすぐにメールをチェックした。予想通り、桐野から返信が届いている。契約書にサインして郵送した、と本文に書かれていたが、私が欲しかったのは添付されていたWordファイルの方だった。結婚詐欺に遭ったと訴えている男性会員の、顔写真を含むプロフィール情報である。

 ファイルを開いてみると、3人分の情報があった。ただし、名前の部分は、○山○男のように伏せ字になっている。桐野が私に会員の情報を渡すことは個人情報流出にあたるから、もし公になれば<シルバースプーン>は、結婚詐欺による苦情など線香花火ぐらいにしか思えないほどの、大規模なトラブルに襲われるに違いない。桐野にしてみれば、弁解ができる余地をギリギリに残した措置なのだ。もちろん、これだけの情報があれば、私なら個人を特定できるだろうことを見越してのことだろう。

 「焦ってるね、桐野さん」

 私はつぶやくと、バリスタのスイッチを入れ、情報探索用にカスタマイズしてあるPCに向き直った。3人の男性会員の個人情報特定作業は、エスプレッソができるまでに完了した。

 ユカリに電話をかけたのは、11時ちょうどだった。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

Comment(1)

コメント

BEL

桐野氏ずいぶん若い妻ゲットしたな。

高ミスさんはSASなのか。。

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