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転職しました。

2009/07/27 19:00:00

 初詣のおみくじは小吉でした。今でも覚えているのは、今でも手元にあるからです。

 次のようなこと、こまごま書いてありました。要約すれば「前半いろいろあるかもしれんけど、後半信じてファイト!」でしょうか。

 「このみくじにあたる人は、初は心の思うまゝに何事も成し遂げ難しといえども、はげみて時節を待たば後にしあわせあるべし」

 「病気は長引とも命にさわりなし」

 「よろこびは初めは思うようにならず後よし」

 「すべてこのみくじは初悪しく後よきかたちなり」

 境内で一読し、どうしてだろう、何だかとても気に入ってしまったのでした。今年1年のお守りにしよう、と、生まれて初めて神社の木に結ばなかったおみくじ……。おみくじを持って帰っただけの話で「生まれて初めて」というのも、少々大袈裟なものいいですが。

 2009年。実は早々に体調を崩し、この5月からは休職しておりました。前半が“心の思うまゝに何事も成し遂げ難”き状況だったかといえば、確かにそのとおりかもしれません。

 他にもいろいろな出来事や思うところがあって(そのうち整理して文章にできれば良いな、と考えてはいます)、タイトルの通りですが、転職しました。

 7月から、「特許翻訳家」として仕事をしています。

 ひとくちに特許と言っても分野は多岐に渡りますが、わたしの専門はもちろん(?)コンピュータ及び情報通信技術。とはいえ、その内容も実にさまざま。ビジネスモデル自体の保護が目的と思われる、調達から納品までのITシステムを包括する特許の後は、マイコン内蔵の機械部品について、微に入り細に入り説明する明細書に取り組んで。技術的な知識の“幅”については、開発者として会社にいた頃よりも広く求められていると感じます。(“深さ”は、それほどでもないですが。というより、このうえ深さまで求められたら、倒れますが。)

 既に5件ほどを英日翻訳しました。仕事をはじめてまず不思議だったのは、やたら英文がすらすら読めること。あくまで“当者比”ですけども。

 もともと英語は、ハリー・ポッターの第1巻を原書で読んだくらい大好き。ただ技術文の雰囲気には、どうも馴染めないと思っていました。単語の意味や修飾関係は分かるのですが、まったく話についていけないのです……。学生時分、ネットで英文特許を検索して読解に挑戦したものの、10行あたりでギブアップした覚えがあります。

(あの時から、何が変わって、読めるようになったんだろう……?)

 逆にいえば、こんな疑問。

(学生の頃に読めなかった1番の原因は、何だったんだろう?)

 ――ひょっとしたら、もう気付かれているかもしれませんね。会社員時代、語学に関して特別な努力をしたわけではありませんから、英語力はほとんど変わっていないはずです。

 仕事で英文を読んでいるときの、頭の動きを思い返してみました。

 すぐに分かりました。

 知らず知らずのうちに、内容の先取り、つまり予想しながら読むことができるようになっていました。

 例えば、(データなどを)“retrieve”(取得する)という単語にぶつかったとき。ほとんど反射的に、うっすらと“order”(整列/配列する)、“parse”(解析する)、などなどの単語と、そのイメージ映像が浮かんでいることに気づきました。いずれも「データを取得する」後に出てくると思われる処理で……明らかに、英語の勉強だけでは養えない連想回路。

 SE生活を通じ、いつの間にかこんなところが育っていたみたいです。さらに組み込みSEだったおかげで、回路図の読み方や素子の名称に馴染めたことも、大きかった。ある部品名を目にした時、パッとその姿形が思い浮かべられることと、説明を文法的に正しく解釈できることは、一見つながりが薄そうなのですが……文章を理解する、という大きな視点でみれば、どちらも欠くことのできない要素なのでしょう。

 考えてみれば幸せなことです。自分としては(ITつながりではあるものの)異業種に転向したつもりだったのですが、そこで技術者の経験が生かせているということ。また、前の仕事で――自覚こそなかったものの――ちゃんと成長してたんだよ、と、教えてもらった気がします。

 他ならぬ自分自身の成長ですが……むしろ自分自身のだからこそ、たまには特別の時間を設けて振り返ってあげる必要があるのかも。

 2009年後半、最初の1カ月が終わろうとしています。年初に立てた目標や計画を振り返って、前半の反省をされた方もいらっしゃるでしょう。反省というと、ついつい、達成できなかった項目や上手くいかなかった点に目を向けてしまいがちですが、まずは「達成できたこと」や「成功体験」を、心に並べてみてはいかがでしょう? ひとりでに“自然体の自信”が湧いてくること請け合いです。

「メルマガ」って、もう古いですか? ~“情報流通技術者”の喜怒哀楽+α その3

2009/06/02 18:30:00

【+α】メルマガって、もう古いですか?

 引きこもりを抜け出そう。

 そういった動機でメールマガジンを始めた知人がいます。よちよちと進みかけた彼の夢は、【怒・哀】編で取り上げたような濡れ衣メールに襲われ、残念ながら潰えてしまいました。結局は別の形で社会に出ていけたそうなので、まだ救いがありますけれど……。

 ……それにしても、「引きこもり状態から社会復帰するきっかけに」とは。

 そのような大きなきっかけになるんじゃないかと、託されるだけの魅力を持っていたメルマガ。最強の営業ツールとして 熱い視線を注いでいた企業にも覚えがあります。現在の期待値は、かつての何分の1、何十分の1にまで落ち込んでいることでしょう。

 と言いつつ、わたしは今でも「託す人」。

 もう胡散臭いと思う人の方が多いでしょうか――「ITがもたらす豊かな未来」「インターネットの可能性」――そんな言葉が心の核を離さないまま、何か自分にできることはと手当たり次第に探る日々を送っています。

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 伝えたい人と受け取りたい人の間にある障壁。人はもともと100%理解し合えるようにはできていない、なんて前提があるにしろ、IT/ICTはその障壁を常に下げようとしてきました。

 より早く、より安く。まるで2つの想いが、隣同士にあるかのように。

 それって素敵! ――率直なこの感情が、大部分を支えています。意外と体力勝負な情報処理技術者という仕事も、たまにスパム業者に間違われながらのメールマガジン発行も。

 だから、【怒・哀】編で少しお話ししたような商品は、見かけると本当に悲しい。

「あなたも明日から稼げます!」と謳ったメールマガジンのテンプレートが、数万円で売られているサイトを目にしたことがある。実際に、その類のテンプレートを使ったとおぼしきメールも受け取ったことがある。なぜ分かるかって……? 同時に、まったく別の送信元から、判を押したように9割がた同じ内容のメールが大量に届いたからだ。

前回のコラムより)

 もちろんこうしたテンプレートを「ビジネスとの一部として」使って稼ぐのだと理解して行動すれば、結果は違ってくるでしょう。けれど販売サイトの説明はそのようになっておらず、メールマガジンの役割を歪んだ形に誇張して書いてある。

 そして、これらの文言を信じて購入してしまう人々がいる。結局は(今のところは)0と1しか分からない機械なのに、そうした方々の中では「何でもできる魔法の箱」であるコンピュータ。「ITであなたも明日から稼げますよ!」と煽られてしまえば、「ああ、そういうことも可能なのかな」と思ってしまう。

 入口さえ違えば、情報発信の真の喜びを味わっていたかもしれない人たち。理解不足に誤解が接がれ、結果として生まれた不誠実な行動は、彼ら自身の信頼度も、メールというツールに対するイメージも傷つける。

 ネット上のことなので、彼ら自身のマイナスの信頼度は、ほぼ問題なくリセットできる。でも「メールマガジン」そのものに生まれた不信感は、受信者それぞれの中で生き続ける。繰り返されれば終いに「ITって……」というイメージに発展しても不思議ではない。

 幾つもの問題が重なり合っています。はじめにITに対する理解不足があること。それを利用しようとする人たちがいること。オンラインで「誰を信頼すべきか」1人ひとりが考える気力をなくしているように見えること。本来は信頼度がマイナスの人々も簡単に前科を隠し、ニュートラルな立場で出入りできてしまうこと。逆にプラスの信頼を積み重ねた人々が、きちんと「目立てる」仕組みがないこと。

 さあ、もう笑うしかない。これだけ問題点があって、そしてわたしは技術者なのだから、もう何かやるしかない。やりがい満載の仕事の予感を前に、愚痴に終始する気はどうしても起こらない。

 ――メールマガジンは、もう時代遅れのメディアか?

 ――わたしの答えは「分かりませんし、どちらでも構いません」。

 実のところ時代なんて言葉に意味はない。そこに生きる人々のうち、まずは1人が何らかの意志をもって立ち上がり、その後どれだけの人々を巻き込んでいけるかの問題だと考えています。

 わたしはメールマガジンが好きです。人と人をつなげるITが好きです。人生の流れの中でたまたまそうなっただけかもしれませんが、とにかく“何か”譲れないものを感じます。だから その気持ちに従って行動をします。

 ……なんだか単に頑固な人の口調になってしまいました。でも喜怒哀楽のうち「怒哀」まで確かに経験したはずの今でも 気持ちが切れないということは、やはり何かあるのかなあ、と感じるのが事実です。

 

メールマガジンの発行について、全3回のエピソードにお付き合いいただき、ありがとうございました。

 最後になりますが、あなたが今まで専ら情報受信者だったなら、ぜひ少しずつでも発信を始めてみてください。自分の好きなことを見つめなおしたり、仕事とは違った切り口での専門分野が見えてきたり。楽しいことばかりとは言えませんが――それこそ喜怒哀楽があり得るので――世界が広がることは保証します。

 手段はいろいろ。もちろんメールマガジンでも良いでしょうし、今はブログが主流でしょうか。そうそう、この「エンジニアライフ」もお勧めですよ(応募ページはこちらです)。

 では今度こそ本当に。ありがとうございました。

loveletterMail to かわばたあい

「メルマガ」って、もう古いですか? ~“情報流通技術者”の喜怒哀楽+α その2

2009/04/07 18:55:00

前回から、メールマガジン発行者としての体験をもとに記事を書かせていただいてます。

 わたし自身、14歳から「まぐまぐ」を利用してメールマガジンを発行し始め、20歳あたりから独自配信にも挑戦しています。今回は、独自配信を始めたあたりの話。名前入りメールマガジンで読者さんとのやりとりがさらに活発になることを楽しみにしていましたが、世間では「迷惑メール」という言葉が一般化しつつありました。

※ 今回の記事は「喜怒哀楽」の「怒哀」編。全体的にネガティブなムードが漂っております。わたしがメールマガジンを運営する中で実際に受信した、クレームメールの文章も使用しています。一部に刺々しい言葉遣いが含まれていることを、あらかじめご了承ください。

Kdar2_before

【怒】二度と送らないで!

 初めての独自配信メルマガ。今まで発行していたメールマガジンの方でも宣伝はしていたから、初回から感想メールはぼちぼち届いた。

 そんな「常連さん」の感想の中に、見覚えのないメールアドレス。

 やった、新しい読者さんからだ! ……でもどうして、件名が「Re: ご登録ありがとうございます」なんだろう? 登録確認メールに、なぜわざわざ返信が来るんだろう?

 訝(いぶか)るも、クリック。

 本文はひどく短かった。

 「登録なんてしていません! この手のメール、二度と送ってこないでください!」

 まず、ぽかんとした。「この手のメール」が何を指すのか分からずに。数秒してようやく気付く。スパムメールに間違えられた。

 彼女がわたしのメルマガに登録した記録は、登録日時もIPアドレスも含めて残っている。他人によるいたずら登録の可能性については、こちらからは調査できない。あるいは単純に登録したことを忘れてしまったのかな? ……結局こちらからは何も言わず、購読解除しておいた。

 これは結果的に、ベストの対応だったらしい。「決して議論しない」――クレーム処理の鉄則が守れずに、メーラーの受信トレイを“炎上”させてしまった友人もいる。

 そう、受信トレイである。趣味でメールマガジンを発行している人は特に、プライベートで使っているメールアドレスを発行元として記載していることが多い。昨今“炎上”場所としてよく話題になるブログとは異なり、メールは本当に「自分のところ」に攻撃が一直線にやってくる。

 「自分のところに」であり、自分のところ「だけ」に、でもある。以前、急にメールのやりとりが途絶えたオンラインの友人がいた。たまたまチャットで会えた機会に、何となく「この前送ったメール読んだ?」と聞いてみると――。ひたすら謝りながら、事情を明かしてくれた。

 勝手に迷惑メールに登録するな、という(濡れ衣の)クレームへの対応を誤ってしまった。すでに読者登録は解除しているのだが、「いいえ、確かに登録されていますよ」という一言がよっぽど気に障ったらしく、毎日誹謗中傷のメールが届く。

 「怖くてメーラーを開けなくなっちゃって、さ」

 ――話の始めに「音声チャットにしようか」と持ちかけたのは偶然だったが、本当に良かった。

 文字だけ見ていたら、彼女の感じていた苦痛を計り違えるところだった。

 上の、文章にまとめるとたった数行の内容を伝えるために、彼女は結局30分ほどを費やしたのだった。最初のうち――嗚咽で話が途切れるたびに――わたしは彼女を止めようとした。変なこと聞いてごめんね、もういいよ。でも彼女は続けた。たぶん誰かに吐き出したくてしょうがなかったのだと思う。数カ月の間ずっと。

 彼女が使っていたのはWebメールだった。チャット画面にIDとパスワードが打ち込まれ、乞われた。自分の替わりにログインして、受信トレイを見て欲しい。

 「……分かった」

 ずらっと並んだ件名を見る限り、その(元)読者からのメール以外は、普通の感想のようだった。10人からの応援メールで貰った元気が、たった1つのネガティブな反響でマイナスにまで落ち込む。わたしにも覚えがある。

 もちろん、何らかの表現・発信を始める以上、批評や批判は避けられないことである。健全な活動を続け、自分自身も成長したいなら、それらの声を積極的に役立てるくらいの気構えも欲しい。

 ……だが……。

 「できればそのメール消して、ゴミ箱も空っぽにしてて欲しくて……あ、どのメールだか分かるかな……」

 「うん、分かった。……すぐ分かった」

 友人の日常を部分的に狂わせたメールを削除しながら、思い出していた。「この手のメール」を送るなと“怒鳴り込んできた”あの読者さん。いや読者さんと呼ぶには、短かすぎるお付き合いだったけれど。

 たぶん、普段は礼儀正しく、親しみをこめたメールを書く人なのだと思う。あのメールは「わたし」に送られたものではなく、彼女の心の中にあるステレオタイプ「めいわくめーるはっこうしゃ」に向けてぶつけられたもの。きっと普段から大量の、身に覚えのないメールに悩まされていたんだ。

 それがたまたま、わたしのところでぶち切れた。

 Webメールの操作を続ける。ゴミ箱のページをいったん開く。さきほど移動させたメールが再び現れる。

 ――件名「死ね」。

 普段はこんなメールを送る人じゃないのかも、しれない。友人もそれが分かっているのか、送り主に対する恨みつらみは一切言わなかった。ただ「自分の対処がまずかった」とだけ。

 「ゴミ箱、空にしたよ」

 「ありがとう! ほんとに、ありがとう!」

 それから数週間ほどして、彼女のメールマガジンがぽつりと届いた。廃刊のお知らせだった。

【哀】すれ違う「伝えたい人」と「知りたい人」

 独自配信に名前入りメール。わたしの目には、発行側の進歩しか映っていなかった。

 思えば読者側の事情も、この数年で様変わりしていたのだった。

 もはや、自分の登録したメールマガジンを管理しきれている人などいない。そして「メールマガジン=迷惑メール」の先入観は、世間全体で確実に強くなっている。

 わたしや、件の彼女のような目には遭わなくとも、「メールマガジンを出しにくくなった」と漏らす発行者は増えていた。

 ――読んでくれる人との距離が遠くなった気がする。

 ――新しく増えた読者はまったくメールをくれない。初期の読者と明らかに温度差がある。

 ――最近買って便利だと思った商品を紹介したら、「DM(ダイレクトメール)は要らない」と苦情が届いた。広告費を受け取っていると思われたらしい。

 当時、つまり2005年前後といえば、Webサイトやメールマガジンに広告を貼って収入を得られる「アフィリエイト」が大流行。特にメールマガジンを使ったアフィリエイトは、成約率の高さと新規参入の手軽さから注目されているようだった。

 「あなたも明日から稼げます!」と謳ったメールマガジンのテンプレートが、数万円で売られているサイトを目にしたことがある。実際に、その類のテンプレートを使ったとおぼしきメールも受け取ったことがある。なぜ分かるかって……? 同時に、まったく別の送信元から、判を押したように9割がた同じ内容のメールが大量に届いたからだ。

 それらのメールマガジンには、おそらく懸賞サイトかゲームサイト経由で「登録」されたのだと思う。サイトによっては、一度のSubmitボタン押下で20~30誌のメールマガジンに同時登録されるところもある。

 アフィリエイトのみを目的とした広告だらけのメールマガジンに関しては、平成20年12月に「特定電子メール法の改正」が施行されてから、だいぶ減ったように見える。

 だが、読者側に根付いた「メールマガジン=迷惑メール」の先入観が容易に消えることはない。ある人はメールマガジンを購読する、という習慣そのものをやめてしまい、ある人は予め大きな警戒心を持って登録をする。

 そんな中、メールマガジンの発行者を続けたいと思えば、越えなければならない壁は高い。にもかかわらず、発行者であり続ける人たちは現実に存在する。Webサイトでもブログでもなく、メールマガジンを舞台として選ぶ、その理由は様々だが――。彼・彼女らの熱い想いのこもったメールを読むたび、なぜだか悔しい。

 この世にもしも、迷惑メールがなかったら。

 いまわたしが感動したこの言葉に、同じように触れられる仲間はもっともっと多かったのかもしれない。いろいろな人がまずは読者として、いろいろなメールマガジンに関わって。そのうち何人かが発行者にもなって。

 素敵なメールマガジンが加速度的に増えていく。――ふと そんな未来を思い描いては、今日も届いた「件名: 楽して副収入get♪」を、荒めのキータッチで削除する。

(つづく)

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mailMail to かわばたあい

P.S. 更新催促メール(笑)をくださった皆様へ。中途半端なところで2カ月もお待たせしてしまいすみません。ありがとうございますm(_ _)m

「メルマガ」って、もう古いですか? ~“情報流通技術者”の喜怒哀楽+α その1

2009/01/29 17:55:00

【喜】世界で一番、待ち遠しいメール。

Kdar_before いつもの平日。昼休み。携帯電話から何げなくチェックするGmail。

> 件名「○○さん、ご登録ありがとうございます!」

 (あ、また来てる♪)

 もう何年も付き合いのあるメールマガジンの……新規登録確認メール。多い日には「□□さん」「△△さん」と呼びかけだけ変えて、5~6通の同じ文面を受け取る。

 間違いメール?

 いえいえ。これは配信システムで、登録確認を“管理者”へもCC送信するように設定しているから。――そう、このメルマガの発行者は私。

 メールマガジン。

 私がこのツールを携え発信者となってから、もう10年近くが経過した。

* * *

 新しく読者になってくれた○○さん。

 嬉しいな。

 どんな人なんだろうな。

【楽】私のメールも、○○さんの待ち遠しいメールになりますように。

 はじめてメールマガジンを発行したのは14歳のとき。メルマガを購読し始めたのも同じ頃だと思う。ちょうどHTMLを勉強していて、参考にできるWebサイトがないか探していたときに出会ったのだ。「ホームページ作成入門講座」というようなタイトルのメールマガジンと。

 Hotmailに毎日届く、編集後記つきの楽しげなメール。私の興味は「ホームページ作成」から逸れていった。

 (毎日届くこの『メルマガ』というもの……。こっちの方がWebサイトを作るより簡単そうじゃない?)

 かくして私は「まぐまぐ」に発行者登録を行う。はじめは日記のような内容ばかり。1つのネタが途切れたら止め、また思いついたら新規発行し、ということを繰り返していた。

 最初の「ヒット」は16歳のとき。明確なテーマを持ち、訴求力のあるタイトルを付けることが重要だと、やっと分かってきた頃だった。選んだテーマはノーベル賞。2002年、小柴昌俊博士・田中耕一氏による史上初の日本人ダブル受賞に世間が沸いていた時分。最終的な読者は300人ちょっと。……ああ、笑わないで。当時はこれでも十分中堅どころだったんだから。

 1949年の物理学賞(湯川秀樹博士)から当時の歴代日本人受賞者10名。それぞれの業績を短くまとめて配信するだけのシンプルな週刊マガジン。でもタイミングが良かったのだと思う。読者さんとやりとりする楽しさを教えてくれたのも、このメルマガだ。

> ちょうど興味があったので、毎号楽しく読んでいます。

> 10人ってことは、次で最後ですね~……なんだか寂しい(> <)

 こんな感想が来ようものなら。指先までそわそわしてすぐに返信を書き出すことができなくて。意味もなく笑顔で部屋をぐるぐる歩き回った挙句(怖いよ)、やっと深呼吸1つして、それでもどこか浮ついたタイピングで綴る――心の底から、「ありがとうございます!」。

 そして夢は膨らむ。きっといつか、期間限定でない「世界で私にしか書けないコンテンツ」を詰め込んだメルマガを作るんだ。

 大学生になり、アルバイトで企業メールマガジンの執筆も経験する。美容関係の記事をまとめる力がつく一方、毎回指定された化粧品についてしか書けないという制限も気になっていた。

 そのとき私は文学部の学生だったけど、市販の書籍を参考にレンタルサーバを借りてドメインを取って、独自配信システムを構築しようとしていた。もちろん当時の私にプログラミングの技術はなかったから、配信ソフトは購入した。

 どうしてわざわざ、独自配信にしようと思ったのか。一番大きな理由は「名前入り配信」をしたかったからだ。つまり発行者側で「{name}さん」等と入力して配信すれば、登録された名前に置き換えられて「○○さん」と個人あてメールのように送れる機能。

 私自身がはじめて名前入りメールマガジンを受信したとき、本当に憧れの作者さんから直接メールが来たのだと思った。体裁は普通のメルマガだったから、すぐに「Excelの差込み印刷みたいなものかな」と分かった。だけど、やっぱり読んでいてワクワクする。私のために書いてくれているような気がする。――いや、「ような」じゃない。私は発行者でもあるし、発行者の友達もいるから、言える。メルマガの書き手は本当に、読者1人1人のことを想って文章を綴るのだ。

 それならば、その気持ちがより良く伝えられる「名前入り配信」、使わない手はないと思った(同時に、こんな素敵な仕組みを生み出せるプログラマってすごい、とも確かに思った)。

 はじめての、期間を限定しないメールマガジン。テーマは今ひとつ絞りきれなかったけれど、ジャンルはひとまず美容系とした。独自配信だから初期読者も自分で集めなきゃならない。当時は多かった「メールマガジンを紹介するメールマガジン」の力を借りた。私の不安をよそに、読者数は今まで見たことのない数字になる。美容ライター(アルバイトだけど)という肩書きが効いてる。

 張り切った。

 今はまだ通りいっぺんの内容しか配信できなくても、これまで学んできたことを全部つぎ込んで、精一杯の価値を提供するんだ。

 きっと、楽しくなる。

 そう信じて、疑わなかった。

* * *

 「迷惑メール」。

 この言葉が一般に使われるようになったのは、一体いつからだったんだろう。

 特定電子メールの送信の適正化等に関する法律――通称「迷惑メール防止法」――平成14年公布、施行。

 平成14年。……2002年?

 私が最初の「ヒット」に浮かれていた頃じゃないか。

 そうか。

 ……私はずいぶん暢気だったんだね。

 (続く)

Kdar_after

mailMail to かわばたあい

6歳で心筋梗塞になって、学んだこと。

2009/01/20 16:00:00

【川崎病(かわさきびょう)】

 アジア諸国の乳幼児に多くみられる原因不明の急性熱性疾患。長期予後として発症から1~3週間後に10~20%の頻度で冠動脈に動脈瘤が認められ、まれに心筋梗塞により突然死に至ることがある。

(参考: 「川崎病」(2009年1月09日(金) 03:37 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

 小学1年生の冬。まさに私の心臓は血管に狭窄を起こし、心筋梗塞の状態になっていました。実際の入院期間は1カ月ほどだったのですが、幼い目は優に半年や1年、病院の白い天井を映し続けているように感じたものです。

 こんにちは、かわばたです。そんな思い出(?)が今年の初夢でした。おいおい……。

■コラムのサブタイトルを変えました

 年が明けたら変えようと思っていた、このコラムの筆者プロフィールやサブタイトル。サブタイトルだけがずっと思い浮かばなかったのですが、2009年お正月、この夢から覚めた瞬間に決定しました。

 『永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ』

 英語のことわざですが、本来は順番が逆です。

 Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

 元はマハトマ・ガンジーの言葉とされています。これを知ったのは高校生の時、英文法の授業中。仮定法過去の例文として教科書に出てきたのでした。

 紙上の一点を見つめ、しばらくこの短い文を味わっていました。後半部分の「永遠に生きるかのように学ぶ」、その境地を十分想像することはできなかったけれど……。

 「明日死ぬかのように生きる」――うん、それがどういう感覚か、私は知っている。

■もしも明日、目が覚めなかったら

 川崎病で入院しているあいだ、一度だけ転院しました。

 移動している間の記憶は全くありません。ある晩、急に胸を締め付けられるような痛みに襲われパニックになって、呼吸までおぼつかなくなり。駆け寄るお医者さん、看護師さんの足音。人工呼吸器の硬い感触。意識を取り戻すと、相変わらず白いベッドに白い天井。でもここは知らない場所――もと居た小さなかかりつけ院から、総合病院に来ていました。

 ここから治療が本格化しました。右腕に点滴、基本的に寝たきり。飲食は禁止。例外は水を1口、マドレーヌを1かけら。これで1日分です。

 みるみるうちに弱りました。筋力が低下し、自力では起き上がれません。体にはくっきりとあばら骨が浮かび、声を発することすらしんどい。そうした体の変化とは別に、気持ちの上にも新たな傷ができていました。

 夜が怖くなっていました。

 眠ることが怖くなっていました。

 (またこの前みたいに苦しくなるんじゃないか)

 いや、それどころか。

 (これが最後の『おやすみ』になるんじゃないか)

 川崎病は確かに重病ですが、適切な治療さえ施せば高い確率で生還できます。けれど当時の私は自分の病気について何の知識もありせんでした。仮に説明されていたとしても納得したかどうか……。ついこの間まで起き上がり、歩いて、走れたこの体から、今では日に日に自由が奪われる。この事実が私にもたらすものは、死に近づく感覚以外の何物でもなかったから。

 とはいえ ただでさえ体力の削られていた身。つい、うとうとと眠りに落ちては、「はっ!」と身震いし目覚める。確認。自分はまだ生きている。

 また今日も、起きられた。

 安心と感謝も束の間、夜が近づくにつれ戦々恐々とする毎日を繰り返していました。この不安をどう説明すれば良いのか分からなくて、誰にも決して打ち明けないまま。

■それでも私にできること

 転機は、隣のベッドの名前も知らないおばあちゃん。いや正確には……そのおばあちゃんがベッドにいたのか、誰かのお見舞いでおばあちゃんが来ていたのか。首を動かす力さえ失っていた私は、次の会話が行われていた風景を知りません。限りなく曖昧な記憶の中で、彼女の弱々しいほど穏やかな声だけは今でも鮮烈な印象を残しています。

 はじめは若い男性の声。愚痴をこぼしていました。最近は暗い空模様ばかりで気持ちまで沈む、とか何とか。

 おばあちゃんが応じます。のんびりとした鹿児島弁。

 「お天気はねぇ、しゃんなか(しょうがない)よねぇ。おてんと様のなさっこっ(なさること)じゃから」

 (…………)

 そしてまた、夜が来ました。その日も、夜が来ました。

 思えばこれは、当たり前のことなのでした。

 夜が来る、ということ。

 (これは、『おてんと様のなさること』だから)

 その日は不思議と毎夜の恐怖が薄かったように思います。自分はいま大事なことを掴みかけている。それだけは理解していました。

 次の朝、目覚めると答えが出ていました。

 (明日死んでも後悔しないためには、今日何をすればいいんだろう)

 質問の形をとっていましたが、これは確かに「結論」でした。そう、いま自分が考えるのはこれだけでいい。夜が来ること。眠たくなること。これは変えられない。これが現実。

 その中で私は、さあ、何をしよう。

 (……今日は、首を動かせるようになろう)

 別の日。

 (今日は、寝返りをうとう)

 (腕を持ち上げよう)

 (鉛筆を持とう。そしたら明日は字を書ける)

 いつの間にか欲張りになって、2~3日ほど先取りした目標を立てることもありました。

 (色鉛筆を使うのは、ふつうの鉛筆よりも力が要るんだなあ。……よし、明後日までにもっと楽にできるようになろう)

 こうして毎晩、閉じた自分の瞼が二度と開かない夢に怯えていた女の子は、自由に動く腕で書き上げた絵を誰かに見せて「上手ねぇ」なんて言われちゃって照れている、来週の自分をイメージするようになったのでした。

 そしていつしか理解していました。大事なのは成し遂げた内容よりも、目標を立てることそのものなのだと。

 1日の終わり。「本日の小さな挑戦」を思い返し、しばし満足感に浸ります。ずっと怖くて仕方なかった、眠りにつくまでの小一時間。この新たな習慣をスタートしてから、あっけないほど簡単に、1日のうちで最も楽しみな時間の1つになりました。

 いつも最後は、この言葉で締め。

 (よし。これで明日の朝、目が覚めなくても大丈夫)

 ……大丈夫なわけはないです。6歳児にして随分と、虚勢を張ったものですね。でも心の中でこう呟くと、たちまち力強く頼もしい幸福感に包まれることができました。

 それは台詞とは裏腹の、まごうことなき明日への活力。

■今は元気に過ごしています

 高校卒業まで定期的な心エコー検診は必要でしたが、おかげさまで後遺症もなく回復しました。

 退院間際は 病室にいながらにして「子供は風の子」を体現したような振る舞いを見せ、看護師さんから「本当に元気ねぇ」と笑われるまでに。こう言われたのは朝ベッドから飛び降りて談話室に向かう途中だったと思います。たぶん「置いてある絵本を今日中に2冊読む」といった目標でも立てていたのでしょう。

 絵本の内容は忘れてしまいましたが、それよりも少し前――自己流の指先リハビリも兼ねて、折り紙の裏に書いた「3か条」だけは覚えています。

 「おてんと様」の業に逆らわず、それでも自分でできることを精一杯やろうと決めた、あの日の気持ち。

 毎日を“いい日”にする3か条。

 文字数はさほどありませんが、書き上げるのに2日ほどかかりました。1文字書いては休んで、右手が動かなくなったら左手で、とやっていたことに加え、誰かに見られたら恥ずかしい気がして、こっそり書き進めていたためです。書き終わった紙も人が気に留めないような場所にそそくさと押し込み……数日して私自身もその存在をすっかり失念。退院後ひと月ほどたってから、はっと重大な忘れ物に気づきました。時すでに遅し。

 でも内容は、しっかり、覚えています。

 人生において初心に返るべき時というものがあれば、私の戻る地点は間違いなくここ。小学1年生の女の子でも思いついて実践できたのですから、本当にシンプルなことですけれど。恥ずかしながらご紹介し、今回のコラムを終わります。

 記憶を辿り、なるべく“原文ママ”で。

今日から まもること

1

じぶんで今から かえられることにだけ
しゅうちゅうすること。

お天気とか きのうしっぱいしたこととかに
なやまないこと。

2

朝おきたら、その日に これだけはやりたい ことを
きめること。

わくわくしながら はじめること。

3

よるねるまえに、もくひょうが
たっせいできたかどうか かくにんすること。

できていたら

じぶんでじぶんをほめること。

できていなかったら

じぶんでじぶんをゆるすこと。

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コラムニスト プロフィール

かわばたあい
1985年鹿児島県生まれ。組込みSEを経て、現在はIT関連の特許翻訳家。
大学中退や転職など、進路に悩んだ経験が、同年代以降の方の参考になると嬉しいです。

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